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虚構のシスイ ~異世界に不法投棄されたおじさんは、世界の最果てに名を刻む~  作者: yagi
第二章 愛情星骸ガナグリ 第一幕 コタンカ
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08 母さんの匂い、兄さんの臭い

 湿気った夜の月光に照らされて、オレと兄さんは生まれた。

 それがオレの、この世界に来てからの最初の記憶。

 オレと兄さんは双子だった。オレは青みがかった灰色の毛で、兄さんは小麦畑のような金の毛だった。


「お前はクロム、そしてフェリーだ」


 身体をなめられながら、そう言われる。

 聞き馴染はないが、今後馴染んでいく優しい声。

 白い毛並みの大きな狼。本能的にこの狼が母親で、自分は彼女の子だということが分かった。

 そして、このとき、オレは矢見雲幸助からフェリーになった。


 自身の名付けの場に立ち会ったのは、これが初めてだった。

 当たり前だ。大抵そういうものは生まれる前から決まっているし、例え生まれた後だったとしても赤子がそんなこと覚えてられるはずもない。

 だから、名付けがこんなに祝福めいたものだということを、このとき初めて知った。

 このときのことはかなり衝撃的だったらしく、時折夢に出てくる。


 そんな母さんはというと、よく分からない人だった。

 ……人というのは正しくないか。よく分からないフェンリルだった。

 あの人はよく小難しいことを言う。


「ある地域の人間が我を理性の化身、神だと言って崇拝していた。彼等曰く、我等の本質は同じ性質を帯びているらしい。おかしな話だろう?」


 肉を頬張りながらその話を聞く。

 母さんには顎がなかった。栄養は大気に含まれるエネルギーから摂取する為、食べるという機能を必要としていないらしい。


「どうしたの、急に」


「ふむ、分からないか?」


「分からん」


「彼等が扱う『神』という存在、あるいは言葉は、人間の能力や資質の概念化を意味する言葉だ。フェンリルと人間には何ら接点がないというのに、人間の影を見るというのはおかしな話だろう?

 だが、おかしな話だと感じる一方で、興味深いとも思った。


 人間とは条件付けられた存在だ。社会という集合無意識からの俯瞰から来る条件、触れたもの、考え方、好みといった条件によって自身を定義し続ける生命体だ。

 時代、流行りで条件は絶えず変化するものではあるが、規則性は同じだ。そんな彼等の条件と我の在り方に重なる部分があるらしい。


 理性。

 それは本能という生命体に与えられた原初の法則とは別の、独立した法則を形成する為の回路。感情を制御する機構であり、限られた存在のみが使える機能。

 我はその極論であり、人間はその末端だと、彼等は語った。『貴方様と我等の本質は同じ性質を帯びている』とも。


 だがそれは違う。彼等は理性的な訳ではない。基本的には情動的であり、けれども同時に俯瞰的なのだ。社会という彼等独自の俯瞰を用意ることで情動の制御を可能にした。それが彼等の言う理性というシステムの正体だ。

 人と獣を分ける差は、この点に尽きる。


 しかし彼等が言う理性と我の理性は性質が異なる。

 人間の理性は感情を効率的に運用する為のガイドラインのようなものであり、時代によって意味合いが変化する辞典のようなもの。フェンリルである我の理性とは端から端まで制御された機構であり、スイッチのようなものだ。入れたり、引き抜いたりが可能である。

 それに、本質という言葉を選んだのもトンチンカンに思う。そこが面白いんだがね。分かるかい?」


「よく分からないよ、母さん」


 分からないか、と彼女は笑う。

 その声に抑揚はなく、自動音声みたいに聞こえた。


「人間が自身の本質、自分自身が何のために存在するのかという定義はできない。『私はこの為に生まれて来た』『お前の価値はこの程度だ』と言いはするがね、それは主観的な価値であって本質じゃない。たとえ主観を振り払おうとも、せいぜいプラグマティズム的な解釈に留まるだろう。本質はもっと俯瞰した地点から見下ろさなくてはならない。


 この世界は極小の粒子で形成されていて、そこからあらゆる物質の構造、ないし法則を読み取ることができる。それの理解は人間も到達できる地点にある。

 その領域に踏み込めるというのは、生物においてとても稀有な存在だ。人間というのは。

 だが、そんな優れた探求心を持つ人間であっても、全ての原理を解明することはできない。


 彼等は『物理』に縛らているからだ。良くも悪くも地に足が付いている存在とでも言うのだろうか。

 物理的な観測には限界が存在する。生物には『魂』や『死』といった様々なブラックボックス領域が存在するが、こいつは物理の領域では見えない。本質というのも、その類だ。


 本質という解を知るのは神だけだ。ここで言う神は人間から抽出された概念ではなく、高次元的な存在を指す。

 本当の意味での俯瞰が必要なのさ。もっと高く、広く、多様な視野が。人間の社会が生み出した俯瞰では近すぎるし、歪んでいる。


 だというのに、彼等は自分達の本質を知っているかのように語って来た。

 いやはや、もしかしたら彼等は高次元の神と接触したのやもしれんな……、というのがあの一文に込められていたが……」


「全然分かんなかった。……というか、全部聞いても分からないよ」


「そうか。……分からないか。ふむ……」


「人間を見下す様に言うが、母さんは人間が嫌い?」


「違うさ。かわいいよ」


 印象に残っている母との記憶。

 思い返しても、やっぱりよく分からない。

 機械的で、難解で、きっと内面も訳の分からない回路が絡まった基盤みたいになっているのだろう。振り返って、そう思う。

 けれど、母さんの言葉の節や仕草から愛情というのは伝わっては来た。

 だからオレは母さんが好きだった。


 それと同時に連想するのは、お父さんのことだった。

 ここで言う父親はフェンリルになる前の、人だった頃の親だ。フェンリルは無性生殖だから親は片方しかいない。

 思い出してしまうのは、きっと、あっちの世界のオレにはお母さんがいなくて、家族といえばお父さんのことばかりだったからかもしれない。


 お父さんは男手一つでオレを育ててくれた。

 警察官の父は家に帰るのが遅い。忙しいときは深夜に帰って来る。一日会わないなんてこともザラだ。

 表情は乏しいし、何考えているか分からないし、口を開けば成績のこと、学校のことばかり聞いて来て、居心地を悪くする。


 苦手だった。

 ……でも、嫌いじゃなかった。

 愛はあったから。

 振り返るとそう思う。


 帰りが遅いときは夕飯を作ってから仕事に行っていた。朝早いときは朝食も。

 高校に上がって弁当が必要なときも、冷凍だったけどちゃんと作ってくれた。

 たまにキャンプとかも行って、一緒に釣りをした。

 警察官という仕事をしているお父さんは、やっぱり誇らしかった。

 愛されてたし、自分も愛していたのだ、あの人を。


 お父さんは今、何をしているのだろう。

 そう思う日は少なくない。

 ……けど、不思議なことにそれ以上の想いは浮上してこなかった。

 事故に遭って申し訳ないとか、親不幸でごめんとか、そういうのは浮かんでこない。


 父との思い出が色褪せていたから。

 矢見雲幸助の記憶を思い出すと、なんだか歴史の教科書を眺めているような、そんな気分になる。自分の中に他人がいるような感覚。そう表現するのが正しいように思えた。

 歴史から、人の想いは聞こえてこない。

 ただ、「あった」というだけ軌跡。



 そこから数年も経つと、都会人のオレも原生林に馴染んでいた。

 原生林の中は木々が生い茂り、進むのにはコツがいる。


「兄さん、待ってくれよ」


 黄金の背中を息を切らせながら追う。

 兄さんは森の適応力が圧倒的に高い。

 それに比べてオレは、全然駄目だ。これは単純に昔の経験が足を引っ張っているのだろう。


「そう私の背中をついて来なくても良いだろうに」兄さんは振り返って言う。


「弟ってのは、兄の後ろをついて行くものなんだよ」


 そうしてしばらく走ると、ある場所で兄さんは足を止める。

 着いた先は小規模な滝壺。落ちる水しぶきは霧になり、体感温度を下げる。暑い時期には丁度良い。

 母さんも多分知らないオレ達兄弟だけの秘密の場所だ。


「兄さんには敵わないな。どうしても競争で負ける。羨ましいよ」


 水を飲みながら言う。

 兄さんは飲まない。


「私と違い、お前は元々人間だったのだろう? 無理もない。私からすればお前のその独特な感性に憧れる。我等フェンリルという生き物は情動的になり切れない質だからな。お前のそれは特異だ」


 特異。兄さんはオレをじっと見てそう言う。

 兄さんだけには自分が異世界から来た人間だということを伝えていた。

 兄さんはオレの言ったことを信じてくれた。

 そういうこともあるだろう、とナチュラルに。同時にお前は嘘が下手だからな、とも言われた。

 母さんには言っていない。

 彼女は人間のことを好いているが、少し視点が歪んでいるから。


「私達が双子で生まれのには、意味があると思うんだ」


「意味?」


「母上は言っただろう? 自身の本質というのは知り得ないことであり、そもそも存在するかも怪しいものだと。だが、私とお前は違うと思うのだ。

 本来フェンリルに双子は生まれない。縄張りなどの生物的な衝突を避けるためだ。強力な存在の衝突は、いともたやすく、自然のバランスを崩壊させる。

 しかし我々はこうして存在している。我々には何か重要な役回りというのが、存在しているに違いない。そう思えてならんのだ」


「とんでもない確率を引き当てただけかもしれない」


「お前は能天気だな」


 兄さんは水の中に飛び込む。


「急に飛び込むなよ、顔に跳ねる」


「お前も入れば大差ないさ」


 兄さんに続いてオレも水の中に入る。

 それをチラリと見て、ぼそりと言う。


「本当に、そうだと良いな。私も、お前も」


 楽しかった。

 本当に楽しかったんだ。

 なのに、どうして。


 黄金の記憶が末端から錆び始める。

 錆びた鉄の臭いが鼻孔を刺激する。

 温かな月光が差し込む、森の中にぽつんとある広場から。母の寝床から。

 血の臭いに混ざって親しい二種類の匂いがした。

 嫌な、予感。


 視界が白黒になる。 /心理的な自衛心から来るものか。

 千切れた肉片。/直視を拒む。

 倒れている巨体。/嗅ぐな、想像するな。

 白い毛と黒い塊によるコントラスト。/色彩があったら耐えられない。

 赤い液体だけがやけに映える。/追うな、その川を。

 赤の先には……。/知りたくない。



 母さんが。/死んでいた。



 近くにあるのは兄さんの臭い。

 この日ほどフェンリルであったことを後悔した日はない。

 これでは、誰がやったか一目瞭然じゃないか。


「なあ、兄さん。アンタは何を……」


 川を見ながら、問う。

 水面に映る、自分の像に。

 兄をおもって。


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