53 被害者の咆哮
フェリーとの会話から数分後、丘の上に巨大な影が現れる。
森の主だ。
体表は凍傷からか、真っ赤になって腫れ上がっている。まるでパンプアップしているようだ。存在感が増している。
丘の上から見下ろす主は、ボク達を見つける。
グオオオオオオオオオオーーーーーーン……!!
クジラの鳴き声にも似た、低く、深く響く咆哮が大地を揺らす。
それは合戦前の法螺貝にも似ていた。
森の主は走り出す。
「あらまあ、やっこさん、オレ達にロックオンじゃないか」
「そうみたいだ。バウアー!!」
「ああ。インパクトクレーター作戦、開始!!」
「「いつのまに作戦名考えてたのか、お前⁉」」
先程からブツブツを何かを考えている姿は見ていた。
今回の作戦の荒を探っているものとばかり思っていたが、随分と有意義な使い方をしていたみたいだ。
バウアーの声で誘導部隊は走り出す。
先頭はフェリーだった。
ボクはできる限り姿勢を低くし、空気抵抗を少なくするように努力する。
フェリーの耳と耳の間から、森の主が迫ってくるのが見えた。
徐々に縮まる間。
大きくなる主の顔。
ぶつかると予感したとき、突然浮遊感に襲われる。
視界には地面と森の主の全身。
フェリーが跳躍したのを察する。
森の主はフェリーを見失っている。
彼は叫ぶ。
「ウィンドショット!」
口から風の刃が飛ぶ。
その声に反応して主は上を向いた。
飛んでいった刃は真っ直ぐに飛んでいくかと思いきや、僅かに軌道がズレ、主の頬と呼べる部位の皮膚を浅く切り裂く。
以前に比べれば制御は良くなったと言えるが、それでも攻撃手段としての頼りなさは返上できていない。
しかし、今回はそれで良い。
何故ならボク等の役割は囮だからだ。
フェリーはそのまま主の顔に着地する。
フェリーと森の主は瞬く間、互いに睨み合う。
彼はすぐに主の背中を伝って、左の後ろ足の辺りの地面に着地すると、走り出す。
「こっわいなあ!」ボクは思わず叫んだ。
「同感。殺意が前より様になってたよ、彼女」口笛混じりにフェリーは言う。
「彼女? 分かるのかい?」
「うーん、何となく? ほら、ガタイが良いだろ? カマキリとかもメスのが大きいし」
「カマキリ……」
よく分からない理屈ではあるが、否定するほどの材料もない。森で長い間生きて来た彼の感覚というのも馬鹿にならない。
それにこの場において、彼女であれ、彼であれ大した差はない。
森の主、タイタンタートルを指していると伝われば良いのだから。
「おっさん、頭!」
「何⁉ うわあっ!!」
頭スレスレに何かが掠る。
後頭部が濡れた。
手で触ると泥だった。
森の主が背中から泥を飛ばしてきたのだ。
直後、正面に泥の塊が落ちる。
フェリーはそのまま泥に足を突っ込む。
直前に咄嗟の回避を試みたせいで姿勢が崩れ、かえって転びそうになる。
それをボクはフェリーが倒れる向きとは反対に体を倒して、何とか横転を回避した。
気分は魔女の宅急便のキキとトンボである。
「めちゃくちゃ滑るな、あの泥。なんだよ、アレ⁉」
「泥に体液が混ざってローションみたいになってるんだろう。触るとベタベタする」頭に付いた泥を拭いながら言う。
「なるへそねえ。なら、ドラえもんみたいにちょっと地面から浮くか。フェンリルの風の操作、舐めんなよ」
「随分とマニアックな例えだな。ドラえもんの足が三ミリ浮いている設定なんて」
「……具体的なメモリまでは知らねえよ。それはそうと、誘導は成功したみたいだな」
その言葉を聞いて、振り返る。
森の主はこちらを追いかけようと体を向けていた。
囮としての役回りは果たせているみたいだ。
タイタンタートル、フェリーの言葉を借りるなら『彼女』が視線をボク等に向けている間にバウアー達は接近する。
先頭にいるのはバウアーだった。
右に直剣、左にパイルバンカーを携えている。
彼は飛び散る泥を蛇行して避ける。
姿勢は低い。狩りをする獣の動きだ。
黒い長髪が靡き、軌跡になる。まるで黒い蛇のよう。
彼は飛んで来る泥の影に体を隠し、急速に接近していた。足音、気配は一切ない。
存在に気づいているボクですら、平原という場にも関わらず、一瞬姿を見失うくらいに彼の隠密性は神がかっていた。
バウアーは森の主の右足に到達すると、右手の直剣を横に薙ぎ払うように構える。
刃が高温で熱した鉄のように赤く発光し始めた。実際相当の熱を孕んでいるのだろう。
彼の剣には魔術が刻印されている。
刃を熱する魔術が彫られているのだと、作戦の説明後、少し自慢げに説明していた。
森の主がバウアーの存在に気づいたのは、彼が刃を振りかざす、丁度そのときだった。
赤い剣が巨脚を焼き裂いた。
皮膚に付いた泥の水分が蒸発して煙を上げる。弾性の皮を焼き切る。
しかし直剣は、その派手さと高熱とは裏腹に主の足を深く切り裂きはしなかった。
皮膚を破いた程度だった。
「よし、補助線は付けたぞ、カルデス」
「分かってますよ!」
間髪入れずにカルデスが走ってきて、両手に握った大剣をバウアーが付けた傷に沿って大きく振る。
ザクッ!
深々と刃が入り、深く切り裂いた。
バウアーが焼き切ったことにより肉が硬くなり、皮膚の弾力が極端に落ちていたのだろう。
森の主は悲鳴を上げなかった。
彼女はすぐさま斬られた右足を振り上げると、二人目掛けて振り下ろそうとする。
その瞬間、隙を突いてバウアーは腹の内側にスライディングで潜り込む。
地面に撒かれた泥が、彼の滑り込みに加速を付ける。
対岸に出たバウアー。
目の前には左腕。
泥で加速した勢いを使い、半回転。
スピードに加え、回転による遠心力を乗せた灼熱の直剣が、森の主の左腕に深々と刺さり、切り裂く。
その身のこなしは攻撃というよりは演武。
泥を滑る姿はスケート選手のように華麗。
森の主からしたら毒蛇のように厄介な相手に映るだろう。
「カルデス、何してる! ついてこい」
「私にそんな芸当は無理でしょう! 新人をいびるな、老害め!!」
口では罵倒するが彼の瞳は輝いていた。
常人にはできない芸当をまじかで見た感動から来る輝き方だ。
しかしそのせいか、彼の回避は僅かに遅れた。
あれほどの攻撃をしたというのに、すぐに反撃が来るなんて想定していなかったようにも映る。
巨大な足が踏み降ろされようとしている。
それに対して彼が取った行動は後方へのバックステップ。
体の大半は足元から離れていたが、地面を蹴り上げ、伸びた足がまだ残っていた。
するとカルデスの後方からランスを持ったトルウイが走ってくる。
彼は長い槍でカルデスを押しのけた。
バックステップに勢いが付き、森の主の足元から完全に抜ける。
体は不安定な姿勢となったが、なんとか転ばずに着地した。
グシャ!!
プレス機のような踏みつけ。
小さなクレーターがカルデスの足前にできた。
大量の冷や汗を掻くカルデスを、トルウイは見下ろす。
「まだ未熟だな、お主も」
「フレッシュですからね。若さは特権らしいので」立ち上がりながら言う。
「ワシに手間を掛けさせる特権か?」
「老人はでしゃばるのが好きでしょう?」
「不良少年が言うじゃないか。若い男子はそれくらいが丁度良いわい。なら、言葉に甘えてでしゃばらせてもらおう。バウアー!!」
「何だ!」バウアーは足を止め、反対から叫ぶ。
「ワシはこの不良少年とペアで動く。心配せず、存分に痕を付けろ」
「了解した!」
彼は再び走り出し、腕目掛けて剣を振り下ろす。
流石の主も注意をボク等からバウアー達に移す。
「どうする? オレ達も加勢した方が良いかな?」
少し離れた地点まで走って来たフェリーとボク。
地面は草原。泥が飛んでこないギリギリの付近。
そこで状況を整理する。
「さてね、どうだろう。あそこに行って囮としての機能が果たせるかな?」
森の主の注意は完全にバウアーの方に向いている。
恨みはあれど、脅威の度合いを測ればボク等に意識が傾くのは低いのではないだろうか。
「アイツ賢いからなあ。オレ達の役回りを察してるかもしれないぜ?」
「なら、それを確認する為に行くのはアリだと思う」
「なるほど。オッケイ、じゃあ捕まってろよ、おっさん!」
フェリーは地面を蹴る。
やがて見えてくる草原と泥沼の境。
泥沼に差し掛かる直前、それを避ける為に高く跳躍する。
着地地点には森の主。
彼女を踏み台にして、再び跳ぶ。
そのついでとでも言うように、彼はウィンドショットを彼女の顔に放った。
精度が上がったのか、全弾命中。
薄い切り傷を付ける。
森の主はギロリとこちらを見る。
注意を向けたか。
けれど、少し様子がおかしい。
睨んでいるだけではない。どこか観察をしているように見えたのだ。
激情の中に、静けさがあった。彼女の瞳には理性が窺えた。
やがて森の主はバウアーの方に意識を戻す。
「威力が足りなかったかな。もういっちょ行ってみっか!」
「いや、多分変わらないかな」
「何か見えたか?」
「さっきの動きで、あちらさんはボク等が囮だということに完全に気づいたね」
「ちょっと早計だったかな。それとも分かりやす過ぎた?」
「いや、これはこれでアリだ。明確になった分、動きやすいよ」
「動きやすいってことは、何か思いついたのか、おっさん」
「……そう、だね。森の主が滑走したときに誘導できるような場所で待機していよう」
「分かった」
素直に返事をするフェリー。
彼は街の方へと走り出す。
その間に、後ろを振り返って三人の戦いを見た。
バウアー等は標的を右足に定めたらしく、集中して攻撃している。
優位と取っていたのはバウアーだった。
彼は森の主の巨体に張り付くように動き、胴体、後ろ足、尻尾、背中、首とあらゆる部位を連鎖的に斬り付ける。そして、その一連の攻撃のどこかのタイミングで必ず右足に傷つけていた。
他の部位を斬り付けるのは、右足を狙っていることをできる限り悟らせない為の布石。
カルデスもそれを察してか、首や腹など急所に近い傷を狙っているように装いながら、右足に、確実にダメージを与え続けていた。
トルウイは防御に徹している。
彼は片手にランス、もう片方には大盾を持っており、この何もない平原において、貴重な遮蔽物になっていた。
バウアーやカルデスは彼の影に隠れ、次の動作を悟らせないように動いている。
特にカルデスはバウアー程機敏には動けない為、多用していた。
張り付いての攻撃は、巨体の主にとっては厄介だ。
滑走時に小回りは利くが、決して機動性がある訳ではない。
自然界においての巨体というのはアドバンテージになるが、この場においてその体は死角を増やすというマイナスの結果しか生んでいない。
見えない場所から来る攻撃に混乱してか、地団駄のような足踏みが一瞬止まる。
その一瞬を、バウアーは待っていたのだろう。
森の主の腹の下から飛び出して来た彼は、弧を描くように滑走。
滑る勢いと共に左手に握るパイルバンカーを、肉が削がれた彼女の右足に深々と突き刺す。
カアァンッ!!
金属と金属がぶつかったときのような甲高い音が響く。
パイルバンカーの槍先が、森の主の合金とも呼べる硬質な骨に到達した音だ。
彼の指が動く。
ドオオオオーーーーンッ!!
爆発した。




