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58 亀裂の向こうに見えるもの

 森の主が溜める水の玉は限界の大きさになりつつあった。水玉は日の光で模様を作り、ビー玉みたいに見える。

 フェリーは彼女の目を風の壁越しに睨み続けている。

 ボクは自分の手袋を見た。

 まだ、あと半分はある。


「来るぞ!!」


 フェリーの声で顔を上げる。

 水は破裂寸前。

 フェリーも、ボクも、数秒も経たずに訪れる衝撃に身構える。

 

 森の主は溜めた水を一口で飲み込んだ。

 その後に地鳴りに似た音が彼女の腹の中から響いてくる。


 そして。

 再び、口が開いた。

 ビー玉のようだった球体は、主の体の中で茶色い濁流へと変換され流れてくる。勢いは大砲の玉が飛んで来るかのようだった。

 濁流はフェリーの風の壁に激突する。


 ドォン!!


 車が壁にぶつかったような音。

 壁に当たった泥水は四方に飛び散る。足元から泥水が大雨で溢れる排水溝の水のような勢いでこちらに流れてくる。

 壁から「ビシビシビシ!」と窓に雨が当たるような小気味良い音がした。

 それは泥水に混ざった小石や枝が壁をノックする音だ。

 ノックと表現したが、触れればその場所を切り裂く刃だ。壁の向こうを気遣うものではない。


「ぐ、うおおおおおおおお……!! 重いっ!! 重すぎるぜえ!!」


「大丈夫か⁉」


「が、いや、何とか……嘘、結構厳しい!! 受け流すのと違って全部正面からぶつかってるからきつ過ぎる!!」


「マジか!!」


「そもそもな話、風が圧縮した水に勝てるわけねえだろうが畜生め!」


 水と風。

 質量で言ったら水が勝る。

 それが例えフェンリルの風であっても例外ではないらしい。


「おっさん、まだか⁉」


「あと半分くらいか!」


「ああ、くそ!! 耐えてやる。ファイト一発だ!!」


 滝のような汗を掻いてはいるが、何とか耐えられそうな様子のフェリー。

 森の主がブレスを撃ってから、既に十数秒は経っている。

 けれど威力が弱まる気配はない。

 無尽蔵に水を吐き続けている。

 いくらフェリーが「耐えてやる」と宣言したとしても、この調子ではすぐに風の壁は消えてしまうだろう。


 永遠に吐き出される水はどこから来ているのか。

 森の主をよく見ると、首元にあるエラに大量の靄が集まっているのが見えた。

 アレは……霧か。

 なるほど、吐き出した水を再びエラで吸収し、ブレスに変換しているのか。

 あのエラか霧をどうにかしなくてはならない。

 しかし、どうやって……。



 ◇ ◇ ◇



〈エカユイ〉


 城壁の上まで上った俺は動ける兵士を集め、指揮を飛ばす。


「あのブレスは周囲の水を集めて放っているものだ。だから周辺の水を凍らせることができれば、ブレスに供給される水というのは減る」


「なるほど。しかしそれをどう実行するのです?」兵士の一人が聞く。


「現在セール四級上位冒険者がバリスタ弾に時間差で発動する凍結魔術を施している。それをタイタンタートル周辺にばら撒くように撃ち、タイタンタートルが吐いた後のブレスを凍らせてくれ。以上だ。すぐに行動に移せ」


「「「はっ!」」」


 兵士達は一斉に動き出す。

 俺は周りを見渡して大弓を担いでいるであろうサテールを探す。

 アレも壁の上で援護射撃をしていた。ブレスに巻き込まれている可能性があった。


 見回している内に二〇メートル先で大弓を持った男を見つける。

 サテールだった。無事だったらしい。

 駆け足で近づくと、近くにセールもいた。


「……という作戦よ」


 どうやら彼女から作戦を聞いていたようだ。


「分かった。僕も彼等と共に弓を射れば良いんだね」


「サテール。お前にはもう少し難しいことを頼みたい」


「というと?」


「ここに配置されているバリスタではフェリーが展開している壁の向こうには矢が届かない。矢を弧を描くように壁を飛び越えさせる必要がある」


「僕の曲射を見たい訳だ」


「ああ。地面を凍らせるだけでもだいぶ違うだろうからな」


「本当にそれだけで良いのかい?」


「どういうことだ?」


「僕なら、あの怪物のエラに直接矢を届けられる」


 サテールは弓の弦を鳴らした。



 ◇ ◇ ◇



〈シスイ〉


 ヒュン!


 フェリーの壁の向こうに何かが落ちる。

 何かは主のエラ部分に突き刺さる。

 それは大弓を持ったサテールが放つ巨大な矢だった。

 巨大な矢は沸騰した鉄のように「シュー!」と音を立てている。

 その音と共に、エラの部分が徐々に凍り始めた。


「城壁からの援護か!」


「どうやらエカユイ達が動いてくれてるらしいね」


 痛覚などの感覚が鈍くなっているのか、森の主は怯みもしないが、不快感はあるようだ。首を振って矢を取り除こうとしている。

 矢は深く刺さっていることに加えて凍結もしている為、首を振る程度では取れない。


 サテールの矢に続いて次々とクロスボウの矢が飛んで来る。

 クロスボウの矢はフェリーの壁を越えないが、氾濫した川のように流れてくる水へ刺さり、次々に凍らせてゆく。


「そうか。ブレスの水を凍らせれば再吸収できなくなるのか。確かにこれならエラをどうこうするよりもずっと楽で効果的だ」


「確かに威力が段々弱くなったような……」


 ピシッ……!


 ガラスにヒビが入るような音。

 妖精の囁きのようにも聞こえるが、伝えてくるのは不吉な未来の類だ。

 その言伝はフェリーを返して、ボクに伝わる。


「バリアにヒビが入った!!」


「威力は下がったんじゃないのか⁉」


「水の量自体は落ちてるがよ! アイツ口をすぼめてレーザーみたいに飛ばしてきやがる!! ブレスの着弾部分に風を集中させてるが、どれくらい持つか……」


 ピシピシピシ!


 ヒビはボクでも確認できるほどに大きくなる。

 妖精は悪魔に変わる。

 大砲のようなブレスよりもバリアへのダメージが高い。

 あのブレスはウォーターカッターのようなものだろう。


 ウォーターカッターとは、加圧した水を僅かな穴から噴射して金属などを切断、加工する技術。

 確か水をマッハ三程の速度で飛ばし、その衝撃力でものを切断するのだったか。

 森の主のこれがマッハ三程の速度を出しているとは考えられないが、口をすぼめることで水は一点に集中する。衝撃は跳ね上がる。


「ああ、もう駄目だ!! おっさん、まだなのか⁉」


「もう少し、もう少しなんだ……!!」


 魔力の移動は八割を超えていた。

 けれどまだ届かない。

 ボクはすぐにでも撃てるように指を構える。

 溜まっている途中で撃つことも考えたが、手袋に編まれた魔術はプレートの力が全て移って初めて作動するものだ。半端な状態では撃つことができない。


 フェリーと一時的にこの場を離れ、魔力が全て移り次第撃つことも考えた。

 だが、あの頑強さだ。

 外部からの攻撃は、特に急所への攻撃というのは合金の骨で弾かれてしまうだろう。

 狙うなら柔らかい体内。それに直通する口の中だ。

 この壁を崩せば、ブレスを止めることはできない。再び正面に立つことは無理だ。

 今ここで撃つことがボクの考えうる最善手だ。


 だが現実はそう上手くいくものではない。

 バリアのヒビは亀裂になり、欠け始める。

 フェリーの腕も力みで震えていて、彼もバリアも限界が近いことが察せた。

 いずれこの均衡は崩れる。


「くそ……!! もう壊れるぞっ!!」


 残ったバリアをかき集め、一点に集中させるフェリー。

 バリアはカーテンのような形状から、ドレスのような円錐になる。

 しかしそれもすぐに亀裂が入り始める。

 プレートからの魔力移動は九割に達した頃。


「くそっ……くそ!!」


 間に合わない。もう無理だ。

 だからと言って諦められない。

 フェリーは最後の最後まで足掻いている。

 そんな彼の背中が、背中を見るボクが、構えた腕を下げるなんて死んでもできない。あっちゃならない。


 魔力を送れ。

 指先に送れ。

 切迫した状況であっても、正しく、丁寧に、そして迅速に。

 ボクのできる限界を振り絞れ。

 

 バリアの亀裂は致命的な大きさになる。

 隙間から溢れた水がフェリーの左頬を、ボクのこめかみを切る。

 血は、汗と共に滴る。

 ボクもフェリーも、次に来る衝撃に身構えた。


 ふと、耳から変な音がした。

 ブンブンと風を切るような音。

 言葉だけで見れば蜂のようだが、実際は巨大な鉄塊が飛んで来るような重い音だった。

 そしてそれは、フェリーの前に落ちる。

 よほどの重量だったのか、泥が舞った。


「今度はなんなんだあ⁉」フェリーが叫ぶ。


 目の前に落ちてきたのは、大人の身長を超える巨大な大盾だった。


「どうやら、何とか間に合ったようだな」


 背後から、聞き馴染のある男の声がした。


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