第十六話 「次の目的地」
朝だ。
いつもよりちょっと静かな風が、頬をなでていく。戦いの翌日ってのは、なんかこう、全身が軽くなる気がする。まあ、昨日あんだけ屁を放出したんだ。軽くなって当然か。
「……ふぅ。空気がうまいな」
ブッ。
そう呟いた瞬間、尻も空気がうまいと音を立てた。
おお、響くねぇ。澄んだ朝に響く放屁音。これぞ屁の旋律。
「師匠!? 朝から臭いです!!」
「ほら、風魔法の勉強になるぞ。観察してみろ」
「いや観察したくないです! 鼻が死にます!」
「風は匂いも含めて風なんだよ。受け入れろ、風のすべてを」
「師匠は屁使いでしょ!!」
うん、元気だ。リリィは今日も可愛い。昨日あんな覚悟を見せたってのに、もうこんな調子だ。まあ、そこが彼女のいいところだ。
「……リリィ、屁使いだってこと黙ってて悪かった」
ぽつりと、朝の静けさをわずかに破るように言った。風が止まる。リリィも一瞬、動きを止めた。
「……師匠」
「ずっと風魔法使いだって見栄張ってた。格好つけてた。本当はただの屁使いで、風の真似をしてただけだ。……なのに、お前を弟子にして、風の極意だのなんだの言ってた。笑えるよな」
自分で言って、苦笑が漏れる。
あのときの彼女の顔――セリオスに真実を暴かれたあの日の顔が頭に焼き付いて離れなかった。信頼してくれた瞳が揺らぐ。あれは刺さった。屁よりも深く、尻に。
彼女はどこか遠い目をしていた。何かを考えているようで、しばらく無言だった。
ブゥゥゥッ。
あ、出た。沈黙が気まずくて出た。
「……ごめん」
真面目な話をしているときに何をやっているんだケツ野郎!
俺は自分の尻を叩き体罰によって教育をしていると、笑い声が聞こえてきた。
「ふふっ……やっぱり師匠は師匠ですね」
「お、おい。笑うなよ、今は真面目な話だぞ」
くそ……真面目な雰囲気を戻そうとしたのに、屁のせいで全部台無しだ。いや、俺のせいなんだけど。
「旅が、楽しかったんです」
風が彼女の金髪を揺らす。その瞳は、真っ直ぐだった。
「私、風魔法がどうとか、屁魔法だとか……もう関係ないんです。師匠がどんな魔法を使ってても、私は師匠と旅を続けたいと思ってます」
「……お前、本気で言ってんのか」
「もちろん。本気です。だって師匠の魔法は――臭いですけど、優しいですから」
そう言ってリリィは笑う。俺のケツも口をパクパクさせて笑っている。笑い声と、少し臭う風。その両方が、なんだか心地よかった。
「あれ、そういえば……」
「どうかしたんですか?」
「何かを忘れている気がする……何かというか、誰かというか…炎と裸の剣士というか……」
いいや、きっと気のせいだろう。
◇◇◇
「次の目的地を決めようと思う」
昼下がりの食堂。
木の床は少し軋み、壁には冒険者たちの武器が雑に立てかけられている。テーブルの上には半分飲んだスープと、俺の屁で炭酸化した謎の飲み物。
うん、良い雰囲気だ。多少の臭気を除けば。
「おおっ、作戦会議ですね!」
リリィがぱちぱちと手を叩いた。
店の隅のテーブルに座る俺たちを、店主が「また何かやらかすんじゃないか」という目で見てくるが、気にしない。気にしたら負けだ。すかしっぺをした時、周りの反応を気にしたら不安になるだろう。それと一緒なのだ。
「それで、師匠。どこに行くつもりなんですか?」
「俺は屁魔法について、もっと知りたいと思っている。」
「……今、食事中なんですけど」
下品な話はするなということか。よくよく考えたら、彼女は貴族の娘だ。だから基本的に、お上品なのかもしれない。そんなことを考えながら、こほんと咳払いをする。ついでにオナラもかましておく。同時にやれば多分バレない。
「いやリリィ、真面目な話なんだよ。セリオスが気になることを言っていたんだ。東方の国に屁魔法の使い手がいるって」
「まさか、師匠以外にもそんな人が……!」
リリィの表情が一瞬だけ輝く。だが、その後すぐに冷静さを取り戻して、ため息をついた。
「そんな人が何人もいたら世界の空気が持ちませんよ。臭さが蔓延した世の中になってしまいます」
「だからこそ、俺が確認しに行かねばならんのだ。風と屁の均衡を保つために!」
「……何ですかその使命感」
リリィは半ば呆れ顔でスプーンを置き、地図を広げた。あと、鼻を押さえ始めた。まずい、屁こいたのがバレたかも。しかし、彼女はそのことに言及することなく、話を続ける。
なんか嫌だな。俺がオナラするの当たり前と思われていそうで。
「東方……ですか。遠いですね」
「だろ? だから途中にある“獣の国”に寄ろうと思う」
「そうですね……補給や装備の調整もできますし、いい案だと思います」
「だよな、だよな」
俺は頷きながら、心躍っていた。
獣の国は獣人が統治している国だ。そのため、多くの獣人がそこに住んでいる。ケモ耳。尻尾。もふもふ……うん、非常に興味がある。決してやましい理由ではない。
「……師匠、今ニヤけてますけど?」
「いや、風が気持ちよくてな」
「屋内ですよ!」
こうして俺たちは、次の旅路を決めた。目的は――屁の真理と、風の自由と、あと少しのもふもふである。




