多分トガリだと思う。
「気が付いたかい?」
姉が俺を見下ろしている。
「まったく、やっぱりお前はひ弱だよ。あの程度で落ちるなんて、ちゃんと鍛錬してんのかい?」
「いやいや鍛錬の度合いとか関係ないから。落ちるってのは頸動脈を抑えられて、脳に血が行かなくなるからであって、体を鍛えるとか全く関係ないから。」
姉が怪訝な顔つきになる。
「なんだいお前、何だか小難しいことを言うようになったね。やっぱり、一度死んだからかい?」
「信じてねえの?」
体を起こして胡坐をかく。
俺の言葉を受けて、姉は唸った後、視線を辺りにさ迷わせて、頬に手を添わせて項垂れる。
「いきなり魔法が使えるようになったって言われてもねえ…」
そりゃそうだ。
俺だって、一〇歳の俺の知識に‘魔法’という言葉があった時点で、なんじゃそりゃ?と思った。
四十五歳の俺からすれば、年下とはいえ、十九歳の姉が真顔で魔法と言ったときは、さすがに引いた。
この世界では常識的に魔法使いがいるらしい。‘らしい’というのは一〇歳の俺も知識として持っているが、見たことがないからだ。
父が真顔で魔法使いの話をしている姿を一〇歳の記憶から引っ張り出す。
やっぱり可笑しい。思わず笑ってしまう。
「実際はわかんないよ。あの時は別の人の声がしたし。その人の声に従って何かしたんだと思うけど、もしかしたら、その声の人が魔法を使ったのかもしれないし。」
自分の口から魔法という言葉が出ると、やっぱりちょっと恥ずかしい。
「そうか。そういうこともあるか。」
俺の新しく生え変わった右手をまざまざと見詰める。
確かに綺麗な手だ。
左手は皸や剣の鍛錬で傷だらけだ。節くれ立ち、脱臼の痕だろう、奇妙な方向に曲がった指がある。たったの十年間で、よくもまあこれだけ傷だらけにできたものだと感心する。
つまり一〇歳の子供にこれだけの仕事量を求めるのが、この世界ということだ。
四十五歳のオジサンとしては頭の下がる思いである。四十五歳の俺が知っている現代日本とは大違いだ。
「それにしても…」
俺の顔を下から掬い上げるように上目遣いに眺める姉は、きっと傍から見れば、ショタコンに見えるのではなかろうか。
「お前、本当にトガリか?」
また、そこか。
どうあっても信じられないようだ。
「じゃあ俺は何なの。此処に居る俺は。」
首を傾げながら背筋を反らせて「う~ん」と唸る。
天井を仰いで俺の方を見た途端。
「魔物?」
「ほっほう。面白い。人間そっくりに変化して、人語を解して、特定の人物の記憶まで写し取ることのできる魔物?」
「いや、ほら、例えば、その人を食べたら、その人そっくりになれる魔物とか、いそうじゃないか?」
おいおい。
食べることで、獲物の遺伝子を取り込んで、脳に記録されている情報を抜き出し、解析して変形、形成するってか。何それ、この世界なら普通にいそうで俺の存在が何気に危ういんですけど。
いかん。いかん。小難しい言葉を使うと、何か出来そうな雰囲気になるから駄目だ。
「いや、やっぱ、いないか?」
「ないよ。」
良かった。取り敢えず自己完結してくれた。
「でも、さっきは本当にビビったんだよ。親父様の遺体を埋めようと思って、行ったら、お前の右手が落ちてるんだから。」
そりゃ何か得体の知れない物だと思うわな。
「まっそれは、まあ良いや。」
良いのかよ。簡単だな、この女。
「それより、お前、どうだい?動けそうかい?」
思い出したように倦怠感が俺の体を支配する。飢餓感が酷い。
考えてみれば、出血量も多いが、自己再生の代価が大きいのだろう。欠損部分の再生と傷の修復、全て自前の細胞を使っているはずだ。きっと俺の肝臓は悲鳴を上げていることだろう。
「今は無理。とにかく、やたらと腹が減った。さっきから座ってるだけで頭がふらつく。」
「何だい、だらしがないねえ。じゃあ、ちょっとだけお待ち。何か適当に探してくるから。」
そう言うと姉はやおら立ち上がり、土間へと降りていく。
壁に立て掛けてあった、C形に反り返った板バネを手に取る。
その板バネは、芯にはトーネという撓りのある、粘り強い木を使っている。そのトーネに何枚も金属製の板バネを張り合わせて整形しており、反りの入っている部分は、更に数枚の短い板バネが張られている。
板バネの一端には細い針金を何本も縒り合わせた直径一ミリほどのワイヤーが括られている。
姉は、反りを手前に向けて、ワイヤーが括られた方を下にして、板バネを石畳の隙間に差し込み、括られていないワイヤーの端を空いた手で握る。
板バネの上端を持ち直し、足を板バネの反りに当てる。
「ふん!」
気合と共に板バネが悲鳴を上げる。板バネは一気に反対側へと反り返った。
素早くワイヤーの一端を板バネの上端へと取り付ける。
M形の短弓だが、集落どころか伯爵領でも類を見ない強弓の出来上がりだ。
「じゃあ、ちょっと行ってくるから、お前は、ちゃんと休んでるんだよ。」
振り返りながら矢筒を腰に吊るして、そんなことを言う姉は、ただ、もう、ひたすらに男前だった。
俺は胸の前で合掌して、感謝。と、呟いた。
姉を見送った後、俺は再び床の上に転がった。右手をかざして、もう一度まじまじと見る。
さっき姉に対して自然と出た言葉。‘トガリ’は‘咎吏’、‘ヤート’は‘邪亜人’。
漢字だ。
一〇歳の俺の記憶を探る。
記憶にある文字は限りなく少ない。
父が教えてくれた咎吏と邪亜人。
そして土地建物の賃借契約の契約書は英語表記となる。
‘Cordell・Code・Jatho・Togali´
契約書の文字は読めなくても、名前さえ書ければよいと言われた文字だ。
意味はコーデル伯爵領コード村に管理されているヤート族のトガリとなる。そして、さっきから姉と話している言葉は日本語だ。
一〇歳の俺の記憶には日本語だけでなく、英語も存在した。こいつ、バイリンガルかよ。
この世界は、もしかしたら、まったくの別世界という訳ではないのかもしれない。俺のいた時代よりも、ずっと先の未来なのかも、という考えが頭をもたげる。
でも。と思う。
どう考えても先の未来に魔法が存在するとは思えない。そして、四十五歳の俺が知る文明社会から、この世界はかなり後退している。魔法があって、あの文明社会がここまで衰退するものだろうか?何らかの衰退要因があったとしても考えにくい。
やはり、現代社会からの延長線上に、この世界の存在は考えにくい。では、魔法以外の可能性はどうか?この世界では、魔法と思われているものが、実はとんでもない超科学技術だったりする可能性だ。この世界の文明水準で?と思う。
何と言っても、貴族がいるんだぜ。
この建物にしても、俺の着ている服にしても、超科学技術からは程遠い。
左手でもう一つの右手をまさぐり、手袋から引っ張り出す。
右手が生えてくるなんて、この世界じゃ魔法以外に…
思考が中断した。
右手を見比べて、俺は気が付いた。
二つの右手を眼前にまで近づけて、ゆっくりと観察する。
手の甲、掌、指の一本一本まで、ゆっくりと舐めるように見る。
切り落とされた右手を脇に置き、左手と生え変わった右手を見比べる。
生え変わったばかりの右手と今まで使い込んできた左手では、違いは大きい。しかし、それは右手同士でも同じことだ。
そんなことを勘案しても、しかし、それでもだ、明らかに違う。
生え変わった右手は俺の右手じゃない。
爪の形、指の長さが明らかに違う。
「そう言えば…」
そうだ。確かにあの声は言っていた。「やはり欠損の復元は無理か。」と…。
そしてこうも言っていた「右目はダイイチフクカンジンカクの俺達の物を、右耳と右手はダイヨンフクカンジンカクの物を、爪先部分についてはダイニフクカンジンカクの物を使おう。」
俺は右手をそのまま右目へと覆い被せた。右目だけ視界を奪われる。今までもしっかりと見えていた右目。
ダイイチフクカンジンカク…‘ダイイチ’はそのまま第一のことだろう‘ジンカク’とは人格のことなんだろう。わからないのは‘フクカン’という言葉だ。‘フク’という言葉が‘副’のことなら‘主’たる人格も居るということか。
そして‘ダイイチフクカンジンカク’は‘俺達’と言っていた。
バネ仕掛けの様に起き上がる。
頭を両手で抱える。
「…俺の頭の中には、一体…何人いるんだ…………。」
思考が停止した。
副
複
復
どんなに考えても今の俺には、この三文字しか思い浮かばない。完全に思考が停止している状態だ。
一旦、思考を別のことに振るんだと、自分に言い聞かせる。現実逃避でも何でもいい。別のことを考えろ。
いや。逆だ。混乱しているから気付けなかったんだ。
この考えに至ったきっかけは何だった。あの声は本当に俺の頭の中から聞こえたのか、冷静に考えろ。
俺の頭の中には四十五歳の俺の記憶と一〇歳の俺の記憶がある。だから単純に俺の頭の中から、あの声が聞こえたのではないかと考えたんじゃないのか?
じゃあ、この右手はどう説明する。あの声の主が第三者だったとして、赤の他人の俺に自分の右手を無償で差し出すのか?
あの声は子供の声じゃなかった。つまり大人の声だ。じゃあ、何故この右手は大人の手じゃない?魔法で成長を逆行させた?確かにタイムリープでも、異世界召喚でも、そんな事を可能にする力が働いているのなら人の成長を逆行させることも可能かもしれない。
実際、俺は復活している。
脳も…
そうだ。
脳も復元された。
彼らの脳を使って…。
最初に復元されたのは、俺の、この脳味噌じゃないか。
でも記憶にあるのは一〇歳の俺と四十五歳の俺の記憶だけ。待て待て。そうじゃない。そうじゃないんだ。思考の方向性を変えよう。
もっとおかしなことがある。彼らが、俺の頭の中に存在すると仮定しよう。じゃあ。彼らの脳の一部や右目、右耳、右手、爪先はどこから来た?俺を構成する細胞からだ。
しかし、欠損部分の復元はできなかった。自分自身の細胞を使って復元できなかったから、彼らは自分達の部位を俺に差し出したんじゃないのか?
俺自身の細胞を使って復元した場合は、遺伝子情報から元の右手が復元される。遺伝子情報からは、爪の形や指の形が明確に現れる。つまり、まるっきり違う形の右手になる訳がない。
どう見てもこの右手は他人の右手だ。
結論として言えることは、この右手は俺の体から生えたものではなく、自分自身の肉体を持った第三者が、俺のために自分の右手を差し出したということになる。
他人が俺の体に合わせて作り変えた右手を移植したものだ。
彼らなら可能だろう。新たに自分達の部位を作り出し、俺の体に移植することが。
新たに作り出された部位。新品の部品だから、何も書き込まれていない状態で移植されたのだから、俺の脳には、彼らの記憶はない。
それだけのことができるのだ。当然、拒絶反応なども魔法で何とかしたのだろう。では、何故それだけの手間を俺に施したのか?そうだ。やはり、彼らが俺を召喚したのだ。
何らかの理由で、死んだ‘トガリ’の体に召喚するしかなく、仕方がなく、俺を復活させた。
不明の部分も幾つかあるが、そう考えるのが妥当だ。
不安は残るが、今は。とりあえず、今はそれでいい。
俺はトガリという少年の体に召喚された四十五歳のオッサン。見知らぬ世界で何らかの役割を果たすために召喚された四十五歳のオッサンだ。
まったく、現状把握ができたと思っていたが、そう簡単にはいかねえもんだな。
しかし、行動指針にブレはない。
彼らを。俺を復元した。いや、この場合は復元じゃないな。俺を修理した彼らを捜すこと。
そのためには、まずは動けるようにならないとな。
俺は上体を起こし、両手を見下ろした。何度か握ったり、開いたりを繰り返す。
そして、一〇歳の俺の記憶を掘り起こす。まず、思い出せるのは、四十五歳の俺の記憶だ。ぼんやりとした子供の頃の記憶が蘇る。やはり、トガリ自身の記憶を意図的に思い出すことができない。
さっきまでは、姉に話しかけられたり、集落の風景を見たりすることでトガリの記憶が反射的に蘇って来た。
自分の手を見ることで、トガリの年齢を思い出した。
父の遺体を見ることで父のことを思い出した。
姉に話しかけられることで、使用している言語は日本語で、トガリは英語も話せることを思い出した。
金剛という言葉で、ゴーレムと魔法のことを思い出した。
集落の風景を見ることでヤート族が被差別民であることを思い出した。
人は記憶を漠然と思い出す訳ではない。何かのきっかけがあって、思い出す。例えば臭いであったり、言葉であったり。それが、思い出すという作業を必要としなくなって知識となる。俺が思い出してきた事柄は、トガリにとっては知識となっていたが、四十五歳の俺にとっては戸惑うことばかりだ。
目を閉じる。
それから、俺はトガリの姿を思い描く。
トガリはどんな顔をしていた?
水面に映るトガリの姿。
黒髪に黒い瞳の子供。髪が長い。髪を切る習慣がないのだ。いつも、途中まで三つ編みにして、そこから先は緩く結んでいる。
緩く結んだ髪を首にまわし、襟巻の様に使い、簪を襟に差し込み、髪を止めている。
この集落は寒い?
そうだ、寒い。今は厳しい冬を越え、短い春がやって来たところだ。
集落の風景を思い出し、季節に思いを巡らせる。
この集落にも春夏秋冬、四季がある。ではこの集落の緯度は高いのかと、疑問に思う。集落の位置を知るために地図を思い描こうとするが、日本地図や世界地図しか思い描くことができない。
トガリは地図を見たことがないようだ。
再度、トガリの姿形を思い描く。
姉のトネリに似て、整った顔立ちをしている。目が大きく鼻筋も高めだ。将来は男前になるだろう。
服は、ヤート族の一般的な物のようだ。
下着類には木綿の物を付け、さらしを巻いている。麻のシャツとズボンを穿き、その上から、革製の上着と袴状のズボンを重ね着する。しかし、それだけでは、この地方の厳しい冬を越すことはできない。
内側に毛皮を張った革製のベストは、頭を覆うフードと、襟を立てれば顔の下半分を覆う防寒使用。ジッパーはない。開発されていないのだろう。
肩口からは、柔らかくて薄い、革製の袖が覗く、前腕には金属製の板が張られた籠手、薄い手袋には、やはり金属製の板が細かく張られた手甲を装着している。
胴には太い帯を巻き、ベストの長く伸びた尾部を前に廻して股間を覆い、ホウバタイと呼ばれる革製のベルトを巻いて止めている。
余ったベストの尾部は前垂れの様にして股間を隠す。
下半身は袴と言うより裁付袴かサルエルパンツだ。麻のズボンに革製の裁付袴、更に分厚い革製のチャップス状の袴を穿いて、脚絆を巻いている。脚絆には、やはり、細い金属製の板が脛と平行に並んで縫い付けられている。
足は革製の靴だが、薄い。足の甲を覆う革は、厚くて内側にはボアも付いているのだが、底が薄い。手袋もそうだが、恐らく、動きを阻害しないためだろうと思われる。しかし、これでは、指先が凍傷になっても仕方がない。
今のトガリはズタボロだが、記憶の中にあるトガリの姿は精悍な少年だった。
しかし、姉はトガリに対して鍛錬が足りないと言っていた。
その言葉に対してトガリは何の反応も示さなかった。
そこで、何か体を動かしてきた経験はないかと思いを巡らせる。そうだ、遊びだ。トガリはどんな遊びをしていた?
思い出す。
トガリは山野を駆け回り、川に泳ぎ、木に登っていた。親しい子供達と急な斜面を駆け降りる。獣道を走りながら、木に飛びつき、枝を伝って自由奔放に山を走り回る。
右手に木刀を持ち、子供達とチャンバラをする。いや、チャンバラというレベルじゃないな。本格的な剣術だ。
山の中での足運びを父に教えてもらっている。小太刀の使い方、太刀の使い方、場所によっては、使う武器を変えるように、暗器まで教わっている。
忍者だ。
トガリ達は忍びだ。
それもそうだ。トガリ達は、戦の捨て駒だ。子供の生存率を上げるために幼い頃から戦う術を教え込まれて当然だ。山野に遊ばせることで子供を忍びへと成長させる。
トガリは鍛錬という言葉に反応しなかった。当然だ。トガリは遊びのつもりで鍛錬に励んでいたのだ。
トガリ以外の子供達は皆、その顔貌に大小の傷を負っている。きっと‘遊び’の中で怪我をしたのだろう。そう考えるとトガリは優秀だ。
思い出される光景では、トガリが怪我をしたというものはない。
猿の様にスルスルと木に登り、枝から枝へと飛び移る。音がしないように気を使っているのがよくわかる。
地に伏せ、水に潜み、繫みを巧みに使って移動する。
臭いの消し方、足跡の見方、獣を採るための罠の仕掛け方。遊びの中で様々なことを教えられている。
そんな中でトガリは、力一杯に楽しんでいる。
俺の感情なのか、トガリの感情なのかは、わからない。しかし、過去のトガリは楽しそうで、俺も楽しいと感じている。
手に力が戻る。
四十五歳の俺からすれば、トガリは想像以上の力を持っている。
そうか、このトガリという少年は、俺の想像以上に強く、速く、靭 なのだ。
体は怠い。しかし、高ぶった気持ちが、検証という名目で体を動かすことを強要する。
俺は立ち上がって、囲炉裏の真上に跳躍する。自在鉤の支柱を左手に捉え、跳躍の勢いを殺さずに、体を上方へと引き上げる。
火棚に右手を掛けて体を大きく振り、更に上へ、火棚を越えて、足から太い梁へと取り付く。
俺は足に梁を挟み込んだ状態で、逆さにぶら下がっていた。
足の力を緩めて上体を左右に揺らし、遠心力を利用して一気に梁の上部へと、跳びながら、回る。
足を前後に揃えて立ち上がり、走る。二歩目で最高速に達して、その勢いを殺さずに、右に跳ぶ。
別の梁に手を掛け、同時に体を引き上げる。その梁を更に蹴って、別の梁に飛びつく、その梁を中心にクルリと身を翻し、俺は梁の上部に身を隠す。一挙動だ。止まることがなかった。
梁の上で横になり、息を吐く。
体に重さはある。力も入り切っていない。
しかし、それでも湧き上がる感情がある。
凄い。
凄いぞ。
凄い体だ。
この体が十全の力を発揮したら、一体どんなことになるのか。想像ができない。
服を弄る。
あった。籠手の内側から短い鎖を見つける。両端に金属製の分銅が付いた鎖だ。
帯の隙間からは鉄の棒を九本見つける。短いが、片側が鋭く研がれている。
ベストの懐からは手裏剣と思われる小振りのナイフが五本と、指先に嵌めて使うのだろう、猫の爪の様な刃物の付いた指貫が五本。
髪を留めている簪も暗器になるだろう。
手裏剣一本だけを残して、他の暗器を仕舞う。
この手裏剣は、トガリが初めて父から貰った物だ。
その手裏剣を手の内に隠し、その手を胸に置いて、静かに目を閉じた。
眠ろう。
この体しかない。
この世界で生きていくには、この体を頼りにしなければならない。
姉はきっと獲物を採って来るだろう。その獲物を食べれば出発だ。何処かはわからないが、行かなければ。
進まなければ。
だから、今は、眠ろう。