自分探しの旅。イヤ、別に高尚な理由がある訳ではないんだが
飯を食い終わった後、戻って来たオルラを交えて、全員の前で街に行くことを話した。
ヤート族からの掟を破り、村の管理から抜けるのだ。
オルラは当然反対した。
今までに見てきた、ヤートを抜けた者達の悲惨な最後を俺に語って聞かせた。俺は黙ってそれを聞いた後、心の在りようが変わらないことを告げた。
オルラは顔を歪めて、トネリが追うよ。と言った。
追えば良いと俺は答える。
真直ぐに姉を見詰めたままに背筋を真直ぐに伸ばして。
アラネとトドネもオルラも俺を追えば良いと答える。
俺は決して捕まらない。皆と殺し合いをすることはない。でも、捕まらない。必ず逃げると宣言した。
「この世は過酷だよ。ヤートにとっては特にね。」
オルラの言葉に俺は目を閉じる。
右目に映った空を思い出す。様々な色の粒子が風に流されるように一定の方向へと流れて行く。そんな中に白い粒子が大量に飛んでいた。無軌道にだが、西の街の方から、東隣の伯爵領の方へと。
大量のマイクロマシンが発生しているのは、街の方角だ。ならば、其処に行かなくてはならない。
俺は本当の目的を皆に話したかった。
しかし、この場にいる人間には理解できない。
理解できなくても良い。
俺の真意を伝えられる言葉を。
目を閉じている間、誰も何も言わなかった。
ゆっくりと目を開く。
「俺が、俺になるために。今は街を目指す。」
オルラが、曲がった背中に力を込めて真直ぐに伸ばす。
「一〇歳のお前を何がそこまで…。」
諦めた顔。オルラも目を閉じた。
「お前の顔は、もう、男の顔だ。ヤートの男には心が届いても言葉は届かない。トガリ。お前の好きにしな。」
それまで黙って聞いていた姉が口を開く。
「そんなこと。」
顔を上げる。姉のことを怖いと思ったのはトガリにとってもこれが初めてだったようだ。
「そんなこと!許せるもんか!」
立ち上がり、俺を睨むトネリは、大きく、獣のようだった。
「いいか!お前はアラネかトドネと子供を作り、オンザの後を継ぐんだ!ヤートから離れるなんて、あたしが許さないよ!」
「許してもらわなくていい。ヤートを抜けた俺を殺す必要があるなら、今、殺しても良い。」
座っていた俺を上から殴りつける。
バランスを取ることも出来ず、俺はそのまま転がった。
「トネリ!」
オルラが叫び、アラネがトドネを抱き寄せる。
俺はオルラに手を向けて、押し止める。
「許されようとは思っていない。姉さんの好きにしたらいい。」
「まだ言うか!!」
俺に馬乗りになったトネリは俺を打ち据える。
右に左に顔が振られる。
馬鹿力だけあって、殴られる度に首が千切れそうだ。
『そうか。殴られるとダメージは首にもくるんだな。』
イズモリにとっては、痛みが伝わらないから、他人事だ。
黙ってろよ。
「出て行かないと言え!」
右の頬を殴られる。
「アラネを嫁に貰うと言え!」
左の頬を殴られる。
「言え!」
殴られる。
「言え!」
殴られる。
「言え!」
殴られる
既にトネリが何を言っているのかわからない。頭の中がフワフワとして気持ち良くなっていた。
『脳の修復は続けてる。心配せずに殴られろ。』
そんなことが出来るようになったのか?
『霊子回路をお前と繋げた時に言ったろ?一々お前を呼ばなくて済むって。』
ああ。そう言えば、そう言ってたな。
『だから、存分に殴られろ。たとえ頭を潰されても精神体があるから、記憶と人格は保持されるから心配ない。』
そいつは、ありがたい。
で、お前にこの痛みが伝わるようにするには、どうすればいいんだ?
『俺と入れ替わるか?』
そいつは駄目だな。
『だろ?』
トネリは肩で息するようになって、やっと、拳を止めた。
「わかったかい?姉さん。」
ジッとしていた俺を見て、意識を失ったのだろうと思っていたトネリが驚く。
「お前…。」
馬乗りになったまま、俺を凝視する姉。
「俺は、俺になるために、街に向かう。姉さん達とは此処でお別れだ。」
退いてくれと言って、俺は半身を起こす。
腫れた瞼が垂れ下がり、皆の顔は見えないが、皆に向かって俺は話す。
「俺は皆と争うつもりはない。他のヤート族ともだ。でも俺はヤートを抜ける。それが、俺にとって、今は最善だからだ。」
誰も何も言わない。
静寂だけが底にあった。
停滞した静けさ。
「俺は変わった。」
俺の言葉に皆の視線を感じる。
「化け物になった。」
徐々に驚愕へと変わる皆の顔。
「皆の顔が物語っている。俺が化け物だと。」
アラネは強く、トドネを抱き締める。
異形のモノを見るように、トネリの目が大きく見開かる。
オルラは目を眇め現実を疑う。
全員の表情の変わりようがよくわかる。
俺は皆の前で顔面を修復して見せた。
俺は立ち上がり、手に入れた戦利品をホウバタイに括りつける。父のホウバタイにも括りつけて、肩に掛ける。三枚のコルルと魔法使いのコートを纏めて、革紐で肩に掛けたホウバタイに括る。
「他のヤートには、俺が先に父の集落に向かったと言ってくれ。」
そう言って、蓆を上げる。
「お待ち。」
姉が立ち上がっていた。
俺をきつく抱き締める。
「帰っておいで。必ず、帰っておいで。」
姉の声は震えていた。
「姉さん。」
姉が俺から離れる。目が赤い。姉から発せられる粒子の色はオレンジだ。哀しんではいない。俺を認めてくれたのか。口元を歪めながら俺は姉に笑いかけた。
「姉さん。」
部屋の奥。壁際を指さす。
「弦が張りっぱなしだ。弓の痛みが早くなるよ。」
全員が張られた弓に目を向ける。
そして、皆が視線を戻した時、俺はそこには居なかった。
『一人旅とはいかないのが、何だか締まらないな。』
仕方がない。お前とは、離れたくても離れらないからな。
俺達は木の上にいた。
太く伸びた枝の上で、コルル二枚で身を包み、短めのロープと父のホウバタイを使って体を木に固定して胡坐をかいている。
俺達は今、実証実験をしている。イズモリの‘この世界は俺の世界の延長線上かもしれない’という言葉を受けて、マイクロマシンに命令することが出来るかどうかの実験だ。
周囲を飛び交うマイクロマシンは、観察する限り、辺りを漂う幽子。霊子と同じだが、指向性を持たないエネルギーを消費している。
『幽子もしくは霊子を活動源にしているなら、俺の世界のマイクロマシンと同じだ。』
活動源はわかったが、どうやって、命令する?
『霊子回路を通して霊子の持つ指向性に俺達の命令を乗せる。その霊子を喰ったマイクロマシンは、俺達の命令を忠実にこなす。それが、俺の世界でのやり方だ。』
やってみる。
意識を、霊子回路のある脳の奥深く、その底へと集中させる。
頭の奥で熱が発生する。
命令は、拡散して、動く物を捜せ。だ。大きさも限定する。俺よりも大きな物。
頭の奥から熱が拡散する。
目に見えて、大量の白い粒子が集まって来る。俺の全身から漏れ出すように拡散していく青白い霊子を、白い粒子が食べ尽くす。
俺の霊子を食べた白い粒子は、直ぐに拡散する。今まで無軌道に飛んでいたマイクロマシンが斉一に俺を中心に広がって行く。
『成功だな。あと、お前はもっと早く、命令できるようにならんとな。』
口だけの奴は気楽だな。
『口だけだから、現実問題を無視して、必要なことが言えるんだよ。』
マスコミと同じか?
『そうだ。経験したことがないから、その経験に基づく苦労はわからん。だから、好きなことが言える。』
いたなあ。そういう奴。
『居た。俺の周りにもな。』
そういうのと同類と思われることに抵抗は?
『ないな。同類じゃないからな。』
そうか。奴らは他人に口出しだもんな。
『そう。俺は俺に口出しだから、奴らと同類じゃない。』
俺の死はお前らの死だもんな。
『まあ、滅多なことでは死なんがな。』
そうなのか?
『数十万人分の量子情報体があるからな。肉体のスペアが数十万人分あると考えれば、気楽なもんだ。』
餓死とかは?
『ないな。数十万人分の肉を食うには何年かかると思う?』
パス。考えただけで気分が悪くなる。でも量子情報体の肉体は餓死しないのか?
『何を言ってる?量子情報体は肉体の情報を持っているだけだ。肉体の再構築は、量子情報体が周囲の原子を取り込み、それを基に構築実行されるんだ。遺伝子情報は、それぞれの量子情報体が持っている遺伝子情報を基に俺達が微調整してるんじゃないか。』
成程。よくはわからんが、量子情報体は普段は飯を食わないが、いざとなったら、周りの原子を食って、肉体を再構成するってことだな。
『それも少し違う。量子情報体は、普段は周囲の幽子を消費しているんだ。俺達からの指向性を持った霊子を取り込んでいるから、指向性は保持されているが。エネルギー保存の法則を知らんのか?』
知らん。生きるのに必要なかろう?
『活動を継続するのにエネルギーを消費するだろうが?だから、今、拡散させているマイクロマシンも俺達からの命令、指向性だな。これを維持したまま活動しているのは周りの幽子を消費してるからだ。』
じゃあ。やっぱり量子情報体も餓死するんじゃないか。
『ああそうだ。餓死するんだよ。周囲に幽子がある限りしないがな。餓死もする。これでいいか?』
素直じゃないねえ。言い方の問題だけだろ?まあ。とにかく死ぬ可能性は、ほぼ無いってことで安心したよ。
『精神体は八人分のスペアがあると考えれば、八回は死ぬ可能性がある。あまりゾッとしないがな。』
本当の意味での死は、精神体が破壊された時か?
『破壊できるとは思わんが、まあそういうことだ。精神体が破壊されれば、人格と記憶の再構成は出来なくなる。実質的な死だな。』
そうならないことを祈ろう。
『祈る前に努力しろ。』
他人には厳しいねえ。さすがは、俺だ。
『他人に厳しく、自分に甘くだ。』
あっ。
『どうした?』
何か見える。脳内映像だな。
『ほう、ちょっと見てみる。』
…
『…』
何だ?
『わからん。何しに来たんだ?』
体を固定している父のホウバタイを外し、枝に余計な荷物を括りつける。
枝から枝を伝って、脳内に見えた者の元に向かう。
目標から五十メートルほど離れた所で、地面に降り立ち、蹲る。
『何だ?何しに来たんだ?』
さあ?いきなり俺を狩りに来たとか?
『彼女がか?』
そんなことはあるまい?
『言葉尻が疑問形なんだが?』
そんなことを話している内に、向こうもこっちに気が付いたようだ。
俺の姿は捉えていないが、此方の方を眇めた目で、凝視している。
「トガリ!姿をお見せ!」
やっぱりでかい声。ヤートの女は皆、声がでかくなるのか?
おもむろに立ち上がって、俺は頭を掻いた。
「何で?」
オルラはニッコリと微笑んだ。




