アリシア王国
「うっうぅぅっ・・」
ベッドで寝ているタケルが急にうなされ始めた。
「大丈夫ですか」
看病していたセラスが椅子から立ち上がって肩を揺する。
「うわぁっ」
タケルはバッと起き上がり、セラスの腕を強く握った。
タケルは焦点の定まらない眼で荒々しく肩で呼吸している。
「痛い・・離して」
娘の怯えるような声を聞いてタケルは我に返る。
「ハッ・・」
慌てて握っていた手を離す。
「す、すまない」
悪夢から目覚め徐々に頭が冴えてくると戦の出来事が思い出された。
東軍と西軍の争いに敗れ、大切な仲間を殺され、領地を蹂躙され、城を焼かれ、父上まで失った。
もはや、帰る場所もない。全てを失ったのだ。タケルは思い出して改めてショックを受けた。
「あの・・傷が痛むのですか?」
辛そうに俯いているタケルを気遣ってセラスが声をかける。
ん?どこか聞き覚えのある声。
タケルは顔を上げて娘の顔を不思議そうに眺めた。
歳は18前後か?透き通るような光沢のある金色の毛に吸い込まれるような青い瞳。
でも、南蛮人に知り合いはいない。
「どうかなさいました?」
思い出した!敗残兵狩りで危ういところで出会った娘だ。
確か名前は――
「セラス」
「はい」
セラスはキョトンとした顔で返事をした。やはり間違いない。
タケルはベッドから身を起こして頭を下げる。
「危うい所を助けて頂き、感謝する」
「今は寝ていなきゃダメです!」
起き上がって頭を下げるタケルをベッドに寝かしつける。
そこで奇妙な違和感を感じた。
タケルは死んでもおかしくないくらいの大怪我をしていたはずだが不思議と痛みを感じない。
そっと傷口に手を当てて首を傾げる。
「セラスが傷の手当てをしてくれたのか?」
タケルは包帯を除けば裸同然の自分の上半身を眺めている。
「えっ?は、はい、緊急でしたので防具は勝手に脱がさせてもらいました」
セラスは少し顔をそらして赤くなっている。だが、そんな事は気にも止めずタケルは質問をした。
「俺はどのくらい寝ていた」
「はい、えーと、8時間くらいだと・・」
タケルは傷口に巻かれている包帯をゆっくりと解き始めた。パリパリと音をたて乾いた血のついた包帯が下に落ちていく。
「何をなさっているのですか!お止め下さい」
セラスは慌てて制止しようとしたが、タケルの手は止めずに包帯を解き続けている。
包帯が取り除かれて肌があらわになっていく。
だが、あるはずの傷が――
「ない。完治している」
タケルは傷痕を指でなぞってみる。
セラスは驚愕のあまり手を口に当てて目を見張った。
「一体どのような薬を使えばこんなに早く治るのだ?」
セラスは声を失っていたが首をブンブンと横に振る。
「私は何も・・」
遅れてその一言を付け加える。
「それにやたらと身体が軽い気がする」
タケルは手を開いたり閉じたりしている。
「ここは天国か?」
「いえ、ユーク大陸南のアリシア王国です」
「ユーク大陸?アリシア王国?南蛮か?」
タケルは訝しげな顔になって首を傾げた。
「いえ、違います。あなた様のいらした世界とは別世界です。急を要する事態だったので説明する時間が・・」
タケルは驚いてセラスをまじまじと見つめた。
「もう故郷には帰れないのか?」
「あっ・・一度召喚の儀式を執り行えば百年以上はゲートを開けれません」
伝承では万能な救世主とも言われる天の子が落胆している様子にセラスは戸惑った。
「つまり、帰れないのか・・」
「はい、すみません」
セラスは嘘をついてはいないのはわかっていたが、その話を事実として呑み込む事はタケルには出来なかった。
「少しだけ気持ちの整理をしたい。一人にさせてくれ」
「わかりました」
そういって頭を下げて部屋を後にした。
部屋のドアを閉める時にチラリとタケルの様子を見たが、身じろぎもせずただ虚空を眺めていた。
部屋のドアを静かに閉めると目の前に初老の男が立っていた。
「どういたしました?顔色があまりすぐれないようですが・・」
「ああ、レバスか・・」
この初老の男レバスは外交なども手掛けているアリシア王国の大臣だ。そのせいか、僅かな気の沈みも察知する洞察力を持っている。
「私で良ければ相談に乗りますぞ」
レバスはセラスが小さな頃からの付き合いで気安く話し相手になってくれる仲だ。
セラスは頷いてレバスと近くのサロンへ足を運ぶ。
侍女に紅茶を運ばせ、それを口につけながら話しを始めた。
「実は・・」
一通りの話しを聞き終えてレバスは紅茶の入ったカップを机に置いた。
「その様な事が・・」
「ええ、レバスはどうしたらいいと思う?」
「しばらくはそっとしておくしかないでしょう」
セラスはしばらく考える仕草をした後、別の質問をした。
「そちらの状況はどうなってます?」
「ユトニア王国から再三の縁談の返答を催促されています。なんとか引き延ばしていますが・・・」
「あれは縁談の申し込みではない!アリシア王国を吸収合併しようとしているのよ」
セラスは立ち上がり声を荒げて両手で机を叩いた。衝撃で机のカップがカタカタと音をたて紅茶が波立つ。
「わかっております」
レバスはやんわりとした口調で答えて頭を下げる。
「ごめんなさい」
セラスは怒鳴った事を謝罪して不機嫌そうに椅子に座った。
コンコン
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
一人の兵士がドアを開けて中に入ってきた。
「姫様、こちらにいらしたのですね。国王陛下が御呼びです」
セラスは表面だけは何事もなかったように対応する。
「ご苦労様。直ぐに向かいます」
兵士が部屋から下がるとレバスがセラスを見た。セラスは少し困ったような顔をしている。
「勝手に天の子を捜しに出たことですね。無事に天の子を連れて帰ったけど・・」
レバスは首を振った。
「怒っていらっしゃると思いますよ」
「でしょうね」
セラスは深いため息をついて重い腰を上げた。歩き出したセラスの背中がどことなく沈んでいる。
「私もお供します」
レバスがニコニコしてついて来た。
「レバス、私が叱られるのが嬉しいの?」
顔をしかめて尋ねる。
「いえ、そのような事は・・ただ・・」
「【ただ】なによ?」
「昔を思い出しました。花壇で泥遊びをした事が陛下にバレた時と後ろ姿が似ていたもので・・」
「泥遊びをしていたのは私がまだ5、6歳の頃じゃない。恥ずかしいからそんな昔話はやめてよね」
「この歳になると変わらぬものがある事が嬉しく思う時があるのです。さぁ陛下のもとへ参りましょう」
セラスは国王の居る謁見の間に着くと慣わし通り、膝を折った。その後に続いてレバスも膝を折る。
「御呼びでしょうか?」
「うむ、顔を上げよ」
少し高い位置にあるきらびやかな装飾がされた王座に国王は険しい顔で座っている。
「何故呼ばれたのかわかっておるな?独断で異世界に行った件だ」
国王の眼には威厳、声には貫禄をひしひしと感じさせる。
このまま雰囲気に呑まれてはいけないと思い、強く自分の意見を主張する。
「アリシア王国を救うには!国民を救うにはそれしかないと思い・・」
「知った口を利くな!」
国王が鋭い目つきで怒鳴りつけた。だがセラスも負けじとキッと顔を引き締めて、国王を視線を受ける。
両者の間でバチバチと火花が散っている。一触即発の空気がながれる。
「勝手な行動が時としては周りに迷惑をかけるという事がわからんのか!」
「父上が許可してくれないからです!」
「ぬぅっ・・そうか、反省もしていないという訳だな。よかろう。お前には三ヶ月間の独房入りを命じる」
レバスがこの状況を見かねてセラスを庇うように割って入った。
「陛下、それはあまりに厳しすぎる処罰です。姫様は真に国民を第一に考えての行動です。責任があるとするなら私の監督不行き届きにあります。どのような罰でも私が・・」
「レバス!」
セラスは慌てて止めようと叫んだ。
国王は片方の眉をピクリとあげてレバスを見た。
レバスは落ち着いた様子で国王の返事を静かに待っている。
「お主がそうやって甘やかすからこいつが付け上がる。命令系統の重要性がわからん事はあるまい?」
「わかっております。しかし、天の子を連れ帰った功績もお考え下さい」
国王はしばらくの間、黙っていたが軽くため息をついた。
「わかった。この度の件は不問にいたそう」
「ありがとうございます」
レバスは深く頭を下げた。
「それで天の子はどうしておる?」
「怪我の方は問題ないのですが精神的にショックを受けていられるご様子です」
「そうか・・もうよい、下がれ」
セラスとレバスは一礼して謁見の間から退室した。
「姫様、陛下は姫様を愛しているのですよ。だから危ない事はさせたくないのです。今は強がっていますが姫様が勝手に異世界に行った時はそれはもう大変心配なさっていました」
「ええ、わかっているわ。私も父上の事は愛しているわよ。でも王家は国民の為に尽くす義務があるの」
父を慕う娘、娘を思う父。どちらも大切に思っているのにどうしてこう上手くいかないのだろう。
レバスは心の中でそうぼやいた。
「それよりレバス・・」
セラスの目つきが少し問い詰めるようなものに変わった。
「私は子供じゃないのだから自分がした事の責任くらい自分で負えるわ」
「姫様がご立派に成長しているのは私がよく存じています。しかし私にとって姫様はいつまで経っても姫様です」
「はぁ・・」
セラスはげんなりして、ため息をついた。