枯れた記憶の最奥にある者
「おい、起きろ。」
目を開けると、眩しい光が差し込んでいた。
シートを倒さずに眠っていたせいで、肩と首が固まっている。痛みに耐えて、首を捻り、枯れ木を折るような音が頭蓋内に響く。
「もうすぐ着くぞ。」
「ああ。」
寝ぼけ眼を擦りながら、俺は狭い空間を一杯に使って伸びをする。
信号は点灯していないが、俺はシートベルトを締めて、着陸に備える。
沖縄だ。
娘と妻は、妻の実家でのんびりしてるが、俺は沖縄サミットのために仕事だ。
サミット時の消防力増強のため、沖縄からの要請で、俺は選抜されて、沖縄に派遣されたのだ。
俺は窓の外を望み、下に見える雲を望む。
主翼が窓から見える景色の半分以上を占めているが、白い雲と青い海が見える。
「沖縄かぁ。」
「なんだ、更科主任は沖縄は初めてか?」
俺の隣に座る鹿野守補佐が、俺の独り言を聞き取り、声を掛けてくる。
「いえ。家族と来たことはあります。でも、まさか仕事で来ることになるとは思いませんでしたね。」
「全くだ。俺も仕事で来ることになるとは思わなかったよ。」
俺は、再び、窓外の景色へと視線を向ける。
主翼に黄色い一筋の線が描かれているのを発見する。
それが何かを判別しようと、目を凝らせる。
液体だ。
主翼から漏れ出ている。
俺は唾を飲み込んだ。
喉の奥で鳴る音が、奇妙に大きく聞こえた。
そして、爆発音と閃光がジェット機の片翼を吹き飛ばし、乗客約五百人は、激しく揺れるジャンボジェット機とその運命を共にした。
「おい、起きろ。」
一番奥深くに残っている記憶は、そんな一言だったか。
俺は目を開ける。
いない筈のイズモリの声に覚醒させられた。
薄っすらとした明かりは月明りだろう。
この世界で目覚めた時も、イズモリの声で覚醒した。
知っている風景だ。
俺が造った無縫庵の寝室に俺は横になっている。
「トガリ…」
トンナが俺の顔を覗き込む。
俺は右手を挙げて、その右手を確認する。
子供の手だ。
一〇歳の子供、トガリの手だ。
目を閉じて、右手で顔を覆う。
思い出した。
俺は消防士で、沖縄サミットに向かう機内で死んだのだ。
娘と妻に遺書を書いていたことは覚えている。
読めただろうか?
かなりの揺れの中で、書き綴った。
いや、その前に、娘と妻の手に渡っただろうか?
「トガリ…大丈夫?」
トンナの声に再び目を開ける。
トンナ、アヌヤ、ヒャクヤ、コルナ、テルナド、そして、オルラが、俺の顔を覗き込んでいる。
俺は皆の顔を確認して、再び目を閉じる。
「ああ、大丈夫だよ。心配をかけて、すまなかった。」
大きな喪失感が俺の体から気力を奪う。
家族を失った。いや、家族が俺を失ったのか。俺にとっては、どちらも同じだ。そして、俺の中にいた五人の俺も失った。
「すまない。少し、一人にしてくれ…」
俺の言葉を聞いた皆が、ベッドを揺らしながら、俺から離れて行く。
部屋から人の気配が消えて、奇妙な寂寥感が俺の上に圧し掛かってくる。
女の子の割に口数の少ない、優しい子だった。
幼稚園で苛められていないかと、ヤキモキしていた。
俺の傍にいる子だった。
俺とはよく話をしていた。俺には理解できないことでも、よく話をしてくれていた。
小さな手は俺を常に癒してくれたし、あの子と手をつなぐのが、俺は大好きだった。
飯を食う時は常に俺の膝の上に座らせていた。
夜泣きの酷い時などは、俺の胸の上で眠らせていたこともある。
心配事は増えるが、可愛くて仕方がなかった。
娘の顔を見ると、イヤなこと全てが忘れられた。
妻は俺にとって、たった一人の女だった。
妻がいれば、他の柵など必要ないとさえ思っていた。
妻を失う恐怖を想像したことがある。とてもではないが、生きていくことが出来ないと感じた。
…その妻も娘もいない。
家族のいない世界に俺はいる。
自然と涙が出た。
嗚咽が出ないままに、静かに涙だけが流れ出た。
悲しくはない。
たった一人になってしまった孤独感と寂寥感が吹きすさぶだけだ。
何もない世界に、たった一人取り残されたような錯覚。
埋めることの出来ない穴が俺を呑み込んでいる。穴の中へ、穴の中へと俺を引き摺り込んでいく。
醜悪な老人の顔が俺に笑い掛ける。穴が苛立ちで埋まる。思考が憎しみに染まり、殺意が溢れ出す。
ドアがノックされる。
「トガリ、大丈夫?」
トンナの声だ。
ドアを石造りの壁に再構築しようとするが、石の分子構成がわからない。
右目で石造りの壁を見る。
粒子の結合を確認する。
同じ粒子で、同じように結合させる。
石造りの壁がドアに再構築される。
イズモリとカナデラを失うということを理解した俺は、再び目を閉じる。
霞んで、歪んで、消えていた記憶が、流れ込んで来る。
娘の声。
妻の声。
小さな手が俺の頬に触れる。
抱き締めたいのに、その女の子はいない。
目を閉じれば、娘の顔と妻の顔が現れる。
細部まで思い出すことが出来ない。
苛立つ。
思い出すことの出来ない自分に苛立つ。
「精神体とは波の状態なのだ。」
何森源也の声がクリアーに響く。
古い記憶が新しい記憶に邪魔され、苛立ちが増す。
沖縄に行かなければ。
沖縄サミットのタイミングがズレていれば。
いや、関係ない。
俺は何森源也の実験に引き込まれたのだ。何森源也が自分のコピーを未来のトガリへと飛ばしたから、俺達は、その力に引き摺られて、トガリの体へと転生したのだ。
奴のお陰で、俺は生き残ったと言える。いや、奴のお陰で俺は生き残ったんだ。
何森源也は世界を変えるために自分のコピーを過去へと飛ばし、俺という人格を生み出した。
何森源也は世界を変えるために自分のコピーを未来へと飛ばし、トガリという超人を生み出した。
俺は、世界を変えるために魔獣を狩り、反乱を止め、犯罪組織を取り込み、国体母艦を造り出し、魔獣災害で壊滅状態の王都を復興しようとしている。そして、今は、カルザン帝国のパンデミックを命懸けで、女達の命まで懸けて、治めた。
何森源也の理想とした世界にするためにだ!!
「流石は自分だ。考え方の方向性は同じだ。」
いつだったか、イズモリに話した言葉を思い出し、口に出す。
馬鹿でもわかる。
どこから、どこまでが、そうなのかはわからないが、何森源也が御膳立てして、俺が神のように崇められる状況を、何森源也がプロデュースしたのだ。
現に、自分の娘が救われたコルナは俺のことを神だと言い出した。
あのコルナがだ!
俺は神と崇められ、何森源也の理想とする世界を創り出す。
人が争わない、自然と調和した平和な世界。
その世界は俺が理想とした世界でもある。
だから、俺はその世界を創り出す。
「陛下。」
ズヌークの声だ。石壁の所為でくぐもっている。
「トンナ様からは止められているのですが、申し訳ありません。カルザン帝国から会食のご招待が届いております。」
これも、理想の世界に近付けるための大事な一歩だ。
何森源也に背中を押されて、歩き出した俺の大事な一歩だ。
カルザン帝国を取り込み、ヤートと獣人の解放令が帝国の属国へと広がっていくのだ。
「わかった。今、行く。」
上体を起こす。無性に体が重い。
頭も重い。
イズモリ達が居なくなったのに、妙に頭の奥が重い。
手の中にコップと水を再構築しようとするが、コップの分子構成も組成元素もわからない。水は水素と酸素だとわかっているのに、どの粒子が水素なのかわからない。
以前、イズモリに聞いたことがある。
霊子金属を構成している分子に不明の分子が含まれているのに、どうして、分解、再構築が出来るんだ?
完成しているプラモデルを分解して、組み立て直すのと同じだ。
そうイズモリが答えたように思う。
あの時は、一度分解しただけで、どの部品が、どういう風に組み上がるかなんて覚えられねえよ。
たしか、そう、茶化した筈だ。
俺はそのプラモデルを組み立てたこともない。
目の前に広がる粒子は、ただの欠片だ。何の役にも立たないただの欠片。
力も失くした。
何もかも無くなった。
世界を変えようとする信念も。
イズモリも。
イチイハラも。
カナデラも。
タナハラも。
クシナハラも。
ああ、あまり待たしちゃいけない。
カルザンとの会食だ。
俺は立ち上がって、久しぶりに、自分の服を自分の手で整えた。




