不吉な雲行き
朝早くセラスの部屋に来訪者があった。
コンコン
セラスはノックの音で目覚めた。
「・・ん・・」
ノックの音に目覚めると窓から眩しい朝日が差し込んでいるのに気付く。
「もう陽が上っている」
いつもはもっと早く起きているのだが昨日の疲れが残って起きるのが遅くなっているのだろう。
「お待ち下さい」
ドアに向かって声をかけ、ベッドから起きると上着を羽織ってドアに向かう。
ドアを少し開けるとレバスが行儀よく待っていた。
「お休みのところ申し訳ありません」
知った顔を見てセラスは表情を崩す。
「どうぞ入って」
レバスが直接部屋にくるなんて珍しい。何か大切な話があるのだろう。
セラスは部屋の中に入いるように手ぶりで示す。だがレバスは中に入ろうとはしない。
「姫様!そのような姿で男性を寝室に招き入れるとははしたのうございます」
「話があるのでしょう?」
レバスは頑なに部屋に入る事を拒んだ。
「昔はよく庭で泥遊びをした後にお風呂にも入れてくれたじゃない」
「姫様も今年で18になります。昔と今は違います。それに他人の目にはどう映るかわからないものでございます」
「話は中で聞くわ、さぁ入って」
セラスはレバスの腕を掴んで強引に部屋に引っ張り込む。
「お、お、お待ち下さい」
廊下にレバスの懇願にも似た叫びが響く。そしてバタンとドアが閉まり廊下はいつものような静けさを取り戻した。
もし、レバスの言うように他人が見ていたら、かなり奇妙に映るだろう。嫌がる男性を無理矢理部屋に引きずり込むお姫様。
国民はそんな光景は見たくないに違いないだろう。
幸いな事に誰にも見咎められなかったのだが・・・
レバスは部屋に入るなり本題そっちのけで説教を始めた。
「いいですか?姫様はもう子供ではないのですよ。一国の王女としての・・」
うんざりしてため息をついた。だが、セラスは妙案を思い付き悪戯っぽい顔をした。
「レバスは私を襲うの?」
「は?いえ、そのような事は決して・・」
セラスの思いがけない言葉にハトが豆鉄砲くらった顔になる。
「それなら問題はないでしょう。私もレバスを信頼できる家族だと思っているわ」
セラスは真顔でそう言い切った。
「なっ!」
さすがの外交のプロもこう言われては言葉を呑み込むしかなかった。
話し合いにおいて話術は大切だが時として誠意や率直な気持ちが勝る場合もある。
「それで話と言うのは?」
まだ、納得してはいないレバスだが、渋々話を切り出す。
「実は天の子の事です」
レバスの表情が真剣なものに変わる。
「タケル様の?」
「はい、昨日、目覚めてから何も召し上がらないのです。傷が塞がる早さも尋常ではない天の子の事。もしかすれば食べないでも動けるものかとも考えましたが、それにしては様子がおかしいのです。やはり精神的なショックがあると・・」
「わかった。直ぐに向かいましょう」
★★★
コンコン
ドアをノックをしても反応が返ってこない。
レバスと顔を見合わせるとレバスは静かに頷く。
ガチャリとドアを少し開けて中を覗く。
タケルはベッドから身体を起こして窓の外を眺めている。
レバスに外で待っているように指示して中に入った。
「失礼します」
セラスが部屋に足を踏み入れても全く見向きもしない。心ここに在らずといった感じだ。
「あの・・調子はどうですか?」
タケルがセラスの方を向く。
「あっ・・」
どうやら声をかけられるまでセラスに気付いてなかった様子だ。
「食事をお召し上がりにならないと聞きました」
「・・・」
タケルはため息をついて黙って窓の外を眺めた。
「あの山はなんという山かな?」
タケルが眺めている方向をセラスも眼をやった。
遠くに山が見える。アリシア王国の国境沿いにある山だ。
「カスライ山です」
「そうか、カステライ山というのか。故郷の山に似ている。父上と何度もウサギ狩りをした事を思い出す」
タケルはどこか淋しそうに思い出を懐かしみ窓の外を眺めている。
セラスはすぐに声をかけようとしたのだが、躊躇った。自分がこの世界に連れてきた事が原因なのだ。後ろめたさから励ましの言葉をかけられない。
「私がこの世界に連れて来たばかりに・・」
セラスが申し訳ないように小さく呟く。
「馬鹿をいうな。セラスのせいじゃない。結果的に故郷に帰れないは事実だが、あの時助けてくれなければ今の俺はない」
そう言われてもセラスはまだ気に病んでいる様子だった。
「仮に運よく生き延びていたとしても故郷は東軍に支配されて帰れないのには違いない。そう気にしないでくれ」
「・・ええ」
気まずくなったタケルは話題を変えようとした。「それよりもここに連れて来た訳を聞かせてくれ。確かこの世界を救うとか言っていたな。俺にそんな力があるかわからんが父上には恩には恩で返すのが武士道と教えられている」
「武士道・・ですか。わかりました。お話しましょう」
セラスは顔を上げて淡々と語り始めた。
「このユーク大陸に古くから伝わる伝承です。『世界が混沌に陥った時、異世界への扉を開けて天の子を迎え入れよ。始めはその力を持って不浄なものを焼き尽くすだろう。その後、天の子は世界を再生し、悠久の平和が訪れるだろう』過去にも何度か天の子をこの国に召喚しています。その度に世界を窮地から救い出したと古い書物に書き記されています」
タケルはその話を聞き終わり長い沈黙の後、感想を述べた。
「天の子か・・俺の国では天王を神として崇め武士として仕えている。まったく的外れでもないな。だが、それなら誰を連れてきても天の子になるな」
セラスは誰でも良かったとは思ってない。タケルだからこそ連れてきたのだ。
「そんなことはありません!あの戦いを見て私は直感しました。あなたが天の子だと!それにあれだけの怪我が一晩で塞がっているのが証拠です!」
タケルはその激しい口調に気圧されている。
「姫様、何事です?」
外で待っていたレバスがドアを開けて入ってきた。
「あっ・その・・いえ、なんでもありません。取り乱して申し訳ありません」
感情的になったことを恥ずかしく思っているのか顔を赤くして小さくなった。
タケルは驚いていた。自分の聞き間違いでなければ――
「今【姫】と言いましたか?」
レバスはこちらを向いて丁重に答える。
「はい、こちらの方はアリシア王国の王女、セラス様でございます」
「王女?」
タケルは何かの間違えではないかと思いセラスの顔を見た。
「はい、天の子の召喚には代々国の王女が迎えに行くのがしきたりになっています」
セラスは屈託のない笑顔で応える。
タケルは眼を見開いたまま、きょとんとセラスを見て固まる。
「申し上げていませんでしたか?」
タケルは驚愕した。ベッドから起き上がり身を正して平伏した。
「申し訳ありません。王女様とはつゆ知らずにとんだご無礼を・・」
頭を下げられたセラスはあたふたと困惑する。
「お顔を上げて下さい。天の子にそのように頭を下げられては困ります」
「自分はただの辺境領主の息子、天の子などではありません。その領地すら守れなかった敗残兵です」
セラスが強く反論しようとしたがレバスが制して割って入る。
「タケル様はまだこちらについて間もないのです。大怪我をしていた事もあり、情報を整理しきれてない部分もあるでしょう」
レバスは落ち着き払った態度で二人の間を取り持つ。
「申し遅れました。わたくし、アリシア王国の大臣をしています。レバスと申します。以後、お見知りおきを・・」
レバスは笑顔を作り丁重なおじぎをする。
「私の名はタケル、元の世界では西軍の武将をしていた。窮地を救って頂き、なんとお礼を言っていいやら」
タケルも丁重に挨拶を返す。
「とりあえず、タケル様は怪我人なのですから楽にして下さい。怪我人にひざまづかれるとこちらも話にくいのです」
「これは申し訳ない」
タケルが言われた通りに足を崩すとレバスが唐突に本題を切り出す。
「姫様はどこまでお話をしましたか?」
セラスはレバスに後の説明を任せる事にした。話し合いにおいては彼の方が長けている。
「伝承について少しばかり・・」
「わかりました」
レバスはニッコリとした笑顔で頷いた。笑顔は人を安心させる。相手に不快感を与えないようにわざとやっているのだろう、普段から交渉などに慣れているのだろう。
「少し長い話になりますが私がご説明しましょう」
レバスは咳ばらいをして話し始めた。