60 三つの偶然、然らば必中
「舌噛むなよ!」
フェリーに跨って直ぐに、彼は地面を強く蹴る。
地面が爆発したかのような衝撃が股から胴体、そして頭にまで伝わってきた。
上を向こうとすると風が目を潰し、顔を蹴り飛ばして来るので、逃げるように下を見る。
跳躍によって地面がどんどん遠くなっている。
小さくなっていくダインが精巧な人形に見えるようになった頃、壁のてっぺんに到達する。
跳躍による速度が落ち、ふわっとした浮遊感が体を包む。
一時の滞空時間。
フェリーの口が開く。
「どうして壁の上からなんだ? こっちは壁越しから攻撃できるんだろう、ダイン曰く」
「正面からだと頭が狙えないからだよ。射的とか苦手なんだ」
「たった、それだけ?」
「それだけじゃない」
「他にあるのか?」
「多分森の主の意識は、かなり戻りつつあると思う。彼女、ダインことを睨んでいたから。腕の再生は終わってる。脳みそだってだいぶ再生されてるはずだ。壁から出てくるものを警戒して回避するなんてことをしてくるかもしれない」
「不意打ちするなら意識外からってことか。有効射程は?」
「五メートル程、かな。本当はもっとあるんだろうが、チヨさんの基準になる」
「五メートル、ね。なんだか最初の森で主に追っかけられた頃を思い出すな。今回はオレ達が向かっていくけど」
フェリーは風で透明な足場を後ろ足の部分に作り、壁の向こう側に飛ぶ。
「フェリー」
「なんだ?」
「ボクは甘いだろうか……。殺す、という判断ができないボクは」
「甘い。けど、後半のは嘘だね」
首を捻る。
後半は違うとは何だ?
「おっさんが奥の手を使うってなったとき、バウアーの作戦に殉じてたろ? つまり、あの場でバウアーに代わって殺すっつう判断をした訳だ。森の主の命とオレや後ろの人間の命を天秤にかけて、ちゃんと判断ができるってことだ」
「どうだろう。思っていたからといって、実行できたかどうかは分からない。途中で怖気ていた可能性もあっただろうから。お前のように即決できないのが、未熟に感じてならない」
「そうか? 普通じゃないか、それ」
彼は首を傾げる。
「それに、オレのは未熟云々と違うよ、全然。……オレのは違う。ただ単にオレは選択肢がないってだけだ。おっさんみたいに助けるか、殺すかなんて選べない。あのときのオレの中には殺すか、殺されるかしかなかったんだ。フェンリルになってから長いからかな。……いや、人間の頃だって」
彼の声のボリュームは心電図のように波打つ。
どこか、遠い場所に馳せているような声色だ。
「おっさんの考えは甘い。生死が掛かった環境でその思考は命取りになる。これは言える。けど、人として、とても大切な様にオレは思えるから、そのままの方がオレは……良いな。なんだこれ、馬鹿みたいなこと言ってるな、自分は」
「確かに聞いているこっちも照れくさいことを言うな」
ほんとにな、と笑う。
「それにボクの頭が柔軟なのは当然だろう」
「なんでさ」
「ボクはお前よりも七〇歳くらい若いから、肉体面ではね」
「あ! 言うなよ、それ。否定したくても事実なんだから、ちくしょーめ。……そろそろ降下するぞ……!」
内臓がひっくり返るような感覚。「ゴオオオオオッ!」と嵐のように轟く風の音。
落下の気配。
この世界に来るときのパラシュート無しスカイダイビングを思い出す。
けれどあのときと違い、フェリーがいる。死の予感はない。
その為パニックになることはない。
だが予想外のことが起きた。
「前が見えん!」
風の勢いは上昇したとき以上。
手で風を防ごうとするが、その手が押し出されそうになる。
これでは狙いを定めるなんて不可能だ。
グニュ。
何かが顔にへばりつく。
大きな風船が顔に押し付けられているような感覚が顔全体を覆う。
同時に風の殴打も消えていた。
目を開けると視界はクリア。
フェリーが一瞬、こちらの様子を窺うようにチラリと見た。
彼の風を操る力で何とかしてくれたのだろう、と察する。
ただの山椒魚に見えていた森の主が、徐々に大きくなってくる。
風の抵抗を減らす為、フェリーは頭を更に下げる。
加速によって風切り音が増した。
異音に反応して、森の主は目だけ上を見る。
目が合った。
(来る……!)
「来るぞっ!」
タイタンタートルは首を上げる。
濁流が襲ってくる。
ブレスが来る。
ドザアアアアアアアーーーーーーーー!!
泥の間欠泉がボク等を襲う。
フェリーは咄嗟に二段ジャンプのように宙を蹴り上げ、初弾を回避する。
避けたブレスはうねる蛇のように暴れる。
しかしすぐに安定し、鞭が背後から追って来る。
この精密さ。もうほぼ脳は再生しているらしい。
何とか避けながら迫れている。
けれど近づけばそれだけ攻撃は精密になる。
やがてどこかで当たる予感がする。
「ギリギリを行くしかない。掠ったらすまん!」
その言葉に姿勢を低くする。
射程圏内に入ったらすぐに撃てるよう、狙いを定める。
頭が上がって頭のてっぺんが見ずらい。
何かの弾みで頭を下げてくれないものか……。
目を細めながら考えていると、目の端、森の主の腹辺りの地面が盛り上がっていくのが見えて、思わず凝視してしまう。
何だ。何かがいる。
ボコッ!!
地面から槍先が現れる。
続けて泥人間が飛び出して来た。
頭には嵐に靡く木の葉みたいに芸術的な形状をした長髪。僅かに黒髪が混ざっている。
その隙間から獣のような鋭い眼光が見え、泥人間の正体がバウアーであることが分かった。
「……パイルバンカーは構造がシンプルな為、泥につけても作動する……!!」
彼は森の主の腹に槍を突き立てた。
続く轟音。
巨大な腹に真っ赤な花が咲く。
宇宙船に穴が空いて、宇宙空間に放り出されるみたいに水や土、枝が吐き出される。
森の主はたまらず頭を下げて苦しむ様子を見せた。
ブレスも止まる。
なんてベストなタイミングなのだろう。
友人の英雄も見習ってほしいくらいだ。
これで頭を狙える。
手を構えようとする。
サクッ。
何かが擦れるような感覚。
その後、熱い鉄でも当てられたかのような激しい痛み。
痛む場所をチラリと見ると、太腿辺りが真っ赤になっていた。
何が起きた。
そう考える暇もなく、今度は鼻先だ。
足とは違い掠った程度だが、刃物に斬られたみたいにサックリとした切り傷。
鼻が切れる寸前、赤い線のような何かが目に映った。
それは森の主の背中から飛んで来ていた。
背中の腰の辺り。森の主の肛門があった場所。
肛門の部分にはボコッと突起があった。突起には小さな穴。
そこから赤い針のような何かを飛ばして来ている。
「血の弾丸かっ!」
腹から流れる血を使って、下がった頭の代わりに肛門から攻撃しているのだ。
まるで対空砲だ。
正確で、尚且つ飛ばして来る数が多い血の弾丸はブレスよりも質が悪い。
運良く致命的な箇所には飛んで来ていないが、背中や二の腕の皮を削いでくる。
腹に穴が空く傷を受けているというのに褪せぬ戦意は畏怖の域だ。
なんて執念。なんて殺意。
フェリーは咄嗟に風で防ぐが、いくつかが貫通し、彼の耳や太腿に刺さる。
「あの野郎の角が干渉してきて上手く風が練れない!」
このままではいずれ致命傷を負う。
射程に入る前にやられてしまう。
「もうこのまま撃つ!」
覚悟を決めて頭を狙う。
「プレート臨か……!」
ドゴオオオオオオオオーーーーーーン……!!
二回目の轟音。
それと同時に森の主の角の先端が砕ける。
バウアーのものではない。
街の壁の方からだ。
一体何が起きたんだ?
◇ ◇ ◇
〈数十秒前 シルワア〉
「壁の上からの奇襲か」
エカユイさんは目を細めて遠くを見る。
「果たして上手く行くか」
誰かに宛てた質問ではなさそうです。どちらかと言えば自問自答の類。
「どうかな。反応が良くなってる。大分脳が再生してるのだろう。撃墜されておしまいっていうのはあり得る線だ」
彼の問いに答えるタルポルポさん。
彼は双眼鏡で森の主の動向を注視していた。
「どうすれば彼等の助けになる? 詳しいんだろう、龍に」
「ブレス器官の破壊だろうな。ここだ、ここ」
タルポルポさんは自分の首辺りを指差し、そこから線を伸ばすように指を動かす。
森の主に生えた角。
それを破壊する必要がある。
彼はそう言っているのだ。
「サテール、アレを破壊できるか?」
エカユイさんは大弓を持った男性の方を見る。
「当てろって命令ならできますけどね。破壊ってなると別だ。僕の武器じゃ主との距離は射程ギリギリで最大威力には程遠いし、例え最大威力が出せたとしてもどうかな……」
「はっはっはー、まあ現実的じゃないね。精々俺等にできることは、あの二人がハエみたいに落ちないことを祈るだけだろうね」
何がおかしいのか、へらへらとしているタルポルポさん。
その態度に少々むかっ腹が立ちますが、それで怒る時間の方が圧倒的に無駄でしょう。
とにかく何をすべきかは理解しました。
後はどう実行するか。
幸い、その手段というものを私は持参していました。
私は背負っていた長い包みを降ろす。
これは街の武器屋に一時的に預けていたもの。
メンテナンスはまだ終わっていないが、仕方がありません。
包んでいた布を剥がすと、中から細かな仕掛けが施された鉄の筒が出てくる。
それを見た途端、へらへらと目を細めていたタルポルポの瞳が二倍程見開かれる。
「それは……! ガムダリル原生林調査隊の一人『最も竜を殺した竜狩り』と呼ばれ、そしてあの虐殺事件の唯一の生存者である男、グランゼブルが設計、愛用したセミオート式対竜ライフル『ドラゴンスレイヤー』!! どうしてそれがここに? どうして君が持っている?」
「試作品」
「プロトタイプか!」
「貰った。師匠から」
「師匠? その師匠というのはもしかして両手両足が義足かい?」
突然火柱が立ったみたいな勢いのタルポルポさんに気圧されながらも、コクリと頷く。
「師匠、知ってる?」
「ああ……ああ! 知ってる! 知ってるとも!! 俺はガムダリル原生林調査隊のことには詳しくてね。そうか、その武器は実在したか!! いや、彼の過去の経歴や記録を見るに弓をも超える一撃を放つ武器を所持しているという情報とその名称だけは知っていたが、いやはや、その実物を見れる日が来るとは思わなんだ!」
「水を差して悪いが、その、ライフルというので角を破壊できるのか?」エカユイさんは私に尋ねる。
「ああ、できるとも」
その問いに、何故かタルポルポさんが答えていた。
けれど、概ねその通り。
彼の問いに、私は崩れかけた塀へライフルを置いて、固定して、答える。
狙って答える。
「狙うなら角の先端だ。先端が一番柔らかく、そして機能が最も集中している。他の部分は固く、吸い上げた龍脈を送る管でしかない。狙うなら吸い上げる器官本体を狙うんだ」
耳元でタルポルポさんが囁く。
途端、私の意識は外界を遮断する。
極限の集中で周りの人間を悉く消し去る。
的を絞る。
視界を絞る。
音を絞る。
思考を絞る。
見るのは未来。
標的の数十秒先の未来。
この一撃は予定ではなく決定事項である。
そして私は、トリガーを引いた。
◇ ◇ ◇
〈シスイ〉
サンゴのように伸びた角のてっぺんの部分が、突然砕ける。
それと同時に血の弾丸が止まった。
龍脈の供給が止まったのだ。
今しかない。
「フェリー!」
彼は足を畳み、加速する。
落下するミサイルが如く。
風が全身を殴打する。後ろ髪を引っ張って首を持っていこうとする。
それに耐えろ。
息を止めろ。
この場にいる全ての人間の結末は、この魔術に、指に帰結している。
深呼吸も許されない。
そんな余裕も、余地も、吸う空気も、吐く空気も今の自分には持ち合わせていない。
だから息を縊り殺して、集中しろ。
残り四〇メートル。
森の主が首を持ち上げる。
痛みからなのか、怒りからなのか、痙攣するように震わせる口。
それが大きく開かれる。
残り三五メートル。
残されたもう一方の角が激しく震え、光り出す。
最後のブレスが来る。そう直感する。
溶岩のように熱い血液が口内に溢れ出す。
噴火直前の火山ように。
残り二五メートル。
焦るな。
引き寄せろ。
まだ、まだだ。
射程に入るか、それもとブレスが溜まるか。
そういうギリギリの、極限の勝負だ。
ただ運が悪いか、ブレスが溜まる方が射程に入るよりも早い。
火山の噴火は始まろうとしていた。
残り一五メートル。
「よせええええええええええーーーーーー!!」
大きな声がする。
青年の声。
リアック君だ。
彼はこちらに走って来る。
青い石を持って。
青い石にはトカゲのような影が映っていた。
「子がぁ! 生まれ来る子が死んでしまうッ!! だから角を使うのをやめてくれええええええええーーーーー!!」
口から溢れ、煮え立つように泡立っていた血のマグマが一瞬で冷める。
森の主の動きが完全に止まる。時間を止められたように固まる。
喪失した記憶を思い出したような、驚嘆の瞳をリアックに、青い石に向けていた。
「ゼロ」
フェリーは森の主の頭に着地する。
指先に溜めた魔力を解き放つ。
叫ぶ。
「プレート臨界、解放! 必殺『指鉄砲』!!」
言葉と共に放たれる魔術。
指から離れたエネルギーは二つに分かたれ、螺旋状の一本の閃光になる。
そして。
シュドオオオオオオオオーーーーーーン!!
閃光は森の主の巨大な頭を殴りつけた。
強靭な主の頭が地面に叩きつけられる。
そして二度目の衝撃音。
主の頭が地面に叩きつけられた音だ。
クレーターができる。爆弾でも踏んだように土が、泥が舞う。
森の主の体から力が抜けていく。
パンプアップした筋肉が萎んでいく。
彼女はクレーターの中で白目を向いて動かない。
フェリーは主の目の前に着地。
ボクは着地のショックで姿勢を崩し、泥の地面に転げ落ちてしまう。
森の主はブクブクと赤い泡を吹いている。それと同時に呼吸も微かに聞こえた。
生きている。
その事実は安堵と共に、緊張が走った。
異常なタフさを延々と見て来た。
また動き出すのではないか。
そんな想像がくっきりと脳裏に浮かぶ。
全員、その場から動けない。
一〇秒。
二〇秒。
一分。
五分。
……動かない。
「やった、のか?」
フェリーが恐る恐る沈黙を破る。
「あ、ああ……。……多分、きっと」
「よ、よよ、よよよよよ、よっしゃああああああああああああああーーーーー!!」
フェリーの叫びが大地に響く。
城壁の方から「うおおおおおおおおおおおお!!」と歓喜が伝播し、大勢の歓声となって地面を揺らす。
「本当に終わったのか?」
リアックは青い石を持って立ち尽くしている。
その後ろからセシアちゃんが走って来て杖で彼の頭を引っ叩く。
「痛いよ! 何⁉」
「無茶をして! 死んだらどうするの!」
「生きてるじゃないか」
「結果論は嫌いよ」
「卵も、まだ光ってる。でも、もうほとんど消えかかってる。遅かったのか……?」
「……貸してちょうだい。地面に置いて」
卵を地面に置く。
その卵に杖を突き立てると、青い光が強くなった。
「何をしたんだ?」
「周囲に残留する龍脈エネルギーをかき集めて分けたわ。多分、これで大丈夫」
「うおおおおおおおおーーー!! ありがとうな、セシア!」
「やめて、くっついて来ないで!」
遠くで喜ぶ二人を見ながら、倒れた体を起こしてあぐらをかく。
「……どうやら、あっちもあっちで、色々あったみたいだね。ふう……」
息も絶え絶えに言う。
「そうみたいだ……オロロロロロロロローーーーーー!」
「うわあ、なんだ……ってすげえ血を吐いたが、なんだ⁉」
「血の弾丸を肺に食らって血が溜まってたみたい。苦しいのは緊張だけじゃなかったんだな。……おっさん?」
「いやあ……すまん。……ボク、限界かも」
「え、ちょ、おっさん?」
「ちょっと寝ます」
緊張が解けて頭と瞼が一気に重くなる。
地面が回ってる。
力が抜けて後ろに倒れる。
いつもなら不快な泥の地面が、今だけはふかふかのベットのように思えた。
やがて、幕が閉まるように瞼が落ちて、そして真っ暗になった。




