呪いってさあ、信じ込ませるのに一苦労だね
ブックマークへのご登録、ありがとうございます。主人公のいい加減さと共に、物語は混乱していきます。作者の力量で、どこまで表現できているかは、わかりませんが、よろしくお願いいたします。
執務室にて、ズヌークはスパルチェンともう一人の男。ナシッドと呼ばれる男といた。白人ばかりの用人の中でナシッドは数少ない黒人である。
白いローブに身を包んでいるのは魔法使いの証であった。
「侵入の形跡は発見できませんでした。窓に嵌められた鉄格子も外された跡はございません。これは、ナシッド殿の領分かと思われます。」
武家方筆頭用人であるスパルチェンが苦渋の色を滲ませながら報告する。ズヌークは、その報告を受けて、ナシッドに視線を移す。
「御屋形様。これが魔法使いの仕業とすれば、かなりの手練れでございます。あの針金が貫通していた箇所を拝見いたしましたが、見事な技。魔力の痕跡も、一切、感知できませんでした。」
ナシッドは頭を垂れて、己の見解を告げる。ナシッドは既にかなりの高齢だ。深い皺が顔中に刻まれ、無精髭が疎らに生えている。額には真実の目と呼ばれる刺青を施し、手の平には魔力増強のための魔石、結晶化した霊子回路を埋め込んでいる。
魔法使い…いや、手練れのヤートと組んでの仕業かもしれぬ。
ズヌークは、少ない材料の中から考える。
二人の用人は、そのズヌークの言葉をジッと待っている。
そもそもが、何者の差し金か…ヘルザース閣下麾下の組男爵か?
ズヌーク領内、二つのヤートの集落を壊滅させた組男爵が閉門させられた逆恨みかと考えるが、即座に、イヤ。と否定する。
逆恨みならば暗殺する。侵入者はそれだけの手練れだ。
貴族であれば、互いの領内に密偵を送り込み、その情報を漁り合うのがハーデレン王国の常だ。ヤート族を使って小競り合いをすることも国は黙認している。
だが、領主の暗殺となれば話しが違ってくる。
やはり、何らかの警告、脅しと見るべきか…しかし、そうなると何を目的としているのか、その事がはっきりせぬ内は相手が誰かも埒外であるな。
「それぞれに問う。今後の対策は如何にすることが最善か?」
スパルチェンが頭を垂れる。
「我々、武家方はナシッド殿の指揮下にて、警護を強化するべきと進言いたします。」
ナシッドがスパルチェンの言葉を受けて頷く。
「まずは、呪符を邸内に貼らせていただきます。犯人を発見するため、魔力を感知するための呪符でございます。そして屋敷外には結界封鎖の陣を張らせていただきます。これは邸内の呪符と連動させることで、異常を感知いたしますれば、直ちに発動し、何人たりとも外に出ること能わずの結界となります。」
二人の方策を確認し、ズヌークは「よし。」と答える。
「それでは、今後、一月の間、武家方警護役の者には屋敷内においての帯刀を許可する。屋敷外の警護役の者にあっては、槍もしくは弓矢の装備を許可いたす。スパルチェン。ナシッド。しっかりと頼むぞ。」
ズヌークに命じられた二人は揃って頭を下げ「御意」と答えた。
ズヌークとその家族、妻、息子が三人、娘が一人の計六人がテーブルに着いて食事をしていた。
ズヌークは質素倹約を旨としている。
屋敷に華美な装飾は施していないが、必要な調度品にはそれなりの手が加えられている。
しかしながら、家族用の調度品に関しては、それなりの物しか使用していない。
来客用のダイニング、応接間、客間、そういった歓待するべき部分には金を掛けるが、そうでない部分には金を掛けない。
吝嗇家という訳ではない。
用人の使用する家は、一般の家屋よりも大きくて、しっかりした造りである。家の内向きのことを取り仕切るメイドは当直制で、交代で屋敷内に泊る
メイドやオルタークには、屋敷内に他の部屋と変わらない当直室がしっかりと用意されている。
ズヌークの屋敷は敷地の中心にあり、屋敷を中心に大きな庭園が広がり、その周囲を用人の使う建物が塀のように、敷地をぐるりと囲っている。
敷地面積に対して、出入り口の数は三カ所と少ない。
連長町から伸びる道は、迷路のように複雑になっており、すんなりと敷地に入ることは出来ない造りになっている。
ズヌークの屋敷は、屋敷でありながら、城としての機能をしっかりと意識していた。
大きな蔵を敷地内に設え、籠城すれば三か月間は戦える糧食を備蓄している。
ズヌークとは、貴族としての誇りを持ち、その責務を全うすることに重きを置いている。そんな男であった。
六人で食事を摂っていた時である。
ポトリと音がした。
テーブルのほぼ中央、赤い染みが白いテーブルクロスを汚す。
テーブルに着いている六人と給仕をしているメイド三人、全員が気付いた。
自然、全員の視線がその赤い染みの軌跡を辿る。
メイド三人はそれぞれに声を上げて後退った。
「ヒッ!!」
妻は引き攣った声を上げた。
娘は顔を両手で覆った。
息子の一人は立ち上がり、一人は顔を背け、一人は眉を顰めて天井を苦々しく睨んだ。
「オルターク」
ズヌークは平時と変わらぬ声で、オルタークの名前を呼んだ。
急いでオルタークがズヌークの元に駆け寄るが、その時には、赤い染みが広がり、白いテーブルクロスを斑に汚していた。
オルタークは天井を見上げて、眉を顰める。メイド三人に向かって、直ぐにテーブル上の料理を下げるように指示を飛ばし、客間用のダイニングに食事を用意するように別のメイドを呼びつける。
「食事はもうよい。それよりもナシッドとスパルチェンを此処に呼べ。」
ズヌークの指示にオルタークが頭を下げて、用人の二人を呼びにダイニングを出て行く。
「お前達は自室に戻りなさい。」
家族に告げると、ズヌークは天井の一点を見詰める。
その先には鶏が縫い付けられていた。
ズヌークの敷地で飼育されている鶏である。
右の足に金属環がはめられ、その鶏がズヌークの物であることを示している。
昨日、蛇が縫い留められていた針金が、この鶏にも突き刺さっている。
その針金を伝って、テーブル上に赤い血が垂れている。
何ゆえ、今、垂れてきたのか?
鶏から突き出ている部分は八センチメートルほど。昨日の蛇の時と変わらない。
そこから三秒ほどの間隔で血の雫がテーブルへと垂れている。
家族と揃って食事を始めたのは二十分ほど前である。
最初の一滴目からズヌークは見ている。
雫の落ちて来る間隔と食事を始めた時間が合わないのではないか?
食事を始めてから、この鶏は此処に縫い留められたことになる。
ズヌークはあり得ない事実に魔法によるものだと結論付ける。
そこに、ナシッドとスパルチェンが現れる。
二人はズヌークに一礼した後、ダイニングに足を踏み入れた。
ズヌークは無言のまま、二人に向けていた視線を天井へと転ずる。
つられたように二人が天井へと目を向ける。
「むう。」
「うぬ。」
スパルチェンとナシッドが同時に唸る。
「先ずはスパルチェン。貴様の見立てを聞こう。」
スパルチェンは目線を鶏から外すことなく話し出した。
「床から天井までの高さは約四メートル、拝見する限り、針金には角度が付いておりませぬ。抜いて確認せねばなりませんが、前回同様に針金の長さが二十三センチメートルあるならば、十センチメートルは天井に突き刺さっていることになります。周囲に亀裂は見られないことも併せて考えますれば、鶏が縫い留められている真下から針金を真直ぐに投擲したことが伺えます。とても人間業とは思えぬ技量かと。」
スパルチェンの見解にズヌークは頷く。
「ナシッド。貴様の見立てはどうか。」
ナシッドはスパルチェンの話の途中から両手を広げて、その両掌を鶏に向けていた。
「驚くべきことですが、呪符結界には何ら感知されておりませぬ。ご存知かもしれませぬが、呪符結界内においては如何なる者もその存在を隠すことが出来ませぬ。従って、この所業を成した者は、存在するが、その存在を認識することの出来ぬ者ということになりまする。その存在を認識できぬ者であれば、恐らくその者の持つ力を認識することも困難を極めるものと思慮いたしますれば…」
ナシッドはズヌークの期待する回答を述べることが出来ないため、語尾を弱々しくしおらせた。ズヌークはそんなことに頓着せずに「うむ。やはりそうか。」と頷いた。
その言葉にナシッドは驚いた顔を上げる。
「今日、この時点までは、屋敷内の何者かが裏切った可能性もあると考えておった。」
ズヌークのその言葉にナシッドが顔色を蒼くさせる。
「お、御屋形様、そ、某では…」
呪符結界を張っているナシッドならば侵入者を庇うこともできれば、自らが実行することも可能である。その事を察したナシッドが、慌てて身の潔白を訴えようとするが、それをズヌークが視線で押し留める。
「見よ。血の雫が途切れることなく滴っておろう。この雫、我らが食事をしておる最中に滴ってきおった。」
天井の鶏は食事中に縫い留められたのだとズヌークは言っているのだ。
ナシッドでは、いや、ズヌークの知るあらゆる者にも不可能であるということを暗に仄めかす。
「食事中に現れ、我らの頭上に鶏を縫い留めていきおったのだ。その何者かは。」
スパルチェンとナシッドは言葉を失っている。
「姿も見せず、音も発せず、気配も感じさせず、魔力も感知させず、我らの頭上で鶏を殺し、さらには鶏を縫い留めて行きおったのだ。」
ズヌークの顔には鬼気迫るものがあった。家族を殺されるかもしれない。その恐怖があった。なす術もなく、知らぬ間に家族が殺される危険。
許せる筈がない。許す道理が無い。
ナシッドとスパルチェンは、そんな主人の獰猛な顔を見て唾を呑んだ。
「もしかしたら、その認識できぬ者は今もこの場に居るやもしれぬな…」
はい。居ます。目の前に。
いや~透明になってる訳でもないんだけど、ズヌークさんの目の前に居るんだよなあ。
これが。
前に病院でやったことと同じ。脳のニューロンに阻害信号と偽装信号を送ってるんだよね。もうこの屋敷の人間全部にさあ、マイクロマシンを定着させちゃって、この屋敷の人間には俺を認識できる人間が居ないんだよねぇ。
あの黒人のオッサンが魔法使いだからってんで、ちょっと警戒したんだけど、チョロかったわぁ。
チョロチョロですわぁ。
呪符結界とか出してきた時は、むむっとか思ったけど、以前、手に入れてた呪符と構造というか仕組みは一緒だったから、対策は問題なく出来た。ってか、してくれた。イズモリが。
呪符はマイクロマシン製のインクで咒言を書く。
書いた魔法使いの霊子でそのマイクロマシンは起動し、周囲に漂うマイクロマシンに命令を伝播しながら結界を形成する。
つまり、書いた魔法使いの周波数帯とは、違う周波数帯の魔力を感知する仕組みになっている。
俺は周波数変換コンバーターを持っているので、ナシッドの周波数帯を検知特定し、その周波数に合わせた霊子でマイクロマシンに俺の命令を上書きする。
ナシッドはマイクロマシンへの命令を暗号化してないため、というか出来ないために、俺の命令を上書きされたマイクロマシンを自分の魔力だと思い込んでいるに過ぎない。
チョロイですわ~。チョロチョロですわ。
今も俺は、怖い顔したズヌークの眼前六十センチメートルぐらいの位置に、ボケ~と立っているが、此方に対する反応は全くない。
俺が伸ばしている気配そのものは、ズヌークの気配に同期させているので、全く気付かれない。
ズヌークとスパルチェン。この二人は達人であったことが災いしている。
この二人も警戒しているため、常に気配を敷地内全体に伸ばしている。
そのため、俺が何処に居ても、ズヌークの気配に紛れてしまうため、誰も俺の存在に気付かないのだ。
俺は二種類の周波数帯を切り替えながら、また同時に発しながら、鶏を天井に再構築したに過ぎない。ナシッドが言う魔力の痕跡も、使用したマイクロマシンがナシッドと同じ周波数の霊子で命令されているから、ナシッドには検知できない。
『これで、呪いと信じてくれれば、あとは仕上げ段階に移行できるんだがな。』
そう。
これはあくまで、前段階。段取りの段階である。
「このような業を使う者、貴様らは知らぬか?」
ズヌークの言葉に俺は肩を落とす。まだ駄目か~。まあ。呪いも誰か生きてる人間の仕業の方が多いからなあ。
俺は生きてる人間ではなく、人間以外の仕業と思って欲しいのだ。幽霊、悪魔、そういった犯人を特定しても仕方がない存在。
そういう存在の所為にしたいのだが、ズヌークは中々に現実主義者のようで、上手く誘導できない。
『次の手を考えるか…』
イズモリも、若干、気落ちしている。
どうすっかなぁ…
ズヌークは忙しい。忙しいが、侵入者を用人任せにはできないところまで追い詰められている。
警備を厳重にしても、侵入者を特定するどころか、その侵入経路、手口、その全てがお手上げの状態である。しかしそれでも、国王からの勅命が下る日は刻々と近づいている。
明日は領内の組男爵が参集して来る。
明後日には参集した組男爵と会合を開かねばならない。
その会合前にはハノダが収集してきた組男爵の詳細な情報を読んでおく必要がある。
「ナシッド。相手の意図を探れ。」
何を目的にしているのかさえ分からない。
ズヌークを殺そうと思えば、殺すことが出来るであろう、それだけの手練手管だ。スパルチェンもナシッドもなす術を持っていない。当然ズヌーク本人もだ。
何かのメッセージか。何かを要求したいのか。意図することが全く読めない。
「御意。」
ナシッドの返事を聞いたズヌークは、ダイニングを出て、自分の執務室へと向かった。
『ふむ。意図か…』
おっ。何か閃いたか?
『そうだな。呪いにはメッセージが必要だな。』
『ああ、そうだねぇ。ホラーでも、大概、そういうのがあるもんねぇ。』
『そうそう。最後の最後に、ああ。そういうことかっていう奴ね。』
メッセージって、何をどう伝える?
『うむ。これだけの家で貴族なんだ。何か血生臭いことの一つや二つはあるだろう。その辺を探ってみて、良いのがあればそれを使おう。』
じゃあ。調査だな。
『ああ。明日一日はそれに当てよう。』




