47 ひかれる運命
〈ダアクック 西門から十キロ離れた平原 セシア〉
見渡す限りの泥。
吐き出される泥。
まき散らす泥。
これら全て、タイタンタートルが吐き出した排泄物である。
こうして相対して分かったのだが、タイタンタートルの肛門は背中にあるのだ。驚くべき生態である。
その肛門から、特殊な粘液を混ぜ合わせた泥をまき散らしている。
粘液が混ざった泥は滑りやすく、足を取られる。
その上を、タイタンタートルは滑走するのだ。
クジラのような構造で、ペンギンのような移動をする。
「しっかり避けてください、シスイさん。泥が体に当たると身動きがかなり取りづらくなります」
「そうみたいだね。良かった、今日は落ち着いているみたいだね」
必死な顔ながらも、シスイさんは微笑む。
きっとゴブリンの依頼のときに、私が取り乱したのを覚えているのだろう。
「おかげさまで、以前の経験が生きているみたいです」
「まあ、それは良かったとおいておくとして……」
グオオオオオオオオオオオオーーーーーー!!
「アレは中々に厄介そうだ」シスイさんは護身用のパイプを伸ばして言う。
地面が揺れるような巨大な咆哮。
内臓まで響いてくる、怒りや苛立ちを含んだ悲鳴。
以前咆哮を聞いたことがあるから、比較して、そう思う。
前よりも、なんだか余裕がないように聞こえたのだ。
タイタンタートルと対峙してから、数分た経ったか。
あの美しい緑の大地を、短い時間でこのようにしてしまうのは、中々に害悪だと思う。
けれど、今は景観なんてどうでも良い話だ。
今はあの怪物の弱点を探らなくては。
その時間を稼ぐ為、バウアー副団長は一人タイタンタートルと正面から相対する。
腰に帯刀していた直剣を一振り抜くと、姿勢を低くし、駆け上がる。
地面には粘液が含まれた泥。
本来走れば滑り、転んでしまう。
しかし、副団長の疾走に何ら影響はない。
それは、彼の驚異的な体感と身体能力によって、滑ることを考慮した足の運びをしているのだ。
ここに足を踏み込めばどう滑り、次にどこへ足を運べばその滑りを最大限活かせるのか。
それら全てを計算し、駆動させる。
そのお陰か、泥によって普段以上の機動力を副団長は獲得していた。
そして一閃。
タイタンタートルとのすれ違い様に、前足を斬り付ける。
加速が乗った刃の切れ味は、想像以上の威力だろう。
しかし。
「斬れんか……!!」
僅かに痕を付けただけの結果に終わる。
苦虫を噛んだような表情をする副団長。
「副団長!」
私とシスイさんは下がってくる副団長に寄る。
「皮膚が想像以上厚い。弾性で弾かれたッ!! 焼けばいけるか……」
「本来の目的を忘れないでください。私達は時間を稼ぐだけで良いのです」
「分かっている。可能であれば足の一つ斬り伏せて、機動力を奪ってやろうと考えたが、そううまくはいかないらしい」
「時間稼ぎか……。なら、やっぱりアレの機動力をどうにかするのが先決だ。森の主の機動力の源はこの泥だ。コイツをどうにかして無効化できれば良いのだけれど、それをどうやって実行するか、だね。セシアちゃん、何か考えはあるかい?」
タイタンタートルを警戒しながら、シスイさんは言う。
「そうですね……」
「二人、前!!」
副団長の声にハッとして、前を見る。
姿勢を低くし、矢の如く滑走して、こちらに突っ込んで来る主の顔が見えた。
私とシスイさんは、全力でそれを回避する。
何とか避けることはできたが、シスイさんは大きく姿勢を崩して尻もちを付き、私は胸から泥の地面に倒れる。
「すみません! 注意を欠きました!」
「いや、固まって話してたのが悪い。俺はまた主に攻撃し、惹きつける。その間に策を練れ。思い付いたなら内容は共有しなくて良い。どう動いて欲しいかだけを寄こせ」
「分かりました」
「シスイ、彼女を」
「分かった。ボクにできる限り、精一杯」
副団長は頷くと、別の直剣を抜いて走り出す。
抜いた剣はマジックソード。魔術が編まれたものだ。
それから予想するに、先程の「焼く」というのを試すのだろう。
「さて、彼は頼もしいけれど、ずっとは無理だ。時間は限られている。どうするか。泥が問題だとすれば、やっぱり水気を抜くのが良いのかな」
「泥から水分を抜いて、土にするということですか?」
彼はコクリと頷く。
「可不可で言えば可。しかし現実的ではないでしょう」
「量の問題かな」
「ええ」
どうやら彼も分かっていたらしい。
「確かに泥から水分を抜き取り、土にするというのは可能ですが、量が量。大地を埋め尽くす泥となると魔術師があと数人必要です。失礼な物言いですが、シスイさんは魔術という点において戦力に加算されません」
「だろうね。ボクにできるのは精々風を吹かせるか、それっぽい案を上げるだけだ」
けれど、彼の着眼点は良い。
タイタンタートルの機動力を抑えるなら、やはりこの泥をどうにかしなくてはならない。
そして、泥に含まれる水分。
水分ということは水だ。当たり前だけれど重要な要素である。
水は魔術において、最も形状や状態を操作しやすい要素であり、これは勘だけれど、突破口はそこにあるように思える。
勘とは、自分に蓄積された認識できない知識の根拠。
私が、それを使えと言っているのだ。
水。
その単語を聞いてパッと浮かぶのは、やはり凍らせるという考えだ。
私はよく水を凍らせる魔術を使う。
水を集め、それを弾のようにして放ち、着弾した箇所を部分的に凍らせる魔術。
効果はありそう。
でも、まだ、足りない気がする。
しかし、ものは試しだ。
「何かするのかい?」
「以前シスイさんにも見せた、氷の魔術を試します」
「あの巨体に効果あるかい?」
「あの生物が両生類であれば、変温動物であることが考えられます。変温動物は極端な気温の変化に耐えられないはず」
「なるほど、それは思い付かなかった」
「魔術を展開すると、あまり動けなくなります。ですので、シスイさんもできる範囲で注意を惹いていただけると」
「分かった。七割で惹いてみせよう。ボクは弱そうだから、自信があるよ」
自信があって七割なんだ。
そう思ったけれど、彼の言い切らないところは個人的に好きだった。
自分の実力を冷静に判断し、それでいて不安にさせまいと本来よりも値を盛って言うところが、特に。
実際は五割もいかないだろう。
シスイさんは、私より少し前に出て、小さな火の玉を手の中に作っている。
彼の最大火力だ。
それを見て、大きく深呼吸をすると、集中する。
「ウォール」
周囲から水を集めると、霧だったものがまとまり始め、大量の水滴ができる。水滴は蜂の軍勢のように宙で静止していた。
それから親指を突き出し、それを疑似的な照準に見立てる。
水の弾速を想定し、タイタンタートルの少し前を狙うと、放つ。
水は見事頭部、胴体に着弾。
しかし気にする様子はない。
問題ない。むしろ、気に留めてくれない方が、こちらとしてはやりやすい。
「並列思考接続、着弾箇所、凍結開始」
着弾した場所が急速に冷却を始める。
付着した水が凍り、花が咲くように、あるいはヒトデがサンゴ礁を食い荒らすように、タイタンタートルの体を蝕む。
着弾、冷却。その繰り返し。
その繰り返しだけれど、怪物を冷やしているけれど、しかし思考は熱を帯びる。
オートではなくマニュアルだからだ。
水の空間固定、射出、着弾認識、冷却指示。
これは一つの弾に対しての命令だ。それを連射し、全ての行程を自分で処理している。
チヨ師匠が見れば「散らかっている」「美しくない」と揶揄されるのだろう。
タイタンタートルの動きが止まる。
チラリと自らの体を見て、次に弾を撃ち出す私を見た。
副団長はその隙を見逃さない。
一瞬の意識の隙を付いて、人の胴体程はあるタイタンタートルの右足の指を、斬り伏せてみせた。
ゴギャアアアアアアアアアアアアーーーーー!!
痛みに怒る咆哮。
鼓膜どころか頭が揺れる。
「よそ見してる暇があるかッ!」
副団長は挑発するように叫ぶ。
けれど彼の思惑通りにはいかず、タイタンタートルは私を標的にしたままだった。
巨体はこちらに向けて、滑走を開始する。
「アレで気を惹けないのかッ⁉」
副団長も後を追うが、重量の差もあり、タイタンタートルの方が加速に勝る。
一刻も速く、魔術を解かないと!
けれど思考はそう言うが、体は違う。
脳が命令信号を送り、受け取るまでのタイムラグが僅かに発生する。
タイタンタートルの速度は馬をも勝り、風を切り分けて来る巨石だ。
少しの遅れが、致命的になる。
そして多分、既に、致命的に私は遅れている。
間に合わない!
そう気づいたのは、間に合わない状態になってから、少し後だ。
回避に思考を割いていたから、気づくのが遅れたのだ。
「マジックハンド!」
シスイさんの声がした。
すると突然、タイタンタートルは向きを変える。
いや、向きを変えるというよりは、引っ張られるという様子に近い。
「以前に比べ、この力の使い方って奴の精度が増してね。肉とかそういうのはまだ無理だけれど、その露出した顎の甲殻くらいなら引き寄せられる」
その声か、それとも引き寄せられる感覚からか、タイタンタートルは目を見開くと、やがて獲物を見つけたかのように瞳を細くする。
「どうやら、思い出したみたいだね。そうだ、あのとき君を吹き飛ばしたのはボクさ」
正確には相方だけどね、と付け足す。
タイタンタートルが人の言葉をどれほど理解しているかは不明だ。
しかし、その意図は伝わったらしい。
仇と言わんばかりの咆哮と共に、タイタンタートルはシスイさんに迫る。
「回避してください!」
そう叫ぶが、彼は何故か動かない。
まるでそれが無駄なのを悟っているかのように。
タイタンタートルは迫る。
距離は残り五メートル程。
クジラのような巨大な口を開いて、目の前のシスイさんを丸呑みにしようとする。
それは言葉のない死刑宣告と同じだった。
「こうも何度も轢かれそうになるとはね。ここまで来ると轢かれるという事象に、無意識に惹かれているんじゃないかと思ってしまうよ」
距離は更に縮まる。
やがて完全に口は開き切り。
そして。
バチンッ!!
残酷な音が響いた。




