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トガリ  作者: 吉四六
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トネリという名の姉がいた

 混乱よりも先に父を失ったことの虚無感と不安が一気に押し寄せる。

 俺はこの男を、父を知らないはずなのに感情が父を失ったという事実を突きつける。

「トガリ!」

 声に振り替える。

 名前だ。

 呼ばれた途端に俺の名前だと認識する。そして、その声を聞いた俺は、その声の主が隣の集落に嫁いだはずの姉であると認識する。

 後追いの様に蘇る記憶。父という庇護を失った不安、姉が来てくれたという安心感に俺は呆然としていたのだろう。

 姉は俺を掻き抱くようにその胸へと俺の頭を埋めさせた。

「トガリ!トガリ!お前は無事だったんだね。お前だけでも無事だったんだね!」

「姉さん…。」

 姉が来てくれた安堵よりも驚きが先行する。自分の発した声に聞き覚えがなかったためだ。

 俺を抱く姉の腕に回した手。

 その手を見たとき、その驚愕は更なるものとなる。

「なんじゃこりゃー!」

 突然の大声に姉が慌てて体を離す。

「どうした!トガリ!」

 心配そうな姉の顔が近づくが、そんなことは関係ない。

 そうだ、確かにそうだ。俺は、まだ一〇歳の子供だ。この手の大きさも一〇歳の子供なら当たり前の大きさだ。声も変声期前だから女の子のような声でもおかしくはない。

 でも、しかしだ。

 俺は、妻も子供もいる四十五歳のおっさんのはずなんだ。…はずだと、たぶん、確か…そうだったと記憶しているはずなんだけどなあ…。

 答えることのできない俺を見て、姉はさらに不安になったのか、俺の顔を両手で挟み込み、黒い瞳を真直ぐに俺へと向ける。

「トガリ、私のことがわかるかい?どうなったのかわかるかい?」

 そう問われて、混濁した記憶が更に掻き回されるが、その中から正確な記憶が引き上げられていく。

「うん。大丈夫、姉さんの名前はトネリ。コーデル・ドラネ・ヤートのトネリ。俺は父さんに守られたけど、父さんは死んだ。」

 姉は俺の言葉に合わせて、何度も頷いた。

「よし、じゃあ立てるかい?随分と血を流したようだけど…」

 俺の右側に姉の視線が走る。表情は怒っている。だが、心配しているのだと俺の記憶が囁く。そうだ、この人は、こういう人だった。常に何かに対して怒っている人だった。

 自分の思うようにならないこと、理不尽なこと、そして自分自身に力がないことを常に怒っている人だった。

 姉に支えられながら、俺はふらつきつつも立ち上がる。しかし腰が砕けたように膝を折る。

「駄目だ。血を流しすぎたのかもしれない。」

 姉は俺の右脇に手を差し込んだまま背後に回り込み、そのまま俺を軽々とお姫様抱っこにする。

「どこか、ましな家に入って休もう。」

 しっかりとした感触が姉の両手から感じられる。

 姉さん男前です。

「父さんは…」

 姉が父を一顧だにしないことに気が咎め、父をこのままにするのかという意図を込めて問いかける。

「父さんのことは後で良い。今は生きてるお前のことが優先だ。」

 はっきりと言い切り、姉は足早に歩きだす。俺を気遣ってか、それともその様な歩き方が身に付いているのか、歩いていても上下に揺れない。

 その身のこなし方が証明しているが、姉の体は頑強であった。

 女としては大柄で肩幅もあり、体の厚みもある。姉の歩みは力強く、俺を抱き上げる腕も、まるで固定されているのかと思うほどにしっかりとした感触がある。

 大柄で女っぽさに欠ける姉だが、一〇歳の俺はこの姉が自慢だった。

 とにかく、強い。

 狩人としても集落で一番の腕前だった。顔も整っていて、さっぱりとした気性で、集落の皆から好かれていた。それでも十九歳まで嫁に行かなかったのは、狩人としての腕前が良かったせいだ。

 家族が少しでも裕福に暮らせるようにと、縁談を断り続けてきた。そうして、この年まで嫁に行かなかった。

 この世界での女性の適齢期は十二歳から十六歳までと考えられている。

 その年齢を超えると、子供をちゃんと産めなくなるというのが、この世界での常識だ。

 家族のことを一番に考えてくれていた姉が、今、この時というタイミングで帰って来てくれた。俺は、安心感から、姉の体に頭を持たれ掛けさせた。

 一瞬で安心感も何もかも吹き飛んで、頭を姉の体から離す。

「どうした?」

 不思議そうな顔で俺を覗き込む姉。

「姉さん臭い…」

「なっ!」

 綺麗な柳眉が跳ね上がり、一気に怒りの表情へと変貌する。

「おまっ!人が必死に!このっ!地面に叩きつけて引き摺ってくよ!」

「いや死ぬから。」

「そうかい!」

 一度、俺を抱きなおすと、その胸に俺の顔を埋もれさせるように頭を押さえつける。

「いや!あの。」

「喋るんじゃないよ!鼻で息しな!」

 超怒鳴られた。

 そうだ、女性に対しては、かなり失礼な発言だった。しかし、そのことを意図せず、すんなりと言葉が出た。ということは、やはり俺はこの人のことを姉と認識しているのだろう。

 その一方で、心の中では、姉をこの人と称している。姉として認識しているのに何故か別の視点からこの女性を観察している。

 だから、決して俺はシスコンではない。この状況を、ある意味、ご褒美などとは決して思っていない。混濁した記憶の中では、俺は四十五歳のオッサンなのだ。十九歳の女性の胸に顔を埋めて‘フンスカフンスカ’して臭いを嗅いでいるのは…うん?じゃあ、ご褒美でいいんじゃね?四十五歳のオッサンなんだから。じゃあ何故、ご褒美じゃないと思い込もうとした?

 やっぱり弟としての意識が強いからか?気を付けないと、無意識下で色々と齟齬が出るかもしれない、慎重に考えて行動するように心掛けないとな。

「金剛がいたのか?」

 独り言のような口調で姉が問いかける。

「いた。三体も。」

「そうかい。」

 姉は周囲を見渡しながら眉をひそめた。深く抉れた足跡が幾つも入り乱れている。

 金剛とは、俺の知識と擦り合わせれば、ゴーレムのことだろう。現物は一〇歳の俺の記憶の中にある。

 身長二メートル以上の巨大な岩で組まれた人形。作りとしては簡素な物だが、二足歩行で、自立して動くというのは驚異的な技術だ。

 可動部分となる関節等は活着する蔓を使用しているのだろう。太い蔓が何本も絡まった関節は、柔軟性を確保していた。外部からの衝撃を考慮してのことだろうが、その関節部分には金属製のプレートが取り付けられ、漫画やアニメなら、さながら魔動機兵とでも呼ばれそうな外観だ。

 一〇歳の俺の記憶から、この金剛の映像が引き出されて、もう確信するしかなかった。

 四十五歳の俺は別世界にいるのだと。

 どういった経緯でこうなったのかは、さっぱりだが。とにかく現状は、一〇歳の俺の中に四十五歳の俺が憑依した。そして、四十五歳の俺の記憶と一〇歳の俺の記憶を持ったままだが、人格、意識の優先権か所有権は俺が持っている。

 うむ。確かに現状は把握した。

 この世界には殺し合いが当たり前のように起こり、金剛を使うような魔法があり、一〇歳の俺は、一度死んで生き返った。そして、俺は何の力もない一〇歳の子供だ。

 生き返ったメリットがねえ。

 死んでるよ。

 詰んでるよ。

 何プレイだよ。

 一〇歳の子供の知識と、この世界じゃ何の役にも立たない四十五歳の知識でどうしろと?

 あれだ。

 俺が生き返った時の声。俺を蘇生させるために色々と話しかけてきたあの声。

 あれが、鍵だ。

 あの時の声の主を捜さなくては。目を開いたと同時に消えたあの声。魔法の世界だ。きっと、神的なそういう何かなんだ。人間的な話し方だったが、俺の脳内を解析して、模倣したかなんかで、ああいう話し方になったんだろう。

 もしかしたら、この世界に俺を呼んだのもその声かもしれない。

 よし。行動指針は決まった。

 あの声の主ともう一度会う。

 現状を打開できるよう交渉する。

 元の世界に戻してもらう。

 これだな。

「この家にしようか。」

 元はタネラ家の前で姉が立ち止まる。何故、元なのかというとタネラ家が全員、この家の玄関前で死んでいるからだ。

 俺を一旦下ろした後、壁に体を隠しながら、立て付けの悪い引き戸を開き、暗い建物内に目を凝らす。

 二畳ほどの石畳でできた土間には割れた水瓶が転がっていた。

 水瓶を避けて、靴のまま一段高くなっている板の間に上がる。足音は立てない。もし誰かがこの家に居れば、戸を開けた時点で気付かれているだろう。

 姉は気配を消している訳ではない。気配を探っているのだ。

家の中で生き物の気配がしないと判断したのだろう。俺の元に戻ってきて、軽々と俺を抱き上げる。

「立てるかい?」

 板の間に下ろしてもらう。

「ちょっと待っといで。」

 姉はそのまま、家探しを開始する。ヤート族の家屋はどこも狭い。

 囲炉裏が切られた部屋を中心に四畳の部屋と二畳ほどの台所を兼用する土間があるだけだ。

 狭い代りに天井は高い。雪の対策として棟が高く設計され、大屋根の傾斜がきつくなるように建てられている。

 階段箪笥が壁際にあり、高い位置に積雪時の出入り口が設けられている。その出入り口を中心に部屋を取りまく形でロフトが構成されている。ロフトとは言っても竹で骨組みを組んで、毛皮を乗せただけの物で、壁に吊るされたベッドのようなものだ。寒い日は、その簡易なロフトで眠るのだ。

 囲炉裏が切られた部屋の奥には、二枚引き戸に遮られて、四畳ほどの茣蓙敷の部屋がある。

 茣蓙が捲られ、床板が何カ所か剥がされている。視線を上へと転ずれば、囲炉裏の上に吊るされている火棚から何本かの綱がぶら下がっていた。恐らく乾燥させていた魚か、何かを引き千切ったのだろう。既に誰かが家探しした後のようだ。

「ないよりはマシだろう?」

 そう言いながら、こげ茶色の大きな毛皮を簡易ロフトから外してきた姉が、毛皮を板の間に敷き、俺に此処に横になれと、その毛皮をポンポンと叩く。俺は素直にその毛皮の上に寝転んだ。

 この毛皮もやはり臭い。

 もう慣れてしまったが、この集落そのものが異臭を発している。此処に住んでいる一〇歳の俺からすれば異臭とは言わないだろうが、四十五歳の俺からすれば、異臭だ。

 姉を臭いと言ったが、きっと俺自身も臭いのだろう。

 風呂に浸かって、体を洗いたいと思っているうちに、うつらうつらと眠気が襲ってくる。

「じゃあ、薪を取ってくるから。」

 姉のそんな短い言葉も最後まで聞くことはできなかった。

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