48 共生ではなく強制を
ガツンッ!!
不思議な金属音がした。
肉が潰されるような、そんな残酷な音が来るのではないかと身構えたが、けれどそんな音はいつまで経っても流れてこない。
何が起きたのかを知る為に、逸らしていた目をシスイさんの腕へと向ける。
思わず、目を見開く。
シスイさんが持っていたパイプがつっかえ棒になっていたのだ。
シスイさんも驚いている様子から、彼が意図して起きたことではないらしい。
「しめた!」
シスイさんはタイタンタートルの顎に触れる。
すると今度は手をタイタンタートルの口の中へと入れると、叫ぶ。
「グロウガンド!」
突風が彼の手から放たれる。
放たれた強風により、タイタンタートルの頬が一瞬大きく膨らみ、爆発音のようなくしゃみをする。
その勢いでシスイさんは吹き飛んだ。
尻もちをついた彼は、すぐさま起き上がると、走り出して距離を取る。
私はシスイさんに駆け寄ると体が無事か、目視で確認する。
見た限り、大丈夫そう。
「シスイさん、大丈夫ですか⁉」
「ああ、まあ、何とか。それよりこの煙管、壊れてないよね。歪んだりとかしてたら大惨事なのだけれど……大丈夫そうだな。良かった」
「命よりも、腕よりも、パイプが大切なんですか?」
「チヨさんからの借り物だからね。色んな意味で命よりも重いよ。にしても、今ので壊れないって、相当丈夫なんだな、これ」
「パイプの話は別にいいです。それよりも……」
「分かってるよ。どうして、バウアーの陽動が効かなかったのかだね」
コクリと頷く。
指を斬り落とされて、それでもなお襲ってくるのはどうしてなのだろうか。
「単純な話、指を斬られるよりも、セシアちゃんの魔術の方が厄介だと感じたんじゃないかな」
「あまり効いている様子はありませんでしたけれど」
「だとしたら、襲ってくる要素はないよ。きっと効いているんだ。ただ多分、規模が足りない。もっと強力な氷の魔術が必要なんだ。セシアちゃん、そんな魔術を何か知らないかい?」
「……あるにはありますし、可能です」
「あまり気乗りしない感じだね。もしかして、結構無茶なことだったりするのかい?」心配そうな顔で覗き込むシスイさん。
「いえ、できます。それほど難しい訳ではないので。これは単に覚悟の話です。ですから、シスイさんは副団長と共に、時間稼ぎをお願いします。そして私が魔術を展開したら、グロウガンドで防御を」
「分かった」
そう言うと、シスイさんは副団長の方へと走り出す。
そうだ。これは単純に、私の覚悟の問題なのだ。
強力な魔術というのは、以前シスイさんにも話した自然に干渉する魔術のことを指す。
自然に干渉する、つまりそれは、龍脈に干渉するということだ。
龍脈とは、大地そのものに流れる魔力よりも原始的なエネルギーの奔流のようなもの。
魔術師はそれを川に例えることが多い。
その巨大なエネルギーの流れに合わせ、自然のバランス、天候、生態系が保たれている。僅かな流れの変化はあれど、その程度であれば大したことではない。川であるが故にそれは安定している。
だがそれは自然の摂理での話だ。
自然の摂理とは緻密に組まれた予定表だ。人が介入すれば簡単に崩れてしまう。
龍脈の干渉というのは、下手をすれば生態系や環境をひっくり返し、破壊してしまう。そんなリスクを負わなくてはいけない行為なのだ。
できることなら、やりたくはない。
でも、お二人が私の策に賭けて無茶をしてくれている。シスイさんなんて死にかけたのだ。
そんな彼等に報いなくては。
私にできることを精一杯、だ。
「龍脈、接続開始」
その言葉と共に、地面に杖を深々と突き刺す。
瞬間、体に熱い、いや冷たい? 何か触れてはいけない危ういエネルギーが杖を伝って流れ込んで来る。
その後に来る万能感。
龍脈から汲み上げられるエネルギーの性質は、魔力と非常に酷似している。
エネルギー効率でいえばこちらの方が上だ。
人間が魔力と呼ぶ代物は、地面や地下水によって溢れた龍脈エネルギーが、自然の運営に消費され、しかし消費し切れず残ったもの。
いわば残滓のようなものなのだから、当然だ。
しかし、これは人間にとって純度が高過ぎる。
ずっと浸っていたいけれど、酷く有害なのは理性の警鐘具合から察せる。
手早く済ませなくては……。
「環境検索、範囲指定一〇〇年」
この大地に刻まれた、ここ一〇〇年間で最も過酷な冬の環境情報を調べ上げ、そのときの龍脈の流れを再現する。
これなら大地に負担をそれほどかけず、実行できる。
だが、ここで問題が発生した。
「嘘、一番低いのでマイナス五度……?」
ここ一〇〇年で最も低い温度が、あまりにもぬるかったのだ。
ダアクックは温暖な地域だ。
冬の温度は大して下がらない。
けれどマイナス五度は、確かに寒いけれど、それまでだ。
タイタンタートルをどうにかできる程では、到底ない。
気温は確かに下がり始めた。
けれど、やはり、肌寒い程度の温度で止まる。
私の魔術は、自然と共生する魔術だ。
無理に弄ることは不可能だ。
これが、私の限界だ。
「どうしよう、どうしよう!」
半分パニックだ。
体は全能感に溢れているのに、思考は無力感に襲われる。
ゴブリンの頃から、まるで成長していないではないか。
副団長とシスイさん達を見る。
先程、シスイさんに引き寄せられたときから、タイタンタートルは仇でも見つけたようにシスイさんを追い回している。
泥に足を取られながらも、シスイさんは森の主の攻撃をスレスレで躱す。
森の主の攻撃は、どこかわざとらしい。あえて避けれるように攻撃しているようにも見える。
遊ばれている……いや、それよりも悪質で意地の悪い、相手を苦しめるような印象を受けた。
シスイさんが避け切れない攻撃が来たときは、副団長がギリギリで引っ張ったり、いなしたりして凌いでいる。
そのおかげで、まだ大きな怪我なしに立ち回れているものの、そろそろ体力、精神共に限界が近づいてきている。
だからこそ、今私がどうにかしなくてはならないというのに。
本当に何もないというの?
セシア、貴女はチヨ師匠から何を学んできたというの?
探れ。
探れ。
探れ。
私の頭の中を、ひっくり返せ。
パニックを起こす余裕を、私に持たせるな。
それ以上に過去へ、記憶の奥深くへ、逆行しろ。
何もないなんて、許されてたまるか。
義務や責任は勿論あるが、それ以上に、私にも魔術師としてのプライドがある。
だから見つけろ。この場面を打開する術を。
その思いに呼応してか、古い記憶が浮上してくる。
それはチヨ師匠の言葉だった。
私があの人を師匠と仰いで、一年程経った頃の記憶。
チヨさんの本棚を整理していたときの話だ。
「いつまでお前は『魔術は自然との共生』なぞ謳っている?」
足を組みながら、廊下の壁にもたれ掛かった状態で師匠は言う。
「ですが、魔術師とは、星の観測者です。それを破ってはいけないと思うのです」
私は本棚から順番の違う本を引っ張り出しながら答えた。
「それは学校で学んだことだろう。お前の師匠は誰だ。私だろう? 私の魔術は共生ではなく強制がモットーなのを忘れたか?」
「しかし……」
「お前がそれを嫌うのは知っているとも。確かに世界の法則なり、自然の摂理を知ることは大切だ。尊重も悪いことじゃない。しかしだね、その法則を扱うのは自分だ。中心に添えるべきものは世界ではなく、自分でなくてはならない」
「そんな傲慢な……」
「傲慢なんて今に始まったことではないさね。なんだったら、自分だけは世界の全てを知っていて、あえて自制している、みたいな物言いのお前さんだって傲慢だろう?」
言われてみれば、と一瞬思ってしまった。
少し体温が上がる。
師匠に見えないよう、少し頬を膨らませた。
納得してしまったことが悔しかったのだ。
「どっかのバカが最近、世界は丸いと証明したんだ。世界がパンケーキとか抜かしてた時代ではないのだから、どこを中心の置いたって、大して変わらんだろうさ」
「それが、自分を世界の中心に置く道理ですか?」
「そうだ。だがな、セシア。自分を世界の中心を添えることに道理なんていらなんだぜ?」
師匠はもたれ掛かるのをやめると、こちらに歩いてくる。
そして私の頭を軽く叩く。
「お前は自分自身に自信がないんだ。自分を卑下するな。過剰な自信は嫌いだが、お前に関してはもっと堂々としろ。もしそれで文句を言ってくる奴がいたのなら、こう返してやんな。『地球は丸いんだ。だから私が中心だって構わないだろう?』ってな。私の名前も添えてね」
懐かしい記憶だ。
そして何より、この場においての答えそのものだった。
共生ではなく、強制を。
私の魔術ではなく、チヨ流の魔術を。
堂々と……はまだ私には無理だけれど、師匠の期待に答えられるよう、やってみます。
深呼吸して、思考をクリアにする。
凍てついた空気に吐く息は、白い煙になった。
そして覚悟を決め、詠唱を開始する。
「仮想並行思考、二列増築開始……完了」
現在の魔術をキープしながら、チヨ流魔術を展開する為に、仮想の脳を二つ増築する。
私が普段増築できるのは精々二つまで。それを超えると、思考が分裂し、精神崩壊を引き起こす恐れがある。
今こうしてできるのは、龍脈のバックアップがあるお陰だ。
『龍脈改竄、摘出、氷冷世界』
空気が更なる冷却を始め、棘が混ざり、皮膚を刺す。
『熱を殺し、風は牙を剥き、水を射抜く……』
頭の中に独立した思考が四つ回っている。
けれど突貫で付けた歯車のように、その噛み合いは最悪で、ギリギリと不快な軋轢音が脳みそに響き、負荷をかける。
『あらゆる命は停止する。広がる白はあらゆる音を喰いつくす……』
その反動か、鼻や涙腺から血が滲む。
でもこれで良い。必要経費だ。
龍脈からの補給は安定している。
大気の冷却も怖いくらい素直に働いてくれている。
そのせいか、頭はとても冴えていて、冷静で、不安が不意に刺して来る。
本当にこれで良かったのだろうか。
自分は魔術師だ。
魔術師とは詰まるところ、魔術を返して星の現象、生物、環境の解明を迫る研究者だ。
そんな研究者である自分が、生態系という律を乱して許されるのだろうか。
そもそもこの選択をしたとして、思い通りになるのだろうか。
失敗してしまうんじゃないか。
もしかしたら、もっと賢い選択というのもあったんじゃないか。
中途半端な余裕は、余計な思考を呼び込んで来るのが常だ。
それは、私の心が弱いからなのかもしれない。
一瞬の躊躇、一抹の不安、その後の後悔。
それらに踏みつけられそうになる。
「それがどうした」とリアックなら、そう言うのだろう。
彼は楽観的だけれど、それ以前に心が強い人だから。
けれど、私はそれほど物事を割り切って考えることはできない。
だから私は、踏み潰される覚悟をするんだ。
「環境とか、自然とか、そういうのは後からいっぱい考える。それでも文句があるなら、私を育てた厄介婆さんにでも言ってちょうだい!!」
そう吐き捨てると、最後の一節を叫ぶ。
『残った世界は月夜の世界』
詠唱を終えると、私を中心に氷風が大地に走る。
大気は軋み、金切り声を上げる。
それは気温が下がるという規模を超え、世界そのものを氷に塗り替える。
冷気は周囲の植物を凍らせ、風は刃のように大地を裂き、泥に浸る水は悲鳴を上げる。
その様は、死神が見えない鎌で生きとし生ける命を刈り取っているかのようだ。
植物が、大地が、空気が、音が、順々に己の時間を止めてゆく。
気温はマイナス五〇度を下回っているだろう。
その威力に、思わず恐ろしくなる。
私の認識は間違ってないのだと、確信する。
これは、人が扱うにはあまりにも危険すぎる。
師匠はよくこんなものを気軽に扱える。
そして、その見えない死神の鎌はシスイさんの方へと迫っていた。
「シスイさんッ!!!」
自分が出せる限界の声量で叫ぶ。
彼はこちらを向いた。
地面が急速に凍り付いている様を見て、彼は察する。
すぐさま副団長の方を向いて、叫ぶ。
「バウアー、こっちに寄れ!」
「何だ⁉」
「セシアちゃんの魔術が来る。グロウガンドで防御するから、早く!」
どうやらシスイさんは、私の言ったことを覚えていてくれたらしい。
彼はグロウガンドによって空気の層を作り、副団長と一緒に極寒の大気を防いでくれている。
しかしタイタンタートルは違う。
その巨体には泥が纏われており、それに含まれた水分が、茨の如く張り付き、刺さる。
まるで氷の亡者が纏わりついているかのようだ。
先程よりも動きは鈍くなり、抵抗はするが氷を振り落とすことはできない。
けれど、まだ余力が垣間見えている。
変温動物であればこれほどの急な気温変化により、冬眠状態か、最悪死に至るはずなのだけれど、そんな様子は全くない。
変温動物という仮説は、どうやら間違いらしい。
だが、引き留め、時間を稼ぐという目標は達成した。
あの氷から脱するには、しばらく時間を要するだろうから。
氷風が収まるとシスイさんは魔術を解いて、こちらに走ってくる。
走ってくる二人の表情は険しい。
シスイさんは深刻そうに、副団長は焦った様子で来る。
一体どうしたのだろうか。
「……セシア!」
副団長が私の腕に触れる。
「熱い……!!」
副団長の手が熱した鉄のように感じて、ようやく自分の体の異変に気づいた。
自分の腕は死人のように白く、霜が降りていた。
そのとき、ようやく、私は体温という概念を思い出す。
「……なんて、酷い。死ぬな、セシア!!」
「安心してください。これは龍脈とリンクしているから起きている現象なので、解除をすれば直に体温は戻ります……。けれど、すぐには動けないので、運んでいただけると助かります」
「そうか。分かった、すぐに運ぶ。シスイ、森の主は?」
「まだ生きているけれど、しばらくは氷で動けなさそうだ。引くなら今しかない」タイタンタートルをじっと見ながら、シスイさんは言う。
「よし、撤退だ。シスイ、お前の外套を貸してくれ」
副団長はシスイさんの外套を借りると、私を包み、背中におぶる。
軽々と持ち上げると、走り出す。
まるで壊れやすいガラス細工でも運んでいるように慎重だ。
あまりの冷たさに、氷のように砕けるのではないかと思われているようだ。
場違いなのは分かっているけれど、思わずクスリと笑ってしまう。砕けるなんて、そんなことないというのに。
外套越しから滲むように伝わる体温に安心したのか、私の意識は遠くなる。
やがてプツンと、途切れた。




