【第4話】廃棄民の空、堕ちた勇者
プシュー……。
重苦しい排気音と共に、錆びついた鉄扉が左右に開く。
第55階層から続くダクト用エレベーター。その長い上昇を終え、俺はついに「地上」へと戻ってきた。
「……酷い臭いだ」
一歩踏み出した瞬間、鼻を突いたのは鉄錆と腐った卵を煮詰めたような悪臭だった。
俺は慌てて、拠点で生成した「高機能ガスマスク」を装着する。
『大気汚染レベル、危険域。
ダンジョンからの排気ガスと、生活排水が混ざり合っています。生身で吸えば、3日で肺が腐るでしょう』
スマホから、アルファの冷徹な分析が聞こえる。
俺はマスク越しに呼吸を整え、周囲を見渡した。
そこは、街というよりは「墓場」だった。
崩れかけたコンクリートの廃墟。不法投棄された家電の山。
そして、その隙間に掘っ立て小屋を建てて暮らす、痩せこけた人々。
これが、壁の外側――**「外殻・スラム」**の現実だ。
「……暗いな」
俺は空を見上げた。
時刻は昼の12時。本来なら太陽が真上にある時間だ。
だが、この街に「青空」はない。
俺たちの目の前には、天を衝くほどの高さでそびえ立つ**「巨大防壁」が鎮座している。
高さ500メートル。黒い合金と魔法障壁でできたその絶壁が、スラム街に「永遠の影」**を落としているのだ。
さらに、頭上には無数のパイプと鉄骨が網の目のように張り巡らされている。
内殻の都市を支える「人工地盤」の裏側だ。
スラムの空は、上級国民たちの「床下」でしかない。
バララララッ……!!
突然、頭上で乾いた警告音が響いた。
直後、人工地盤の排出口が開き、大量の物体が雨のように降り注いできた。
「危なっ!?」
俺は慌てて建物の軒下に隠れる。
降ってきたのは、雨ではない。
壊れたスマホ、食いかけのパン、使い古された魔道具の残骸――。
「ゴミ」だ。
『定時排泄ですね。
内殻で不要になった廃棄物が、こうして外殻へ投棄されているようです』
「ふざけた構造だ。俺たちは上の連中の『排水溝』扱いかよ」
だが、スラムの住人たちの反応は違った。
彼らは降ってくるゴミを避けるどころか、我先にと群がり、奪い合いを始めたのだ。
「おい! その魔導コンロは俺が先に見つけたんだ!」
「パンだ! まだカビてねえぞ!」
怒号と悲鳴。ここでは、上の世界のゴミが「宝」なのだ。
ふと、俺はそのゴミの山の中に、**「見覚えのある3つの影」**が転がり落ちていくのを見た気がした。
***
ドサッ、と生ゴミの山の上に、3つの影が転がり落ちた。
かつての勇者パーティ、キョウヤ、エリス、タクヤだ。
第2話で俺が転送した彼らは、内殻のゴミと一緒に、このダストシュートから排出されたのだ。
今の彼らは、装備はおろか衣服すら剥ぎ取られ、下着一枚の無様な姿だった。
「……クソッ、寒い! 臭い! なんで俺がこんな目に!」
キョウヤが半狂乱で叫び、近くにあった錆びたドラム缶を蹴り飛ばす。
だが、裸足の足が痛むだけで、ドラム缶はびくともしない。
ステータスを強化していた装備がない今、彼はただのひ弱な若造だった。
「おいキョウヤ、落ち着けよ……。まずはマスクを探さないと、大気汚染で死ぬぞ」
魔法使いのタクヤが、震える体で提案する。
だが、キョウヤは血走った目で睨み返した。
「うるせえ! 指図すんな! 俺は勇者だぞ! ゴミ漁りなんてできるか!」
キョウヤのプライドは、現実を受け入れられずに悲鳴を上げていた。
そんな彼の背中に、エリスがそっと寄り添う。
彼女は聖女の慈愛に満ちた声で、震える彼を抱きしめた。
「……可哀想なキョウヤ。貴方がこんな目に遭うなんて、あんまりです」
「エリス……」
「でも、不思議ですね。レンさんは、どうしてあんなに用意周到だったのでしょうか?
まるで、私たちが来ることを事前に知っていたような……」
エリスは不思議そうに小首を傾げ、チラリとタクヤの方を見た。
その瞳に悪意の色はない。ただ純粋な疑問を口にしただけのようだ。
――だが、錯乱したキョウヤの脳内では、その言葉が最悪の形に変換される。
そうだ。俺が悪いんじゃない。俺は勇者だ。
レンがあんな準備をできたのは、情報が漏れていたからだ。
俺たちの動向を、レンに流していた裏切り者がいる。
「……そうか。テメェだったのか」
キョウヤがゆらりと立ち上がる。
「おいタクヤ! テメェがレンと繋がってたんだろ!?
あいつを追放した後も、こっそり連絡取ってたのを知らねえとでも思ったか!」
「はあ!? な、何言ってんだ! 俺は何もしてねえ!」
タクヤが仰天して叫ぶ。
だが、キョウヤは聞く耳を持たない。自分のみじめな現状を正当化するための「犯人」が必要だったのだ。
「嘘つくな! 全部テメェのせいだ! 責任取れよ!」
「ふざけんな! 全部お前の判断だろ! 人のせいにしてんじゃねえよ!」
タクヤも激昂する。
だが、言葉よりも先に、キョウヤの拳がタクヤの顔面を捉えた。
バキッ!
「ぐあッ!?」
タクヤがゴミの山に吹っ飛ぶ。
キョウヤは馬乗りになり、理性を失った獣のように拳を振り下ろした。
「死ね! 裏切り者が! 俺をハメやがって!」
「や、やめ……キョウヤ、落ち着け……!」
何度も、何度も。
エリスは悲鳴を上げて止めようとするそぶりを見せたが、その体は動かない。
ただ、争い合う二人を、悲しげな表情で見つめているだけだった。
数分後。
ボコボコにされたタクヤは、腫れ上がった顔で泥水を吐き出した。
「……ハァ、ハァ。分かったよ、キョウヤ」
タクヤはふらつきながら立ち上がる。
その目には、もうキョウヤへの友情も、未練も残っていなかった。
「俺が抜ける。……これ以上、お前みたいなクズと付き合ってたら、本当に死ぬ」
「あぁ? 逃げるのかよ腰抜け!」
「逃げるさ。レンがいなくなった時点でお前は終わりだ。
……俺たちがSランクになれたのは、全部レンのおかげだったんだって、今さら気づいたよ」
「なっ……!」
「じゃあな。その聖女様と仲良く地獄に落ちろ」
タクヤは唾を吐き捨てると、雨の降る路地裏へと走り去っていった。
賢明な逃走。
彼は知っていたのだ。この先に待つのが、破滅しかないことを。
「クソッ! どいつもこいつも俺をバカにしやがって!」
キョウヤは絶叫する。
残されたのは、孤独な勇者と、聖女のみ。
「大丈夫ですよ、キョウヤ。私だけは、貴方の味方です」
エリスが優しく抱きしめる。
その碧眼は、どこまでも澄んでいて、底が見えない。
タクヤが去った路地裏を、彼女は一瞬だけ見つめ――すぐにキョウヤへと向き直った。
「さあ、立ちましょう。貴方は勇者なのですから」
キョウヤは縋り付くように彼女の温もりを求めた。
こうして、勇者パーティから「ブレーキ」役が消えた。
後に残ったのは、壊れたアクセルと、どこへ向かうとも知れないハンドルだけだった。
***
ゴミ捨て場の騒ぎを遠目に眺めながら、俺はコートの襟を立てた。
「……野良犬の喧嘩か。平和なもんだな」
あの中心にいたのが、かつての仲間たちだとは気づかない。
今の俺には、感傷に浸っている暇はないのだ。
「行くぞ、アルファ。
俺の目的は、この掃き溜めで『最強の商人』を見つけることだ」
俺は人混みの中へと歩き出した。
目的地は、このエリアで最も賑わう「ブラックマーケット」。
俺のアイテムボックスには、拠点で生産されすぎた大量の「マナ・クリスタル」と「食料」が眠っている。
これを捌くには、正規のルートじゃ駄目だ。
毒とゴミにまみれたこの街で、泥水をすすりながらも商売をしている「本物のプロ」が必要だ。
『マスター。右前方、100メートル。
小規模な騒乱を検知しました。……商売上のトラブルのようです』
「トラブル? ……ちょうどいい、野次馬しに行くか」
俺は路地裏を抜けた。
そこで俺は出会うことになる。
この腐った掃き溜めの中で、唯一、黄金色に輝く瞳を持つ少女に。




