09 川の真ん中で
早朝に目が覚めた。
朝日はまだ差し込まない。
夜が仕事を終え、引き上げる準備をしていくらいの紺と紫の中間の空が、窓の隙間から見える。時間で言えば午前五時前の空模様。
フェリーは結局帰ってこなかった。
少し心配だ。体こそ頑丈だが、内面は最も不安定な時期の高校生なのだ。兄のことで色々を思い詰めているのやもしれない。
いや、案外大したことはないかもしれない。ネチネチしている部分もあるが、根っこの部分はサッパリしている。きっと今は森のどこかで寝ている。
左に顔を向けると囲炉裏。その奥にシルワアとお父さん。
……のはずなのだが、シルワアの姿が見えない。
そう思ったのと同時に、すだれがカサカサと鳴る。
誰かが外に出たのだろう。シルワアだろうか。
こんな時間に起きるとは早起きな子だ。
二度寝しようかと考えたか頭は冴えていた。
暇だし、自分も彼女について行こう。
ボクは布団を軽く畳み、シルワアを追って外に出た。
外に出ると、朝特有の白っぽい青空が木の隙間から見える。朝日が微かに顔を出し始めていた。木の葉が独占して日光を浴びている。そのお詫びなのか、爽やかな緑の匂いを含んだ風を届けてくれる。
心地の良い朝だ。
さて、シルワアはどこか。
周りを見渡すと、森の奥の方へ歩いて行く少女の後ろ姿が見えた。
その背中を早歩きで追う。
「シルワア」
声を掛けるが彼女は止まらない。
様子がおかしい。
そう思って正面に回り込む。
「うわっ、寝てる……、嘘でしょ」
シルワアは目を閉じてすうすうと寝息を立てていた。加えて大きな鼻提灯をぶら下げている。鼻提灯という主人に散歩されているシルワア犬と言った感じだ。フラフラ歩いている姿は、遠目から見たらゾンビに見えるかもしれない。
しかし、これまでこんなことはなかった。
森や宿ではベットから立ち上がり、徘徊なんてするような子ではなかったはず。
土地勘がある場所限定の夢遊病なのだろうか。
「シルワア」
肩を叩いて起こそうとする。
次の瞬間、世界が回る。
景色が万華鏡のように混ざる。
「へ?」
気づけば倒れていた。
何が起きた。
背中に叩きつけられた感触、痛み。
それとは別に足に激痛が走ってる。ナイフにでも刺されたみたいに痛い。
顔を上げると、足を振り上げたシルワアがいた。
そうか、彼女に蹴り飛ばされたのか。
金的を抉るあの蹴りが幸か不幸かボクの足に刺さったのだ。
「ああ……一種の自衛システム的な何かなのか、クソ」
あまりの痛みに舌打ちをする。
立とうとするが、とんでもない激痛に思わず地面に両手を着いてしまう。
どんな筋肉をしているんだ、この子。
内心でぼやいていると、シルワアが眠ったままこちらに来る。
彼女はボクの腰の上に乗ったと思ったら、着いた両手を掴んで。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーー!!」
彼女は思いっきり引っ張った。
「シルワアさん、起きてください! パロシュペシャル! パロスペシャル決まってるから!! 折れる、色んな場所折れるからあああああああああああああ!!」
説明しよう。
パロスペシャルとは『キン肉マン』に登場するロボ超人ウォーズマンが使用する必殺技である。プロレス技としても実在しており、ジャッキー・パロというプロレスラーが考案したらしいのだが、ボクはキン肉マンの方しか知らない。
「ふがっ……!」
鼻提灯が弾ける。
同時に両手も自由になった。
「何してる、シスイ」
「いや、こっちのセリフ……」
ぐったりと倒れながら言った。
よろよろと立ち上がると、服に付いた土や葉っぱを払う。
「ここ……村の外? 連れて来た?」
「ちょっと外れた場所。ボクは連れて来ていない。君が眠りながら歩いて来たんだ」
「嘘……ふうん」
シルワアは無表情で耳をパタパタさせる。
情緒的なとき、彼女の耳は動く。特に驚いているときや興奮気味はよく動く。
少しして耳の羽ばたきは収まるが、今度はピンと立った。
「川の音、しない」
「川?」
「近く、川ある。でもしない」
「ちょっと見に行ってみるかい?」
シルワアは頷くと、案内するように前を歩いた。
人が行き来するからか、他の地面よりも草が少なく、障害になりそうな木の根や倒木も少ない。道、と呼ぶには少し野性味がある。獣道くらいが丁度良いだろう。
湿度が上がる。
川が近いという予感が肌を通して伝わってくる。
やがて丸い石がゴロゴロと転がる場所に着いた。
これらの石は川特有のものだ。凹凸の激しい岩が流されて、色んな場所にぶつかることによって研磨された石だ。これが沢山あるということは、川が近いということだ。
「そろそろ着くのかい?」
シルワアに尋ねる。
彼女は相変わらず無表情だが、今の彼女は本当の意味で無表情だった。普段なら、表情豊かな雰囲気で察せるのだが。
彼女はボクの方に振り返る。
「ここ、川」
「もうすぐ着くということ?」
彼女は首を振る。
「シスイの場所、川の真ん中、だった場所」




