52 加害者のぼやき
バウアーの作戦を元にボクとフェリーは街から六〇〇メートル程離れた場所に立ち、森の主に備えていた。
前方は僅かに丘になっており、森の主の姿は見えない。
しかし、きっと向こう側にいるはずだ。
ボクはフェリーにまたがって、主がやって来るのを待つ。
「にしても、体を小さくして良かったのか?」
フェリーの体を見て言う。
彼は大きな体を縮め、普段と同じくらいにサイズダウンしていた。
命綱としてボクとフェリーの腰にロープが繋がれているが、彼の腰回りの方が若干太いくらいまで縮んでいる。
「確かに体はデカくて速いけどよ、小回りはこっちの方が効くし、おっさんを乗せてたら結局最大速度は出せないからな。良いんだよ」
「それもそうだけれど、ボクが言いたいのはそっちではなくてね」
「あ、やべ……おえええええええええええーーー……!!」
「……そっちのことなんだ」
フェリーは盛大に地面に吐く。
しかし、出てくるのは胃にあった食べ物ではなく、大量の血と白い砂のようなものだった。
平原は彼の嘔吐とも言える吐血により、殺人現場のような様子になる。
彼の吐血は変身の副作用なものである。
それを説明する前に、フェリーがよく行う、体を大きくしたり、小さくしたりする変身の原理を知る必要があるだろう。
変身の原理自体は単純である。体中の骨や筋肉を、全身を力ませたり、殴ったりして折ったり、ちぎったりしてボロボロにしたら、フェンリルの高い再生能力を活用し、作り替えるのだ。
勿論粘土のように自由自在にはいかないらしいが、他の生物に比べたら異常な拡張性だ。
しかしフェンリルと言えど激痛は走る。それに身体を大きくするには材料が必要な訳で、カロリーの消費は大きく、小さくした場合は必要のない骨や肉、血というのは体外に出される。大量の吐血と砂及び粉末と化した骨の嘔吐はそれだ。
「はー、すっきりした」
「随分軽いね」
「吐きなれてるからな。粗方吐いたから、多分大丈夫」
鼻で息を吸うと濃い血の匂いがする。
これが結構強烈で、本人が気にしないと言うがボクは違う。
なので、できるだけ丘の方を向いて、呼吸は口呼吸にする。
「しかし討伐、ねえ」丘の先を見て、ぽつりと呟く。
「どうした、おっさん。あんまり乗り気じゃないな」
「ん? ああ、まあ、そうだね。アレはほら、被害者じゃないか」
アレとは森の主のことである。
「被害者? 森の主が?」
「森の主に対して振り返ってみると、ダインが追いかけられていたのは縄張りに侵入したからだろう? 土足で知らない人間が入ってきたら誰だって怒る。自然な反応だし、正当性がある。ボク等が襲われたことに関して言えば、ダインを助けたいという、個人的なエゴで突っ走っただけだから自業自得だろうから。いや、指示をしたのはボクなのだから、ボクの責任かな」
「おっさんだけの責任ではないだろう。オレだってやらかしている。オレが周りを威圧してたからかっかしてたんだし、遠くに吹き飛しもしたから今こうなってるんだ。しかし、となると、知らない奴等に家を追い出された、可哀そうな奴ってことになるのか、森の主は。確かに被害者だな」
「そうだね。ボク等はどう転んでも被害者には成り得ない。森の主の日常という奴を木っ端微塵に破壊したのだから。思えば人間という奴は、生物界において破壊のスペシャリストだ。地球という星において、これほど生物然り、環境然りを破壊した存在はいないだろう」
空を仰ぐ。
「何だったら自分達で作ったものでさえ破壊する。国、文明、思想と、自分達にそぐわないものを徹底的に排除するという形で今に至るのだから。人の歴史というのは破壊の軌跡とも言える。だとすれば、今回の森の主の件の根本には、そういった人の業が原因としてあるのかもしれない」
「それは、ちょっと極論過ぎやしないか? 確かに間違ってはいないんだろうけど、人間破壊だけが取り柄じゃない。作ったものだって沢山あるだろう。それにあのとき、人の業が介入する余裕もなかったと思うぜ」
「業は有り方に対するはねっ返りのことだよ。だから無意識云々は関係ないさ。……でも、そうだね。これはボクが間違いだな。これは単純に自分が加害者という立場であることに耐えられなくて『人類の性質として仕方がない』と逃避しようとしただけだ。自分の責任を人類全体に押し付けるのは、傲慢だし、愚かだ。脳死と言っても良い。いつからボクはこんな風になってしまったんだか」
「おっさんって、意外にマイナス思考だよな」
「元々マイナス思考だよ。意外と言われることの方が意外だ」
しかし、そう思われていたということは、大人としての振る舞いが上手かったのかもしれない。
……どうだろうか。
フェリーは視力に富んでいるが、結構節穴な部分があるから当てにならないかもしれない。
「でも、そういう評価をされているということは、少なくとも、お前には責任感のある大人として見られていたと自信を持って良いんだろうね」
「正確には『責任感はあるが、責任能力のない大人』かな」
「失礼な。善悪の判断には自信がある」
「ここで言う責任能力ってのは、どっちかっていうと実力のことを指してたんだと思うね。『手は長い癖にやたらと貧相だから、ものを握った瞬間に手折れてしまう』ってよ。アレはそう言ってた」
「アレって言うのは?」
首を傾げる。
どうやらフェリーの言葉ではないらしい。
しかし、ボクのことを知っていて、ここまで辛辣なことを言える関係値の人間というのは限られて来る。
「これを言ったのはシルワアだ。オレじゃない」
「ああ、なるほど。道理で……」
「その『道理で』って言葉はどういう意味だよ」
「言葉通りだよ」
お前にしては、富んだ比喩をすると思っただけだ。
意図自体は伝わっているだろう。
彼は察しが良い。特に皮肉に関して言えば人一倍敏感だ。
不愉快そうな顔をして、内容を元に戻す。
「まあ、その被害者云々ってのは森の主をぶっ殺すときに迷いが生じるものな。聞いたオレの方がやりづらくなった」
「いや、殺す必要はないよ。できるなら、殺さない選択肢を取りたい」
「加害者としての責任的なアレか? だとしたら、それは難しいんじゃないか? オレ等の意思に関係なく襲ってくるんだから。言い方はアレだが、覚悟しておいた方が良いぜ」
「うーんと、そうでなくてね。いやまあ、確かにそういう側面がないかと言われたら、完全に否定はできないけれど、『殺す』という選択肢があるだけで、今回の目的というのは『街に被害が出ないようにする』なのだから、撃退だって良いんだ。街から離れたところに誘導するのだって良い」
「あ、言われてみれば確かにそうだな……」
「こういうとき、手段と目的がごっちゃになってしまうことというのは多々あると思う。すると思考は柔軟性を失って、固まってしまう。大切なのは明確に目標を定め、どの手段が最善手かを考えることだ」
言葉を区切る。
乾いた口を唾液で湿らす。
「そして、それをするには色々な角度から物事を見なくちゃいけない。物事というのは多角的な視点を持って、初めて立体的に、正確に、近い像を見ることができるから」
とは言いつつも、自分もちゃんとはできていない。
先程フェリーが指摘してくれるまで、自分は偏った考えに囚われていた。
「自分は俯瞰できている」という錯覚に酔っていた部分があった。
自分もまだまだ未熟である。
「多角ねえ。想像力とか、あまりない方なんだよな。悪い予感というのは浮かぶんだけれど」
「……」
「……今おっさん、『そもそもお前は馬鹿だからなあ』って思っただろう」
「言ってない言ってない」
「思ってはいたんじゃねえか」
「まあ、おつむの出来はおいておくとして、この考えは頭の片隅にあるだけで、案外便利なものだから覚えて損はないよ」その後、言葉を付け足す。「それにね……」
「それに?」
「今回、殺すことが難しいんじゃないかって思ってるんだ」
「やりたくないとかじゃなくて、難しい?」
「森の主と最初にあったことを覚えているかい?」
「ああ。忘れる方が難しいわな」
「あのとき、シルワアが目を射抜いただろう? 森から出て来て」
「覚えてるぜ。それが何だ?」
「うん。だから今、森の主の片目は傷があって、失明しているはずなんだ。セシアちゃん達と時間を稼いだときに、近くでそれを確認できた」
フェリーの耳がピンと立つ。
一言も聞き漏らさないように。
「傷はあった。でも、それよりも、新しい目がその隣にできていたことに驚いたんだ」
視線を丘の先へ。
視界は過去へと逆行する。
セシアちゃんを襲おうとした森の主を引き寄せたときに気づいたのだ。
最初に感じたのはぼんやりとした不自然さ。正面に立っているというのに、不思議と目が合わない状況に疑問を感じたのだ。
そうして顔面が目の前に来たときに、明瞭になった。
目の下に大きな目ができていたのだ。
最初はイボか、大きな膿かと思った。
けれどそれがギョロリと動いて「ああ、これは目だ」と認識した。
「自分で新しい目を作ったってことか? とんでもないな」
「それ、お前が言うのかい?」
「オレのことは棚に上げてくれ。……ってことは、凄い再生力だよな。バウアーには言ったのか?」
「一応ね。でも『やることは変わらない』って言ってたよ。それもそうだなと思ったね」
「何もないことを祈るしかないな。あったらあったで、臨機応変にってね」
臨機応変。
以前森の主と戦ったときと同じことを言っているような気がした。
どんなに緻密な策を立てたとしても、僅かなアドリブは仕方がない。
アドリブは、個人の経験によって質を変えるものだ。
最初と今。
果たしてどれほど変わっているのだろうか、自分は。
劇的か、些細か、それとも後退か。
少なくとも停滞はないだろうと、高を括っていた。
脳内を支配するマイナス思考とは別に、不安交じりの期待感が、心の内を場違いに躍動していた。




