54 濁流
森の主の右足に火柱が立つ。
一瞬の出来事であったが、槍の柄の端から火花がほとばしり、まるでロケットのように槍が噴出。足目掛けて飛び出し、爆発したのが見えた。
間近の情報量は更に凄いのだろう。
バウアーは後方に転がっていた。
爆発の衝撃もあるだろうが、反動を軽減する為に自身で後方に転がったことが伺える。
現に彼はすぐに立ち上がっていたからだ。ダメージは見られない。
槍はパイルバンカー本体から切り離されていた。
槍は使い捨てなのだろう。
「流石に効いただろう」
バウアーは森の主の足を凝視する。
砂塵が舞い、撃ち込んだ右足の全容は見えない。
だが、やがて風によって煙は吹き飛ばされ、傷があらわになる。
足の肉は花が咲くように爆ぜていて、青白く光る骨には深々と槍が突き刺さっていた。砕けはせずに、深々と突き刺さっていた。
あの威力、あの衝撃で骨が砕けていないことに驚く。多分バウアー驚いていたと思う。
骨の柔軟性、衝撃の吸収力が異常だ。
けれどダメージは他の攻撃とは比較にならない。
これまでこちらの攻撃に一切吠えなかった森の主もつんざくような悲鳴を上げる。
すると残った左前足と両方の後ろ足で地面を蹴って、体をうねらせ、逃げるように泥の上を滑走する。
「滑走を始めましたよ、フェリー殿!!」カルデスが叫ぶ。
フェリーは走り出すタイミングを見計らっていた。
スタートが早ければ離れ過ぎて追ってくれないだろうし、遅すぎれば轢かれてしまう。
追いつかれそうで、届かない。そんな距離を見定めていた。
森の主が四〇メートル後方まで来たとき、フェリーは走り出す。
後方から突風が吹く。強い風に背中を押され、前傾姿勢になった。
きっとフェンリルの力なのだろう。
しかし少し早いのではないか。
そう内心で思ったが、最大速度に掛かる時間を考慮しての走り出しだということに、後から気づく。
加速し切った主が段々と迫って来ていたからだ。
フェリーの足は最大速度ではなくとも相当速いが、それを上回る滑走を、森の主はしていた。
けれど残り一〇メートルという距離で速度は拮抗した。
「ジャストォ!!」
「完璧じゃないか」
「伊達にフェンリルやってないからね。当り前さ」
ボクは振り返って、森の主の様子を確認する。
果たして、ボク等を標的にしてついて来ているだろうか。
仮にこれが、バウアー等の攻撃を恐れて逃げているものだったら、ボク等を余裕が主にはないかもしれない。
そうであったら誘導はできない。
だが、杞憂だった。
彼女はしっかりとボク等を睨んでいた。
その瞳に恐怖はない。
これは逃げているのではない。
あそこで足を止めるのは得策ではないと判断したから、今こうしてお前達を追っているのだ。
そう、訴えてくる。
プライドと怒りが瞳の内で揺れていた。
「ちゃんとついて来てる」
「じゃあ門の方に誘導するぞ」
「いや、少し左に逸れよう」
「え、なんで? どうしてだ? それじゃあ爆発地点に入らない」
「多分、そっちの方が良い」
「……オッケイ! 信じるぜ」
正面を走っていたフェリーは主の左前に移動する。
徐々にフェリーは左に逸れて行き、やがて爆発地点に向かうコースから完全に外れる。
フェリーは少し心配になったのか、後ろを覗く。
「あれ? ついて来てない」
森の主はついて来ていなかった。
爆発地点の方へと真っ直ぐ進んでいく。
「おっさん、どういうこと?」
「裏の裏をかいたのさ」ボクは森の主を眺めながら言う。
「裏の裏?」
「ボクは森の主に高い知性があると思った。これは警戒心が強さであったり、囮の役割を看破していた部分を見てね。学習能力もかなり高いんじゃないかな」
「話が見えてこないぞ? それが裏の裏って奴とどう繋がる?」
「今回の作戦、以前森の主を撃退したときのものと形が似ているだろう? 誘導して、特大剣の強力な一撃を与えるというのは、ボクとダインが誘導してフェリーの空気砲を当てたときとそっくりだ。自分より弱い相手を追いかけていたら、返り討ちにあったという苦い記憶を思い出させる構成だ」
「ほうほう」
「だから、ボク等の追いかけるのは得策ではないと考えるはずだ。加えて恨まれているから、相手に一泡吹かせたいと思ってる節もある」
フェリーは相槌を打ちながら聞く。
「『囮は目を逸らす為のものなのだから、真っ直ぐ行った先が弱点に違いない』と思考するのが自然だ。だからアレは真っ直ぐに進んだんじゃないかな」
「囮は引き付ける為のものではなく、意識させるものってことか。なるへそねえ。でもそんな思考ができるなら、おっさんの意図を読み取って、こっちについて来る可能性はなかったのか?」
「ないこともなかったけれど、その場合、ボクの意図を読んだから追いかけて来ているのとは違うだろうね。きっと感情優位になっているときだ。そうだったときは、ちゃんと真っ直ぐ進むように指示したと思う」
「どうして意図を読めないと思ったんだ?」
「裏の裏をかくなんて思考、自然に生きている者には無用の思考だからだよ。自然界のルールというのは人間社会に比べてシンプルだから。知らないことは思考に入ってこない」
そう話している間にも、森の主は爆弾を仕掛けた場所へと進んでいく。
けれど僅かに左へ逸れていてた。ボク等の誘導が影響しているのだろう。
あのままのルートでは爆弾がしっかり当たらない。
すると森の主の前に何かが飛んで来る。
黒く巨大な残像。ザクっと地面に刺さる。
飛んで来たのは槍……、いや巨大な矢だった。
バリスタの弾だろうか。
いや、バリスタの最大射程を超えている。
「大弓のサテールが撃ったみたいだな」フェリーが城壁を見て言う。
「見てたのかい?」
ボクも城壁を見るが、人影がある……かもしれない、という程度。
「撃ってるところは見てない。でも、刺さった矢と今アイツが構えているのが一緒だ」
森の主は飛んで来た矢を避ける為、僅かに右へズレる。
その修正によって、彼女は真っ直ぐに爆発地点へ進む。
正確な射撃技術もそうだが、それ以上にバリスタを超える射程距離を出せる弓使いというのは、一体どんな筋肉をしているのだろうか。
そちらの方が、ボクとしては気になった。
ルート修正をした森の主と爆弾の距離は残り一〇〇メートルを切る。
残り八〇……七〇……五〇……三〇……。
そして。
ドカアアアアアーーーーーンッ!!!
地面が大爆発した。
想像以上の爆発だ。
反射的に耳を塞いでしまう。
それでも音は貫通して、鼓膜どころか内臓をも揺らす。
先程まで地面であった土達は宙に飛ばされ、雨のように降っている。
次第に茶色の雨は止む。
視界が明瞭になる。
滑走していた森の主は地面に埋もれていた。
何が起きたのかを確認する為に、フェリーとボクは爆発地点に近づいた。
爆心地に数秒で着く。
そこには巨大なクレーターがあり、落とし穴にはまったような姿の主がいた。
このクレーターの深さは大の大人二人がすっぽり埋まってしまうくらいに深く、アリジゴクの巣のようになっている。
人間にとっては巨大な穴だが、森の主にとっては些細な段差だ。
だがそれは、足が無事なときの話。
千切れかけた右足でこの段差は、そびえ立つ壁に等しい。
千切れたかけた足で穴から出ようとする姿は、まるで溺まいと藻掻いているようにも見える。あまり見ていて気持ちの良い様子ではない。
ボロボロの森の主を穴に落とし、それを見下ろす人間達という、この構図。
客観的に見て、自分は残酷なことをしているのではないか。
こちらがやったのは分かっている。
これが今考えうるもので最善なのも知っている。
けれど、これはあまりにも酷だと理性が非難してくる。
こんな考えになってしまうのは、ボクが未熟なだけなのかもしれない。
割り切れず、フラフラと浮かぶクラゲのような善悪の判断。
「自分勝手が過ぎるよ……」
「ん? おっさん?」
「……気にしないでくれ。ただの独り言だよ」
ようやく這い上がれそうな森の主。
地面に足を掛ける。
その足を目の前でじっと見ている人間がいた。
巨大な、鉄塊とも言える剣を肩に担いだ男が、気だるげに見下ろしている。
「仕事はしますよ、仕事はね。全く、恨んでくれなさんなよ。その邪魔になりそうな取れかけの腕を跳ねてやっからさ」
そういうとエカユイは、変な方向にひしゃげている右足目掛けて、特大剣を振る。
肩からそのまま縦に落とすように振り下ろされた剣は、巨大な黒い虹を架ける。
やがて「ゴオオオーーーン!!」という衝撃音が響いた。
剣の音ではない。どちらかと言えばお寺にある鐘の音の方が近い。
あまりに強い衝撃に、穴の対岸にいるボクの方まで風圧が来る。
特大剣の隣にはぶつ切りにされた巨大な足。反対には足を失った腕。
想像よりも出血はしていなかった。戦闘で出たアドレナリンのせいかもしれない。
森の主は悲痛な咆哮を上げながら大きく態勢を崩し、顔が地面にもたれ掛かる。
「腕は落ちたな。次は頭だ」
抑揚のない声で言う。
まるで椅子にもたれ掛かりながら頭を掻いて、残った書類を処理しているみたいな、そんな印象。
森の主は近づいてくるエカユイに抵抗するように泥を飛ばす。
彼は大剣を傘のようにして防ぐ。
「往生際が悪いんじゃないかい? ……⁉」
エカユイは目を見開く。その場にいるボク、フェリーも同様に驚いた。
なんと森の主は千切れた腕をかじり始めたのだ。
バリバリと、合金のような骨を顎で粉砕する音がする。
一体何故そんなことをしているのか。
エカユイの思考は一瞬逸れる。足も止まった。
ブッ!!
森の主が唾を飛ばす。
エカユイは咄嗟に特大剣を盾のように前へ構えた。
それと同時に剣から硬いものがぶつかったような音が響く。
剣の刃には、何かが突き刺さっていた。
キラキラと青白く光る破片達。
タイタンタートルの砕けた骨だった。
彼女は砕いた骨を散弾のように飛ばしたのだ。
特大剣でなんとか攻撃を防ぎ切ったエカユイは、森の主から距離を置く。
しかし彼が状況を確認しようと剣を退けると、森の主の胴体の半分はクレーターから這い上がっていた。
「くそ、失敗した。つい癖で下がっちまった。これだから久方ぶりに使う武器は感覚が狂う」
彼が「失敗した」と発言したのには特大剣という武器の性質にある。
特大剣というのは重量がとんでもない武器だ。常人なら持つことすら叶わない。それを扱えるエカユイは並みの筋肉ではないのだろう。
だが、そんな彼でも特大剣を持って機敏には動けない。この武器は機動力がネックになってくるのだ。
そのため離れた距離の攻撃にめっぽう弱いのだ。
散弾攻撃はエカユイにとって非常に有効だった。そもそもバウアーのような人物でなければ誰に対しても有効であろうが。
「助けに行くぞ、捕まってろ!」
フェリーは対岸に向けて跳ぶ。
同じことを言おうとしていたから、突然のジャンプに舌を噛みそうになる。
火の輪をくぐるサーカスのライオンのような、ダイナミックなジャンプで跳ぶフェリー。
ボクは彼の背中から落ちないよう、必死に毛を握りしめる。
「ちょっと背中を借りるぞ」
「へ?」
すると突然、あり得ないところから声がした。丁度真上からだ。
首を少し傾け、上を見る。
そこにはバウアーがいた。
彼に気づいた直後、背中にしっかりと踏まれる感触。
「ボクを踏み台にした⁉」
「なんか急に重っ⁉」
ボク等を踏み台にしたバウアーは、対岸にいる森の主の尻尾の付け根に着地すると、頭を目指して背中を走る。
不安定な足場であったがバランスを崩すことなく瞬く間に頭に到着する。
そして片手にはめたパイルバンカーを脳天に突き立てる。
「これで終いだ」
トリガーを引く。
柄の先端から火花が飛び散る。
やがて来る爆発音。
火薬の爆発によって撃ち込まれた槍は、森の主の頭に深々と刺さる。
グオオオオオオオオーーーーン………。
耳をつんざく絶叫。けれど次第に空気が抜けるような小さな音変わっていく。
バウアーは刺さった槍をパージする。
直後、槍が突き刺さった部分から大量の血が噴き出した。まるでクジラの潮吹きよう。
誰が見ても致命傷であることが分かる。
森の主は力なくその場に倒れる。
それは、討伐の成功を意味していた。
ボクとフェリーも対岸に到着する。
「終わったのか?」フェリーは尋ねる。
余韻に浸るように森の主を見下ろしていたバウアーは、こちらを向くと静かに頷く。
「……ああ、終わった」
後ろから「やれやれ」と特大剣を引きずってくるエカユイ。
更に後ろから地面の起爆をしたセールも来る。
「ようやく終わりましたか。いやあ、すみませんね。思った活躍ができなくて」
「……いや、お前が時間を稼いでくれたから間に合った。セールもナイスタイミングだった」
「まあアタシの仕事はタイミングを見計らってボタン押すみたいな簡単な奴だったんでね。そっちに比べたら楽さ」
「俺もそっちが良かったねえ」自分の顎を撫でる。
「なら、実績だけじゃなくて知識も付けなさいな」
仕事終わりの気の抜けた会話を他所に、ボクはフェリーから降りて森の主を見ていた。
脱力した体。生気はないように見える。
ぐるっと回って左目を見る。
左目にはシルワアが潰した左目には矢が刺さっていた。棒の部分は折れていたが、矢じりが付いている部分が残っている。
傷ついた目の周りにあるイボの群衆。イボには小さな瞳孔があった。
「見間違いじゃなかったんだな」
目を複製してしまうほどの生命力、と言うべきか。
矢じりが刺さったままだったから再生できなかったのかもしれない。
それにしたって、なんて頑丈な生き物なのだろう。
しかし、これほどタフな生物であっても、終わりはこうもあっけない。
同じ命なのだと再確認する。
「本当にすまない」
命を奪ってしまったことに対しての謝罪。
直接下した訳ではないが、関与はした。
もとより、彼女をこういう状況に追い詰めたのはこちらの方だ。
合掌して、目を瞑る。
天国というのがあるかは定かではない。死を経験したが、少なくともボクはその在処を見つけられなかった。
けれど、森の主の死後が安らかであることを、切に願う。
バコッ!
何かが開くような音がした。コルクが飛ぶ音にも似ている。
その音にぎょっとして、目を開ける。
音は森の主の首元辺りから聞こえた。
覗いてみると、そこには魚のエラのようなものが揺れていて、奥から鹿の角のようなものがメキメキと生えてきていた。
「これは、一体?」
ふと、視線を感じた。
それも沢山。
横を見ると、複眼がボクのことをじっと見ていた。
「おっさん!!」
フェリーの声がした。
瞬間、投げ飛ばされるような感覚。
次に目を開けるとフェリーの背中にいた。
「あれで生きているのか。バウアー! ……バウアー?」
バウアーの方を向くと、彼は唖然とした表情を浮かべていた。
何かに驚いている。動揺している。
彼は一言、呟いた。
「ブレス器官……⁉」
何か、マズいことが起きている。
彼の絶句した表情と捻り出したような言葉から、それが察せる。
バウアーは周囲の人間を確認すると、今まで聞いたことないくらいの大声で叫ぶ。
「皆、全力でここから離れろッ!!」
何が起きているか、未だ分からないがフェリー、バウアー、エカユイ、セールは走り出す。
フェリーの背中に乗っているボクは、タイタンタートルのエラを凝視していた。
エラに小さな粒子が集まっている。
粒子は大気から、大地から、汲み上げられて集まっていく。
森の主が口を開ける。口の中には粒子と巨大な水の球体があった。
粒子は水の球体の形成に使われている。
ということは、粒子は極小の水の塊だろうか。それとも水素のようなものか。
いや、もっと純粋なエネルギーのように見える。
魔力か、それに関連した何かだろう。
そう考察している間にも、水の球体は大きくなる。
大きくなった水の塊を森の主は飲み込む。
水を飲み込んだ主の体は一瞬水風船のように膨れる。
すると腹の内から轟々と、地響きのような低い音が響いた。
その音を聞いて、脳裏に浮かんだのは嵐の山と崩壊の音。
それに近い予感があった。
逃げろ、逃げろ、逃げろ。
背中越しに感じるフェリーの心拍とボクの焦りがリンクする。
フェンリルの足だ。凄い速度で走っている。距離は離れている。
なのに、どうして圧迫感が増しているのだろうか。
けれどそれは、数秒後、分かることになる。
次第に緊張感は臨界に達する。
彼女は再び大きく口を開いた。
ボク等の背中につき纏う緊張感の正体があらわになる。
ザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
口から大量に吐き出される泥。
ただの泥ではない。
大小様々な石、木片が混ざった混濁の水鉄砲。
土砂崩れそのものだ。
水に混ざった石ころ達が刃となり、槌となり、槍となって触れたものを粉砕する。
やがて粉微塵となった体は彼等の仲間になり、次の獲物を狩る軍勢の一員になる。
自分の知る限り、最も理不尽な「災害」という名の軍勢に。
対処できるものではない。
あらゆる生物に、自分の無力さを突き付ける自然災害の類なのだから。
土砂の勢いは大地を刈り取り、大気を圧し潰し、逃げる者を飲み込んで行く。
やがて、視界は真っ暗になった。




