56 鞘から抜くまでの間
何が起きたのだろう。
辺りが真っ暗だ。何も見えない。
自分は、また死んだのだろうか。
これは正確ではないな。死んだのはボクではなく、「僕」なのだから。
そんな思考ができるということは、まだ死んではいないはず。
死んだときの感触、記憶はボクにもある。
アレはもっと、虚ろになるような、考えが霧散するような、そういう脱力感があった。
今のボクに、そういう感覚はない。
なら生きているはずだ。
五感を研ぎ澄ませろ。
何を感じる。
視覚は、真っ暗で分からないけれど、瞼は動かせる。
単純に真っ暗な場所にいるようだ。
匂いはどうだ。
……泥の臭いだ。それと、どこか嗅ぎ慣れた獣臭がする。
音はどうだ。
隙間風が吹いているような音がする。
耳元ではないが、かなり近くからだ。
「大丈夫か、おっさん」
フェリーの声がした。
これは耳元からだ。
「フェリー、近くにいるのか?」
耳元でフェリーの口が開く音がしたかと思うと、上の方から光が差す。
そのおかげでようやく状況がつかめた。
ボクは小さな空気のドームの中に居た。
フェリーが風の防御を張っていて、その周りに泥がびっちりと付いていた。だから泥の臭いと、風の音が聞こえたのだ。
「咄嗟に風のバリアを張ったのさ。狭いのはご愛敬。でも、間に合ってよかったぜ。かなりギリギリだった」
泥はゆっくりと流れてゆき、ある程度落ちると空気のドームはシャボン玉のように「ポン!」と弾ける。
少し泥が跳ねて、服に付いた。
何が起きたのかは推察できる。
森の主タイタンタートルが大量の水を吐き出した。
水圧の威力は地面を削り取る程。しかも小石を沢山含んだ泥が混ざっていて、触れた者をことごとく粉砕してくるという、恐ろしいものだ。
それをギリギリのところでフェリーの風が防いだのだ。
「しかし、本当にギリギリだったね。お前の機転に助かった」
「いや、オレの機転と言って良いのかな。アレ、ほぼオートで発動したものだったし」
「自動で展開したのかい? あの風のバリアを?」
「前に言っただろ? 魔力が含まれた攻撃が近づくと、それに反応して風が出るって。アレは自動のバリアと同時に触角みたいな役割もしてくれて、攻撃が近づいてくることが感覚的に分かるんだ。だから近づいてきたら全身に魔力込めて防御すれば良いだけ」
そういえば、そんな機能がボクの手袋にも付いていたな。
「ということは、森の主がした攻撃は、魔術ということになるのか」
「それは少し違うかもしれない」
「どういうことだい?」
「魔術には近しいけれど、森の主が使ったのは、もっと原始的というか、生体機能みたいなものだ」
「生体機能?」
「角みたいのが見えるだろ? アレを使って地面のずっと深くにあるエネルギーを吸収して、自分の糧にしてるんだ。それが魔力と似た感じなんだ」
「セシアちゃんが戦う前に少し話していたな。確か『龍脈』というのが地面の下に流れていて、魔力よりもずっと効率の良いエネルギーだって。ただ直接使うと人間だと害がある、みたいなことも同時に言っていた」
「龍脈って言うんだな。知らなかった。じゃあ森の主は、その龍脈を使って水に変換しているのかもしれない。それか、周囲の水をかき集めているのか。まあ、いくらエネルギーを使えても、そこまでトンチキなことはできないから、おそらく後者だろうな。そのときに龍脈のエネルギーが水に混ざって、オレが反応することができた」
「なるほどね……」
そう言いながら、後ろを振り返る。
そこには半分程崩れた城壁の壁。
森の主の攻撃の破壊力を物語っている。
次にまた同じ場所に撃たれでもしたら、壁はあっという間に崩れてしまうだろう。
「そうだ、他の三人はどこに⁉」
バウアー達はどうしたのだろうか。
ボクはフェリーがいてくれたので助かったが、他の三人は違う。
見たところ、泥はかなり遠くまで広がっている。
それだけあの攻撃の範囲は広いということだ。
果たして無事なのだろうか。
すると隣の地面が盛り上がる。
出てきたのは巨大な剣。
それとエカユイとセールだった。
「ふぃー、危なかった。特大剣様様だね。流石の頑丈さだ」
どうやら特大剣を盾として使い、凌ぎ切ったようだ。
屈んでいたセールも立ち上がる。
「アタシだけだったら死んでた。特大剣を作った職人には頭が上がらない」特大剣をコンコン叩きながら言う。
「二人共、無事だったんだね」
無事なことに安心する。
ボクとフェリーは泥に足を取られながら彼等に近づく。
「あの攻撃で、よく無事だったね」
改めて考えると、アレを武器で耐えるというのは異常なのではないか、と驚嘆の声色に変わる。
「おお、シスイ殿。お二人も無事でしたか。いや、こちらは本当に間一髪でしたよ。そちらはフェンリルのフェリー殿が?」
「ああ、オレの風でバッチリだぜ」フェリーは自信満々に言う。「それよりも、バウアーはいるか?」
その言葉を聞いて、首を僅かに動かし周りを見るエカユイ。
やがて軽く首を横に振った。
「いませんな。こちらは俺とセール殿だけだったので」
「……まさか、アレをもろに食らってぐちゃぐちゃに死んじゃったってことか?」フェリーは顔を青くする。
「ぐちゃぐちゃって……随分グロい表現ですね。いやあ、あの人に限って死ぬとは思えませんし、どっかに流されてるでしょ、多分」
「そっちはそっちで随分と軽いね」ボクは眉をひそめながら言う。
「彼とはそれなりに長い付き合いでね。それくらいの男ということは知ってるんですよ。それよりも、今後のことでしょ」
そう言って、森の主の方を見る。
森の主は角とエラを震わせて、第二波を放つ準備を着々としていた。
これほど大地が泥まみれというのに、不思議と湿気はない。
森の主の眼前に浮かんでいる小さな水滴が、徐々に大きくなっている。
「なりふり構わずってとこだろうね、アレは」厳しい表情のエカユイ。
「おい、三人共。森の主の足を見てくれ!!」
セールは森の主を指差しながら言う。
彼女が指差すところには先程切断され、手がなくなった腕がある。
よく見ると、何か触手のようなものが蠢いている。
触手の先には爪があった。
「アレは……まさか、手が再生しているのか? この短時間に」驚くエカユイ。
「あの角が原因だろうな。元々高い再生力のある森の主を龍脈エネルギーがバックアップしている」とフェリー。
「このままじゃ、全てが振り出した。せめてコイツの目的が何かさえ分かれば、策なりが思い付くのになあ」
エカユイは頭を掻く。
けれどフェリーの方を見て、搔いていた手が止まる。
「なあ、フェリー殿。その赤く光っている毛は一体なんだ?」
「どれどれ……本当だ。お前の毛、光ってるぞ」
フェリーのちょうど首元が赤くチカチカと光っていた。
どこか危険を知らせるアラームのようにも見える。
「ちょっと失礼」
ボクはフェリーの首元に手を伸ばし、毛の下を弄る。
「は? え? あ、ちょっとおっさん、勝手に弄んなよ。ぎ、ぎゃははははははは!! くすぐったいくすぐったい!!」
フェリーの毛を弄ると、何か硬いものが当たる。感触はガラスに近い。
掴んで引っ張ってみると、機械が付いたガラス板のようなものが出てきた。
ガラスの部分が赤く点滅している。
「これは、確かバウアーが持っていた連絡装置だったか。何か文字が書いてあるね」
「シスイ殿、それを少し」エカユイが言う。
「ああ」
彼に手渡すと、ガラスに書かれた文字を読む。
「どうやら緊急時の特別なメッセージが送られているらしい。『コード・レッド。森の主の目的、卵の奪還。こちらに作戦あり』だそうだ。宛名は……セシア殿か!」
「城壁にも攻撃がいったけれど、なんとか無事だったんだね」
城壁の上を見て、人影を探す。
するとキラキラと光っている場所があり、人影もあった。光っているのは剣か何かを日光に当てて、反射させているのだろう。
意図的に光を反射させているところから、こっちに気づいている様子だ。
「追加で文章が送られてるな。『誘導作戦。荷車に卵乗せ、門を出て遠くに行く』だそうだ。どうやら、これが作戦概要らしい」
「おい。街の門から誰か出ていってるぜ。アレはリアックか? リアックが馬車を引いてる。上にセシアも乗ってるぞ」
仕事が早い。
もう実行したみたいだ。
森の主はそちらを向くだろうか。
そう思い、主の方を見るが反応している様子はない。
セシアちゃんの当てが外れたか。
森の主にあるのは、ただの復讐心なのか。
ボクやフェリーないし、人間に対しての恨みだけなのだろうか。
違う気がする。直感だが、そうではないという確信がある。
もし復讐だけが目的だとしたら、何故この力を隠していたのだろうか。
何故理性的であろうとした。
さっきと今。森の主にどんな変化があった。
それが鍵になるような気がする。
変化といえば……そうだ。
先程まで感じていた、射殺すように鋭利な殺気が感じられない。
圧迫感はある。むしろ増している。
けれど、逃げているときほどの息苦しさではない。
この差は一体何なのだろうか。
その答えを、森の主の目を見て気づく。
「おいおい、止まる様子がないぞ。セシア殿の仮説は外れたのか?」
「……いや違う」
「違うって……分かるのか、シスイ殿」
「アレは、森の主は、ボク達が見えていない。そして多分、卵も、壁も」
「どういうことだ?」
「バウアーの最後の攻撃がマズかったんだ。パイルバンカーで頭を砕いただろう? きっと脳に致命的なダメージを与えた。再生能力が高いから死にはせず、ああして体を動かせているけれど、完全に治った訳じゃない」
森の主の腕に注目する。
「腕がまだ蛆のようにうねっているのを見ると、瞬く間の間に再生することはできないのは察せる。脳みその再生も完全じゃない。だから森の主は、目の前で何が起きているのかを理解していない。今の彼女は生存本能のみで暴走する怪獣だ」
エカユイは納得するように頷いた後、顎に手を添えて唸る。
「なるほどな。しかしそうなると、現段階では手段がない。アレを止めるには、少なくともバウアー殿が使っていたパイルバンカーと同等か、それ以上の火力が必要になって来るのだからな。しかも時間の猶予もない。即効性が求められる。俺の特大剣も、こう距離が離れてしまっては壁として使うのがせいぜいだ」
「セシアの誘導作戦もおじゃんだし、どーすんだよ、おっさん!」フェリーが叫ぶ。
「今、一つ浮かんだ奴がある」
「え、何かあるのか? 一体どんな?」
その言葉を聞いて、手袋のプレートに触れる。
どこぞの婆さんの言葉が浮かんで来た。
『むき出しの方が振り回しやすいだろうに。鞘はロスタイムだ』
全く良く言うよ。あの婆さん。
深呼吸する。
そして、言う。
「奥の手を使う」




