12
加藤は腰を下ろしたが、うつむいたままであった。
「それで、彼は何を話したんだ?」
「すべてですよ。今回の殺人事件と須佐村の秘密ですよ。」
木戸はそう言って、ポケットから手帳を取り出した。
加藤を一瞥し、木戸は
「彼は話せないそうなので、代わりに私が話します。」
と言って語り始めた。
俺たちはただ黙って聞いてるしかなかった。いや、木戸の話を聞くことがこの訳のわからない状況を打開する唯一の方法だろう。
だから黙っていることが最善なのである。
「まず、そうですね、菊池さんがなぜ亡くなったのか、ということから始めましょう。彼の遺体をはじめに見たのは先生ですよね?」
「ああ。」
いきなり何故そんな分かりきったことを聞くのだろうと思ったが、口を開く必要はないだろう。
「それ実は違うんですよ。遺体の第一発見者は茜さん、あなたです。」
何だって?
そんな、
「そんなわけありません。私は生きている菊池さんなら確かにこの目で見ました。で、でも遺体は朝になってから初めて見ました。」
「いいえ、あなたは見たんですよ。先生よりも、ここにいる誰よりも最初に菊池さんの遺体を。」
「ま、待ってくれ。」
いきなりなんてこと言い出すんだ。遺体は確かに俺が最初に見たはずだ。そうだ、そのはずなんだ。
実際、茜だって自分で殺したって言ったじゃないか。殺したやつが一番最初に殺されたやつの遺体を見るのは当然のことじゃないか。
木戸は何を言っているんだ。
い、いや待て。木戸の口ぶりからしてそうじゃない。本当に第一発見者として、遺体を最初に見たと言っているんだ。
だが、そんなことはあり得るのか?
「あり得ますよ。」
木戸は俺も心を見透かしているかのように、そう発言した。
「茜さん、死ぬってどういうことか分かります?」
「え?そ、それは。」
ばかばかしい質問だ。何を言ってるんだ。
だがどうしてだろう、茜は口ごもり、自分の足元を見つめている。
死ぬということがどういうことなのかなんて、簡単にわかるだろう。
たとえば動かなくなるとか、心臓が止まるとか。
だが茜は口ごもったままだった。
「分かりませんか?」
「は、はい。分かりません。」
「え?」
俺は小さく叫んでしまった。
「仕方のないことですよ。そうさせたのは加藤です。そう、すべては死の概念を知るために加藤がすべて仕組んだことです。」
俺の頭は完全にこんがらがってはいたが、ただひとつだけ分かることがある。そして今からそれを木戸は話そうとしているのだ。
やはりすべての黒幕は加藤らしい。それは疑いがないようだ。
「で、加藤は何をしたんですか?」
坂口は木戸に訊いた。早く聞きたくて仕方がないといった様子であった。
「ええ、加藤は茜さんから死の概念の話を聞いていくうちに、ある一つの真実を知りました。それは、たとえ死の概念を知っていたとしても、死を理解してはいないことです。」
「それはつまり、死の概念と死それ自体は異なるということですか?」
「そういうことになりますね。死の概念というのは、心臓が止まっているようなことだと捉えていただければいいと思います。というよりも、私たちはそのように理解していると思います。一方で死それ自体については形容は難しいように思います。なぜなら、死というとまず私たちが考えることは、顔が青白くなるとか、動かなくなるといったように死んだ状態のことであって、死自体が何かというのは私たちはあまりわかっていないんですよ。死はこんなに身近にあるというのに。そうだと思いませんか?」
確かにそう言われてみると、俺たちは死自体についてそれほど深く考えたことはないように思う。死を表す言葉は数多あるというのに、である。
死が何かと問われれば、文学的には終わりと言うことができるだろうし、医学的にはそれこそ心臓が止まった状態と表すことが可能であろ。
しかし、それらはあくまで死の概念を表しているにすぎず、死そのものを説明したものではないのだ。
そういったことを木戸は言っているのであろう。
「確かにそう思うが、それが殺人とどう繋がってくるんだ?」
「焦らないでくださいよ先生。茜さんが死自体を知らないと悟った加藤は、せめて死
の概念くらいははっきりと知りたい、と思いました。それで」
「それで殺したって?馬鹿な。」
「だから焦らないでくださいよ。死の概念を知るためには実際に死体を見るのが早いのではないかと考えた加藤は、誰かを殺すことを考えました。しかし加藤には分からなかった。どうしたら人は死ぬのかを。つまり殺し方がわからなかった。そこで茜さんに聞くことにしたのです。そうですね茜さん?」
茜は小さく頷いた。
「加藤が茜さんから聞いた殺し方は様々ありましたが、その中で一番簡単だと加藤が思ったのが毒殺でした。」
そしてそれを実行したというのか。だが疑問がある。この須佐村で人を死に至らしめるような毒があるのだろうか。
「ではその毒はどこから入手したのか。それは簡単ですよ。だってその毒は須佐村中にあるんですから。村人たちが作っていたのは米などの農作物ともう一つあるんですよ。それはべラドンナです。」
「ベラドンナ?」
その名前は聞いたことがあった。しかしそれがなんなのか、俺には分からなかった。
そしてそれは俺だけではなかったようであった。坂口や茜もまたべラドンナのことを知らないようであった。
「ベラドンナはまぁ、見た目は 葉っぱみたいなものなんですけど、食べると最悪死に至るといわれている植物です。またその実にも猛毒が含まれているそうです。」
須佐村ではそのような毒のある植物を栽培していたというわけだ。
そうなると、加藤が菊池殺害のための毒物を手に入れるのは容易であったということになる。
それはいい。だが
「だが、一体何でそんな毒物をつくっていたんだ?」
「わかりませんよ。ただ、べラドンナ自体は本来薬用に使われるものですから、それを作っていたって何ら不思議はないはずです。そうですよね加藤さん?」
俺は、そしてここにいる加藤を除くすべての者は、加藤を見た。
加藤は相変わらずうつむいたままであった。しかし、彼は口を開いた。
「ええ、この村は隔離された村です。薬品なんかそうそう手に入りません。だから私たちの手で薬草を育てるしかなかったんです。そしてそれの一つにべラドンナがあったんです。ただそれだけです。」
たったそれだけのことだったのだ。何も不思議なことは起きていないじゃないか。 何も。
いや、話がそれていて忘れていた。
「毒物はいい。だが重要なことを話していないじゃないか。なぜ茜さんを発見者と言ったのか、その理由がまだじゃないか。」
「そうでしたね。」
俺たちの意識はもう完全に木戸の方を向いていた。そして加藤という存在はすぐさまかき消された。
「先ほど死の概念と死自体が違うと言いましたよね。でも正直言ってそんなものどうでもいいんですよ。だって死んでいるか死んでいないかなんて見ればわかりますからね。」
確かにそうである。
結局のところ死について考えることなんて不毛なのだ。
俺たちが死について考えることなんて、せいぜい死んだかどうかということである。葬式で故人のことを思うことはあっても、死について考える者はまずいないだろう。
そうであるならば、茜が死自体を分からないからと言って、事態を生きているものと誤認するはずがないのではないか。
「先生の考えていることはわかりますよ。」
「え?」
「でも茜さんが知らないのは死自体ではありません。生死の判断なんですよ。この場合、分からなくなったという方が適切でしょうね。」
生死の判断が分からない。そんなことはあるのだろうか。
「それこそが加藤の行った殺人の次に罪深いことですよ。彼は茜さんが死自体を知らないと悟ると、茜さんを混乱させて殺人犯に仕立てようとしました。殺人が罪だというくらいは加藤は分かりますからね。彼は言葉巧みに彼女を混乱させました。もともと彼女自身は、加藤に死について教えるにつれて、死がなんであるか分からなくなっていたようでしたし。それで」
「いや、待て。そんな」
そんなことがあり得るのだろうか。
「あり得ますよ。死なんて曖昧なものです。例えば記憶だってそうですよ。あやふやな記憶について、他人からいや、こうだったと思うぞ、なんて言われて、ああ確かにそうだった、なんていったことあるんじゃないですか?」
「ああ、そんなことは多分にあるよ。」
「そうでしょう。死だって同じことですよ。パラダイムシフトなんかもいい例ですよ。それまで常識と考えられたことがある時全く逆のものになることだってあるんです。死の判断基準が変わったっておかしなことはないと思いますけどね。」
そうかもしれない。
所詮すべては人間が考えたことだ。欠陥品である人間が、なんでもかんでも完璧な答えを出すことなんて不可能なことである。
それに人間は長いものにまかれる性質なのである。人に強くこうだ、と言われれば、ああそうか、と思ってしまってもそれは無理ないことである。
「なるほど。でも腑に落ちないことがあります。なんで茜さんは自分が殺したなんて言ったんです?」
いままで静かに話を聞いていた坂口が言った。
「私にもよくわかりません。ただ加藤が毒を盛ったこと、少なくともこれだけは真実です。推察するに、茜さんが会話を交わした後に、菊池さんは毒が回って亡くなったのでしょう。そういう意味では第一発見者というのは少々言いすぎでしたね。そしてその後菊池さんが亡くなったのを知った茜さんは、彼に最後に会った自分がもしかしたら殺していたのかという錯覚にとらわれたのだと思います。でもそんなわけありません。だって茜さんは毒を盛っていないんですもの。そうですよね、茜さん?」
「そうです。それだけは間違いありません。」
「そして毒を盛りましたね、加藤さん?」
「ええ、間違いないです。」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが晴れ上がったような気がした。
ああ、これですべてが終わったのだな。
それと同時に全身の力が抜けてしまい、膝からがっくりと倒れこんでしまった。




