第八話 「エアリア家までの道」
リリィの屋敷に行く――そう決めたのはいい。だが、そこで俺たちは大問題に直面していた。
「……で、ヴァイス。お前、道知ってるんだよな?」
「いや、詳しくは知らん」
「どうすんだよ!」
「まあなんとかなるだろ。大まかな方向は知っているし、安心してくれ、タイシ!」
全然安心できなかった。むしろ不安しかない。けど、胸を張って言い切るヴァイスを前にしたら、突っ込む気力すら吸い取られていく。
仕方なくその背中を信じ、俺たちは夜道を進んでいった。
……そして一時間後。
「……おい、ヴァイス」
「な、なんだよ」
「ここは、どこだ」
「わりぃ、タイシ。迷った」
「なにしてんだよォォォッ!!」
声が夜空に虚しく響く。
気づけば辺りは木々ばかりで見覚えのない景色。虫の鳴き声すら心細く聞こえる。道らしい道もなく、足元はゴツゴツとした石と湿った土だけだった。
このままじゃ、いつたどり着けるか分からない。いや、それどころか、どんどん遠ざかっている気がする。
焦燥が胸を焼いた。急がなければ…リリィが待っている。いや、待ってくれているのかどうか分からな
い。でも、取り戻すって決めたんだ。
「……ヴァイス、背中に乗れ」
「いいのか?」
「ああ。酒場でもらったマスターの焼き芋、あれのおかげで屁チャージは満タンだ。しかも今、すごく調子がいい。質の高いおならが出せそうな気がするんだ」
「質の高いおならってなんだよ」
意味不明かもしれない。だが、体の奥から込み上げてくるこのエネルギーは確かなものだ。
屁魔法使いとしての勘が告げている――“今日は出る”。
ヴァイスは俺の背中にまたがった。おんぶする形だ。体重がずしりとのしかかる。普段なら重さに愚痴のひとつも出るところだが、今の俺には屁ターボがある。
「いくぞ!」
腹筋に力を込め、チャージ完了。
――ブシュウウウウウッ!!!
次の瞬間、俺たちは風を切って夜道を爆走していた。
「うおおおおおおお! はやぇぇぇぇぇ!!」
ヴァイスの歓喜の声が耳元に響く。そして続く――
「くせぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
そりゃそうだ。全力全開、最高品質のおならだ。速さと臭さは比例する。文字通り屁の理屈だ。
夜風が顔を叩き、木々が残像のように流れていく。まるで空を飛んでいるような疾走感――ただし、臭い。異常なまでに臭い。
俺の背中でヴァイスが泣き笑いみたいな声を上げていた。
「速ぇぇぇ! でも鼻が死ぬぅぅぅ!!!」
「我慢しろ! このスピードがあればすぐ屋敷につける!」
「道に迷っているのに、突っ走って大丈夫か!?」
「考えるな、感じろ! 屁を信じろ!」
リリィを取り戻すために、俺の尻は今、誰の尻よりも本気だった。
中学の頃、試験中にウンコを我慢していたクラスメイトのタカハシ君よりも――確実に。
あのときのタカハシ君は、教室中を震撼させるほど顔面蒼白で、机を両手で握りしめ、尻穴に全神経を集中させていた。彼の戦いぶりは伝説として語り継がれている。
だが俺の尻は今、それを超える。叶えるべき目標がある。愛と友情と焼き芋パワーを背負った尻に、不可能はないのだ。
「タイシぃぃぃ! お前の屁、伝説になるぞぉぉぉ!!」
「あぁ! この屁で俺たちは未来を切り開くんだぁぁ!!」
夜空に響く咆哮と、ケツから放たれる轟音。
俺のケツロケットは、止まらない。
◇◇◇
「……おい、ヴァイス」
「な、なんだよ」
腹の底からの衝撃を吐き出し続けていた俺は、ようやく速度を落とした。
そこで気づく。辺りに漂う、妙に重い空気。
「……ここ、墓地じゃね?」
「はぁ!?」
見渡せば、歪んだ月明かりに浮かぶ黒い石碑の列。苔むした墓標が乱立し、折れた十字架が傾いている。木々のざわめきさえ遠のき、死者の吐息だけが残っているような静けさだった。
背中でヴァイスが暴れ出す。
「うわぁぁぁ!? なんでよりによって墓地なんだよ! 俺、お化けダメなんだってばぁぁぁ!!」
俺も少なからず、恐怖を抱いている。だが俺の胸を圧迫しているのは、お化けそのものの恐怖じゃない。この一帯に満ちる濃すぎる魔力――その奥に潜む何かの存在感だ。
肌にじわりと冷や汗が浮いてくる。背中に貼りつくシャツが気持ち悪い。恐怖のせいか、それとも濃すぎる魔力にあてられているせいか――とにかく、呼吸のたびに胸が重くなる。
「……大丈夫か、タイシ。背中、なんか湿ってきてるぞ」
声をかけてきたヴァイスは、さっきまでの取り乱しが嘘みたいに妙に落ち着いていた。その清々しい顔が、逆に不気味だ。
「ああ……悪いな。大丈夫だ。汗かいて、気持ち悪い思いさせたかもしれん」
なるべく気にしていないふうに答える。ヴァイスに余計な心配はかけたくないし、何よりおぶさってる相手を不快にさせるのは申し訳ない。
「いや、俺もさ……怖すぎて、背中にちょっと漏らしちまった。だから、おあいこだな!」
「おあいこなわけあるかバカヤロォォォ!!」
反射的にヴァイスを背中から振り落とす。墓石の前で、ずでんと情けない音が響いた。
「いってぇぇぇ! ひでぇよタイシ! 友情ってもんがねぇのか!」
「あるか! 人の背中にションベンかけといて何が友情だ!!」
夜の墓地に、俺たちのバカみたいなやり取りが虚しく反響する。
――その反響に混じって、別の音がした。
ガサッ。
墓石の陰から、白い手がゆっくりと這い出してくる。
次いで、靄のような体を引きずり出し、目の窪んだ顔が浮かび上がった。
「レ、レイス……!」
ヴァイスの声が震える。
次々と墓石の隙間から、半透明の亡霊たちが姿を現す。呻き声とともに、冷気が辺りを覆った。
「くそっ、俺が斬る!」
ヴァイスは剣を抜き、最前に躍り出た。振り下ろされた刃がレイスの体を裂く――が、手応えはない。霧を割いただけのように、あっさりと剣は空を切った。
「……効かねぇだと!?」
やはり、レイスは物理攻撃を受けつけないか。
「ヴァイス、下がれ! お前の剣は通じない!」
「じゃあどうすんだよ!? こんなの勝ち目ねぇだろ!」
レイスたちが群れを成し、こちらへ漂ってくる。青白い光が墓地を怪しく照らし、背筋が凍る。だが――俺には“武器”がある。
「――行くぞ、おなら魔法だ」
腹筋に力を込める。焼き芋チャージ満タン。出力全開。
次の瞬間、墓地に轟音が響き渡った。
――ブボォォォォォォッ!!
衝撃波のような屁が広がり、レイスたちの群れを包み込む。
「ウボァァァァ……!」
「や、やめろォォォォ……!」
亡霊たちが鼻を押さえ、苦悶の声を上げながら、光の粒となって消えていく。ひとり、またひとり。
その光景はまるで――屁に浄化され、成仏していくかのようだった。




