無能だと婚約破棄された聖女ですが、私が維持していたのは「結界」ではなく「大陸の重力」でした〜今さら戻ってきてと言われても、皆さんはもう宇宙の彼方ですよね?〜
プロローグ:あまりに軽い、別れの言葉
「リーゼロッテ、君との婚約を破棄する。……というか、このパーティーから出て行ってくれ」
王都の豪華な夜会。シャンデリアの光が突き刺さるような静寂の中、第一王子・カイルが冷酷に言い放った。
彼の隣には、新しく「真の聖女」として見出されたという、ふわふわした桃色の髪の少女・マイが寄り添っている。
「……理由を伺っても?」
私は静かに問い返した。
私の役割は、この国の守護聖女。
物心ついた時から、代々受け継がれてきた『重力制御』の魔力を、ただひたすらに大地へと注ぎ込み続けてきた。
「理由は明白だ。君の魔法は『地味』すぎる。マイは違うぞ、彼女は手をかざすだけで花を咲かせ、人々の傷を癒やす。それに比べて君はどうだ? 四六時中、地面に向かってブツブツと祈るだけ。挙句、最近は体が重いだの、肩が凝るだの……そんな不平不満ばかり。もう限界なんだよ」
カイル王子は鼻で笑った。
マイと呼ばれた少女も、勝ち誇ったような笑みを浮かべて私を見る。
「そうですよぉ、リーゼロッテお姉様。もうお疲れでしょう? あとは私が『癒やし』でこの国を包み込みますから。お姉様はどこか遠く……そうですね、地の果てにでも行って、ゆっくり休んでください」
「……地の果て、ですか」
私は俯いた。
彼らは分かっていない。
この世界——『浮遊大陸アルカディア』が、なぜ数千年も空に留まり、なぜ人々が地面から剥がれずに生活できているのか。
それは、歴代の聖女がその身を削り、大陸全体に「下方向への力」を固定し続けてきたからだ。
私の肩が重いのは、この大陸に住む数百万人の命と、莫大な土壌の質量を一人で繋ぎ止めているから。
「分かりました。そこまでおっしゃるなら、私は身を引きます。……ただ、一つだけ警告を。私の魔力が完全に霧散するまで、およそ一時間。それまでに、しっかりと『足場』を固めておくことをお勧めします」
「ハッ、脅しのつもりか? さっさと行け、無能女!」
カイル王子の罵声を背に、私は夜会の会場を後にした。
足取りは驚くほど軽い。
十数年ぶりに、私の魔力を大陸へ流すのを止めたのだから。
第二部:ふわふわと、浮き立つ世界
王宮の夜会は、私の追放劇という最高のアトラクションを終え、最高潮の盛り上がりを見せていた。
カイル王子は新しい聖女マイの腰を抱き、優雅にダンスを踊っている。
「いやあ、せいせいした。あんな暗い女の顔を毎日見なくて済むと思うと、酒が旨いよ」
「カイル様ぁ、もう……お姉様も、あんなに怖がらなくてもいいのに。あ、見てください、シャンデリアがなんだかいつもよりキラキラして見えませんか?」
マイが指差した先。
巨大なクリスタルの装飾が、カチ、カチと不自然な音を立てて揺れていた。
「……? 風もないのに、妙だな」
カイルが眉をひそめた、その時だった。
テーブルの上に置かれたワイングラス。そこから、ルビー色の液体が一粒、また一粒と、「上」に向かって昇り始めた。
「えっ……? ワインが、こぼれて……ない?」
「おい、何だこれは。手品か?」
ざわめきが広がる。
次の瞬間、決定的な異変が起きた。
給仕をしていた侍従が、お盆を落としたのだ。
しかし、銀のお盆は床に叩きつけられることなく、ゆっくりと、まるで羽毛のように宙を舞った。
「あ、浮いて……」
誰かが呟いた直後、凄まじい「違和感」が全員を襲った。
胃の腑がせり上がるような、激しい乗り物酔い。
そして、自分の体が綿菓子のように軽くなっていく感覚。
「な、なんだ!? 足に力が入らな……うわああああっ!?」
カイル王子が叫んだ。
一歩踏み出そうとした彼の体は、そのまま天井に向かって「落下」した。
そう、床ではなく、天井に向かって。
「きゃあああああ! 助けて、カイル様! 私、浮いてる、浮いてるわぁ!」
マイもまた、ふわりとドレスを翻して宙に浮いた。
彼女の持つ「癒やしの魔法」では、この現象を止めることはできない。なぜなら、これは怪我でも病でもなく、物理的な法則の崩壊なのだから。
その頃、私は王都の門を出て、隣国へ続く「降下階段」を歩いていた。
足取りは羽よりも軽い。というより、意識して魔力を自分にかけなければ、私も空へ飛んでいってしまいそうだ。
「ふぅ……。やっぱり、もう限界だったのね」
振り返れば、大陸アルカディアが夕闇の中でぼんやりと光って見えた。
高度数千メートル。
本来、この大陸は「浮力」が「重力」を上回っているからこそ浮いている。
私はその過剰な浮力を、無理やり力ずくで相殺していたに過ぎない。
「リーゼロッテ様!」
後ろから声をかけてきたのは、近衛騎士団を辞職してきたばかりの青年、アルヴィンだった。
彼は唯一、私の仕事の過酷さを理解してくれていた理解者だ。
「……アルヴィン? あなた、王宮にいたんじゃ……」
「あんなバカげた夜会、付き合ってられませんよ。それよりリーゼロッテ様、これを見てください」
彼が指差した王都の方角。
そこには、城の尖塔や民家の屋根が、バラバラと崩れながら**『空へと落ちていく』**光景があった。
「リーゼロッテ様が重力固定を解いた。……つまり、この大陸はもう、星の引力を振り切って宇宙へ飛んでいく『船』になったということですね?」
「ええ。あと三十分もすれば、気圧も酸素も保てなくなるわ。……私を捨てた人たちは、今頃、綺麗な星空を間近で眺めているんじゃないかしら」
私は冷淡に、けれどどこか晴れやかな気持ちで笑った。
第三部:空の果て、酸欠のワルツ
王宮の舞踏会場は、もはや地獄絵図だった。
重力が消失した空間では、豪華なシャンデリアも、大理石の柱も、そして着飾った貴族たちも、すべてが「上」へと向かって落ちていく。
「ぎゃあああ! 離せ、離せマイ! 重いんだよお前!」
「ひどいっ、カイル様! 私を掴んでいてください、死んじゃう、死んじゃいますぅ!」
カイル王子とマイは、天井の装飾に必死にしがみついていた。
だが、彼らがしがみついている天井自体が、ミシミシと音を立てて剥がれ始めている。この大陸アルカディアを繋ぎ止めていたのは、リーゼロッテが地面に打ち込んでいた「重力の楔」だったのだ。それが抜けた今、大地そのものがバラバラに砕け、宇宙へと霧散しようとしていた。
「おい! 魔法騎士団は何をしている! 早く重力を元に戻せ!」
「……む、無理です、王子! そもそも我々の魔力は『属性』を操るもの。物理法則そのものを書き換えていた聖女様の術とは、規模が違いすぎる……!」
騎士団長が涙目で叫ぶ。彼は今、空中に浮いた甲冑の中で、まるでもがく亀のように手足をバタつかせていた。
「は、はあ……はあ……なんだか、息が……苦しい……」
マイが顔を青ざめさせて喘いだ。
それもそのはずだ。重力がなくなれば、空気もまた大陸に留まる理由を失う。
薄くなっていく酸素。急激に下がる気温。
窓の外を見れば、かつて自分たちが支配していた美しい下界の景色が、豆粒のように小さくなっていた。
「……リーゼロッテ。あいつ、あいつを連れ戻せ! 今すぐにだ!」
「もう遅いですわ、王子。……彼女は、あの『降下階段』を下りていきました」
震える声で告げたのは、一人の老魔術師だった。
「降下階段。あんな、地の底へ続く忌まわしい場所にか!?」
「ええ。彼女が重力を維持していたからこそ、我々はこの高度で生きていられた。彼女がいなければ、ここはただの**『死の高度』**なのです」
その頃、私とアルヴィンは、数千年もの間封印されていた「地上への道」——長い長い螺旋階段を下りていた。
一段下りるごとに、私の体から魔力が抜けていくのがわかる。
今まで大陸を支えていた反動で、私の体はボロボロのはずだった。けれど、一歩踏み出すたびに、不思議と活力が湧いてくる。
「リーゼロッテ様、顔色が良くなりましたね」
アルヴィンが、私の手を取ってエスコートしてくれる。
「……ええ。皮肉なものね。大陸を支える使命を捨てた瞬間に、私はただの『女の子』に戻れた気がするわ」
階段の隙間から、上空を見上げる。
そこには、キラキラと輝く星屑のようなものが舞っていた。
……いいえ、あれは星じゃない。
大陸アルカディアから剥がれ落ちた、瓦礫や、贅沢品や、そして——自分たちを特権階級だと信じて疑わなかった人々だ。
「アルヴィン、見て。綺麗ね」
「ええ、最高の花火ですね。追放祝いにはぴったりだ」
私たちは一度も振り返ることなく、緑豊かな「本物の大地」へと足を踏み入れた。
第四部:地の果ては、約束の楽園
「……ここが、下界?」
螺旋階段の終着点。重厚な石の扉を押し開けた私を待っていたのは、禍々しい魔獣の群れ……ではなく、むせるような緑の香りと、生命力に満ちた広大な大地でした。
「リーゼロッテ様、見てください。空が……あんなに高い」
アルヴィンが感嘆の声を漏らします。
見上げれば、遥か上空に、私たちが捨ててきた「アルカディア」が小さな塵のように浮いていました。それはもはや、一つの大陸というより、崩れゆく巨大な岩塊。
かつてアルカディアの伝承では、下界は「汚れた魔獣の棲む地獄」だと教えられてきました。
けれど、実際に足をついてみればどうでしょう。
「……ふふ。嘘ばっかり」
地面はしっかりと私を支えてくれます。私が魔力を注がなくても、この星そのものが持つ大きな力が、私を優しく抱きしめてくれる。
私はただ、自分の体重を感じるだけでいい。その当たり前のことが、涙が出るほど愛おしい。
「グオォォォ……!」
茂みの奥から、巨大な銀狼——下界の魔獣が現れました。
アルヴィンが即座に剣を抜こうとしましたが、私はそれを手で制します。
「大丈夫よ、アルヴィン。……彼らはただ、驚いているだけ」
私はそっと、銀狼の鼻先に手を触れました。
これまで大陸全土の質量を制御してきた私の魔力は、この地上の生き物たちにとっては、まるでお母さんのような懐かしく、絶対的な力として伝わったようです。
銀狼は小さく喉を鳴らすと、私の手のひらに頭を擦り付け、伏せをしました。
「……伝説の魔獣が、まるで飼い犬のようだ。リーゼロッテ様、あなたは本当に……」
「いいえ、私が凄かったんじゃないわ。上の人たちが、この豊かさを忘れて、自分たちだけで閉じこもっていただけなのよ」
一方、その頃。
「落下」し続けるアルカディア大陸の王宮では、酸欠と極寒、そして無重力の恐怖が頂点に達していました。
「ゲホッ、ガハッ! マイ、お前の『癒やし』で空気を……空気をなんとかしろ!」
「無理ですぅ! 魔法を使う……力が……出ない……っ」
マイの「花を咲かせる魔法」など、生物が生きるための根本的な環境が崩壊した場所では無力でした。
カイル王子は、剥がれかけた玉座の脚にしがみつきながら、真っ青な顔で空を仰ぎます。
「……あ、ああ……」
彼の視線の先。
崩落していく大陸の隙間から、これまで「ゴミ捨て場」と蔑んでいた下界の景色が見えました。
そこには、自分たちが捨てたはずの「無能な聖女」が、美しい騎士と、穏やかな魔獣に囲まれ、太陽の光を浴びて微笑んでいる姿があったのです。
「リーゼロッテ……! 戻れ、戻ってこい! 命令だ! お前がいなければ、ここは、ただの死の檻だ……!」
しかし、彼の叫びは真空に近い大気に消え、誰にも届きません。
重力を失った大陸は、慣性のままに加速し、青い空を超えて、星の引力が届かない暗黒の領域(宇宙)へと吸い込まれていくのでした。
「さようなら、カイル様。……あちらで、ゆっくりと『癒やされて』くださいね」
第五部:宇宙からの悲鳴、地上の楽園
地上での生活が始まって一ヶ月。
そこは「魔獣の巣窟」などではなく、手付かずの資源が眠る宝物庫だった。
私の『重力制御』は、今や大陸を支えるだけの苦行ではない。
巨大な岩を持ち上げて城壁を築き、地層に圧力をかけて一瞬で良質な井戸を掘り、重力波で土壌を耕す。アルヴィンの剣術と私の魔法があれば、この未開の地は瞬く間に、アルカディアを凌ぐ豊かな「聖域」へと姿を変えていった。
「リーゼロッテ様、収穫祭の準備が整った。地上の果実は、空のものよりずっと甘いぞ」
アルヴィンが、もぎたての果実を差し出す。
二人で笑い合っていた、その時だった。
空の一角、どす黒い闇が渦巻く上空から、か細い光の糸が降ってきた。
それは、アルカディア王宮に伝わる「緊急通信魔法」の残滓。
『……っ、あ……聞こえるか……! リーゼロッテ! 頼む、答えてくれ!』
空中に浮かび上がったのは、ボロボロになったカイル王子のホログラムだった。
かつての美貌は見る影もない。顔は土気色で、酸素欠乏のせいか目は充血し、豪華だった衣装は無重力で振り回されたのかボロ布のようだ。
『助けてくれ……! 寒くて、息ができなくて……もう半分以上の貴族が、空の彼方へ飛んでいってしまった……! マイも、マイも狂ってしまったんだ! 花を咲かせるどころか、自分の髪を引き抜いて……!』
画面の端には、虚ろな目で宙を掻きむしるマイの姿が映り込んでいた。
植物すら育たない極寒と真空。彼女の「癒やしの魔法」は、自分一人の体温を維持するだけで精一杯のようだった。
『リーゼロッテ、お前が必要なんだ! お前さえ、お前さえ重力を戻してくれれば、我々はまた地上へ降りられる! 婚約破棄は取り消してやる! お前を「正妃」にしてやるから、今すぐ——』
「お断りするわ」
私は冷たく、けれど慈悲深く言い放った。
「カイル様。私は今、自分の体重を支えて歩くことの素晴らしさを知ったの。誰かの傲慢を支えるために、私の人生をすり減らすのは、もうお終いよ」
『な、なんだと!? 見捨てるのか、この私を! 王子である私を!』
「王子? ……ふふ。重力のない場所に、上下関係なんてあるのかしら? 皆さん、仲良く浮いていればよろしいでしょう」
私が指をパチンと鳴らすと、通信の術式を構成する魔力に「重圧」をかけた。
物理的な重さではなく、魔力そのものを押し潰す力。
『あ、ああっ……! 待て、行かないでくれ! 誰か、誰か助け——』
ノイズと共に、ホログラムが霧散する。
それが、私たちが聞いた彼らの最後の声だった。
アルカディアは今、完全に大気圏を離れ、二度と戻れない暗黒の宇宙へと「追放」されたのだ。
「……行きましたね、リーゼロッテ様」
「ええ。もう、肩の荷は完全に下りたわ」
見上げれば、青い空に白い雲。
かつてその雲の上にいた傲慢な者たちは、もうどこにも見えなかった。
第六部:重力のある、確かな幸せ
あれから、五年が経った。
かつて「魔獣の巣窟」と恐れられていたこの地上は、今や世界で最も平和で豊かな国『グラビティア聖王国』として知られている。
私の重力魔法は、巨大な運河を引き、浮遊する岩を自在に操って美しい城を築き、人々に「地に足をつけて生きる喜び」を教えた。
「リーゼロッテ様、本日もお美しい。……少し、お腹が重くなってきましたか?」
隣で微笑むのは、私の夫となったアルヴィンだ。
彼の視線の先、私の膨らんだお腹には、新しい命が宿っている。かつて大陸の重さを一人で背負っていた私の腕は、今、愛する人と育む小さな命の重みだけを感じていた。
「ええ。この子の重みは、どんな魔法よりも心地いいわ」
私たちは、城のテラスから夜空を見上げた。
今夜は、年に一度の『流星祭』。
空からキラリと光る筋が、いくつも流れていく。
「ねえ、アルヴィン。あの流れ星の中には……彼らの欠片も混ざっているのかしら」
「さあ……。ですが、真空の宇宙まで昇りつめた彼らです。今頃は、酸素も熱もない暗闇の中で、永遠に『高く、気高く』浮いていることでしょう。私たちが二度と届かない場所で」
そう、あの高度まで上がってしまったアルカディア大陸は、二度と地上の引力に捕まることはない。
空気も、水も、慈悲も届かない暗黒。
カイル王子やマイたちが、今どんな姿で「浮いている」のか……それを知る者は、もう誰もいない。彼らが望んだ「地味ではない、派手な最期」を遂げたことだけは確かだ。
「リーゼロッテ様、見てください。あの一際輝く星を」
アルヴィンが指差した先。
宇宙の彼方、冷たく光る一点の星があった。
それは、かつての自分たちが住んでいた場所。
重力を捨て、絆を捨て、愛を捨てた者たちが辿り着いた、凍てついた墓標。
「……綺麗ね。でも、私はこっちの方が好きよ」
私は夫の手を握り、しっかりと踏みしめている「土」の感触を確かめた。
空を見上げるのではなく、隣にいる人の温もりを感じ、明日食べるパンのために土を耕す。
そんな「重たい」日常こそが、私が見つけた本当の幸福だった。
「さあ、帰りましょう。明日は、新しい街の開拓式があるわ」
「はい、女王陛下。どこまでもお供します」
私たちは、一歩、また一歩と、確かな足取りで歩き出した。
重力に導かれ、愛に縛られ、この美しい星で生きていくために。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
ずっと書きたかった「重力」をテーマにしたざまぁ物語です。
肩の荷が下りたリーゼロッテと、物理的に肩の荷(というか自分自身)が浮いてしまった王子たちの対比を楽しんでいただけていれば幸いです。
もし「スカッとした!」「重力魔法おもしろい」と思っていただけましたら、下の**【☆☆☆☆☆】**から評価やブックマークをいただけると、執筆の励みになります!
よろしくお願いいたします。




