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トガリ  作者: 吉四六
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魔獣

 その獣は、四肢を力強く地面に突き立て、鼻面を上げて周囲の臭いを嗅いでいる。

 頭が大きい。アンバランスに大きい。

 その頭を左右に振りながら、足がゆっくりと焚火へと近づく。

 足が見える。雪に埋もれないように、大きく広げられた指には爪が見えない。猫科のようだ。

 吊るされた熊肉にそいつが鼻面を近づけ、臭いを嗅ぐ。

 見たことのない動物だった。頭頂部から左右に開く形で大きなアンモナイトのような角が生えている。

 扁平な猿のような顔に目が八つも並んでいる。口吻から牙をのぞかせ、吊るした熊肉に食らいつく。

 咀嚼することなく、上を向いて、丸呑みにする。

 熊肉を嗅いでも躊躇なく喰うということは、熊を恐れていないことを示唆する。

 鼻から白い息が、荒々しく噴出する。

『サンプルが欲しいな。』

 イズモリがとんでもないことを言う。

 おい。

『サンプルを採れよ。』

 おいおい。

『いいから。』

 お前は、あの化け物を見て言ってるのか?

『そうだ。気付いているだろう?普通じゃない。奴は熊なんかと違って、霊子の塊だ。』

 わかってるよ。俺にだって見えてるよ。体ん中にミッシミッシに霊子が詰まってるのが見えてるよ。

『だからサンプルを採れ。』

 お前は霊子だけを見て言ってるのか?あの頭を見たか?

『でかい角に、首もかなり太いな。猫科とは思えん太さだ。恐らく頭骨が分厚く、重いんだろうな。』

 そうだよ。あのでかい角と分厚い頭骨で頭突きするんだよ。そんでもって、フラフラになったところで、前足の鉤爪で抱え込んで、あの牙で食うんだよ。

『戦力的な分析は出来てるじゃないか?あとは何が問題なんだ?』

 勝てるかどうかだよ!

『奴の顔は扁平だ。しかも目が八つもある。』

 わかってるよ。索敵器官としては、視覚が特化して、聴覚と嗅覚が弱いってんだろう?

『よし。じゃあ。戦術分析したら勝てるだろう?』

 無理だよ!

『何故?』

 勝てる戦術なんて思いつかねえよ。

『ふむ。奴は頭突きで初手を打って来るが、上からならその初手を潰せる。四肢の構造的に自分の背面には爪が届かないだろう。牙も当然届かない。此処から奴に気付かれないように飛び掛かれば殺せるんじゃないか?』

 気楽に言うなよ!気付かれないようにって保証はあるのか?

『保障など何に対してもあるものか。ただ、奴の目は前面にしか付いていない。あの目の多さは、それぞれが見る光線が違うのだろう。死角をカバーするための物じゃない。だから、今、この位置なら十分に勝算はあると思うんだがな。』

 確かに奴は食い易い位置の肉を食っている。

 後足で立つことは負担が大きいから、自分の顔よりも下に位置する肉ばかりを選んでいる。後ろ上方は完全な死角だ。

 殺るなら今がチャンスだ。

 ちっ。責任とれよな。

『心配するな。死ぬようなことはない。』

 その言葉を信じて、俺は飛んだ。

 一つ、二つと俺は蹴る木を数えながら、獣の上へと移動し、そのまま、獣の背中へと落下する。

 小太刀の柄を掴み、空中で鯉口を切る。

 奴の背中に取り付くよりも先に小太刀の切っ先が奴の首筋に突き立つ。

 落下速度の勢いのままに小太刀が肉に潜り込み、俺は獣の首を両足で挟み込んで馬乗りになる。

 硬い毛皮が顔を擦り、獣の咆哮が鼓膜を振るわせる。

 背中に取り付いた敵を振り落とそうと、体を回転させて、地面に俺を擦り付ける。

 威嚇とも悲鳴とも聞こえる獣の咆哮が殺気を孕んでいるのが伝わってくる。

 俺は重い獣に押しつぶされそうになりながら、必死で四肢に力を籠める。

 離れたら一気に殺される。そう確信したからだ。

 獣が死なない。

 深々と小太刀が肉に突き刺さったまま暴れまわるから、肉の内側では無茶苦茶に抉れているはずなのに、それでも獣は死なない。

『無理っぽいな。』

 気楽な声で絶望的なことをイズモリが言う。

『おい。こいつの霊子を食え。』

 なに?!

『だから、こいつの霊子を取り込めって言ってんだよ。』

 そんな。お前、今!今!この状況で何言ってんだ!

『霊子の周波数変換コンバーターを増設しただろ?こいつの霊子の周波数を直接特定して、出力を入力に切り替えて、こいつの周波数をお前の周波数に変更すれば取り込める!やれ!』

 おお?!この土壇場でなんてことを!

『死ぬ気になれば出来る!』

 死ぬことはないって言っただろうが!

『嘘だ。こいつは霊子の命令が乗ったマイクロマシンを食ってた。つまり霊子を食うから、俺達でも死ぬ。』

 マジか!くそ野郎!!

 俺は四肢に力を込めながら、目を閉じる。

 直ぐにイメージを展開して霊子回路を起動させる。

 獣の体内を満たす霊子を感知、周波数を特定し、出力側のコンバーターに獣の周波数を設定、霊子回路を逆転させる。

 明らかに獣の動きが鈍る。

「トガリ!」

 オルラの声。

 その声と共に獣の重量が増した。

 同時に獣の動きが止まる。

 動きの止まった獣の影から俺は顔を覗かせた。

 そこには、怒った顔のオルラが厳然と立っていた。

 獣の返り血を浴びて、目を見開き、瞬き一つしない。

 立ち上がった俺は頬を張られた。

「二度とするんじゃない!」

 俺、ヤートの女ばかりにしばかれてるなあ。

 獣の下顎からオルラの小太刀が生えている。

 小太刀は顎を貫き、脳にまで達しているだろう。

 その小太刀を抜いたオルラの呼吸は荒々しかった。

 左手に持った小太刀を放り投げる。

 地面に刺さることもなく、放り投げられた小太刀は、そのままの勢いで転がって行く。

 オルラはやおら振り向き、俺を、もう一度ぶった。

 投げ捨てられた小太刀の方を向いていた俺は鼻からオルラの手の平を受け、涙目になる。でも、オルラははっきりと泣いていた。

「お前は…!」

 また、ぶたれる。

「お前はどうして!!」

 泣きながら俺を打つ。

「どうして…一人で生きようとするんだい!!」

 きつくオルラに抱き締められる。

 小太刀はヤートにとって戦う主武器だ。

 ヤートの戦い方は、卑怯の誹りを受ける。不意打ちは当たり前。毒も使うし、暗殺だってする。誇りを持っていないように見えて、最後まで捨てない誇りがある。

 太刀だ。

 太刀は、ヤートの精錬技術で唯一、秘匿している技術だった。

 鍛冶屋はその製法を一人の弟子に伝えて、墓まで持って行く。

 オンザ、自分の息子が打った小太刀を放り投げ、涙を流しながら俺を叱ってくれるオルラに、俺は久しく忘れていた母の情愛を思い出していた。

 きっと、出て行くときに言った「許してもらわなくていい。ヤートを抜けた俺を殺す必要があるなら、今、殺しても良い。」という言葉。オルラは、多分、このことを言っているのだろう。

 俺は、ワザと皆を突き放すようなことを言った。

 ヤートの戦い方は卑怯だが、一族のことを非常に大切にする。

 卑怯なヤートであるトネリが、トサを見捨てることなく、己の命を懸けて戦った。あの時、トガリも当然のように己の命を懸けた。

 だからこそ、皆を突き放すように、俺は言葉を選んでそう言ったのだ。

 でも、オルラにはそれが許せなかったのだろう。もしかしたら、あの場にいた全員がそうだったのかもしれない。

 だからオルラは泣いている。

 それがオルラだから俺を抱いている。

 オルラは此処にいる。

 謝っても、オルラは泣き続ける。声を殺して泣き続ける。

 俺は何度も謝る。

 謝っても俺の心は塞がったままだ。

「ごめん。ごめんよオルラ。俺が悪かったよ。」

 俺もオルラを抱き返し、いつの間にか涙を流していた。

「もうしないよ。」

 その言葉を聞いて、オルラもやっと落ち着いたのか、荒い息を吐き出し、俺から体を離した。

 肩に両手を置いたまま、俺の目線まで屈んで、しっかりとした目線を俺に向ける。

「トガリ。お前は死んじゃ駄目だ。あたしが死んでも、見捨てても良い。でもお前は絶対死んじゃ駄目だ。」

 俺はオルラの言葉に素直に頷いた。

「駄目だ。トガリ。ちゃんと言葉で、俺は死なないって、言っておくれ。」

 オルラの強い言葉に

「俺は死なない。」

 はっきりと宣言する。

 オルラが頷き、俺から手を離し、俺の頭を優しく撫でる。

 二コリと微笑んで「さて」と言いながら腰を伸ばす。

 獣の死体を見ながら、「厄介だが、やっちまおうかね。」と、項に手を当てて、首を捻りながら言う。

 俺はオルラの小太刀を拾い上げて、左肘で挟み込む。力を込めて袖で血を拭い、オルラに渡す。

「オンザが泣くよ。」

 その言葉にオルラは微笑んだ。

「死んだ者は泣かないし、笑わないよ。」

 案外、さっぱりしてるな婆様。

「こいつの肉は食っても美味しくないからね。毛皮と角と…いや、頭ごと持って行くか。それと、爪だね。あと、魔石もあるだろうからね。」

 魔石。出たよ。ついに出たよ。定番の魔石。やっぱあるのか。て、ことは、こいつは魔獣とか魔物って呼ばれる奴か?

「こいつは何て名前なのさ?」

 解体するために、仰向けにした獣の四肢を広げる作業を開始する。

「ハガガリって名前だよ。滅多に見ない魔獣だね。あたしも此奴を見たのは三十年振り位だよ。」

 今度は一人で解体してみると言って、オルラにはハガガリの体を支えてもらう。ナイフを入れようとして、手こずる。

「オルラ、ナイフが入らない。」

「ハガガリの皮は硬いからねえ。いいよ、小太刀を使いな。どうせ、肉は食わないんだ。内臓を傷つけたっていいよ。」

 本来、解体などには小太刀を使わない。解体に小太刀は使いにくいというのが本音だが、小太刀を穢すことになるというのが建前だからだ。

 俺の小太刀は、戦利品に交じっていた白い粒子で出来た小太刀だ。

 イズモリに言わせると、この小太刀で斬れない物はないと言っていた。マイクロマシンが、俺の霊子の命令に従い、分子どころか原子の繋がりを断つからだそうだ。

 俺は、毛皮の分子だけが切れるように、霊子に命令を乗せると小太刀に力を込めて、突き立てる。すると、毛皮には突き刺さるのに、肉には刃が通らない。

 成程、便利だな。

 小太刀でハガガリを捌いている間、イズモリは静かだった。

 オルラに打たれている間も一言も発していないので、訝しんだ俺は、おい。どうした?と、声を掛ける。

 それでも返事がなかったので、放っておくと、暫くしてイズモリから声を掛けてきた。

『…すまなかった。俺のせいで…』

 気にするな。俺が()と話し合って、()の提案に俺が乗った。俺達一人の責任だ。

『ふん。物は言いようだな。』

 どう答えようかと考えてたのに、今の一言で台無しだ。

『お互い様だ。』

 そう。お互い様だ。俺達は、どうあっても離れられないし、離れちゃあいけない。

『そうだな。』

 それで、こいつのサンプルはどうやって採る。

『うむ。まず、トガリの胃を改変する。』

 また痛いのか?

『多少はな。ただ、胃の粘膜は強いから、そんなに痛むことはないだろう。』

 で、やっぱ、生で食うのか?

『察しが良いな。そうでないと遺伝子情報が壊れるからな。』

 食わないと駄目なのか?

『無機物でも、有機物でも右目で見れば解析出来るが、霊子を食ってる獣だ、マイクロマシンが正確に稼働するかどうかが怪しい。それに遺伝子情報までは右目で見ても解析出来ん。遺伝子パターンが従来の生物と違うだろうから、そこまでは俺にもわからん。』

 げんなりすると、胃に鈍痛が走る。

 やっぱり、合図はないのね。

 俺は、小指の先ほどに切り取ったハガガリの肉を無造作に口に放り込んだ。

「あらま。」

 それを見ていたオルラが声を上げる。

「美味しくないだろうに。」

 明らかに嫌そうな顔をしてオルラが舌を出す。婆ちゃんがそんなはしたないことをしちゃいけませんよ、と思いながら、ああ。こりゃそういう顔をするわ、と思い直した。

 組織を壊さないように丸呑みにしたのだが、とにかく臭い。

 腐敗速度が普通の動物よりも格段に早いのだ。

 ぬるりとした食感も気持ち悪い。

「本当に不味いな。」

「だから言ったろう。」

 嫌そうな顔をしているということは、オルラも食ったことがあるという証拠だが、敢えてそこはスルーする。

 毛皮を剥がしきったところで、オルラは熊革の方に向かう。俺はこのまま解体を続ける。

 眼筋などの頭蓋を覆う筋肉と脂肪をマイクロマシンで分解し、右の眼球を四つ抉り出し、次々と口に入れる。

 段々吐き気がしてきた。

 白骨と化した頭蓋から下顎を外し、頸椎から頭蓋を取り外す。

『一応、神経線維も採ってくれ。』

 気楽に言ってくれるね。頸椎に指を潜り込ませて神経線維を摘み出し、口に入れる。

 そろそろ吐くぞ。いや、マジで。

 ハガガリの頭蓋を引っ繰り返し、口腔内にある口蓋の真ん中に小太刀を突き立て、(こじ)る。

口蓋の真ん中に亀裂が入り、俺は頭蓋から牙が抜けないように、口蓋だけを切取っていく。

 これは中々技術を要した。骨と骨を切り分けるのだから、マイクロマシンの力が使えない。縫合線に沿って、ゴリゴリと無理からに切り分ける。

 出たな。

『やっぱりここか。』

 魔石。

 霊子回路だ。

『霊子回路が結晶化してる。』

 薄い円盤型の魔石は、青白い瑪瑙の様だった。

「採れたかい?」

 熊皮を畳んだオルラが後ろから覗き込む。

 俺は霊子回路を指で挟んで掲げる。オルラが手を差し出すので、そのまま、手の平に乗せてやる。

 オルラは霊子回路を透かし見て、難しい顔をしていた。

「えらいものだ。こいつ一つで五年は遊んで暮らせるね。」

 そんなにか?

 オルラが俺の手を取り、霊子回路を乗せる。そのままオルラは俺の手を握り込んだ。

「お前の物だ。お前だけの物だ。大切におし。使い所を間違えないようにね。」

 価値としては、凄い物だとわかったが、それ以上に大切にしなければならない物だと言われたような気がした。

 どうする?とイズモリに聞いた。

『オルラの見てない所で食えよ。』

 色々と台無しにする奴だった。

 結局、ハガガリの角付き牙付きの頭蓋骨と毛皮と爪、そして腱を残して、あとは捨てることとなった。

 腱は弓の弦として高く売れるらしい。

 臓器と肉は腐敗速度が早くて食うには不味すぎる。食わされたけど…。

 腱と毛皮は熊皮の要領で防腐処理までして仕上げてしまう。

「便利だねえ。魔法ってものは。」

 オルラが感心するが、俺はズルをしているようで何となく気まずい。

 何だかんだで、空が白んできた。

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