第六話 「屁だああああああああ!!!!!」
その日、俺とリリィは森の奥で狼退治のクエストを終え、街へと戻る道を歩いていた。
西日に照らされた街道はオレンジ色に染まり、風は涼しい。肩に荷物を背負ったリリィは、疲れているはずなのに笑顔だった。
「師匠、今日の私、結構役に立ちましたよね!」
「間違えて俺に魔法ぶつけたのをを除けばな」
最近になって、リリィの魔法は大幅に進化した。俺にぶつけはしたが、課題だったコントロールも少しずつ安定してきた。
「うぅ……そこは忘れてください!」
そう言って膨れる彼女を横目に見ながら、俺は歩を進める。
こういう、たわいない時間が意外と心地よかったりする。考えてみれば、異世界に来て最初に出会ったのが彼女で良かった。何も分からない世界で、「師匠」と呼んでくれる存在が隣にいたのは、どれほど心強かったか。もし俺一人だったら、とっくに心が折れていたに違いない。
いつも無邪気で、少しおっちょこちょいで……けど、だからこそ一緒にいて楽しい。それを思うと、今の時間は何よりも大切に思えた。
「リリィ」
「はい、なんですか師匠?」
「……いや。なんでもない」
口に出すのは照れくさくて、結局ごまかしてしまう。
幸せだと気づくのは、いつだってこういう瞬間なのかもしれない。
……だからだろう。
背後から迫る冷たい風に、俺は余計に心臓を掴まれた気がした。
「ようやく見つけたぞ……リリィ」
風を裂くような声が後方からから響く。振り返ると、一人の青年が立っていた。
金色の髪に漆黒の外套。整った顔立ちに鋭い眼差し。ただ者ではない、という空気が周囲を震わせていた。
「……セリオス兄様」
リリィが硬直し、小さく呟いた。
「リリィ。家を飛び出してからどこにいるかと思えば……見知らぬ男と共にしているとはな」
セリオスという男の声は冷え切っていた。
その圧力に負けまいと彼女は一歩、大地を踏みしめ、精一杯の声で言い返す。
「私は……もう決めたんです。師匠のお導きで風魔法を極めると!」
そして振り返り、俺を指差す。
「この人が……私の師匠です!」
セリオスはわずかに眉を上げ、鼻で笑った。
「師匠、だと? ならば、その力試させてもらおう」
そうして突然バトルが始まった。
風が唸りを上げる。そして、目に見えるほど濃密な気流が彼を中心に渦巻く。瞬間、セリオスが消えた。
「どこだ!?」
「こっちだ」
その声は背後から聞こえた。そのまま、振り返ることすら出来ず、背中に衝撃が与えられ――
「……おならバースト」
ブオオオオオッ!!
「ぐわぁぁぁ!」
突如炸裂した衝撃波に、セリオスは飛ばされ、大木に体を打ちつける。
俺の場合は、背後を取ったって意味ないんだぜ。なぜならケツは、後ろについているからなあ!
「残念だったな!!」
「さすが師匠!」
リリィが目を輝かせて喜んでいる。実にいい気分だ。
だが、セリオスは地に片膝をつきながら、鋭い眼差しをこちらへ向けている。
「……馬鹿な。どうやって……貴様、私に背を向けていたはず……」
森に重苦しい沈黙が落ちる。
俺は必死に澄ました顔をするが、額から汗が一筋つうっと流れた。
「ありえん……振り返ることなく、背後の私を捉えただと? 今の爆発のような衝撃と音、風魔法にしては、あまりにも――」
そして、セリオスが鼻をひくつかせた後、何かを閃いたような笑みを浮かべる。そのまま、彼は一歩踏み出した。
「ふ、ふはははははッ!!! 理解したぞ……!!!」
森に響き渡る笑い声。風が逆巻き、木々の葉がざわめく。
「えっ……」
俺は嫌な汗をさらに噴き出した。
「風魔法?…そうではない!貴様の魔法は屁属性魔法だ!!」
なにぃぃぃぃぃぃ!まさかバレたッッッッ!?……否、まだ諦めるには時期尚早!
「い、いやこれは特別な風魔法で…」
身振り手振りも加えて必死に否定する。
「風を愚弄するな!……東方に屁魔法があると聞いたことはあったが、まさかこの国にも存在していたとは」
「ち、違う! これは高度なエネルギー圧縮であって……」
「屁だッ!!!」
「屁じゃないです!!」
「屁だッッッ!!!!」
「屁じゃ……屁かもしれんけど、屁じゃない屁なんだ!!」
「屁だああああああああ!!!!!」
セリオスの声が爆裂し、森の鳥獣が一斉に逃げ出す。
俺は崩れ落ちそうになりながら、必死に弁明するが――
「し、師匠……」
リリィの声が震えていた。
「本当に……ずっと……屁……?」
「ち、違う! 信じてくれリリィ! これは屁だけど、普通の屁ではなく、特別な屁であって、一概には屁とは言えない屁なんだ!」
リリィの目の奥に迷いの影が滲む。信じたいけれど、臭い記憶が次々によみがえっているようだ。
セリオスは妹を庇うように立ちふさがり、声を低めた。
「リリィ。お前がなぜこんな男に付き従う? お前は――我がエアリア家の娘だろう」
「エアリア家……?」
俺は呆然と呟いた。
「風の名家、代々王国を支えてきた誇り高き一族。それが俺たちだ。リリィ、お前は本来、外の世界をさまよう身分などではない」
「で、でも……私は――」
「黙れ。お前はかつて魔法を暴走させ、自分だけでなく周りを危険に晒した。だから二度と、魔法に触らせまいとしてきたのだ。それを……屁の男に導かれるとはな」
リリィは唇を噛みしめ、涙を浮かべた。
俺に視線を向ける――けれど、そこには迷いがあった。
「……リリィ」
俺は必死に声を絞り出す。
「俺を信じろ……! お前が魔法を暴走させたとしても、俺が止める。俺が隣にいて、絶対に守る。だから――自分の力を恐れるな」
「……師匠……」
リリィの瞳が揺れる。
「屁の師匠を信じるなッ!!」
次の瞬間、セリオスの風魔法が俺を吹き飛ばす。
「ぐはっ……!」
体が宙を舞い、巨木に叩きつけられる。衝撃で息が詰まり、肺が焼けるように痛む。
「師匠っ!!」
リリィが駆け寄ろうとするが、セリオスの風の障壁に阻まれる。
「やめろリリィ。こいつは貴様を守れる器ではない」
冷徹な声音とともに、風が刃となって俺に襲いかかる。
「……おなら……バーストッ!!」
必死に尻へ力を込め、爆風を放ち相殺を試みる。
しかし――
「無駄だ」
風が風を切り裂く。俺の屁はあっさりと掻き消され、逆に衝撃の奔流が牙をむいた。
「ぐああああああッ!!」
嵐に叩き飛ばされ、地面を何度も転がりながら血を吐き出す。背中を岩に打ちつけ、骨が軋んだ。
視界の端に、涙目のリリィが映る。
「……リリィ……信じろ……俺は……」
手を伸ばすが、力が入らない。
セリオスが冷酷に告げる。
「見るがいい、リリィ。これが現実だ。暴走した時、お前を止められるのは俺だけだ。こいつではない」
「でも……私は……」
リリィの声が震える。
「行くぞ」
セリオスは迷う妹の手を強引に取った。
リリィは最後に振り返る。その翡翠色の瞳には、信じたい気持ちと、揺らぐ不信が入り混じっていた。
俺の手は空を掴むだけ。やがて風は彼女の姿をさらい、遠ざかっていった。




