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虚構のシスイ ~異世界に不法投棄されたおじさんは、世界の最果てに名を刻む~  作者: yagi
第一章 理想末端都市ダアクック ~第一幕 矮小な思考を破る世界~
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13 道路の残影(上)

〈2024年 11月 東京 鈴香〉


 最低限の防寒着で家を出た。

 カラッとした空気が私の頬を撫でる。冷たく、私の頬を撫でる。

 雲が高い。青空が薄い。


 それを見て、空っぽだと漠然と思う。

 先輩がいなくなってからの私は、何に対してもずっとそう感じてしまう。

 自分の中で、先輩がこんなに大きな存在だったなんて、知らなかった。

 ふと、風が吹く。

 氷のように冷たい風が、私の肌に刺さる。


「……寒っ」


 やっぱり上着を着よう。

 私は一度家に戻って厚手のコートにマフラーを巻いて外に出る。

 手袋は片一方が見つからなくて着けなかった。


 コートを着たが、それでもまだ寒い。

 指先に息を吐いて温めるが、すぐに熱が引く。

 吐いた息は白く、空気に溶けていく。

 ああ、もう冬か。


 重い足取りで街を歩く。

 向かう先は駅。目的地は会社。

 駅に近いアパートに住んでいるから、徒歩五分くらいに駅がある。


 とぼとぼ歩いている内に駅に着いた。

 電車がいつくるか調べないまま家を出た為、携帯で調べようと取り出すと、丁度アナウンスが鳴る。

 どうやら自分が乗りたい電車が来たらしい。


 運良い。そう思ったけれど嬉しくはない。

 別に目的地は行きたい場所ではないし、むしろ避けて忘れたい場所だったから。

 そう思いながらも電車に乗る。

 通勤ラッシュが過ぎた後だから、同じ電車でもがらんとしている。


 扉近くのイスに座ると、風景をぼんやり眺めた。

 線路、電線、過ぎる看板、民家、そしてビル。

 そのどれもが褪せていた。

 渡り鳥と一緒に、色もどこか遠くへ飛んでいってしまったみたい。


 以前はこんなにも無機質だっただろうか。

 世界は、こんなにも色褪せていただろうか。

 そんな疑問を抱きながら、会社に向った。


 駅から出ると、私を迎えるのはビル群。

 空を覆うように並んでいる。

 その間に大通りが敷かれており、この道を真っ直ぐ進むと会社に着く。

 私は、歩き出した。


 いつか歩いた歩道を進む。

 都心に近づいたからか、車が多い。排気ガスの臭いがする。

 スーツ姿の人達が歩いている。同じ方向を向いて歩いている。朝だからか、表情に生気がない。それでも仕事の為に止まれない様は、ベルトコンベアで流されていく部品のよう。


 横を見ると交差点が見えた。

 少し、気分が悪い。

 チラチラと、脳裏に赤がよぎって吐きそうになる。

 ひしゃげた赤の臭い。血の臭いだ。

 でもきっと、幻臭だ。


 フラフラと歩いている内に、あの交差点へとたどり着いてしまう。

 先輩が轢かれた、あの交差点。

 私はそこで、足を止めた。

 ここを渡るのが一番近いから。


 信号は赤だった。

 人が交差点の前に溜まっていく。

 時計を見る人、じっと信号を見る人、荷物を確認する人、携帯を眺める人。

 そんな彼等を、私はじっと眺めていた。交差点を見ないようにする為だったからかもしれないし、人間観察の趣味が芽生えたのかもしれない。


 信号は赤から青になる。

 眺めていた人は動き出し、遠くに行く毎に姿はぼやけていく。

 変わるように、交差点にピントが合う。


 ドキッとした。指先は感覚を失う。それが寒さによるものではなく、精神面的なストレスが起こすものだということは、自分でなんとなく分かった。

 どうして周りにいる人達は、ここを何の疑問もなく歩いていけるのだろうか。

 何の疑念も、後悔も感じることなく渡ることができるのだろうか。

 私には、無理だ。


 赤。

 青。

 赤。

 青。

 赤。

 また、青。


 一日の間に何十回も、何百回も色は変わり、そして無機物と有機物が交差していく。

 皆、渡っていく。

 渡れないのは、私だけ。

 私だけ、あの事故から時が止まってしまったみたい。


 何度か渡ろうと試みてみた。

 でも結局、渡ることができなかった。理性と体が乖離しているみたい。

 信号が青だというのに渡らない私を、車に乗っている人がちらちら見て来た。

 けれど、不思議そうに見られていることに恥じらう余裕はない。

 体が強張って、動けない。


 三〇分程交差点で立っていたが、結局渡れなかった。

 仕方なく他の道を探していると、二百メートル程先に歩道橋が見えた。

 私はそれを使って対岸に渡り、会社の前までたどり着く。

 会社に入った私は、職場を目指してエレベーターに乗る。

 人は誰も乗ってこない。一人だった。


「……」


 エレベーターの登る速度が、やけに遅く感じた。

 誰もいない空間に目を泳がせると、エレベーターの壁に鏡があった。

 ……酷い顔。こんなにくまが濃かったかしら。

 終電で帰った時よりも、もっと酷い。


 ポーン。


 エレベーターが鳴った。扉が開く。

 広々とした部屋に規則的に並べられたデスクとパソコン、そして同僚達。


 久しく職場に来た……、なんて思ったが休んでいた期間は一ヶ月程。最近と呼ぶには長く、久しいと呼ぶには短い。


 私は自分の席ではなく、まっすぐ先輩の机に向かう。迷うことなく、まっすぐ。

 先輩の席に着いた。

 先輩の机はあの時から変わっていない。この机もきっと、あの時から時間が止まっている。交差点の私のように。


 けれど、この机はずっと止まっている訳にはいかない。置いてあるものは先輩のものであるけれど、机に関して言えば会社のものだ。

 また誰かが使うものなのだ。

 私は持参した紙袋を出すと、先輩の私物を一つひとつ丁寧に入れていく。

 紙袋にしまっていくごとに、机から先輩の気配が消えていった。


 心の穴がどんどん大きくなっていく感覚が、とても寂しい。

 泣きたくなっている自分がいる。

 でも今先輩にできることは、これくらいだ。

 これを届けるのが、私が今日ここに来た理由だ。


 やがて机は、誰でもないただの机になる。

 もう用はない。

 私は職場の廊下に出た。

 するとそこには白衣を羽織り、その中にワイシャツを着た男が立っていた。


「初めまして。私が犬上孝太郎だ」


 犬上孝太郎。

 今日私が会社に来たのも、先輩の荷物をまとめているのも、この人の依頼だった。

 彼は先輩の友人であり、先輩の私物を回収しに来たのだとか。


 依頼をされた時、怪しいと思ったのだが不思議と信用してしまった。信頼してしまった。全くもっておかしな話ではあるのだけれど、漠然と先輩の友人という言葉に納得してしまったのだ。


「これが、先輩の私物です」


「ああ、ありがとう」


 私は犬上さんに荷物を渡した。


「犬上さんは、先輩とは仲が良かったんですか?」


 ふと湧いた疑問を投げかける。

 プライベートの先輩を、私は知らない。

 だから後輩に見せる先輩の姿と、友人に見せる彼の姿に差異があるのか、知りたかったのかもしれない。それと本当に友人なのかという勘繰りも、少しあったと思う。


「私は、どうだろうな。まあ、他の人間よりは話す程度の仲だろう」


「どこかに遊びに行ったりとかは?」


「そうだな……共にプラネタリウムに行ったくらいか」


 男二人でプラネタリウム?

 それは、果たして、他人より話す程度の仲で行ける場所なのだろうか?

 プラネタリウムというのは、彼氏彼女のデートプランのそれではないのだろうか?


 なんだか、負けた気分になった。

 何に対して負けたのかは、微塵も分からないけれど。

 とにかく負けを悟ってしまった。私なんて安い居酒屋しか行ったことないのに。


「……そうですか。出口まで一緒に行きます」


「なんだか、機嫌悪くなってないか? それと、仕事は良いのか?」


「はい、今日は家に帰るんで」


「そうか……、では一緒に行くか」


 カーペットの敷かれた廊下を歩く。

 いつもより、足音が大きい気がする。

 きっと先輩がいないから周りが静かで、足音がうるさいのだろうと、乱暴に決めつけた。

 まるで失ったものを忘れないように、再認識するように。


 やがて、エレベーターの前に着くとスイッチを押して、何の会話もないままに待つ。

 エレベーターが来ると、それに乗って下の階まで下りていく。


 密室に無言の人間が二人。

 少し気まずさが漂う。

 何か話をしないと。

 そう思考を巡らせていると、先に口を開いたのは犬上さんだった。


「君は、アレの死に立ち会ったそうだな」


「え……はい。そうですね」


 あの時の記憶は曖昧だけれど、鮮明だった。

 トラックが突っ込んでいるのに気づいたかと思えば、次の瞬間には歩道に倒れていて、先輩が血まみれで……そこからはよく、覚えていない。


 それを思い出すたびに、胸の内に黒い何かが渦巻いているような、暴れているような、そんな感覚に陥る。

 涙が出そうになる。

 感情が壊れてしまったみたいに。

 感情を入れた器が割れてしまったような、そんな感覚。


 それが悲しくて、哀しくて、かなしくて。

 ブレーキが利かなくなった想いが、今も私を横断歩道で轢き続けている。


 この感情をトラックの運転手に対してぶつけてやりたい。

 だけどそれも、叶わない。

 運転手は先輩を轢く前に、心臓発作で亡くなっていたのだから。


 やるせない。

 これでは生殺しだ。

 この思いを、一体誰にぶつければ良い。

 時間が解決してくれるのだろうか。


 きっと解決はしない。

 風化するだけだ。

 風化して、傷跡だけが残るのだ。


 そんなことを、望んでいる訳じゃない。

 私は、先輩の為に何かしたいのだ。亡くなった先輩に手向ける何かをしたいのだ。

 捌け口のない激情が、今もさざ波を立てず、私の内に漂っている。


「仲が良かったのか」


 私から何かを察したのか、犬上さんは言葉を投げる。


「仲は……そうですね、良かったんでしょうね……。すごく尊敬していた先輩だったんです。私とか、私以外の後輩にも気を使っていましたし、助けてもらった人は多分多いと思います」


「そうか……、惜しい人を亡くしたな」


「そう、ですね」


 それからの会話は特になかった。

 エレベーターは落ち続ける。

 どこまでも、落ち続ける。

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