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いつも通りというわけにはいかなかった。
木戸の記憶だけを頼りにしたことが間違いであった。俺たちは山奥で迷子になってしまったのだ。
俺はどうしていいのかわからず、あたりをうろうろしていた。そんな俺を見かねたのか、木戸は
「ああ、もう、うっとうしいですね。うろうろしないで下さいよ。」
と苛々しながら言った。
迷子になったのは誰のせいだと、小言を言いたくなったが、余計に怒られるのは嫌なので、黙ってじっとしていることにした。
しばらく木戸が携帯電話と格闘をし、俺が空気がおいしいな、などと思っていると、遠くからなにやら話し声が聞こえた。
木戸もそれに気がついたらしく、二人で声のした方向へ行ってみることにした。
そこには二人組の男がいた。
片方の、背が高い男性は、カメラを持っていた。
もう片方の痩せた若い男が、俺たちに気づいたらしく、話しかけてきた。
「近所の方ですかね。私たちはですね『新現代ミステリー』という、まぁ三流の雑誌なんですけど、その編集者とカメラマンの者なんですが、あぁ僕が坂口というものでして、彼が菊池君です。」
と、早口にまくしたてた。
俺は坂口の口撃に完膚なきまでにやられてしまったが、木戸は平気だったようだ。
「いえ、私たちは有森探偵事務所の者でして、こちらが探偵の有森礼二、私が助手の木戸と申します。ここへは失踪した妻を探してほしいという依頼を受けて来まして。」
と非常に端的に話した。俺は彼女が助手で良かったよ、今ほど強く思うときはなかった。
聞けば、坂口勇平と菊池省吾は、例の噂を聞きつけて、その真偽を取材するために訪れたということだった。
そこで俺たちは目的が同じであるということで、彼らと行動を共にすることにした。
「その噂の場所っていうのはどの辺なんですか?」
私がそう訊くと、坂口が答えた。どうやら坂口と菊池の性格は真逆であるらしい。いまだに菊池の声を聞くことはなかった。
「ちょうどこのあたりですよ。迷ったって言っていましたけど、合っていましたよ。」
「なんだそうなのか。でもそうだとして、こんな場所で失踪なんてあり得ないような気がするよ。人の気配も俺たち以外には感じないし。」
確かに言われてみれば、と坂口は言った。
四人はあたりを見て回ったが、それらしいものは全くと言っていいほど、見つけることができなかった。
俺は坂口が言っていることが正しいかどうか疑心暗鬼になっていた。それほどまでに失踪があったという形跡がなかったのだ。
四人が形跡を見つけることを諦めかけていたとき、唐突にものすごい突風が俺たちを襲った。あまりの風の強さに四人は目をつむり、顔を風上から背けた。
突風はすぐに止み、俺は風上に目を向けた。
「おい、どうなっていやがる。」
俺の言動を不思議に思ったのか、三人も俺と同じ方向を向いた。
木戸は言葉を失っていた。坂口は、こりゃ驚いたなーなどと独り言を大声で言っていた。菊池は相変わらず無口だったものの、写真を撮っていた。
我々四人を一様に驚かせたものは、巨大な扉であった。その扉はゆうに三メートルを超えていた。
しかしながら、驚いたのはその大きさからではなく、そのような巨大な扉が一瞬のうちに現れたからであった。
「こんなもの見たの初めてですよ。いい記事が書けそうです。」
坂口は満足そうに笑っていた。
「もしかしたら失踪した人たちは、この扉の向こうに行ってしまったのではないですか?」
今まで言葉を失っていた木戸はようやく口を開いた。
確かにそれは俺もさっきから思っていた。しかしその真偽を確かにすることはできないと思った。なぜなら、この扉の向こうへ行き、失踪したということであれば、一度扉の向こうへ行ってしまうと、二度と戻って来れないかもしれないのではと思ったからである。
木戸も同じことを思ったようで、俺のほうを見ると辛そうに、
「今回の依頼は断るしかないかもしれないですね。」
と言った。
それを聞いた口は、大丈夫ですよ扉の向こうに行っても、と言った。
「どうしてだい?」
俺は尋ねた。
「お二人は依頼を受けてこちらに来られたので、わからないかもしれないのですが、噂の発信源といいますか、なぜここで失踪があったと分かったのか、わかります?」
いや、わからないな、と俺は答えた。
「それはですね、失踪したと思われた人がここで発見されたからなんですよ。その人に取材しにも行ったんですがね、ここまで来たことやこの巨大な扉を見たことは覚えているんですよ。しかしですね、そのあとの記憶、つまり扉の中に入ってからここで発見されるまでの記憶が、すっきり消えていたんですよ。」
「なるほど。では扉の中から出てくることは不可能ではないと。」
「ええ、記憶は保証できませんが。」
話を聞いたところで、俺の中には、扉の中へ行くという選択肢は出てこなかった。しかし、坂口の話しぶりから察するに、坂口と菊池はおそらく行くだろう。いや、そもそも行くという決心をしたうえで、ここに来たのだろう。
木戸はどうなのだろう。
木戸のほうを見ると、木戸は、
「先生はやはり行きたくないですよね。なんなら私だけでも。」
と言った。
女性にそんなことを言われては、男としてどうだとかということは、俺の心の中には浮かばなかった。
その代わりに、木戸なんかに負けたくない、という薄汚い劣等感は強くなった。
「いや、行くよ。探偵としての職務を全うしなければね。」
そう言った後、俺はちらりと木戸を見ると、木戸はにやりと笑った。見透かされているような気がした。
とにもかくにも四人は、扉の向こうへ行くことになった。
坂口が扉を開いた。
ドアの向こう側には森が広がっていた。まるで鏡に映したようであった。
俺はふぅー、と一息つき、三人の後に続いて扉の中へと入っていった。