05 サアリィ
集落の奥に来た。
周囲に家はない。あるのは森だけだ。
先程までいたシルワアの家の周りには隣人の住居が集まっていて賑やかだったが、それはもう遠く後方にあって、住人の笑いは虫の声のようにしか聞こえない。ここでは木々の囁きや鳥の内緒話の方が大きい。
眼の前には、木々が足を踏み入れることを阻むようにずらりと並ぶ。
生物圏と生存圏の境界線。
人と自然を隔てる、森という緑のカーテン。
その境界に、村長の家は建っていた。
家と言ってもシルワア等が住んでいるものとは形状が違う。
その建築物はホールケーキのような形をしていた。他とは違うが、しかし思っていたよりも特別感というのは感じない。飾り気がないからだろうか。
後々になってシルワアに聞いたのだが、エルフにおいて村長というのは人間との交流で必要になった概念であり、明確な上下の関係というよりは一つの役職という捉え方をしているらしい。
その為彼等にまだ特別意識はない。
人間に習って真似をしているに過ぎないと、彼女は語った。
「しかし、後ろの木が凄いな」
境界線の向こうにある森を見て言う。
眼の前の木々の奥。その先には首が痛くなりそうなくらいに高い木が並んでいた。木の幅は一軒家がすっぽり入ってしまいそう。丁度村長のホールケーキに似た家と同じくらいの太さ。
大自然の化身。生命を支える地盤。緑の巨人。
神社に生えた樹齢何百年の御神木を前にしたときに似ている。過去と現在が軸続きであることを肌身で感じる、あの感覚だ。
「ボウラァトットゥラ」
「ああ、この前言っていた。確かにビル並みに大きい」
「意味、巨人のちんちん」
「酷い名称だ」フェリーは無表情で言う。
「生き物、全部、これから生まれた」
「陰茎は生命力の象徴という訳か」
「冷静に考察をするな」フェリーは無表情でツッコむ。
シルワアは村長の家に入る。彼女の家に入る前に行った「カッカ」という掛け声はしなかった。
先程と同じく外で待とうとすると、シルワアに一緒に入るように言われ、後をついて行く。
頭の中では、何故彼女だけでなくよそ者のボク等も招待されたのだろうか、と考えていた。
外から来た人間は、集落の主に顔を見せなくてはならない決まりがあるとするなら納得だ。だがしかし、そういうのは呼ばれるものではなく、赴くものであると個人的に思う。それが誠意であり、礼儀というものだ。
招かれるというのは相手側に用があるときに発生する出来事だ。
けれど、少なくともボクには村長に招かれるような理由も、きっかけもない。そもそもどんな人物かさえも知らない。
さて、何故なのだろうか。
何となくフェリーを方をチラリと見る。
あるとするなら、こいつか……。
フェンリルという存在の彼であれば、もしかしたら呼ばれるようなことがあるのかもしれない。そう思った。
すだれをくぐる。
天井がない。それが入ったときに抱いた最初の感想。外から見たとき、確かに他の家とは違い、屋根がないのは分かっていた。けれど天井板か何かを敷いているのだろうかと思っていたが、その想像は間違いだった。
屋根がないとは斬新だ。
床も板が敷かれている訳ではない。ならされた地面だ。風はともかく雨が防げない。
家というよりはその土地を陣取っているような感じに近い。戦国武将が戦のときに敷く本陣のようだと感じた。
入って正面にはレースのような白い布が部屋を仕切っている。
布は薄く、向こう側がぼんやりと見えた。
レースの奥に人影のようなものが見える。
この人が村長か。
「ただいま」
『おかえり、シルワア。色々あったようだねえ』
どこからか声が響いた。老婆の声だった。
正面からではない。別の場所だ。
声の明瞭さは、まるで隣から聞こえてくるような……。
フェリーと共にきょろきょろと見回す。
『ごめんなさい、お客人。突然だったから驚いたでしょう。これは頭に直接言葉を送っているのです』
「頭に直接?」
壊れたテレビを直すみたいに頭を叩く。
『私達はこれを念話と呼んでいます』
「な、るほど。……何と言いますか、新しい感覚です。ああ、お初にお目に掛ります。自分は……」
『シスイさんでしたね。聞こえていましたよ、ここから』
「聞こえていた?」
『私は集落にいる人の声、それから森の音が聞こえるの。そしてフェリー様……』
「ん?」首を傾げる。
『お久しぶりですねえ。大きく……いえ、小さくなりましたね』
「わざとじゃい! ……ってあれ? 会ったことあったか?」
『百年前に一度、お会いに行きましたわ。もっとも、当時とは似ても似つかぬ姿になってしまいましたが。シルワア、布を取ってくださいな』
「いいの?」
『顔を隠しての会話は失礼だろう?』
シルワアは仕切っていた布を取る。
声色からして優しい老婆がいるのだろうと想像した。
しかし、それは、思ってもみなかった形で裏切られる。
布の先にいたのは。
いやあったのは。
『小さな木』だったからだ。
大きな壺のようにずんぐりとした形の木。
幹には老婆の顔があった。良く見ると枝に見た部分に指がある。
植物と一体化した老婆。一瞬生き血を啜る類の植物にでも寄生されたのかと考えたが、良く見ると寄生というよりは皮膚や肉が変質しているようだ。
木彫りの仏のように瞑る老婆の瞳が、ゆっくりと開く。
『実際に見ると、思っていたよりも大きいのね』
だろ? とフェリーは腕を組む。
「その顔、思い出したよ。確かに見たことがある。母上と話していた」
『確かに直接お話したことはありませんでしたな』
その後、老婆はボクの方を見た。
『貴方は声の割りに経験が豊富そうな顔つきね』
「貴女のそれは病か何かですか?」
『これはハイエルフの特徴。エルフは元を辿れば木だったのよ。けれどいつしか動物の真似事をするようになって、まぐわうようになって、やがて明確な知性を獲得したと言われている。祖先の血、というのは彼等は元々植物だからおかしいかもしれないけれど、色濃く受け継いだのがハイエルフ。意思を持った種子』
「意思を持った種子……?」
『他のエルフは動物と同じように朽ちるけれど、ハイエルフは人としての活動が終わりに差し掛かると地面に根を張り、植物としての活動が始めるの。それがボウラァトットゥラ。私達の祖先』
「あの巨大な木は、元は貴女やシルワアと同じエルフだったということ?」
『ええ』
あの巨大な木は一本、二本ではなく沢山立っていた。
アレが全て元はエルフだったと考えると、見え方が変わる。
あの巨大な木も、遠い昔はシルワアと同じように親しく会話することができたのだ。そう考えると、何とも言えない不思議な気持ちになった。
博物館で化石と恐竜の想像図を見比べたような気分だ。
「だから、母さんとの親交も厚かったんだろ? フェンリルは自然の調律を行う存在だから」
『ええ、その通りでございます。坊ちゃん』
「坊ちゃん言うな」
ふふ、と笑うと村長は咳ばらいをする。
『フェリー様。今回お呼びしたのは、貴方様にお伝えしなくてはならないことがあるからでございます』
口調が孫に語るような調子から、村長としての言葉に変わる。
「話したいこと? あー、先に言っておくがオレ、小難しい話は苦手だかんな? フェンリルのお役目とか、そういうの言われても回答しきれないぞ」
『いえ、そういった話ではございません』
「じゃあ、何だ?」
『貴方のお兄さんに関係していることです』
フェリーの顔が冷めていく。
喜怒哀楽の筋肉が軒並み死んでいく。
表情は真っ白。
『私の目は原生林の一部にも広がっています。ですので、貴方がお兄さんを探していたことも知っていました』
「何か兄さんについて知っているのか?」
『グラン・デウスという密猟集団が最近頻繁に活動しているのを、私は森に散らばった目を通して見ています』
「話に割って入ってすまない。散らばった目というのは?」
ボクの問いに村長は答える。
『周囲にいる生物の感覚を共有することです。その目で彼等の動向を探っていました。あのような集団はここ数十年の中で現れませんでしたから警戒を兼ねての観察です。それで判明したのですが、彼等、特異な性質を持つ生物を標的として狩っているようなのです』
「特異な生物……、タイタンタートルとかか?」
『そうですね。アレにも目を付けていましたが、それ以上に彼等が注目していたのは……若い銀色フェンリル。つまり、貴方のお兄さんです』
「なんで人間が、それも他所から来たヤツが兄さんを知っているんだ。それに、どうして狙う……?」
『貴方のお兄さんが離れた理由に彼等が関係しているかどうかは定かではありません。しかし無関係とは思えません。何か、独自の情報を掴んでいる可能性はあるでしょう。ただ、彼等は異常な気配を纏っています。接触するのであれば、くれぐれもご用心ください』
「……ああ、少し、気にしてみるよ」
フェリーは心ここにあらずという返しをする。
彼の意識はもう、別の時空に飛んで行っていた。




