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トガリ  作者: 吉四六
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男爵とか子爵とか伯爵とかは大変そうだ

 ブックマークへのご登録、ありがとうございます。完成原稿を改稿しながら投稿しております。途中で連載を止めるということはございませんので、最後までお読み頂けると幸いです。

 卑怯な手段ですが、この前書きで、作品への解説を挟みます。

 今話における作中の時系列に首を傾げる方がおられると思います。後書き、次話の前書きに、その時系列について書きますので、そちらの方も合わせてお読み頂けると幸いです。

 ズヌーク・デロ・セヌーク男爵は馬車に揺られていた。装飾の施された華麗な馬車だ。

弓形に整形された木材が車体を支えて揺れを抑えてくれるが、速度を上げれば、やはり揺れる。

 六日間もの間、この馬車に揺られて、ディラン・フォン・コーデル伯爵領の首都、デリノス都から自領のサテネ連へと戻って来たのだ。

 宿場町などにも一切止まることなく、馬を替えながら六日間走り通しである。従者も御者も、その役割を交替しながらとは言え、やるべき仕事をこなしながらのことのため疲れ切っている。

 揺れる度に尾骶骨から背骨に掛けて痛みが走る。しかし、そんな痛みよりもズヌークを別の痛みが襲っていた。

 ズヌークは馬車の中で、肘掛けに肘を立てながらコメカミを押さえた。頭の痛い問題だった。

 王都から徴兵令の勅命が下されるとの事前通告を受けたのだ。

 十二の連長男爵と十四の街道男爵が招集されて、伯爵から直接命令を受けた。各農村から二十人の徴兵及び馬三頭の供出、自領における獣人の徴兵、徴兵された者達の三十日分の糧食の供出。

 ズヌークの男爵領には百四十四の農村がある。百四十四の各農村から二十人の徴兵である。二千八百八十人の徴兵だ。

 徴兵されるのは屈強な成人男性だ。仮に、一人につき、一日、二キログラムの糧食を必要とすれば、一日に五千七百六十キログラムの糧食が必要になる。トンに換算して五.七六トンだ。

 三十日で百七十二.八トンが必要となる。

 馬の飼葉は一日に十キロから二十キロ。十五キロとして計算すれば、三十日で一.三五トン。

 獣人人口は約百二十人。獣人は人間の三倍近くを食べるから一日に六キロと計算すれば、三十日で二十一.六トンの糧食が必要となる。

「約二百トンの糧食か…」

 サテネ連長町に到着するまでは、各兵員の糧食は兵達の自前となるが、それは建前だ。

 男爵として、サテネ連長町に来るまでの糧食も用意してやらねば徴兵もままならない。そして、サテネ連長町からホノルダ群統括中央府までの糧食は当然、ズヌーク持ちだ。

 自身の親貴族であるディラン・フォン・コーデル伯爵領はウーサ大陸の東寄りにある。

 極東のヘルザース・フォン・ローエル伯爵領と隣接している。

 そのヘルザース領に接しているのが自領のサテネ連ズヌークの男爵領なのだ。

 それに対してディラン・フォン・コーデル伯爵は、西に存在する王都に、少しでも近くに。という思いから、伯爵領主都を自領の中央ではなく、西に建都した。自然と主要都市は西に集まり、ズヌークの男爵領は辺境となる。

 十二の連長男爵の内、ズヌークを含む四人の連長男爵は辺境男爵という蔑称を持っていた。

 辺境伯と言えば、本来、公爵と同等に見られるか、そう扱われるものだが、それは敵国と隣接しているからであり、そうではないズヌーク、特に男爵であるズヌークにとっては蔑称でしかない。

 あからさまに言う者はいないが、陰ではそう呼ばれていることをズヌーク自身がよく知っていた。

 仕方がないとも思っている。伯爵領の主都、デリノス都まで、寝る間を惜しんで馬車を迅駆させて六日間も掛かるのだ。

「おお。ズヌーク卿、ようやくのご登場か。」

 と、他の男爵から嫌味を言われるのはもう慣れっこだ。しかし、それだけの距離に掛る糧食の出費は痛い。二百トンからの糧食を運ぶには大型の馬車が二十五台必要になる。

 現在、ズヌークの男爵領には軍用の大型馬車が二十台あるが、一台の製造費用が約三百万ダラネ。足りない五台分で千五百万ダラネである。商人から供出させればタダになるが、農村地帯の商人は、そのような大型馬車を持っていない。仮に持っていたとしても、それは商人達の唯一の足であり、その馬車を取り上げられた商人は首を括るしかなくなる。

 自領の街道宿場町には、大型馬車を数台擁した商人もいるだろうが、街道は別の男爵の物だ。所謂、街道男爵と言われる者達の管轄だ。

 大型の馬車は二頭立てになる。それだけ飼葉が必要になる。歩兵がほとんどだ。それはホノルダ群統括中央府にまで時間が掛かることを意味しており更に飼葉が必要となる。

 ズヌークは尻の痛みに加えて、大きな溜息を吐くのだった。

「おかえりなさいませ。旦那様。」

 用人の出迎えを受けながら、ズヌークは背筋を伸ばす。

ズヌークは身長百八十センチメートル以上の偉丈夫である。三十歳になった今も剣と槍の鍛錬はできうる限り行っている。

 高い鼻梁に引き締められた口元は凛とした風格を漂わせ、後ろで束ねた黒髪を揺らしながら、用人を振り返る。

「オルターク。組男爵を早急に招集しなさい。それとスパルチェンとセルダク、それとムスタンを執務室に。」

 疲れを一切見せずに、コートを脱ぎながら用人オルタークへ指示を飛ばす。

「組男爵の皆様への召集令状の内容は如何様にいたしましょうか?」

 廊下を進みながら防刃防弾仕様の上着を脱ぎ、シャツのボタンを次々と外す。

「うむ。勅命が下るやもしれぬ。皆に関係致すことゆえ、早急に参集するようにと(したた)めよ。」

 オルタークの表情が僅かに動く。

「承知いたしました。早々に使者を遣わします。」

 ズヌークは「うむ。」と一言頷くと、自室へと着替えに入る。

 その扉が閉められるまで、オルタークは慇懃に頭を下げていたが、扉が閉まると同時に即座に動き出した。

 ズヌーク邸から召集令状が早馬で出発し、同時に遠方の組男爵には伝書鳩が飛ぶ。

その間にズヌークは武家方筆頭用人のスパルチェンと金融資産預かり用人セルダク、そして内政方収穫管理用人のムスタンの三人に戦支度の指示を出していた。

「正式な勅命が下るのは二十日後になるとのこと、その間に徴兵、練兵、編成を致さねばならぬ。あまり時間がないが、スパルチェン、委細はお主に任せる。」

 禿頭の白人男性、逞しい体を誇るように背筋がピンと伸びている。その男が「御意。」と応えて、頭を下げる。

「セルダク、貴様はムスタンと委細相談して、必要な糧食と輜重隊の編成経費を試算しなさい。」

 長髪の白人男性、柔らかい物腰で、「御意。」と頭を下げる。

「ムスタン。貴様には遣り繰りしてもらわねばならぬ。秋の収穫までの備蓄と供出できる糧食の試算、運用する馬の飼葉だ。他にも衛生医療器具、魔法使いの運用準備とお主には内政方で調整してもらわねばならぬ、頼むぞ。」

 長髪の白人男性、此方は何度も頭を下げながら男爵の言葉を聞いていた。そして最後に深々と頭を下げて、「御意。」と応える。

 それぞれが、それぞれの持ち場へと向かい、ズヌークは、やっと人心地付けると、椅子の背もたれに体を預け、天井を仰いで「ふーっ。」と溜息を吐いた。

 六日間の馬車による強行軍は流石に(こた)えた。

 尻から背筋、そして首へと体が強張っているのが実感できる。


 一日の兵役の給金をどういたすか。セルダクと相談致さねばならぬな。


 ズヌークは頭の痛い問題を振り払うことが出来ずに指で眉間を揉むように挟み込む。

 勅命が下されるとの事前通告が申し渡されるのは、勅命後、すぐに参集できるように、との内々の配慮からである。

 つまり、勅命が下されて、何日も王を待たせることは不敬であるとの考えに基づいて発布されるのだ。従って、少なくとも勅命が下される十日前には出発しなければならない。


 全軍を揃えての出発は無理であろうな。


 ズヌーク旗下、近衛隊のみを引き連れての出発。

 輜重隊の進軍速度に合わせていては、三日後には出発しなくては間に合わない。

 何人かの組男爵を残して、騎士爵の者で編成した近衛だけで先発隊として出発するしかない。後発隊には輜重隊を従軍させて、ゆるりと来させるしかない。

 練兵は間に合わぬな。予定通りの人数が揃えば重畳か…。

 いくら考えても解決策は見つからない。つまりは、考えても無駄なことなのだ。そう結論付けた時のことだった。執務室のドアがノックされる。

「ズヌーク閣下。お客人がお見えです。」

 眉間に皺を寄せる。予定にはない客人だ。先触れを出していないということは、急を要する案件だ。しかも、オルタークが引き合わせた方が良いと判断した客でもある。

 オルタークは今の状態を正確に理解している。それでも、主人であるズヌークに会わせた方が良いと判断したのだ。

 ならばズヌークも会わない訳にはいかない。

「通せ。」

 姿勢を正して、執務机に両手を広げて客を迎える。

 背後には大きな窓が設えてあり、威厳と威圧感をもって客と相対する。それが、一領土を統括管理する男爵として相応しい姿勢であった。

 オルタークが扉を開き、お辞儀をしながら後退る。

男が一人、オルタークに会釈をした後、一歩、執務室に入り「失礼いたします。」と言いながら深々と頭を下げる。

「うむ。時間が惜しい。性急にて申し訳ないが、本題からお話をお伺いしよう。」

 威厳と威圧感をもっていても、無礼になってはならない。ズヌークは極めて冷静な声で男に話を切り出すように勧める。

「はい。突然の来訪、無礼を承知でお話をさせていただきます。私はヘルザース・フォン・ローエル伯爵を親にしておりますローデル・セロ・スーラと申します。」

「なんと!」

 堂々とした体躯に白髪の男性は鋭い眼光を放ちながら、ズヌークを見詰める。鷲鼻に広い額は知性ある猛禽を思わせる。

 ズヌークは、やおら立ち上がり、頭を垂れる。

「これは失礼をいたしました。初めてお目にかかります。ズヌーク・デロ・セヌークと申します。」

 ズヌークは執務机を回り込み、自ら応接室へとローデルを案内する。

「どうぞこちらに。」

 ズヌークは先にローデルにソファーを勧めるが、ローデルは座らずに右手を差し出した。

「お目に掛かれて光栄です。ズヌーク卿。」

 ズヌークは、しっかりとローデルの右手を握り締めて握手に応える。

「此方こそ光栄です。ローデル卿自らお出で頂くとは驚きを禁じえません。」

 ズヌークの言葉に照れ臭そうにローデルは笑う。

「そう苛めてくださいますな。私ごとき辺境の更に辺境を統括する貧乏子爵に光栄などと、まともにズヌーク卿の顔を見ることさえ(はばから)れます。」

 ローデルはそう言いながら、ソファーに腰を掛ける。浅い座り方だ。

 話に対する本気度が伺える。

 ズヌークもローデルに合わせて腰掛ける。自らも浅い座り方で、失礼に当たらぬように気を付ける。

 子爵は男爵よりも上の爵位に当たる。少なくともハルディレン王国ではそうだ。

 男爵は領地として街道、もしくは連を与えられ、子爵は群を与えられる。

 この世界での一般的な爵位と役割はそのように取り決められているが、ハルディレン王国において独特なのは辺境の扱いだ。

 本来、辺境伯は伯爵よりも上に扱われるが、ハルディレン王国では、そうではない。東の辺境には外敵がいないためだ。

 北はホルルト山脈があり、その向こうには国が存在しない。国を興すだけのメリットが無い土地なのだ。

 南は大きく抉れた湾になっており、その湾を取り囲むように、やはり標高一万メートル級のゴーラッシュ山脈が聳えている。

 西には味方の伯爵しか存在しない。よって、東側の辺境は守る必要のない、正真正銘の辺境なのだ。戦う機会のない貴族は飼い殺しに等しい。従って、通常の伯爵よりも下に見られることが多いのだ。

 しかし、その辺境伯の下にあって、このローデルは違った。他の貴族から一目も二目も置かれていた。何故なら、その功績があまりにも大きいからだ。

 北のホルルト山脈と南のゴーラッシュ山脈にはドラゴン、龍が住み着いている。龍は標高五千メートル以上を生息域にしているが、偶々人里まで降りて来る龍がいる。

 その龍を討伐したことがあるのだ。

 討伐に要した日数は約一月、要した人員は延べ約三千二百人。

 被害にあった死傷者は数千人と言われている。それでも大きな功績なのだ。本来ならば十数万の人間が死傷している、大災害どころか天変地異に等しい事柄なのだから。

 ローデルは龍との戦いの一か月間、指揮を執り続け、前線で獅子奮迅の戦いを示し、士気を高揚させて、遂には龍を退治した。

 その功績をもって子爵に取り立てられたのだ。

 ズヌークは当然その逸話を知っていた。そして、その人物を目の前にして本物だと確信していた。

 本当のドラゴンスレイヤー。

 本当の伝説を作り上げた英雄が、今、目の前にいる。

 三十歳にして初めて覚える高揚感にズヌークは背筋を伸ばす思いだった。

「お疲れのところ大変に申し訳ない。かく言う私も、先ほどヘルザース・フォン・ローエル伯爵閣下から、軍編成の勅命が下るやもしれぬと知らされたばかりでしてな。ズヌーク卿もデリノス都からお戻りなられたばかりとお察しする。重ねてお詫び申し上げる。」

 腰の低いローデルにズヌークは恐縮する。

「いや、ローデル卿、そのように頭を下げられては私の立つ瀬がございませぬ。ローデル卿は王国の英雄。某めにとっても生ける伝説、正真正銘の英雄でございます。そのローデル卿がわざわざこのような拙宅にお出で頂き、それだけで、六日間の長旅の疲れも吹き飛びました。これもローデル卿のお蔭、私はお礼を申し上げたいぐらいです。」

 ローデルは顔を上げてニコリと笑う。

「左様ですか。そのように仰って頂けるのならば、私も気が楽になります。」

 ズヌークはホッとしたような表情になったが、ローデルの顔は何処か晴々としない、どうしたのかと問いかけようとしたとき、ローデルが口を開く。

「いや。今日はズヌーク卿に会えて良かった。私のような者を未だ英雄と呼んでくださるとは…ズヌーク卿に会えたことで、あの頃の気概を思い出すことが出来ました。まことにありがとうございます。」

 そう言ってローデルはズヌークの右手を両手で握る。

 手を放すと、ローデルは(おもむろ)に立ち上がり、突然に、この場を辞することを告げる。

「お待ちください。ローデル卿、何かあったのですか?もし、(それがし)如き者にも出来ることならば、微力ながらローデル卿のために力をお貸しいたします。」

 今度はズヌークがローデルの手を取り、無理矢理に座らせようとする。

「ありがとうございます。しかし、私はこの場にいることが恥ずかしい。ズヌーク卿ならば、或いはと期待したこと、その浅ましい心根を某は恥じておりまする。ズヌーク卿の某を見詰めるその瞳、その目を拝見すれば、某はこの身が切られそうな想いで一杯になってしまうのです。」

「何を仰いますかローデル卿。ローデル卿はこの国の英雄。何度も申し上げますが、何人も成し遂げることの出来なかった龍退治という偉業を成し遂げた英雄でございます。その英雄が仰ることに何を恥じることがございましょうか?」

 ズヌークの言葉にローデルは自嘲気味に笑い、目を伏せる。

「ローデル卿。某に期待なさることがあるのであれば、堂々と仰って頂きたい。某にとってローデル卿は生ける伝説。ローデル卿に期待されてのお言葉であれば、某の胸は高鳴り、腕は震え、ローデル卿のお言葉に応えるために身命を投げ出す所存。如何なことでもご遠慮なさらず某に申し付けてくだされ。」

 ズヌークは前のめりになってローデルに訴える。

 ズヌークが爵位を受け継ぐ三年前にローデルは龍退治を成し遂げた。その話を聞いた時、ズヌークは胸の内から込み上げる物を感じた。人間の可能性、人間の素晴しさ、そのような物を実感させられた逸話だったのだ。

 以来、ズヌークにとって、ローデルは伝説となり、偶像となった。

 その偶像が、今、恥ずかしいと俯いている。何が原因なのか?その原因を取り除くために自分には何が出来るのか?ズヌークは既にローデルのためになら、どのような困難も乗り越える気概であった。

「お恥ずかしい。老骨に鞭打ち、今日(こんにち)まで王国のため、民のためと身骨砕身の想いで領土を守ってまいりました。」

 ズヌークはローデルの一言一言に頷きながらローデルの手を握り続けた。

「しかし、此度の勅命。この勅命は我が領土にはあまりにも厳しい。あまりにも無体。」


 何故だ?一村に付き二十人の成人男性と三頭の馬、三十日分の糧食と飼葉は、確かに厳しいが、ローデル卿ほどの人物が、このように悲嘆に暮れるほどの条件ではないはずだ。


 少なくともこの程度のことで、ローデル卿が取り乱すはずがない。ズヌークにはそう思えたが、次のローデルの言葉でその思いは粉々に砕かれる。

「一村に付き百名の成人男性と二十頭の馬、百日間の糧食と飼葉など、我が領内では供出できませぬ。仮に供出できたとしても、供出した村は、もう村としては機能致しませぬ。ズヌーク卿。恥を忍んでお頼み申す。何卒、何卒、一割でも結構でございます。何とか一割でもその人数と馬を受け持ってはもらえませぬか?」

 ズヌークは愕然とした。

 一村に付き百名。自分の領土に置き換えた時、その総数は一万四千四百人に上る。糧食は二千百六十トンだ。馬などお話にならない。

「まさかそのような数が?ご冗談でしょう?」

 悲壮なローデルの言葉を嘘とは思えない。しかし、それでも思わず、そのような言葉が口をついた。

 その言葉を受け取ってローデルが懐から紙を取り出す。

「ご覧ください。勅使から、ヘルザース卿に届けられた、事前通告書と同じ内容でございます。」

 伝書鳩に括りつけられていたため、小さく折りたたまれた紙をズヌークが広げる。

 そこには正しくローデルが言ったとおりの人数が明記されていた。馬の数も、糧食の量も、飼葉の量も、ローデルの言ったとおりの数字が書かれていた。

 差出人はヘルザース・フォン・ローエル伯爵だ。

「更にこちらが、ヘルザース閣下に確認した折りに、渡された事前通告書です。」

 そう言ってローデルが取り出した紙にも、やはり同じことが書かれていた。つまり、ヘルザースの伯爵領全てにこの人数と馬と糧食と飼葉を供出せよと言っているのだ。

「…不可能だ。このような勅命、実行することなど出来るはずがない。」

 ズヌークは事前通告書を見ながら、紙を掴んだ手をブルブルと振るわせていた。

 国王陛下は、殺すつもりだ。

 ヘルザース・フォン・ローエル伯爵とその子飼いの貴族達を排したい。

 此度の勅命は戦争でも何でもない。ただ己が所有する辺境を真っ新にしたいためだけに発せられるのだ。

 勅命を果たすことが出来ず、処断される貴族達、その領地には、恐らく、王族に連なる新たな侯爵が派遣されるのだろう。

 信じられない暴挙。


 国を(わたくし)し、家臣たる貴族を気ままに処断するということか…


 ズヌークには悪逆なる王の姿しか思い浮かばなかった。

 沸々と胸に込み上げる物があった。

 それは怒りであり、それは憎しみであった。

 暴虐なる悪魔の如き国王、その国王に英雄を(しい)させる訳にはいかない。

 貴族の誇りとは武人としての誇りであった。

 我が剣は民のために。

 果たして、そのような国王は民のために、(まつりごと)を行うことが出来るのか?

 答えは否である。

 ズヌークは考える。

 ディラン・フォン・コーデル伯爵であれば、この窮地を救うことが出来るか?出来ない。

 この勅命はローデルの領土だけに課せられたものではない。ヘルザース・フォン・ローエル伯爵領全体に課せられたものなのだ。

 莫大な人員と糧食、金銭が掛かる。とてもではないが、一伯爵領で助けることなど出来ない。

 ディラン・フォン・コーデル伯爵に相談することも憚られる。ディラン卿がこのことを知れば、普段から仲の悪いヘルザース・フォン・ローエル伯爵に、ズヌークが助力することを反対するであろう。

 しかしながら、理不尽に取り潰されるローデル家を黙って見過ごすことは出来ない。

 ズヌークの脳裏に一瞬、貴族としてあるまじき閃きが過る。


 自領を守りながら、ディラン卿から離反する。


 出来る。


 勅命が下るのは今日から二十日後である。

 勅命の下る十日前には、付近の各領主は出発を開始するであろう。

 付近の各領主の動向を調べ上げ、いつ頃から軍を動かし始めるのか調べながら、此方に引き込む。出来ればホノルダ群を此方に取り込むことが出来れば申し分はない。

 此方に引き込むことが出来なくても、軍が出発すれば、落すのは容易い。

 ヘルザース・フォン・ローエル伯爵に後方支援を頼み、周囲の領地を陥落させながら、制圧することは可能だ。

 獣人も兵もいない領地を陥落させることは容易い。王都への参集と見せかけて、進軍することも可能だ。

 調略を駆使しながらでも、武力を駆使しながらでも出来る。

「もう某には出来ることは限られております。」

 ローデルが十分に時間を見計らってズヌークに声を掛ける。

「みすみす殺されるとわかって、ジッとしている獅子はおりませぬ。」

 ズヌークが応じる。

「龍をも殺す獅子が、黙って飼い犬のように殺される姿は見るに堪えられません。ならば、某は、その獅子を縛る鎖を断ち切って見せましょう。」

 ズヌークが立ち上がる。

 ローデルも立ち上がる。

 二人は固い握手を交わした。


 ズヌークはローデルを見送った後、一人、執務室にて沈思する。

 ローデルの持参した事前通告書は本物であった。

 ローデルと共に立ち上がることに否やはない。しかし親であるディラン・フォン・コーデル伯爵を裏切ることは避けたい。が、無理であろうと考える。

 地勢を考えれば、一気にディラン・フォン・コーデル伯爵領を落とさねばならない。それが出来なければ、隣接する他の男爵領に壊滅的な打撃を与える。十年単位の復興期間を要する打撃を与えれば、戦略的に問題は軽減されるだろう。最悪自身の領土を切れば良い。

 ズヌークの統括する領土は、中央からやや東に行った所で、南北をホルルト山脈とゴーラッシュ山脈に挟まれ、西からの侵攻しかできなくなる。

 西から侵攻するにしても南北両山脈に迫られた峡谷。ルードース峡谷がある。

 時間を稼げば、そのルードース峡谷に要塞を築き、自領の東側だけでも守ることが出来る。

「うむ。」

 ズヌークは独り言ちながら、椅子から立ち上がる。

 戦の準備をこのまま進め、同時に周辺の連長男爵の動向を探る。


 獣人が使えるか?

 そうだ。村出の嫁を受け入れる話があった。まずは、そちらを片付けねばなるまい。


「オルターク!」

 用人の名前を呼ぶ。

 暫くして、ドアがノックされてオルタークがズヌークに訪いを告げる。

「お呼びでございますか?」

 ドアを開くことなくズヌークが話す。

「うむ。獣人の村出の嫁の件だ。あの件を急がせろ。」

「はい。期限は如何いたしましょう?」

 ズヌークは、口元を左手で一撫ですると、窓に視線をやる。

「三日、四日、いや、無理か…うむ。七日以内には此方に来るように申し伝えよ。」

 ドアの向こう側でオルタークの動く気配を感じる。

「はい。それではそのように準備いたします。」

 こうしてヒャクヤの村出の嫁の日が決まったのであった。

 卑怯な手段で、恥ずかしいのですが、作中、わかりにくいかもしれないので、補完いたします。

 王国からの事前通告は、伝書鳩にて連絡されています。まず、各伯爵に王国から伝書鳩にて通告、各伯爵から子飼いの子爵、男爵に召集令状が伝書鳩にて通達されます。

 ズヌークは地勢的にディラン・フォン・コーデル伯爵の元に訪れるのが遅くなります。逆にローデルは地勢的にヘルザース・フォン・ローエル伯爵の元へは、早く訪れることができます。

 したがって、ローデルはズヌークよりも一週間ほど早く、王国からの事前通告の内容を知ることができるのです。逆に言うとズヌークが、事前通告の内容を知ることができるのは、各貴族の中でも最も遅いタイミングとなります。

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