02 リスに叫べ
土、落ち葉、草、茂み、木、森。
深い緑のグラデーションが視界に広がっている。
自然特有の力強いその光景に「いやはや」と言葉が漏れる。
太陽は真上にあるが、葉が遮って僅かに木漏れ日が差し込んでいる。それほど明るくはない。
前の言葉を聞くと美しい情景を思い浮かべるかもしれないが、油絵のような幻想的なものではない。ただの薄暗い森である。
そんな様子を綺麗な景色と思えるのは、ただ単に懐かしさというエフェクトが掛かっているのだろう。『僕』の生まれが田舎だからだ。きっとその影響がもろに出ているのだ。
(おっさん、準備はできてるか?)
(ん? ああ、勿論。いつでも良いぞ)
(おっけい。じゃあいくぞ。せー……の!)
フェリーが「の!」と言ったタイミングで茂みから飛び出して。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーー!!」
「ぐああああああああああああああああーーーーー!!」
大声で叫んだ。
その声は森中に響いていただろう。
キキィ!
大声に驚いて、ちっちゃな悲鳴を上げる小さな影。
シマリスだ。
愛らしい小動物は木の上に登っていく。
そして太い枝に走っていくと、ボクとフェリーを観察するように見下ろす。
ヒュン!
空気を切り裂いて飛んでいく矢。
見事、シマリスに命中する。
射的で落とされたキャラメルみたいにポトリと落ちた。
景品は動かない。
「お見事」
矢を射ったシルワアに向けて言う。
彼女は無表情。これといった反応は見せない。
むしろ肩を竦めて「これくらいは当然」とでも言いたげな顔をする。
「リス、驚くと木登る。枝から、見てる。当てやすい」
「良く知ってるね」
「師匠、教えた」
「師匠はどんな人だい?」
「凄い。弓、ちょーうまい。これもうまい」
彼女は背負っているものに目をやる。
布に包まったそれは特大の猟銃だ。
森の主との戦いで彼女が使ったことを知っている。
数百メートル先にあった主の角の先端を、正確に射抜いて見せたのだ。
そんな彼女の師匠となると、どれほどの腕を持っているのだろうか。
そう考えている間に、彼女はもう一匹のシマリスを仕留めていた。
走っている個体を、だ。
ボクには一瞬の影しか見えなかった。
「……オレ達のアレ、要らなかったじゃないか」
「今、たまたま。普通、脅かす。……あ」
ヒュン。
また、矢を射る。
小っちゃい悲鳴が聞こえた。
姿は一切見えていない。
「これも、たまたま?」
「たまたま。多分」
頬をポリポリと掻く。
「調子良い。脅かすの……簡単、やり方。私、上手い。いらない」
「あーそう。てっきり、からかわれているのとばかり」
「脅かせ、言った。叫べ、言ってない」
「そうだっけか」
記憶を探るように上を向くフェリー。
「言ったのはボクだよ。良かったろう?」
手前に落ちたリスを拾い上げ、矢を抜くと、二つとも彼女に渡す。
矢が壊れていないかを確認すると、布で先についた肉や血を拭って矢筒に戻した。
そして、三匹のリスの尻尾を握って、ボク等に見せる。
「リス、夕飯しよう」
……
………
…………
日暮れになった。
あの後、シルワアは追加で八匹のリスを捕まえていた。
森をしばらく歩いたから、足が棒のようになっている。
平原から森に入って二日程経っている。
目印にしていたアンテナの柱が並んでいるルートからは外れていた。
外れた理由は二つ。
一つは森を経由するのが、エルフの集落への最短コースだったからだ。
普段、彼女は道を使わず、このコースを通って街に行っているらしい。
道を辿れば集落には着く。しかし森を迂回するように敷かれた道は遠回りになってしまう。
加えて森と平原の境界線のように続く為、道の右サイドがずっと茂みになっている。
こういうところに盗賊というのは好んで隠れている、と彼女は言った。
それに早めに帰りたいというのもあるのだろう。
ずっと一緒に過ごしてきたが、これほど街に滞在する予定ではなかったらしい。だから家族には何も連絡をしていないのだとか。
電話やメールといったことができない異世界……と思ったがポケベルのようなものがある為、一概には言い切れないが、一般人には普及していないであろうこの世界で、出稼ぎから帰ってこないというのは保護者にとって不安でしかないだろう。
元々彼女は街までのガイドだ。それなのに沢山助けられてきた。
ボクとフェリーはここから長い旅に出るが、彼女はそれに関係ない。
彼女の都合に合わせたいと考えるのはボク等にとって自然だった。
ただ、誤算があったとすれば、ボクがシルワアの想像以上に山や森の移動に慣れていなかったという点だろう。
本来半日で着くところを二日掛けている。なんせこのルート、平然と断崖絶壁みたいな場所をいくつも通るのだ。常人というか、山に慣れている人間でも大変に違いない。
シルワアにとっては庭みたいなものだから、感覚が麻痺しているのだろう。
二つ目はアンテナの修理を終わらせたからだ。
ダインの頼まれごとだ。
森の主が倒したら直ると考えられていた電波の不具合が直らなかった。その理由がアンテナの破損のせいだと睨んでいたダインは、ボクにその修理を依頼してきた。
ルートに沿っていたのは、それをこなす為でもあった。
案の定、ボッキリ折れている柱がいくつかあった。森の主が街に向かう途中、折ったのだろう。
修理、と言ってもあらかじめ組まれている装置を新しい棒に付けるだけ。新しい棒も事前に貰っており、延長可能な鉄パイプのような持ち運びが楽なものだった。
それを地面に深々と刺して、建てる。バランスが悪かったので、近くにあった森から木を拝借して補強はしたが、手間ではない。
修理の後、先にある柱は確認していない。
まあ、先にまだ壊れているアンテナがあるかも分からないが、ダインの注文は森の主が壊したアンテナの修理だ。先の道に森の主が体を引きずった形跡はない。
であれば、道を外れてシルワアの村に行ったとしても、何ら問題はない。
役目は十分に果たしたと言える。
夜が来る前に野営の準備をする。
フェリーは薪になりそうな木を、ボクはそれなりの太さの枝や葉を集めて火起こしを、シルワアは近くの川から水を汲んできた。
二人が戻って来るタイミングで、丁度焚火ができた。
「さて、そろそろ夕飯にしようか」
「うん」
シルワアは早速料理に取り掛かった。
「まず、リスの皮剥く」
ナイフを取り出すと、手際よくリスの体に刃を入れて皮を剥いていく。
血抜きがされているから血は吹き出さない。
彼女は服を脱がせるように簡単に皮を剥いで見せた。
「胆のう、陰部、取る」
半分ほどオスだった。
股にある貝柱みたいなものをサクサクッと切り取る。
「わお……」
「おっふ……」
気づいたらボクとフェリーは股を押さえていた。
お構いなしにシルワアは腹を裂いて胆のうを取り出す。
「残り、全部叩く。肉団子、する」
「お、手伝おうか? それくらいならできる」
フェリーが腕をグルグル回す。
「……」
「え、何、駄目だった?」
「……丁寧、お願い」
「おう。任せろ」
フェリーは貰ったナイフを握り拳を作るように持って、まな板の上で叩き始める。
力み過ぎているように見えて少し怖い。
多分シルワアも同じことを思っているのだろう。
凄く心配そうなオーラを放っている。
その間、チヨさんの煙管に火をつけて、香をたく。
煙草を吸わない自分にとってこの煙管は、虫よけの線香を焚く為の道具になっていた。
「そういえばシルワア」
「ん?」シルワアはボクの顔を見る。
「村まであとどのくらいなんだい?」
「明日、昼着く」
「いつもこんな距離を歩いて街に来ているのかい? 随分と大変だね」
そう言うと彼女は首を横に振った。
「いつも、もっと早い。シスイ、合わせてる。シスイ、歩くの苦手、だから」
「それはありがたい。正直、今のペースでも結構ギリギリだ。自分はあんまりこういうことをしてこなかった人間だから」
「そう。どんな場所、いた? シスイ」
「どんな場所、かあ……」
どう答えるのが正解なのだろうか。
異世界だと伝えるのはフェリーに控えるように言われている。
しかしそれを抜きにしても、シルワアにあの世界を伝えるのは困難だろう。
彼女が理解できる比喩表現で、なんと言えば良いのか……。そもそもシルワアはどれほど言葉が分かるのだろう。
カタコトだし、口数も少ない。会話は概ね理解しているようだが。
いや、正確に伝える必要もないのではないか。大まかに、輪郭がぼやあっと見える感じに伝えれば……しかし自分としては正確さを求めてしまう。
正確を求める性格なのだ。
「異世界?」
言い悩んでいるとシルワアが聞く。
「え、あー、うん。そうね」
どうやら、前に話したことを彼女は覚えていたようだ。
意味は分かっていないかもしれない。けれど結構前の会話だというのに覚えていてくれた、というのは少しだけ嬉しかった。
「どんな場所?」
「そうさなあ、シルワアに伝わるかどうか……」
「努力する」
「いや、君の読解力を疑っている訳じゃないんだ。ボクが上手く伝えられるか、そういう問題だ。ああ、でもそうだね。頑張ってみるべきだ」
手と手を組んで、親指同士をすり合わせる。
「ボクのいた場所は、自然がここよりもずっと少ない場所だったんだ」
「平原ばっか?」
「いや、そうじゃない。平原は元々ない。島国だったからね。山ばっかりだった。そんな山の木を切って、あとは海を埋めて平らにして大きな街にしていった。
人が沢山いたからね。だけど山を開いても足りなくなったから、狭い土地に沢山人が過ごせるように建物をどんどん高くしていって、気づいてら一〇階、二〇階みたいな建物がずらーっと並んだコンクリートジャングルになっていた。
そんな場所で『僕』は日々生活していた」
「二〇……! ボウラァトットゥラくらい?」
「それが何なのかは分からないけど、多分ね。見上げると首が痛くなる。そんなのがいっぱいあると、空が隠れてしまうと思ったり……いや、当時の『僕』はそれほど感性が豊かじゃなかったかな」
「シスイ、中入った? 住んでた?」
「住んではないないね。アパートだったから。もっと背の低い、まあ宿屋みたいなところ。仕事は、でも、高い場所でやってたよ」
「楽しかった? 仕事」
「うん。仕事の内容はそれほどだったけれど、仲間とは仲良くやってたし、それに……良い後輩がいたからね。うん、楽しかった」
ふと、あの子の顔が過る。
後輩の顔が、過る。
会ったことのない、けれど色んな思い出が浮かぶ。
これは「僕」の記憶だ。ボクのものではない。
だからかな、彼女を鈴香ちゃんと呼ぶのに抵抗があった。後輩ちゃんや鈴香さんと呼ぶ。呼ぶようにしている。
ボクは「僕」とは違うのだと、そういうラインを引いておきたいのだ、きっと。
自分のことだというのに「きっと」なんて言うのは少しおかしな話だけれど、正直なところ分からない。説明するにも、感覚的というか、抽象的過ぎるというか、ぼやけたイメージみたいなものしか浮かばない。
「シスイ」
「……」
「シスイ」
シルワアに肩を思い切り叩かれる。
「はい! なんでしょう?」
「フェリー、終わった」
「叩き終わったぜ、おっさん。肉団子作りはおっさんが担当ね。一人につき一回は手伝わないとな」
「ああ、そうね。じゃあ、まな板を貸してくれ。芸術的な団子を作って見せるから」
これを考えるのは後でも良いだろう。
暇な時間を潰すのに丁度良いテーマだ。
「さて、こねますか……なんか、ちょっとだけ毛が混じってるんだけれど誰のだろう。灰色の毛」
「あ、あー……リスの毛かもしらん。尻尾とか。……すんません」
腕の毛をさすりながら謝るフェリー。
シルワアが「やっぱり」と言わんばかりにジトッとした目つきになっている。
なるほど、ナイフを渡すことをためらったのは、これを危惧していたのか。
この後、ボクとシルワアでできる限り毛を取り除いて肉団子鍋を完成させた。
味は肉の旨味が出ていて、毛が口に入っても気にならないくらいにとても美味しかった。




