まさかのオルラ
「追い駆けて来てやったよ。」
俺はその言葉にクエスチョンマークしか浮かばなかった。
「いや。追い駆けて来たって、俺を狩るの?」
微笑みながらオルラが「何を馬鹿なことを」と言う。
「可愛い義理の甥にそんな無体なことが出来るもんかね。」
「じゃあ。何しに来たんだい?」
オルラはキョロキョロと辺りを見回し、首を傾げて、「お前の荷物は何処だい?」と聞く。
俺は後ろを親指で指し示し、「向こうの木の上だけど。」と答えた。
「じゃあ。そこに行って話をしようか?」
そう言って勝手に歩き出す。俺は仕方なくその木の根元まで一緒に歩く。
そこで気が付いたのは、腰は曲がっているが、オルラは存外にしっかりと歩くということだ。俺の歩行速度とそんなに変わりがない。
オルラは見上げて、ああ。アレだね?と、呟いて、懐から分銅付きの細い紐を取り出した。
「あたしは、これが得意でね。」
そう言うと、手首のスナップだけで紐を一回クルリと回すと、風切り音を立てて、分銅を投げ上げる。
俺の荷物を置いた枝に紐が巻き付き、オルラは、その紐を両足に巻き付けるように挟み込み、スルスルと登っていく。
『ヤートの女って皆バケモンか?』
そうかもしれん。
俺も後を追うように、木の幹を登る。
先に到着していたオルラは、紐を懐に仕舞って、俺を待っていた。
「お前がヤートを抜けたら、血族はお前を追わなきゃならない。」
そう切り出したオルラの顔は真剣そのものだった。
「でも、お前の血族はトネリだけになっちまった。トネリが、お前を追えば、トネリも逃げたと見做される。人質になる血族がいないからね。」
それで納得する。
「だから、アラネとトドネと血が繋がっている婆様が俺を追ってきたという訳か…。」
オルラが正解です。という風に頷く。
「でも、あたしも年だ。そんなに長い間お前を追えない。お前は一〇歳とはいえ、不思議な力を持ってしまったようだしねえ。だから途中までは、あたしと一緒に行っておくれ。」
首を傾げながら、懇願するように言われると、俺は困った顔しかできずに答えられなかった。
「そんな顔をしなくてもいいじゃないか。途中まであたしと旅をして、一緒に旅が出来なくなったら、あたしのことは、うっちゃっといて良いんだよ?」
無理を言ってる。婆様二人と異世界冒険旅ってどんな無理ゲーだ。
「いや。うっちゃっといてって、そんなこと、できる訳ないじゃないか?」
「でも、結局、あたしは、お前を追わなきゃならない。でも、あたし一人じゃ、そんなに遠くまで追えないからねえ。だから途中までお前と一緒に旅をして、追いかけたって既成事実を作っとかなきゃ。あたしは村にも帰れないよ。」
困った。
オルラと一緒に旅することを断っても、俺を追うために、結局、一人で旅を続けなければならない。
それなら俺と一緒の方が危険は少ないか…。
『仕方がないな。こんな所で婆さん一人を残していけないからな。』
案外、お前もお人好しなんだな。
『お前と同じなだけだ。』
そんな訳で、俺はオルラと一緒に街を目指すことになった。
「それで、婆様は今幾つなんだい?」
「あたしかい?いいかい。トガリ。女性に年齢を聞いちゃいけないよ。禁忌だからね。」
真剣な顔で、そんなことを言われても、婆さん相手に何だかなあ。としか思えない。そんな俺の表情を察してか、仕方ないねえ。これからの道連れだからねえ。と、何だか死への旅路を彷彿とさせるようなこと言う。
「今年で四十四歳だよ。」
「えっ?」
『なに?』
よっぽど酷い顔をしていたのだろう。オルラは結構、凹んだ表情で俯いてしまった。
「いやいや。婆様の年齢じゃなくて、何と言うか、えっ?四十四?マジで?」
コクリと頷くオルラに慌てて弁明しようとするが、その年齢に驚いたのだから、弁明の仕様がない。
『マジか…七十近いと思ってた。』
そうだな。俺もそう思ってた。それが、四十四だとは…参ったな。俺より一つ下かよ。
婆様って呼ぶのが切なくなるな。
『そうだな。でも、かなりな老け顔だぞ。』
思い当たることはある。食糧事情だ。
食糧事情が悪いと、外見上の若さは保てなくなる。俺のいた世界でも、俺が二十代の頃の五十代は確かに爺さんだった。
なのに、俺が四十代になった頃の五十代は、皆若々しかった。
そう思うとヤートの食糧事情はかなり悪い。オルラが七十代に見えるのも仕方がなかった。
「いや。婆様。その、ごめん。」
素直に謝るしかなかった。
「いいよ。あたしも大人気なかったね。こんな年になっても年齢のことを気にするなんて。」
微笑みながら、首を傾げる仕草は婆様でも可愛らしい。俺より年下だとは、どう見ても思えんが…。
「それで、お前はこんな所で何をしていたんだい?」
トガリの記憶を探り、違和感のない言葉を選び出す。
「気配を伸ばしていたんだ。」
「ああ。だから、こっちの方から、お前の気配がしたんだね?」
あれ?俺の気配を婆様が感知した?
『これは、問い詰めねばなるまい。小一時間掛けて。』
いや、ここぞって感じでネタをぶっこんでくんなよ。
「あれ?俺の気配を感じたの?」
何を言ってるんだいこの子は、って顔で見られても、俺にはわかんないんだから教えてくれよ。
「だって、お前は、気配を探ってたんだろう?だったら、お前の気配も感じるに決まってるじゃないか?」
梢を仰いで考える。そうか。戦闘機がロックオンされたことを感知するようなものか?
『成程、此方が気配を探ろうとすると、その気配が相手に掴まれるということか。てか、何気にこの婆さん凄いスペックじゃないのか?』
「婆様って、昔、姉さんみたいに猟をしてたのか?」
イズモリの疑問も尤もだ。探る気配を感知して、俺だと気付くなんて普通は出来ることじゃない。
「いいや。猟師じゃなくて、戦士だったんだよ。」
目を逸らして遠くを見ながら、そう答えるオルラからは、そんな気配は微塵もない。
身長は平均的なヤートの女性だ。
手にも顔にも、年に似合わない深い皺が刻まれている。
ただ髪の毛だけは黒々としていた。
「トガリ。気配を消して、気配を探る方法を教えてやろうか?」
遠くを見ながら、何となく寂しそうに言うオルラに俺は何となく声を掛け辛くて、無言で頷いた。
さっきと違う、少し寂しげな微笑みを浮かべ、オルラが頷く。
枝の上で、器用に座り直し、俺の正面で胡坐をかくと、「さっきみたいに、気配を伸ばしてみな。」と言う。
「お前なら直ぐに覚えられるだろうよ。」
俺はオルラの言うとおりに気配を伸ばす。マイクロマシンに命令して、拡散させている行為だ。
オルラが目を閉じて、静かに呼吸する。
『婆さんを右目で見てみろ。何か見えないか?』
オルラの頭の中心部、丁度、俺の霊子回路のある辺りで、青白い光が活性化するように輝いている。そのことをイズモリに伝えると、イズモリは、やはりな。と呟いた。
『やっぱり。この婆さんも霊子回路を持ってる。』
「強いね。トガリ。お前の力は途轍もなく強い。一〇歳の子供では考えられないくらいに強い。…今まで、あたしが最も強いと思った奴より何十倍、いや何百倍も強いよ。」
「それで、ここからどうすればいい?」
目を閉じたまま頷くオルラ。
「いいかい。気配を消そうと思っちゃ駄目だ。気配を相手に同化させるのが大事なんだ。」
気配の概念が、今一、俺には、よくわからない。
オルラが気配を伸ばす。体全体から滲むように出てくる青白い霊子。俺の操っているマイクロマシンが、そのオルラの霊子に上書きされていく。
『ほう。命令を上書きされて、マイクロマシンがオルラの支配下に入っていくな。』
それは問題ないのか?
『敵が相手なら問題だが、この婆さんなら問題ない。』
オルラの周囲に広がるマイクロマシンは、オルラの支配下に入ると、その影響を次々と他のマイクロマシンへと伝播させる。
俺は新たなマイクロマシンを呼び寄せ、新たな命令を加える。‘上書きの拒絶だ’。
オルラの支配するマイクロマシンが、新たな命令を書き込まれた俺のマイクロマシンに接触する。オルラの眉が一瞬、僅かに跳ね上がる。
「大したもんだ。でも、それじゃあ駄目だね。お前の気配は消えてない。いいかい。相手に気付かせちゃ駄目なんだ。相手の力に溶け込まなくちゃ。」
難しいことを言う。そんなことどうやったら出来るんだ?
『周波数かな?』
周波数?
『霊子の周波数だ。マイクロマシンは霊子からの命令を実行するために、命令を受けた時点で幽子との周波数が異なるようになる。霊子の周波数は個人によっても違うからな、その周波数の違いに気が付いているのか?』
「よし。」
声に出して合図する。
まず、周波数の違うマイクロマシンと周波数を同期させるように命令。
拡散を命令。
指向性を持ったマイクロマシンの検知と発生源の検知を命令。
上書き拒絶を命令。
俺のマイクロマシンが拡散し、オルラのマイクロマシンと接触する。直ぐにオルラの眉が微かに動くが、声を発しない。
俺のマイクロマシンがオルラのマイクロマシンとの接触点で、一瞬にして同期したからだ。その接触点を中心に俺のマイクロマシンが同期を繰り返し、全てのマイクロマシンがオルラと同一の周波数となる。
「やっぱり、お前は大したもんだ。」
オルラの誉め言葉に、俺は素直に微笑んだが、直ぐに否定される。
「でも、まだ足りないよ。気配をごまかしながら、お前はあたしを察知しただろうが、このままだと、あたしにもお前のことは察知されてるからね。」
『そうだな。お互いの周波数を同期させただけじゃあ、マイクロマシンの見分けがつかなくなっただけで、お互いの命令は実行される。相手の命令を阻害、妨害する必要がある。』
しかし、阻害か妨害をした場合、結局、こっちの存在は知られてしまうんだろう?
『うむ。やはり、上書きが必要かな?』
上書きした時、相手に察知される可能性は?
『あるな。此方が上書きしようとすれば、周波数の違う霊子が接触するからな。それで相手に悟られる。』
じゃあ、どうする?
『聞いてばかりじゃなく、お前も考えろ。』
おう。じゃあ。俺達のマイクロマシンに上書きさせるのはどうだ?
『無理だな。マイクロマシン同士の性能は変わらない。上書き拒絶の命令を受けたマイクロマシンに、マイクロマシンで上書きしようとすれば、演算能力が対象よりも上のマイクロマシンが必要だ。』
周波数を解析して、俺から出ている霊子の周波数を変化させるのはどうだ?
『どうだろうな。霊子は脳波のような脳紋を持っているが、それを意図的に変化させるという実験はやったことがない。他の人格の知識にも見当たらないな。』
霊子は霊子回路を通って出てるんだろう?霊子回路を弄れば出来るんじゃないか?
『成程。個人特有の霊子の周波数を本体ではなく、デバイスで変化させるか。それなら出来んこともないかもしれん。』
じゃあ。それで。
『簡単に言ってくれるな。まずは、霊子回路に周波数検知特定の回路を設定しなけりゃならん。その後で、周波数変更出力の設定だ。結構、大変なんだぞ。』
他人に厳しく、自分に甘くだよ。
『霊子回路の変更だ。痛みがあるからな。』
…覚悟しとくよ。
目を閉じて、霊子回路をイメージする。霊子回路の映像が瞼に浮かび、その横にワイヤーフレームの霊子回路が現れる。
早いな。
『思考に速度は関係ないからな。それでも、こっちは結構、疲れた。糖分が必要だな。』
霊子回路にワイヤーフレームを重ねる。
直ぐに頭痛がするが、以前ほど酷いものではない。
鈍痛が繰り返し襲ってくるが、眉を顰めて、我慢する。汗もかなり出てるが、作業が優先だ。オルラの周波数に同期したマイクロマシンの解析をする。
特定した周波数を設定し、‘こちらを検知していない’という命令を乗せた霊子を体外へと送り出す。
『あとは上書き出来るかどうかだな。相手も上書き拒絶の命令を与えているだろうからな。』
そりゃそうだ。くそ。頭が痛くて返事をするのも億劫だ。
しかし、そんな心配を他所に俺達の霊子はオルラのマイクロマシンをあっさりと上書きした。
頭痛を堪えて、オルラの方を見る。微動だにしていない。
気付かれていないようだ。
『ふん。圧倒的な霊子回路のパワーと質の違いだな。圧縮された数十万人分の霊子を高速演算で放出したからな。』
霊子回路のパワー?
『ああ。婆さんの霊子回路が第一世代のCPUなら、こっちの霊子回路は百世代は先のCPUだ。』
マジか?
『その代り、俺たち自身の脳にかなりの負担がくる。今お前が感じてる苦痛の半分以上はそれが原因だろう。』
マジか!!
俺は、イズモリの所為で増幅した頭痛に耐え切れなくなって、そのまま崩れるように気を失った。
オルラは、意識を失ったトガリを介抱しながら、戦慄を覚えずにはいられなかった。
今、自分の膝の上で眠っているこの子は化け物だとしか思えなかった。
実は、己の気配に、トガリが周波数を合わせてきたことに内心で舌を巻いていた。オルラはトガリに「直ぐに覚えられるだろう」と言った。それは気配を同化させることが出来るだろうということを指していた。
言葉通りどころか瞬く間にトガリは身に付けてしまった。
まさか?と思った。
一〇歳の子供がこうも易々と成し遂げられることではなかった。「直ぐに覚えられるだろう」と言った意味は、二ヵ月ほどで、という意味だったのだ。
それでオルラは考える。
この子なら、この先も出来るようになるかもしれないと。気配を操る奥義に至るかもしれないと。
出来るかもしれないと思いながら、やってみろと言った。
出来ないだろうと思いながら、やってみろと言った。
この子はやって見せた。
オルラは全く気付かなかった。
トガリが意識を失い、伸ばし合い、混じり合っていた筈のお互いの気配が一瞬で消えた。
意識を失ったトガリの気配だけが消えたのなら、話は分かる。しかし、伸ばしていた筈のオルラの気配も消えた。
気付かなった。
気付けなかった。
相手の気配を呑込み、相手に噓の情報を信じ込ませる。
今までオルラが相手に仕掛けて成功したことは何度もあった。しかし、仕掛けられて、成功を許したことはなかった。
オルラは手練れである。
トガリには、自分は戦士だと言ったが、本当は暗殺者だ。
暗殺を生業としてきた。
領主から依頼されて、何人もの政敵を殺めてきた。
殺めた人数は両手では足りない。それ程の手練れだったのだ。村の者にも、夫にも、息子にも知られていない、オルラの秘密。
三十を超えて、肉体的衰えが始まった。秘密にしているからこそ、公に体を鍛えることは出来ない。そのことは仕方がないものの、気配の読み合いや気配の断ち方でオルラの右に出る者はいなかった。
肉体的に衰えても、オルラに取れない背後はない。それは、オルラに殺せない相手はいないということだ。
オルラに気付かれることなく、オルラを殺せる者が、今、自分の膝を枕に眠っている。
この子は、なんと神に愛されているのだろうか。
胸が熱くなる。
自分を殺せる程の手練れが、ヤートの男にいた。しかも、まだ一〇歳という子供である。
この子なら、己が至らなかった奥義に至るかもしれない。
いや。この子なら間違いなく奥義に至る。
オルラは、そう確信する。
魔法を見た。
オルラはトガリの使う魔法を見たその時のことを思い出す。
この子は呪言を詠唱しなかった。
呪言とは魔法の術式を構築するための言語である。
その呪言を詠唱しなかったということは、脳内で術式を構築したことになり、それは、異常な演算能力を有している証であった。
確信が、胸の内を焼く。
胸中に湧き上がる熱いモノ。熱を持った何かが湧き上がってくる。オルラにはそれを何と呼ぶべきモノか、わからない。
ただ、静かに、その熱に当てられているのが心地良かった。




