トンナ
鳥の囀りが聞こえて、夜明けを知る。
背中を伸ばすと小気味良い音を立てて伸びていく。
オルラとトンナは既に起きている。二人の気配を感じながら俺は眠っていた。
途中、何度か浅い所でウトウトしたが、それでも、この体には十分な睡眠だった。
現代日本にいた頃も三十代を超えてから、眠りが浅くなった感覚はあった。
しかしトガリの眠りはまったく違う。
浅い眠りでも、深い眠りでも、頭のどこかがハッキリとしている。
浅い眠りだけでも起きる時はスッキリとしているし。
深い眠りの時でも起きる時はスッキリとしている。
どっちにしても寝起きの時はスッキリとしているんだから、なんか不思議だ。
「おはよう。」
トンナが静々と遠慮しながら、挨拶をしてくる。
「おはよう。頭は痛くない?」
俺の言葉に俯いていた顔をさらに深く下げる。
「痛くない。」
何だか俺よりも小さな子供を相手にしているようで気が引ける。
「元気がないな?どうしたの?」
上目づかいにチラリと俺を見ると、そのまま萎れたように下を向く。見かねたオルラがトンナの向こうから声を掛ける。
「熊肉を全部使っちまったのさ。」
「えっ?」
驚きを孕んだ俺の声を聞いて、更に縮こまるトンナ。
「全部?何に?」
「朝飯にだよ。」
俺は思わずトンナの方を見る。トンナは鳥の囀りのような声で「…はい…」と答えた。
嘘だろう。俺が担いでた肉で四十キロはあったぞ。オルラが担いでた分でも五十キロはあった。
コルルの上に、敷き詰められた料理の数々は、確かに目を引く仕上がりであったが、見た目だけでお腹一杯になりそうだった。
とにかく食べなきゃならぬと、腹を括って食べ始める。
早くに採りに行ったのだろう、野草と香草がふんだんに使われ、蜂蜜で甘みも添えられている。手持ちの調味料は塩だけなのに、辛味や酸味そして渋味のある野草を上手く使って、よくもまあ、これだけ味付けにバリエーションを持たせたものだと感心した。
感心したが、残った。
そりゃそうだ。いくら獣人が大食漢だからって九十キロの熊肉を全部食える訳がない。
「駄目だ。もう入らない。」
俺は後ろに手をついて、空を仰いだ。
「そうだねえ。ちょっともう無理だねえ。」
オルラも溜息を吐きながらギブアップした。
これでも結構食べたと思う。
箸を動かしているのは、トンナだけだ。
トンナはよく食べる。箸の動きが全く変わらない。気持ち良いぐらいの食べっぷりなのに何故かトンナは辛そうな顔だ。
「トンナ、無理して食わなくても良いよ。」
俺の声に、トンナは、うん。うん。と頷きながらも箸を止めない。俺は様子がおかしいと思って、少し強めに言ってみた。
「トンナ、無理に食べなくっていいって。」
俺の声に肩をビクッと振るわせて、また、箸を口に運ぶ。
「トンナ?」
トンナは堪え切れなくなったのか、両目から涙を溢しながら必死に食べている。
「トンナ!もう食べるな。どうしたんだ?」
トンナは俺の命令に、やっと箸を止める。口をもごもごと動かしながら、泣きながら「ごめんなさい。」と言った。
もう訳が分からん。何で、トンナはこんなに辛そうにしてるんだ。
「トンナ、どうした?何を泣いてる?」
トンナは答えない。いや、答えないというよりも答えられないのだろう。そんなトンナを見かねて、オルラがトンナの傍に座り、大きな背中を擦ってやる。
「いいんだよ。誰も怒ってやしない。きっと、トガリに美味しい物を沢山食べてもらおうと作りすぎちゃったんだね。」
オルラの言葉がきっかけになって、トンナは上を向いて大きな声で泣き出した。
口の中の物が盛大に散らばる。
「あたしは何にも上手くできなくてえ…」
「ブスだ、豚だっていわれてぇ…」
「デブだって言われてぇ、でも食べるのが好きでぇ…」
「お婿さんにもぉ逃げられたしぃ…」
「魔狩りもぉちゃんと出来ないしぃ…」
「ごめんなさい~。」
泣き声の合間に聞き取れたのは、こんな内容だった。
俺はトンナの隣に立って、トンナの額を平手で叩く。軽い音がして俺の手の平がトンナの額に置かれる。
ビクッと肩を震わせて、泣き声が嗚咽に変わり、大きな鼻頭がヒクヒクと震えている。涙を流している大きな目は俺を見つめている。
「トンナ、お前がブスかどうかは俺が決める。デブはしょうがない。でも、お前は食べるのが好きなら、楽しそうに食え。それで周りの人も楽しくなる。だからデブでもいい。デブの特性を生かして格闘術を磨いたんだろ?なら、それでいい。お前は間違っちゃいない。お婿さんに逃げられたから魔狩りになったんだろ?お婿さんに逃げられたって、お前はちゃんと頑張ってるじゃないか。それでいい。魔狩りについては師匠はいたのか?いなかったんだろ?じゃあ、上手くいかないのはしょうがない。失敗してもお前ならちゃんと頑張れるんだから大丈夫。お前が頑張っているのは、この料理を見れば、ちゃんとわかる。だから泣くな。」
目を赤くして俺を見つめるトンナに、俺は微笑んだ。
「ドガリ~」
トンナが俺に力一杯抱き付く。
駄目。
それ駄目。出てはいけない物が出る。
俺は必死にトンナの肩をタップするが、今度は中々放してくれそうにない。見かねたオルラが「トンナ、トガリが苦しそうだよ。」と言ってくれて、やっと解放される。
一息ついて、さて、この大量の残り物をどうするかということになった。
どうしよう?困った時のイズモリ頼みだ。
『いや、今回は俺が悪かった。テヘペロ!』
イチイハラか?
『そうなんだよねぇ。トンナが料理をしたそうだったんだけど、料理に関する知識を持っていなくて、それで、俺が手を貸したら、嬉しかったんだろうね。もう次から次へと、作るわ作るわ。もう、暴走状態よ。』
今まで何か上手く出来たことがなかったんだろうなあ。
『もうトガリに褒められることで頭の中は一杯だったんだ。可愛くって、俺もつい止められなかったんだ。ゴメンね。』
いいよ。それにしても、お前たち第五副幹人格は何か?料理とかが得意なのか?
『そう、俺は料理好き、色んな料理人や美食家とかの人格が統合されてる。』
それも、あれか、霊子の周波数が近しいからか?
『その辺の詳しい話はイズモリに聞いてくれる?替わろうか?』
いや、それよりも、今のこの現状を何とかしたい。何とかできるか?
『ああ。それならマイクロマシンを使えば何とかなるんじゃないかな。』
マジか?
『マイクロマシンで元素まで分解して、マイクロマシンで運搬するんだ。そして、また腹が減ったら、そこで再構築だね。元素分解する前にちゃんと元素の配列とか記録しとかないと再構築できないから、そこは注意で。』
おお、マジすげえ。
マイクロマシン最強。
「さて、じゃあ魔法で何とかしますか。」
俺の言葉にオルラとトンナが目を剥く。
「そんなこと出来るのかい?」
「ああ、一旦分解して、また、腹が減ったら再構築するから無駄にはならないよ。」
トンナが俺を見る目がヤバい。宗教に嵌ってる目だ。
だって、俺に向かって手を組んで祈りのポーズだもん。
俺が残った料理に手をかざすと料理そのものが光を発し、光の消失と共に料理だけが消え去る。
料理を載せていた皿代わりの笹の葉にはソースの一滴、スープの一滴も落ちてはいない。まるで最初から、此処には笹の葉しか並べられていなかったかのようだ。
内心「おお。」と驚きながら、表情はあくまで平静を保つ。でないと信者が幻滅するからな。
「トガリ凄い!!」
再度、嘔吐の危機襲来。
「トンナ、そろそろ、昨日何があったのか、あたしにも話しておくれでないかい?」
オルラ上手い。締め付けが緩んで、急いでトンナから脱出する。
「ええと…その。」
トンナは指先を合わせてモジモジする。顔を俯かせて、微妙に可愛い仕草をするが、ムカつかない。素で恥ずかしがっているのだろう。
「オルラ、その話は俺からするよ。」
俺の方を見て、オルラの表情が引き締まる。
トンナは羨望というか、喜びというか何かを期待するような目で俺を見る。何だ、豚さん、可愛いじゃないか。
「昨日、トンナは俺の下僕になる誓いを立てたんだ。誓いを立てるにはトンナの真名を俺が知らなくちゃならなくて、それで、オルラから離れた所で誓いを立てた。でも、俺に誓いを立てたら、トンナの魂と俺の魂とが繋がってしまったんだ。俺の魂は強力で、トンナには堪えられなかった。だから、俺がトンナに魂の一部だけが繋がるようにした。で、その時のショックで、トンナは気絶したんだ。」
トンナは嬉しそうな顔でうんうんと頷いているが、オルラは驚愕の表情で俺を見つめている。
「下僕の誓いって!トガリ!お前なんてことをしたんだい!」




