量子って何?いくら教えて貰っても理解できないんですが?
『言ったろう。‘お前に頑張ってもらわなきゃならん。’と。』
ようやく落ち着いた俺の頭の中で、暢気な声が聞こえる。
まさかの展開だよ。体の改造作業を頑張れって意味だと思ったんだ。
俺は心の中でイズモリに答える。
右手で頭を押さえ、頭を軽く振る。まだ、頭の中に鈍痛が残っている。
頭が重い。お前らが居るからじゃないだろうな?
『まさか。俺達を認識しようが、しまいが、重さには関係はない。神経の改変を体全身に施したんだ。お前が正気を保ってくれて、ホッとしたよ。それより右目で周りを見てくれ。』
俺は半身を起こす。
随分と汗をかいたようで、ベタ付いて気持ちが悪い。
右目に意識を集中して周りを見る。
『ほお。こいつは凄い。』
光と色の奔流だ。
左目は普通の光景を映し出しているのに、右目だけが違う物を俺に見せていた。
あらゆる物から光の粒子が溢れ出し、様々な流れを形成し、俺の周りを流れていく。
左目を瞑る。すると、光の粒子だけが明瞭な流れを作り出す。様々な色の光が不規則に流れていると思っていたが、色と流れる方向で、そこに何があるのかがわかる。物質が光の粒子その物で構成されているのが、よくわかる。
マトリックスの虹色版だな。
『確かにな。』
そんなことより、この光の粒子は一体何だ?
『お前から振った話だろうが。まあ、いい。今見えている光の粒子は、原子、原子核、電子、原子を構成する素粒子そして力場を形成しない霊子、幽子だ。お前の右目は量子と素粒子を見ることが出来るようになったんだ。』
目の前の光景とイズモリの言葉に呆然とする。
この光の粒が…。
『そうだ、勿論、今の状態で見てるのは大まかに概念化された状態だ。それと…』
何だ?どうした?
『ああ。今、確認できて、俺も驚いてるんだが、この世界にはマイクロマシンが大量に散布されてるな。』
「何だと?」
『声に出すなよ。誰かに聞かれたら、気が触れたかと思われるぞ。』
ああ。すまん。
『もしかしたら、この世界は俺の世界の延長線上かもしれんな。』
…お前の世界の?じゃあ、この世界はお前の世界の未来の姿ってことか?
『俺のいた世界は、お前の世界に比べて、かなりマイクロマシン工学の進んだ世界だったんだ。それこそ異常と言える程な。そこで、俺はマイクロマシンのエンジニアリングで研究者だったんだ。』
それじゃあ、お前だけは、この世界に存在できる唯一の俺ってことにならないか?
『それとこれとは話が別だ。それに、マイクロマシン工学が発達した世界が一つとは限らないだろう?それにお前の理屈が正解なら、俺が表出人格になっていてもおかしくはない。』
それもそうか。
しかし、お前がマイクロマシンのエンジニアだったとはな。
それでこんなことができるのか?俺は眼前に広がる風景に見惚れながら、心の中で呟く。
『いや、勿論、俺一人じゃ、こんなことは出来ない。俺に統合された他の第一副幹人格の知識のお陰だな。』
そうか。別の世界の俺は、そんなに凄い奴らなんだな。で、どれがマイクロマシンなんだ?
『まあ。いろんな奴がいるさ。何たって数十万人だからな。それぞれの世界も色々あるだろうし。真っ白い粒が不規則、無軌道に飛んでるだろう。あれが、マイクロマシンだ。』
へえ。あれが。確かに多いな。
そこで、はたと気付く。肝心の本題を忘れていた。
それよりもどうだ?量子情報体というのは見えているのか?
『ああ見えてるぞ。』
どれだ?どれが量子情報体なんだ?
俺は首を振って辺りを見回す。
『自分の体だよ。自分の体を見てみろ。』
俺は自分の体を見下ろした。そして絶句する。
恐ろしいほどの輝きだ。周りの光の奔流が霞んで見えるほどの黄金色の輝きを放っている。
『数十万人分の肉体情報を含んだ量子がトガリの体に纏わり付いているんだ。左目を閉じたら、実体の体なんか輪郭さえ分からなくなるだろうな。』
これは、一体何なんだ?
『何?主語をはっきりとさせろ。』
ああ。すまん。量子情報体ってのは何なんだ?
『ああ。そういうことか。俺の見る限りじゃあ、マイクロマシンだな。霊子体と精神体が統合されたために、周囲のマイクロマシンが、肉体情報を物質として保存したんだ。』
勝手に?
『そう勝手にだな。恐らく肉体情報を保存するように、肉体に保存される前の素の霊子体がマイクロマシンに働きかけたんだろう。』
成程、そいつは都合がいい。
『まったくだ。』
そういうことか。納得する。
理屈はわからない。理屈はわからないが、目で見て実感する。俺の周りには常に数十万人分の肉体が纏わり付いている。
数十万人か。凄い輝きだな。
責任重大だな。
『そうだな。』
「トガリ!」
姉の声に顔を上げる。
姉は体がでかい。普通の大人よりも高いベッドを余裕で越える。
丁度、俺の顔と姉の顔が正面で相対する。
姉を構成する光の粒子が鬱陶しい。そう思った途端に光の粒子が全て消える。
『思考に連動して効力が消える、スイッチのオン、オフみたいなものだ。』
解説どうも。
心配そうな姉の顔が俺を凝視する。
「どうなんだい?大丈夫かい?」
何だかわからないが、安心感が湧いてくる。
「うん。心配してくれて、ありがとう。」
姉がキョトンとする。俺の額に手を当てて呟く。
「気持ち悪いぐらい素直だね。やっぱ、頭から血を流してたからねえ。」
おい。何でそこで、そうなる?
「取りあえず大丈夫なら飯を食うかい?お前、何にも食ってないだろう?」
「そうだね。食べよう。」
俺はベッドから跳び下りると、口に黒い帯を巻き、姉に連れられて、外に出た。
外ではアラネとトドネが心配そうな顔をしている。
試しに右目をオンにする。
色が違う。姉を構成する粒子はオレンジ色だ。体の中心付近は赤く、外側に向かってオレンジのグラデーションを彩っている。
アラネとトドネは青い。中心部付近は黒いぐらいだ。
他のヤート族を見ると黄色だ。オレンジの色味が強いが、黄色だ。
「アー姉ちゃん。トドネ。」
声を掛けると二人とも勢いよく俺の方を振り仰ぐ。瞬間的に体の中心部から、色が赤色へと変わっていく。
「トガリ!」
二人は途端に笑顔になって、俺の方へと走って来る。おいおい。ちゃんと口に黒い布を巻いてないと駄目じゃないか。と思わず心の中で突っ込みながら、俺は納得する。
そうか。肉体を構成する量子と霊子体を構成する霊子の動きが色となって、概念的に見えているのだ。
『まあ当たらずとも遠からずだな。大体の理解としてはそれでいい。』
会って早々から思ってたけど、偉そうだな、お前。
「二人とも心配かけたな。もう大丈夫だから。」
『お前だって、一〇歳にしちゃ偉そうな喋り方だと思うがね。』
駄目だ。混乱する。イズモリは無視しよう。
トドネが俺に抱き付いてくる。トドネの頭を撫でて、飯を食いたいけど、二人とも食べたのかと聞く。
「ううん。トガリが心配で食べてない。」
トドネは可愛い。小っさいしな。四十五歳の俺からしたら娘のようだ。思わず顔が綻んでしまう。
『ああ。確かに娘はいいな。』
混乱するって言ったのに無視か。まあ、こっちも無視するからお互い様だな。
「じゃあ。皆で食べよう。」
二人を食事に誘い、竈に向かう。
「うん!」
トドネが元気よく返事する。
いいなあ。娘。
家の前には、石で組んだ竈があり、竈を囲むように簡単な小屋が建てられている。煮炊きをこの竈でして、飯を食うのは家の中だ。
トネリが薪をくべて、熾火を大きくする。
「トガリ。これ。」
アラネが俺に水を持って来てくれた。
「ありがとう。」
肉厚のコップに口を当てて、中身を溢さないように飲む。この陶器を使うとよくわかる。作陶技術もあまり発達していない。
『文明水準はかなり低いな。』
イズモリが、周りから話しかけられていないタイミングを見計らって話しかけてくる。俺は口元を右手で拭いながら、ああ。そうだな。と心で呟く。
『トガリが今飲んだ水、かなり不衛生だった。』
俺も気付いていた。水の中に様々な色の粒子が見えた。異物が多い証拠だ。
粒子の色で、それが何かは判別できるのか?
『モノによる。俺達の知識、見たことのある量子ならわかるようにはしてあるが、見たこともない量子だったら、例え、それが酸素でもわからない。』
そうか。そうだよな。動物学者でも猫が専門じゃなきゃ、猫の毛だけで猫だと確定できないものな。
『そういうことだ。だから俺達にわからないモノは、マーキングするように設定してある。』
気が利くことをするね。ありがとう。それだけでも助かる。
『ふん。お前は不思議な奴だな。』
何が?
『わりと何でもないことでも礼を言う。』
そうかい?何かして貰ったらお礼を言うもんだろう?
イズモリからの返事はなかった。俺はそんなに変わっているだろうかと首を捻りつつ、竈に中身の入った鍋を掛ける。
「いいよ。トガリは座ってて。」
アラネがお姉さんぶったところを見せる。
微笑ましいなあ。癒されるぜ。
「トガリ。」
本当の姉が俺を呼ぶ。
「こっちおいで。」
俺を手招きしている。傍にはオルラと集落の大人達が集まっていた。
「何?」
姉のもとへ走って行くとオルラが、もう走って大丈夫かい?と心配した。
「うん。もう大丈夫だよ。で、何?」
「昨日の戦利品のことさ。」
姉の後ろには、昨日、持って帰って来た戦利品が綺麗に並べられていた。主な戦利品は、薬、携帯食料、装飾品、武器類、衣類、ロープ、携帯用の調理道具などだ。
「きついときにアレだけど、戦利品の取分けをしときたいのさ。」
姉が、若干、呆れ顔で大人達を見回す。
「すまんね。トガリ。さっきまで具合が悪かったのはわかってるんだけどね。いつまでもコレをこのままにしとくのは不用心でね。」
オルラが申し訳なさそうに戦利品を指さしながら、理由を述べる。
『不用心?』
誰かが、我慢できなくなって戦利品を盗んだりしたら、犯人捜しをしなきゃならないからな。それが嫌なんだろ。
『文明低!』
そう言うな。小さな集合体だ、意思統一できなくなったら直ぐに潰れる。それを避けたいんだろう。
『和をもって、それを尊ぶってヤツだな。』
まあ、戦利品は一晩、このままだったんだから、決して文明が低いとは思えないけどな。と俺は一言添えて、その戦利品を覗き込む。姉の言うには、まず、俺が選ばなければならないとのことだった。
俺が第一の戦功だからだそうだ。
俺はしゃがんだまま、姉を振り仰ぎ、数は?と聞く。
「お前の好きなだけ選べばいい。誰一人、あたしも文句は言わん。」
それじゃあ。と、俺は、まず乾燥させた野菜類と干飯を入れた袋の幾つかを並べられた鞄の一つに詰め込む。薬に手を伸ばすが、イズモリが、それは必要ないと言ったので、その手を空中で止める。
何でいらないんだ?あった方が良いだろう?
『俺達がいるんだ。体の中に入った異物は何であろうと俺達がマイクロマシンで分解してやる。』
成程。ということで空中に止めていた手を別の物に伸ばす。携帯用の調理器具だ。
「随分と食い気に走るねえ。」
姉に言われて、たしかに、と思うが、必要なのだ。
「結構もらっちゃうけど、いいかな?」
俺にそう問われて、姉は顎をしゃくって、返事する。構わないようだ。
登山に使えそうなロープ、ハーケン代わりになりそうな苦無を多めに、コルルを三枚、衣類はいいや。いらない。荷物が多くなりすぎる。
『いやいや。洗濯する時、真っパになるだろう。替えを貰って行こうぜ。』
しょうがねえな。と、いうことで、替えの下着を一枚だけ、と思うが、思い直して、魔法使いの白いローブも貰う。荷物になるが役に立つかもしれない。
あとは武器を見繕う。
先ずは呪符だ。あの魔法使いが持っていた物、呪符からは紙と墨を構成する粒子が確認できたが、白い粒子が収束するように呪符へと流れているのも見て取れた。
『使えるかもしれないから、貰っておけ。』
というのがイズモリの意見だ。
刀に手を伸ばし、鯉口を切って、刀身を少し見る。幾つか見た後、一振りの小太刀に目が留まる。
白い粒子で出来ている。
刀身を抜き放つ。
他の刀は銀色の粒子で出来ていた。それが、この小太刀だけ白い粒子で出来ている。右目を閉じて見る。普通の小太刀だ。
『見っけもんだ。マイクロマシン製だな。貰っとけ。』
当然だ。と答えてホウバタイに括りつける。あとは、火打石と刃物類のメンテに小さな砥石を小さな鞄に入れて終わりだ。
俺はオルラの方に向かって頷いた。
オルラも答えるようにニッコリと微笑んで頷く。次は姉の番だった。
姉も同じように幾つかの戦利品を選び、これで良いとオルラに答える。ヤート族は物に飢えているが、物を分けるとき、意地汚くはならない。自分にとって必要最小限の物しか受け取らない。だから、姉もそれで良いのか?と、聞きたくなってしまうほどしか貰わなかった。どっちかと言うと俺は欲張りすぎだ。
そんなに、文明低くないじゃん。
俺の呼び掛けにイズモリは答えない。バツが悪いのだろう。
『道徳観念は成熟してるな。』
これだよ。文明水準じゃなく、道徳観念だと。
俺と姉は食事をするために仮宿の家へと戻る。オルラはまだ戦利品を受け取っていないので、そのまま残るそうだ。
隣を歩く姉が前を見たまま、呟く。
「何処に行くつもりだい?」
そう。俺達は旅に出るつもりだった。
「先ずは、街へ。」
姉が立ち止まり、怪訝な表情で俺を見る。
「街へ?」
俺は頷き、姉を振り返る。
「俺が生きるために。」
本当の言葉は俺達が帰るためにだ。
俺は直ぐに前を向き、歩き出した。姉は、しばしの間、そこに佇んでいた。




