お針子チクチク
俺はトンナの背中を拭いていた。
古い表皮を剥がしながら、汗を拭う。
体中の力を振り絞ったのだろう。いつもはピンと伸びている背筋が力なく曲がっている。
肩が大きく上下し、吐く息が荒い。
「よく頑張ったな。」
俺の労いの言葉を受けて、トンナが顔だけを俺に向けてニッコリと笑う。
「でも本当に強くなったのかな?」
心細い声で呟く。
「大丈夫だ。後で、どうやったらいいのかを教えるから。今は休むことを優先しなよ。」
「…うん。」
トンナの体を拭き終わって、ベッドに出来た大きな染みを分解で消してからトンナに横になるように促す。
トンナの体を拭いたタオルから、トンナの体から出た老廃物と汗を分解して除去する。
綺麗なタオルにして、トンナの体に掛けてやる。
「じゃあ、トンナは少し休んでくれ。俺達はここで邪魔にならないようにするから。」
「ありがと。トガリ。」
俺はトンナの横で、ハガガリの毛皮と熊の毛皮を広げる。
その横に、俺とオルラが着ていたクルギを広げる。
「どうするんだい?こんなところに広げて?」
「服を作ろうと思って。」
「服を?」
俺はオルラに向き直って「昨日のことは…」と話し出す。
「俺達がヤートであることが問題じゃないんだ。俺達がヤートだとバレたことが問題なんだ。」
オルラが頷き「でもねえ、」と続ける。俺はオルラの言葉を遮って話を続ける。
「わかってる。ヤートの服装は掟でどんな服装か限定されてる。それは、ヤートであることを特定するためだってことも。でも、昨日みたいに、トンナが豚呼ばわりされれば、俺は、また切れるかもしれない。」
「トガリ…」
俺の言葉にトンナが感極まったという顔をする。
「それに、これから先も色々不便だろう?」
オルラが難しい顔で考え込んで「元の服に戻すことも出来るんだね?」と聞いて来る。
その問いに俺は頷き、オルラからの許可をもらう。
「じゃあ、お前に任せるよ。」
その言葉で、俺はカナデラに、じゃあ始めようかと声を掛ける。
『任せてよ。』
ハガガリの毛皮は俺が貰うということで、ハガガリの毛皮の縫製から始める。縫製と言っても糸を使わない。糊を使うわけでもない。服の形に再構築させるだけだ。
ハガガリの毛は硬いため、内側に使うとチクチクとして着られない。
普通は毛の方を表に使って、内側には裏地を張って着るのだが、毛を外側に使うとオレンジ色の派手な色になって、俺の好みじゃない。脱毛するとハガガリの毛皮としての価値が下がる。結果、毛の繊維を解すということに落ちついた。
毛の繊維は解すのであって、壊すのではない。壊せば縮れて強度も落ちる。ハガガリの毛が固いのは、組織が綺麗に並んでいるが、捩れているためだ。だから、組織の配列を壊すことなく、捩れを解してやる。
ゴワゴワとした手触りが、シルクのような触感へと変わる。
俺は、壁を構成する木材から炭素をへつって、炭素の原子配列を再構成させる。
再構成した原子配列をそのままに革の原子配列に織り込み、ハガガリの革を黒く変色させる。
表になるハガガリの革をグラファイトでコーティングだ。
出来上がった一枚革を裁断、変形、結合して、脇の締まったPコートに仕立てる。
前をダブルにしたのは寒さ対策だ。
大きな襟にはフライトジャケットのようにベルトを二本。これで襟を立ててベルトを締めれば、顔の下半分が覆われて、防寒対策になる。
そして目玉は、ジッパーだ!
「何だいこれは?」
オルラとトンナが初めて見るジッパーを訝し気に見詰める。
「これは、こうするのさ。」
二人の目の前で実演すると、二人揃って「おお~」と声を上げる。
『ジッパーじゃなくてファスナーね。』
カナデラが正式名称で突っ込んでくる。
しかも、つまみが二個あるダブルファスナーだ。
『つまみじゃなくスライダー。ファスナー二個付きスライダー尻合わせね。』
と、とにかく。腰の高さでジッ、ファスナーを合わせて、普段は腰から上を閉じ、寝る時は腰から下も閉じて、寝袋にもなるという2ウェイ仕様だ。
『オリジナル性には程遠いけど、実用性としてはまずまずだね。』
テンションダダ下がりだよ。
革製の裁付袴を仕立て直してズボンに変形、ホウバタイと一体型にして、こいつにもジッ、ファスナーを付ける。
『ジッパーって言っても良いよ。間違いじゃないし。』
とにかく!麻のズボンも分解して、新たに作った革ズボンの裏地に当てる。
クルギの下に着ていたドウカンも袖を洋服風にスッキリと変形、革素材だから、麻のシャツを裏地に当てる。
手甲はそのままで、ドウカンを変形させて、余った革を薄い手袋にして、今まで使っていた分厚い手袋と合成する。掌側は薄くて物を持ちやすく、手の甲側は分厚く保温と耐衝撃性能を持たせる。
それから問題の靴だ。
底が薄くて、地面から体温を奪われていたこの靴。
分厚く柔らかい靴底に、足を包み込む柔らかい革を一体成型、靴底は爪先と踵を固く鞣し直し、鉄で覆う。靴底には鉄を埋め込み、スパイクにする。
足首部分は柔らかく、脛をホールドする部分は固く鞣し直したブーツに仕立てる。
脚絆に縫い付けていた細い金属板はブーツの脛部分に貼り付け、防御力を維持する。最後にハガガリの毛皮と同じで、グラファイトでコーティングして完成だ。
『鏡見てごらん。』
何だ?えらくテンションが低いじゃないか。
『まあ。見てごらん。』
えらく趣味の悪いガキがいた。
真っ黒な革のPコートに襟にはオレンジのファー。黒い革ズボンに前腕まで覆う黒い革手袋とブーツはどう見てもヘビメタだ。
何か勘違いした一〇歳児がいる。
『グラファイトでコーティングしたからね。』
仕方がないか。
テンションダダ下がりの俺とは違って、オルラとトンナは目を輝かせている。
オルラには、俺のクルギとオルラのクルギを使って同じようなPコートを作り、後の仕様は俺と同じだ。
でもオルラはズボンのファスナーが気に入らないようだった。
「これ、トイレの時はどうすんだい?」
「女性なんだから、ズボンを脱いですればいいじゃない?」
オルラがあからさまに嫌そうな顔をする。
「そん時に襲われたら困るじゃないか。」
明確なクレームだ。確かにヤートの袴は脱がなくても排泄できるように仕上げられていた。
しょうがないので、オルラのズボンは股上を腰ではなく、ウェストまで引き上げて、ウェスト部分は三本のベルトで留めるようにする。股間部分のファスナーは尻側にまで延長し、つまみ、じゃなくてスライダーで開けば股間全部が開くようにしてやる。
それだと防寒に問題が出るので、ドウカンの前後の裾を延長して、ハイレグ型に整形、股間部分で、ホックで留められるようにする。ボディスーツと一緒だな。
こうして見るとオルラはSMの女王様みたいだ。
『靴をピンヒールにしようか?』
やめろ。普通に動き辛いと返されそうだ。
トンナの服は弄る必要がなかったのだが、それじゃあ、納得しそうにないので、熊の毛皮を使って、新たにコートを作ってやる。毛が生えている方を表にして、フードを付ける。
形は膝丈のモッズコートだ。
鎧も分子の結合を強化して、グラファイトでコーティング。
趣味の悪い、勘違いした一〇歳児。
可愛い顔つきした、SM女王。
ゴージャスな熊皮を纏った、マフィアの女ボス。
誰が見てもガラの悪い真っ黒集団の出来上がりだ。
『よくもまあ、これだけ凶悪にコーディネイト出来たもんだわ。』
そう言うなよ。俺も結構ショックなんだから。
「トガリ、これはどうする?」
オルラが持っているのはハガガリの頭骨だ。
「これって?別に?どうにかするの?」
「兜になるじゃないか?」
ええ~?ドン引きなんですけど。オルラさん。超ドン引きなんですけど。
『まあ、出来なくはないですけどね。』
いやいや、勘弁してくれ。中二病まっしぐらだよ。
どこの世界に、角付き獣の頭骨を兜にして、街中を闊歩する奴がいるよ?
『お前の目の前にいるじゃないか。』
オルラとトンナが期待の眼差しで俺を見ている。
「じゃあ、一応、兜として使えるように加工するけど、俺は被らないからね。」
二人がうんうんと頷く。もしかしたら、自分が被りたいのか?
ハガガリの頭骨は特殊な形をしている。当然だ。目が八つもあるんだから。
俺は頬骨と鼻骨を残す形で、八つの眼窩を一繋ぎにして、視界を遮らないように意匠する。頭骨内部は人が被れるように整形し、上骸骨を分解。下顎骨は二つに割って、人の顎当てになるように整形して、頬骨と接続。
「できたよ。」
そう言って、オルラに渡すと「おおっ」と、トンナと声を揃えて喜ぶ。途端にあたしが、あたしが、とトンナと取り合いになる。
やっぱり自分が被りたかったのね。
結局、トンナの頭は大きすぎて、被れないので、オルラが被ることになった。
SMの女王様改め魔界の女帝の誕生だ。
「トガリ、今度はもっと大きな魔獣を狩ろうね!」
フンスカと鼻息の荒いトンナのために、ハガガリと熊の爪を使って首飾りを作ってやる。
そうすると、オルラもハガガリの残った牙でアクセサリーを作ってくれと言う。しょうがないので、俺は、オルラのコートの襟と肩章の位置にハガガリの牙で装飾する。
オルラとトンナは鏡の前で大喜びだ。
あれ?オルラって最初渋ってなかったっけ?
『オルラも女ってことか。』
『そりゃそうでしょう。』
『そうだねぇ。女性は幾つになっても女性だよねぇ。』
「それじゃあ、服も決まったことだし、俺はちょっと買い物に行ってくるよ。」
「ええ?何を買いに行くの?」
トンナが凄く行きたそうに言うが、トンナは休んでいなければならないので連れて行けない。オルラは一応トンナの看病役だ。
俺は愚図るトンナを納得させて、金貨を十枚貰って、宿舎を出る。
先ずは、昨日のレストランでの騒ぎを片付けよう。
町の地理については、到着前からマイクロマシンで予習済みだから迷うことはない。今も俺のマイクロマシンは町中に散らばっている。
レストランの客と従業員には昨日の騒ぎの時点で、マイクロマシンを仕込ませてもらった。
あの店にいた全員の脳と脊髄にマイクロマシンを仕込んで、脳からの電気信号を阻害し、俺からの命令を受信、実行させたのだ。
両腕を失ったシェフに関しては、海馬体の短期記憶領域にて待機していた俺のマイクロマシンが、俺からの質問に反応した電気信号を捕捉し、その信号を言語野に送り、答えさせた。
記憶操作のために侵入した俺のマイクロマシンは、現在も彼らの脳内にて稼働している。
海馬体に侵入しているマイクロマシンで、昨日の出来ことが長期記憶に送られることを阻害したから、記憶には残っていないだろうが、強い恐怖心を植え付けていた場合、大脳辺縁系に残っている可能性が高い。
昨日の騒ぎで発生した脳内での電気信号はマイクロマシンにモニターさせているから、同一の電気信号が発生した場合、その電気信号は阻害される。つまり、フラッシュバックやトラウマとして思い出される記憶を封じることになる。
阻害され続ければ、その部分のニューロンは細くなり、やがて、思い出すことは無くなる。それまでは、マイクロマシンに頑張ってもらう必要があるのだ。
俺は、彼らに植え付けたマイクロマシンの信号を追って、店のオーナー、ウェイトレス、シェフの三人を訪ねた。三人とも、宿場町に一軒しかない病院に入院しており、ある意味、手間はかからなかった。しかし、別の意味で手間がかかった。
病院内にマイクロマシンをばら撒き、院内の人間一人一人の脳内にマイクロマシンを侵入させ、俺を見えないようにするための細工にかなりの労力を必要とした。
全員を盲目にするわけにはいかないから、視神経と頭頂部から後頭部にかけての脳内に侵入させて、俺の映像だけを脳に送らないようにする作業だ。
視覚処理は脳内の大きな範囲で行われる。
院内の一人一人に掛かる作業は、結構膨大なものとなった。作業自体は同じことの繰り返しで、半ばルーチンワークと化していたのだが、作業量が半端なく多かった。
全員の四肢を元通りにして、病院を出たあと、喜びの叫び声が病院から聞こえてきたのはご愛敬だ。
その後、俺は服屋に向かった。
下着を買いたかったのだ。麻ではなく、綿素材の服が欲しいのだ。特に麻の裏地が張ってあるズボンは最悪だ。素肌に着る素材とは思えない。
俺は、服を構築する時、麻を裏地に使いたくなかった。しかし、手持ちの素材が少なすぎた。
マイクロマシンは最強だが、何も無い状態から物質を作り出せる訳じゃない。作り出すには元となる元素が必要だ。
そして元素の構成、分子配列の情報も必要になる。
多くの元素構成と分子配列の情報はイズモリが保有しているが、それでも全てじゃない。
俺は元となる素材を服屋に買いに来たのだ。
「いらっしゃいませ~。」
女性店員が元気に応対してくれる。
髪型を綺麗に整えて、化粧もしている店員だ。服は明るめの配色で、暗い店内でも目立つように気を使っているのだろう。
直ぐに俺の傍に寄って来て応対してくれる。やはり服装を変えるだけで、ヤートとはバレない。
「こんにちは。今日は一人で買い物かな?」
一〇歳児相手に適切な対応。普通のことなのに感動してしまう。
「うん。綿のシャツ六枚とズボンを四本、それと女性用のシルクの下着を見せてもらえますか?」
「…」
どうした?突然固まって。
「お姉さんの聞き違いかな?女性用の下着って聞こえたけど?」
「そうだよ。義母さんと姉さんの下着。」
女性店員は俺の両肩を軽く掴んで、間近に迫り、迫力のある声で言う。
「ちょっと、お母さんを呼んで来てくれるかな?」
「えっ何で?」
女性店員は歪んだ笑顔で俺の問いかけに答える。
「あなたのお母さんとちょっと子育てに関してお話がしたいの。」
ああ、面倒臭い人だ。相手の事情も確かめずに自分の思い込んだ正義を真っ向からぶつける一番厄介な人だ。
「義母さんは病気で外に出られないんだ。姉さんは看病で義母さんから離れられないし…。」
俯きながら寂しそうに言うと、見る間にその表情が変わる。
「ごめんなさい。お姉さん、そんなこと考えもしなかった。こっちよ。女性用の下着はこっち。」
態度一変。俺の手を引いて、女性用の下着が置かれている棚に向かう。
「じゃあ、お母さんとお姉さんの下着だけど、どんな下着が良いのかな?」
防御面を考えればコルセットのようなボディスーツが良いだろう、サイズに関しては、素材をある程度買い込めば変更もできる。問題は形だ。構造的な形は重要視しないと後々の型崩れの原因になると聞いたことがある。俺は男性だから、下着の型紙など見たこともない。それに関してはカナデラも同じだ。参考になる物は多い方が良い。
「ブラジャー二本とパンティが四枚、ボディスーツは四着かな。」
「結構買うのね?」
女性店員の言葉に俺は大きく頷く。
俺は女性店員とレジに向かう。
「大丈夫?下着はシルクばかりだから結構な値段になるわよ?」
「幾ら?」
「シャツが六枚とズボンを四本とシルクのブラジャー二本とパンティが四枚、ボディスーツが四着ね。全部で四万九千八百ダラネよ。」
俺は懐から金貨を五枚取り出す。
「これで足りるかな?」
「ええ。大丈夫よ。おつりは二百ダラネね。」
俺は二枚の小振りの銅貨を受け取り、ホッとする。ヤート族は貨幣経済に参加したことがないため、相場というものが全くわからない。
ハガガリの討伐達成代金が百三十万ダラネ、ホノルダへの連絡依頼の前金が二万ダラネで、後金が十三万ダラネと必要経費を請求するようにと書類には書かれてあった。どの仕事内容も日本の経済観念では参考にならない。
「あの。領収書を切ってもらえますか?」
「ああ、ハイハイ。」
危なかった。必要経費として請求するなら、領収書は必須だ。日付は向こうに着いたら改竄しよう。
割かし大きな紙袋を両手に抱えて、俺は店を出る。
四万ダラネを四万円とするならば、この世界の物価は、かなり安い。機械による生産ラインが確立していないと思われる現状で、生産性と供給力が需要にきちんと応えているのだろうか?物によるのだろうが、普通の服は買い手がいないのか、値崩れしているのか、安いと言える。
手元に残った五万二百ダラネ。半端な二百ダラネで何が買えるか、適当な店を探す。
ジュースバーがあったので、店頭のメニューを見ると百六十ダラネが基本的な料金のようだった。
隣の店は雑貨屋だ。
店頭に並ぶ商品の中に飴を見つける。一つ五ダラネ。二百ダラネで四十個買える。俺は一人でジュースを飲むより、皆と飴を舐めようと雑貨屋に入った。




