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少年は口を阿呆のように開けたまま、男を見た。
その男は、黒の丈の短い羽織を羽織って、その下に地味な鼠色の着流しを着ていた。そして、その手には、長さ十寸ほどの十手が握られていた。
その十手は、まさに幕府の役人、同心であることを示すものだった。
少年はさらに男の姿を観察した。背丈は高くない。少年と同じぐらいだ。続いて顔の造作をまじまじと見つめた。濃い眉の下に悪を断罪する鋭い目つき。それは堂々と己が正義を物語っていた。少年は少したじろいだ。その目が今、自分のことをどう映しているか、少年にはありありと分かった。それは、一点の曇りなき正義。少年という悪なる存在を許さない。少年は思った。
(僕は何も、悪いことはしていないんだけどなあ……)
しかし、問答無用だった。
「入るぞ」
男は許可などもらう必要などないくせに、断りを入れてきた。少年は男の動作に鍛え上げられたものを感じた。これが、正義のなせる業か。少年は考えてから、バカなことを大げさに考えてしまったものだと思った。
「立ち話もなんだ。座ってもいいか?」
男はまたも許可をもらう前に行動していた。敷きっぱなしになっている布団の横にどっかと腰を下ろし、あぐらをかいた。少年はあまりの図々しさに少しいらっときた。
「お前さんも座りなよ。自分の部屋なんだから」
男の台詞はまるで主客が転倒していた。言われなくても座らせてもらいますよ。少年はそう言いかけてやめた。下手に挑発すれば、何が起こるが分かったものではないからだ。
少年は黙って男の言うままに従った。
「そういうわけだ。お前さんの取り調べを行う」
(どういうわけだよ……)
少年は思ったが、おくびには出さなかった。男は続けた。
「まず、お前さんのことについてだが……、お前さん、人間じゃねえな?」
男が射るような視線を少年に照射した。少年も毅然と睨み返した。一瞬の静寂を破って、朝の鳥が鳴いた。
「何を……根拠に?」
少年ははぐらかすように言った。男の眉間の皺が増えた。
「タレこみがあってな。背中に葉が生えた人間がいると」
男は少年を挑発するように顎を上げて、少年を上から見下ろした。少年は再び腹立たしくなってきた。なぜこんなに偉そうにされなければならないんだ。少年はできるだけ顔に出さず、心の中で抗議した。意味が無いと知っていても、せざるを得なかった。
「精木族。十年以上も前に、最後の夫婦が殺されてから、目撃情報は全くなかった。幕府としても、とっくに絶滅したもんだと思っていたんだがな」
男は続けた。少年は不思議に思った。絶滅? なぜ動物のような表現を使うんだ? だがここで聞くわけにもいかなかった。
「精木族どもはなあ、危険なんだよ。奴らは、占いだとか何とか言って、詐欺まがいの手口で人々から金を巻き上げる」
男は嫌悪感むき出しで語った。
「それだけですか?」
少年は挑発してみることにした。
「は?」
男が露骨に嫌そうな口調で言った。
「本当にそれだけで、僕を殺すんですか?」
少年は訊いた。これはある意味で駆け引きなのだ。ここからの一台詞が、今後の運命を分かつ。
「それだけも何も、精木族ってのは、存在自体が幕府に悪影響なんだよ」
男はうざったそうに吐き捨てた。
「なぜですか? それだけの理由では、殺される側としては納得できません」
少年は続けて詰問した。少年にとっては、せめて納得できる答えがほしかったところなのだ。
「じゃあ教えてやろう。ガキ」
男は急に立ち上がった。そして、少年を指さした。
「お前ら精木族が、幕府の滅亡を予言したからだよ!」
その声はあまりにも大きくて、窓から外へ向かって響いたらしく、外からは「なんだなんだ」「何があった」と町の人々の起きる声が聞こえる。
少年は驚かなかった。どころか、驚かなかった自分に驚いていた。ああ、こんな理由で、差別され、殺されてしまうのか。少年は納得した。正確に言えば、納得でき着ないことを納得したのだった。