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それから数時間が経った。
時計は午後二時をまわっていた。
よくよく考えてみると、朝から菊池の遺体を見に行ったり、気絶したりといろいろしていたために、まだ一食も食事をとっていなかったことに気づいた。
しかし、こんな時に食事などしている暇はなかった。
気絶した加藤の様子を木戸に見てもらうことにして、俺たちは俺たちが寝泊まりしている家に行くことにした。
その間茜は下を向き、黙ったままであった。
坂口は、未だに加藤に対して怒っているようであり、何もしゃべらず静かに部屋の隅でじっとしていた。
坂口の気持ちはわかる。
だけど、今の俺には加藤に対して怒る気持ちはなくなってしまっていた。
もちろん加藤の発言は、到底許容できるものではない。それは疑いようがないことである。
しかしながら、今、ここにおいて考えなくてはいけないことは、菊池の死だけである。加藤の異常な感情などに、いちいち反発するほど俺たちに余裕はない。
攻撃すべきは、加藤ではなく茜であるはずだ。
みんなそれを失念している。
俺は話を軌道に戻そうとして、茜に話しかけた。
「さっきは有耶無耶になってしまったのですが、あの話の続きを話してはいただけませんか?」
「え?」
あまりの唐突すぎたか。
茜は不意を突かれた、といったような表情で俺の顔を見た。
「い、いえ、わかりました。話します。」
そう茜が言うと、今まで部屋の端でうずくまっていた坂口は、急にむくっと起きだしてこちらに近づいてきた。その手にはすでにペンと手帳があった。
さすがといえばさすがとしか言いようがないが、いくら記者の鏡のような坂口であったとしても、こんな事態に陥ってしまっては、普通はメモを取るどころか思考停止していてもおかしくはないのだ。
しかし坂口はそうではなかったのだ。
おそらく彼の中でもメモを取るような状況ではないのだろう。だがそれ以上に、真実を究明したいのだろう。おおよそ俺には理解できない類のものだが。
「菊池さんに殺してくれと言われたとき、私はどうしたらいいものか迷ってしまいました。そして自分では判断できないと思い、どなたかに相談しようと思い立ちました。それで、菊池さんにちょっと待っていてください、と言って外に出ると、先生がいました。」
「先生って、俺?」
「はい、そうです。」
一体どういうことだ。茜が俺を見たということは、茜が菊池を殺していないということになるのではないか。
そもそも俺があの空き家に行ったのは、トイレに行く途中に物音を聞いたからだ。それで俺はあの空家に入ったのだが、暗くて何も見えないということで、その場に偶然居合わせた村人に懐中電灯を持ってきてもらい、ようやく中の様子を見ることができるようになった。
物音を聞いてから、空き家の中の様子がはっきり見えるようになるまで、そんなに時間は経っていなかったと思う。せいぜい七、八分くらいであろうか。
その後、俺たちは菊池の遺体を見たのだ。
そう考えると、茜が言っていたことは矛盾しているように思う。というよりも、茜の言っていたことが本当であるならば、俺が体験した事は起こりうるはずがないのだ。
懐中電灯を持ってきてもらうのを待っている間も、扉は開けたままであったし、ほかに空き家に入ることのできる出入り口はない。だから、誰かが中に入ることも、そこで菊池を殺すことも不可能だ。
やはり茜は嘘をついているのだろう。そんなことをするような人ではないと思ってはいたのだが、事実が事実だけに擁護のしようは無いだろう。
「それはおかしいですよ。だって」
俺はそういって、先ほどのことを茜に説明した。
俺は相当な口下手なので茜が理解できたか不安だったが何とか伝わったようであった。
「そう言われましても。先生が嘘をついているなんて少したりとも思ってはいませんが、私が言ったことも事実なんです。」
茜は切実にそう言った。その瞳は嘘をついているようには見えなかった。
「僕にはどちらも嘘を言っているようには思えません。」
今まで静かに俺たちの会話を聞いていた坂口が久々に発言した。
「だけどそれじゃあ矛盾してしまうじゃないか。」
「ええ、ですけど殺したとまで言っている茜さんが、そんなところで嘘をついても何の意味もないと思うんです。それにもちろん有森先生が嘘をつく必要もありませんしね。」
「じゃあ」
じゃあ今起きている事は一体何なのだろうか。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
この問いに答えられるものは誰もいなかった。
「一体どうしたらいいんだ?」
俺は問いのようで、独り言のような声でそうつぶやいた。
どうしようもなくなって、俺たちは黙ってしまっていた。すると、
「その答えはこの人に聞きましょう。」
と、突然茜でもなく坂口でもない声が聞こえた。声のした方、つまり玄関の方を見ると、そこには木戸が立っていた。そしてその木戸の後ろに隠れるように加藤が背を縮めて立っていた。
「この人がすべてを話しましたよ。すべての事実を。」
そう言って木戸と加藤が家の中に入ってきた。




