俺にも名前があったのか
「ようこそ。マサト。」
後ろから声がした。そうだ。俺の名前は正人。
更科正人、四十五歳の俺の名前だ。
俺は振り返る。
そこには、もう一人の俺がいた。
詰まらなさそうに椅子に腰かけた尊大な俺だ。
フレームレスの眼鏡を掛けて、白一色のスーツを着ている。
「まあ、座れよ。」
眼鏡を掛けた俺が、俺に椅子をすすめる。俺は何もなかったはずの空間に椅子があることを前提に座った。
頭を抱える。
「助かる。ある程度は理解しているようだな。」
ああ、理解している。
此処は俺の頭の中で、俺の頭の中には複数の人格が存在しているのだ。
必死で否定した考えが、今、目の前にいる。悪夢だ。
「おい。おい。夢オチは酷いな。全員の期待を裏切るなよ?」
全員?全員だと?一体何人いるんだ?
「それよりも俺も自己紹介しないとな。俺の名前はイズモリ。何森宗太だ。どうだ、同じ頭の中にいるんだ。俺の名前の漢字までわかるか?」
わかる。普通なら読めない苗字だ。
「よし、リンクが強いな。これなら、しばらく話せそうだ。」
ああ。良いだろう。俺もお前には聞きたいことが山盛りある。というか、今さっき、聞くことが山盛り出来たけどな。
「ああ、結構、怒ってるな?ま、いきなり死体に転生して、訳も分からず、異世界で命懸けだからな。」
そんなことじゃない。俺が今、ムカついているのはそんなことじゃない。
「ああ。わかる、わかる。必死に考えたのにな。右手はトガリのモノじゃなかったから、お前を助けた俺達は第三者であって、お前の頭の中にはトガリの記憶とお前だけだって結論に至ったんだよな?で、間違いないと思った。ところが、今、お前の夢の中で、俺が目の前にいる。そのこと、その事実そのものが腹立たしいんだな?」
流石によくわかるな。
「でも、考えてみろよ。これは夢の中で、もしかしたら俺達は遠い所にいて、テレパシーでお前の夢の中に侵入してるかもしれないんだぞ。」
成程。そういう可能性もあるのか?
「事実を確認するには検証が必要だ。俺達が事実だとお前に言っても、そのことを確認する術を持たないお前は、結局、俺達の言うことを信じるしかない。」
そうだな。自分で夢の中の事実を確認精査できるとは思えん。で、さっきから俺達と言っているが、お前以外にもいるのか?それとも俺には見えないだけか?
「お前が認識していないだけだ。実際にはいる。」
わかった。認識できないならいないも同然だな。お前にとっては周りに複数人の俺がいるが、俺にとっての相手はお前だけだ。
「ふむ、話が早そうだ。」
で、実際には何人いる?
「今のところ確認できているのは俺を含めて七人格。トガリの人格は無くなっているから、お前の人格を含めて八人格だな。」
そんなにいるのか?
「問題ないだろ?お前が表出人格で実行権を握ってるんだ。七人って数も良いだろ?俺は七人の悪魔を飼っている的な、厨二病で。」
冗談だろ?七人の多重人格なんて冗談じゃないぞ?
「気にするな。俺達はお前の記憶に残らない形で何らかの行動はできないし、お前から実行権を奪い取ることもできない。お前が譲らなけりゃな。」
何だか、知っている多重人格と違うな?
「多重人格ってのは基本となる一人格が、多大なストレスを受ける環境下で別人格を生み出すんだ。俺達はお前とは完全なる別人格。俺達それぞれもそうだが、他人の人格が一つの肉体に存在している。今はそんな状況だ。」
お前は俺とは別人?
「そうとも言えるし、そうとも言えない。」
歯切れが悪いな。俺にわかるように説明してくれ。
「多元宇宙論はわかるか?」
何となくだが。答えはわかったよ。
「そうか、なら、結論から言おう、俺達は別の宇宙の存在だ。お前も含めてな。」
俺も?
「そうだ。お前の世界で想像できるか?ゴーレムがいて、魔法がある世界なんて。」
どうやって俺達はこっちの世界に来たんだ?
「それについては精査中だ。原因を確定できていない、確定情報も出てない。」
じゃあ。戻る方法も?
「無理だな。どうやって来たのか確定していないのに、帰る方法なんて、わかる訳がない。こっちの世界で生きていく方法を見つけることの方が先だな。」
そうか。例えば俺達が、元の世界に戻った場合、トガリはどうなる?
「死ぬな。肉体的にはしばらく生きているが餓死で終わりだ。まあ、この世界じゃ、その前に埋められて、窒息死が妥当だな。」
そうか…。
「何だ?トガリに情が湧いたか?」
いや、既にトガリと俺はかなりな部分で混じってるからな。何と言ったらいいかわからん。
「いや。その点については俺にもわかる。初めて声を掛けたときにトガリの脳を修復するのに俺達の脳を使ったからな。俺達はこれで結構、混じり合っているからな。」
そう言えば、あの時、第一ふくかん人格って言ってたな?
「そうだ。複数人の人格が俺に統合されて一人格になったからな。だから、俺は第一副幹人格のイズモリってことだ。」
副がいるんだから、主もいるのか?
「お前だよ。主幹人格はお前だ。」
てことは、俺も複数人格の統合体?
「そのとおり。」
本当に何人の俺がいるんだよ。
「さあ、多元宇宙の数だけいると仮定できるし、そうじゃないかもしれない。少なくとも数十万人規模だと推定している。」
なんとも、また、ふざけた数字が出たな。ある程度の確証は持っての数字なんだろうな?
「無論だ。人間を構成するのは、肉体と精神体そして霊子体の三位体だ。肉体は物質世界で実行動、精神体と霊子体の保存を可能にしている。精神体は心を形成して意思決定を行う。霊子体は魂のことだ、純粋な指向性エネルギー体で三位体の維持、行動を保持する。」
何だ?霊子体についての説明が抽象的だな。
「霊子体は難しい、説明がな。人間は生きていくのに食料を摂取するだろう?しかし、実際は、その行為は肉体の維持、保存の行為でしかない。精神体は心だから、物質的な供給は必要ないが、脳の働きと密接に関係しているから、肉体が衰えれば、精神体も衰える。霊子体は純粋なエネルギー体だが、語弊を覚悟で説明すると、根源的な本能活動の促進と物質それ自体の形成を担っている。」
生きたいとか?子孫を残したいとか?
「そうだ。そういう欲求は魂の指向的エネルギーの流れから来ていると考えていい。勿論、脳の、特に大脳辺縁系との密接な関係があるがな。いずれにしろ、精神体と霊子体がなければ肉体は動かない。肉体がなければ精神体と霊子体は保持できない。精神体がなければ暴走するし、霊子体がなければ生ける屍になるって感じだな。」
それと物質の形成ってどういう意味だ?
「分子を構成する原子、原子を構成する素粒子、そういったモノが引き付け合う力の力場を展開する。」
うん。最後ので、一層わからなくなった。
「俺の説明に対して、台無しの一言だな。」
で、話を戻せよ。その精神体と霊子体がなんで数十万人って人数と関係あるんだ?
「ああ、そうだったな。精神体は統合されて、今のところ八人格しか確認できない。肉体については、破棄されたのか、元の世界に置き去りにされたのか、よくはわからない。しかし、霊子体についてはそのエネルギー量が尋常じゃない量にまで膨れ上がってるからな。そこからの推定人数だ。」
おい。今、すごく気になることを言ったぞ。
「やはり、そこに引っ掛るか。」
肉体がどうなったかわからないって結構重要な問題だと思うんだが?その点について、しっかり小一時間掛けて問い詰めたいのだが?
「ほう、さすが四十代、そのネタを振るか。」
いや。ネタのことはいいよ。実際そのあたりのことはどうなんだ?推測でも何でもいいから、教えてくれよ。
「そうだな。お前は表出した第一人格だから物質世界以外のことはわかりづらいだろうからな。」
頼むよ。
「推測から言うと、ある程度はトガリの肉体と重なってるだろう。」
重なってる?
「原子の密度が高まってる、つまり、細胞を構成する原子の数が、例えばだぞ。例えば、通常は五個だとするだろう?」
うん。
「それが、現トガリを構成する細胞の原子は数十万個に増えてるとか?まあ。そんな密度になってれば、トガリの外見は現状を維持できずに、化け物みたいになってるだろうがな。だから、ある程度だな。重なっているとしてもな。まあ、これは、一番、現実的じゃない仮説一だ。」
仮説二は?
「実質、世界の境界を越えて来られたのは、精神体と霊子体だけで、肉体は元の世界に残されてる説。これが一番現実的だな。」
ちょっと待て。さっき、精神体と霊子体が抜ければ餓死するって言ってなかったか?
「言ってたよ。餓死だけじゃなく、事故死の方が確率的には高いだろうけどな。」
仮説三はあるのか?
「仮説三も結構現実的だな、世界を越えることが出来なくて肉体だけが消滅した説だな。」
おい。
「おう。」
おいおい。
「おう。」
現実的な仮説二つが絶望的で、非現実的な仮説が悲観的に聞こえたんだが、俺の聞き間違いか?
「いや。正しく理解してるな。それで、オーケーだ。」
サムズアップしてる場合か?
「ただ、その絶望的な二つの仮説には、反証がある。」
それだ!希望が持てることも言うじゃないか。
「最初にトガリの肉体を修復した時だ。トガリの脳の一部は俺達の物を使用している。」
そうか。肉体が消滅していないってことだな。
「そうだ、トガリの肉体を修復した時点ではな。」
今は、消滅してる?
「そうとは言い切れん。実際、あの時以降は修復作業をしてないからな。何とも言えん。もう一度やれば、まだ肉体は存在していると確認できるがな。」
いや。ワザと痛い目を見るのは勘弁して欲しい。どうせ、欠損とかしなきゃ駄目なんだろ?
「まあな。で、そこから導き出される仮説四は結構、現実的で希望も持てる。」
おお。待ってたよ、そういう仮説を。
「では、満を持して、仮説四を発表する。」
おお。
「仮説四は、肉体を量子情報体としてこの世界に保存している。という説だ。」
…
「やっぱり、意味わからんか?」
わかんない。全然わからん。
「ですよね~。」
だから。ネタはいいって。
「とにかく、この説を証明するには、これから、お前に頑張ってもらわなきゃならん。」
いやその量子情報体についての説明は?
「その説明をするより、これからすることの方が大事なんだ。仮説四を証明する上でも、お前が量子情報体を理解するためにもな。」
うん。わかった。じゃあ何をやればいい?
「まずは、この空間を出て、前と同じ状態、トガリの体を修復した状態にする。そこから、俺の指示を聞いて、俺の言うとおりに体を作り変えるんだ。」
どうやってこの空間から出ればいい?
「イメージだ。この空間から出て行くイメージ。」
やってみる。
目を閉じる。目を閉じても周りの風景が見えている。感覚は目を閉じているが、頭の中なので、目は開いている。今見ている風景を少しずつ絞り込むイメージ。歪めて、徐々に俺から離れていくように絞っていく。
目の前の俺が歪んで距離を取っていく。徐々に歪みながら俺から離れていく。同時に後ろの空間が歪みに耐え切れなくなって、黒い元の空間へと裂けていく。
黒い空間が俺を包み込み、白い空間は徐々に離れて、白い光点へと変貌する。
真っ暗な空間に白い星が一つ。
その白い星が変形して、俺の、一〇歳のトガリの姿になる。
「いいぞ。上手くなったじゃないか。自分のイメージを上手く展開できるようになった。」
姿は見えなくなったが、声は聞こえてくる。
「じゃあ。肉体改造の方をやろうか?」
俺は自分の体を見下ろす。
トガリの体を修復した時は見えなかった自分の体だ。
「まずは脳だ。俺達の脳を使っているから改造もしやすいだろう。」
俺は頷いて、脳をイメージする。
トガリの頭が透けて、脳が描き出される。今回は最初から3DCGの様に精緻な脳が現れる。
「この扁桃体の下、下垂体の奥の部分だな。わかるか?脳の底辺部分だ。」
脳の底辺部分が緑色に点滅する。
「そうだ。ここにまず、霊子回路を作る。」
霊子回路?
「そう。霊子は本来、肉体だけに留まらず、どの空間にでもその力場を展開している。物質には、その力場が圧倒的強度で展開されているから、物質として存在するんだ。物質として存在するから、光子が透過することなく、目に見える。圧倒的力場を展開させるには‘存在する’という指向性のエネルギーを保持しなければならない。だが、指向性を持ったエネルギーを量子に向けると、量子の状態や振動が粒へと確定されて、量子を正確に観測することが出来ない。したがって、霊子の持つ指向性をコントロールする回路が必要になってくるんだ。…つまり、量子情報体を確認するには、霊子回路が必要なんだ!」
最後の部分だけで、よかったんじゃね?
「途中で俺もそう思ったから、端折ったんだよ。」
俺は頷き、どうすればいい?と問いかける。
「作るのは肉体組織からだからな。機械的な物をイメージするな。まずは脳の一部分としての肉の塊をイメージしろ。」
ピンクの色味が強い肌色の肉。豆腐のように柔らかい肉を想像すると、小さな脳が現れる。
細かな毛細血管が走り、表面積を稼ぐために皺が出来る。
「よし。いいぞ。じゃあ。これが設計図。立体模型と言った方が良いか?これをお前の作ったイメージに重ねろ。」
脳の横に3Dのワイヤーフレームが映し出される。形は納まりがいいように厚みの薄い、八角形だ。その八角形の中には青白く、明滅を繰り返す線が何百本も描かれている。
俺は、その立体模型をドラックして、作り出した小さな脳に重ねるようにイメージする。
霊子回路の元となる、小さな脳が、3Dのワイヤーフレームと重なり、形が補正されていく。同時に毛細血管が、八角形の一辺に収束し、傍の太い血管へと伸びる。毛細血管と太い血管の接合が終わった時点で、八角形の全ての側面から、細い神経線維が無数に伸びていく。
伸びる神経線維は脳と延髄へと侵入し、霊子回路が俺と接続される。
「よし。次は右目だ。」
右目?
「そうだ。霊子回路を作っただけじゃ、量子情報体を見ることは出来ない。俺達の部品を使った右目と右耳を量子情報体を認識できる仕様に作り変える。できれば、全身を作り変えたいがな。」
全身を同時に作り変えるのか?
「同時にできるなら、やってくれ。今から設計図を見せる。」
霊子回路が取り付けられた脳から視神経が伸び、元の眼球を覆うように形成する。同時に内耳にも神経を走らせる。その横に別の眼球と内耳の立体が現れる。設計図と言われたが、さっきと同じワイヤーフレームの立体模型のような物だ。
眼球の立体模型には縦横無尽に青い線が走っており、その線はある部分では結合し、ある部分では分岐を繰り返していた。
内耳も同じだ。
眼球と内耳の立体模型を、肉体の眼球と内耳に重ねる。
肉体の眼球と内耳が、立体模型と同じ構造へと変化する。
違和感なく俺の部品に馴染むように目を動かしてみる。
右手もだな。
「ああ右手にかかってくれ。」
脳と右目を中心に全身の立体解剖模型が現れる。
筋肉がばらけて、神経線維が丸見えとなる。
その神経線維に絡まるように霊子回路からの青い神経線維が伸びていく。
右手と爪先だけと言わず、全身を侵食するように伸びていく
「全身にまで伸ばしたのか。」
ああ。その方が、起きたときに違和感がなくなるだろう?
「まあ、確かに左右で感覚の齟齬は出ないだろうな。」
なんだ。奥歯に物が挟まったような言い方だな?
「お前が、気を利かせて、自分でやったんだ。後で俺達を恨むなよ?」
おいおい。気になるじゃないか。一体何があるんだ?
「起きればわかるよ。それと、霊子回路から太めの神経線維を視床下部に接続してくれ。」
わかった。
再度、頭蓋の縫合線から開いて、脳を剝き出しにし、霊子回路の上面から細い神経線維を何本も伸ばし、その繊維を束ねて、視床下部に接続させる。
「よし。これで、いつでも俺達と話ができる。用がある度に此処まで呼び出すのは、面倒だからな。」
それには俺も同意だな。
「じゃあ。やるべきことは全てやった。後は目覚めてくれれば終わりだ。」
わかった。じゃあ。目が覚めるまで、またな。
「ああ。目が覚めても直ぐに、て訳にはいかないだろうがな。」
何を言っているんだと訝しみながら、前回と同様に感覚をつなげた途端にそれは起こった。
全身を貫く激痛だ。
目を開くと、光量の調節が出来ないのか、右目には真っ白な光しか入って来ない。その眩しさが、更に痛みを促進する。
「これか!」
軋む左手で目を抑え、右手で耳を抑える。
入ってくる情報全てが痛みを伴っている。
アラネの俺を心配する声が物理的な痛みとなって、脳に直接ぶつかってくる。
トネリが、俺の肩を掴む。
激痛が走る。
「触るな!」
声を出すだけで、口が、喉が、声帯さえもが痛みに震える。
ベッドに接触している背中が痛くて、横を向く。ベッドと接触すれば、そこから痛みが走る。
痛みに耐えようと歯を食いしばれば、食いしばった歯から痛みが走る。体の表面から痛みが走り、内部からも何かが食い破ろうとしているかのような痛みを感じる。
俺は、それから一時間ほど、のた打ち回り続けた。




