第十話 「ジーム爺」
墓地での死闘をどうにか生き延びた俺とヴァイスは、ふらつくように歩いていた。
レイスの親玉を屁炎剣で倒したのはいい。だが代償は大きかった。
「……屁が、出ねぇ」
さっきの全力屁で、ガス袋は完全にカラだ。屁魔法の使い手にとって、それは剣士が剣を折られるようなもんだ。
「やばいな。屁がなけりゃ、お前ただの臭い奴だろ」
「うるせぇ! その通りだけど言うな!!」
目的地はエアリア家の屋敷。当然リリィの兄、セリオスがいるはずだ。絶対に油断できない。だが、屁がなきゃ俺はただの足手まといだ。
「……焼き芋。補給が必要だ」
そう呟いた時、あるものを見つけた。道の先に、ぽつんと赤い提灯が揺れていたのだ。
俺とヴァイスは顔を見合わせる。
「……まさか」
「行ってみるか」
近づくと、香ばしい甘い匂いが漂ってくる。 そこには小さな屋台が出ていた。芋を蒸す匂いが、俺のケツをぶるんっぶるんっと震わせる。それはまるで、犬の尻尾のように。
「……焼き芋屋だ!」
「こんな時間に……幻覚じゃねぇよな」
屋台の奥に座っていたのは、長くて白いヒゲと髪をたくわえた爺さんだった。
「ほっほっほ……夜は腹が減るもんじゃ。一本どうかな?」
その笑みは優しげだが、どこか底知れぬものを感じさせた。
「二本くれ! いや三本だ! 俺の命がかかってる!」
「俺の分も頼む!」
差し出された焼き芋は、黄金色に輝いて見えた。俺のケツが、ぶるるっと痙攣している。これは運命だ。 芋を受け取ると、俺は皮ごと豪快にかじりついた。
熱い! 甘い! そして力が戻っていく!
「……きた……屁が戻ってきたぞ……!」
「お前の顔、完全に変態だぞ」
小さく試運転――プスッ。うん、張りがある。これは戦える。だが、そのときだった。爺さんが俺を見て、ニヤリと笑った。
「なるほど……なかなか筋が良い。お主、名を何という?」
「ハライ・タイシですけど…爺さんは?」
「ワシの名はジームじゃ……せっかくじゃから、お主らに面白いもんを見せてやろう」
ジーム爺さんがそう宣言した瞬間――世界が、歪んだ。強烈な臭いが鼻を突く。焼き芋の甘い香りとは違う。もっと濃密で、腐敗したような臭い。視界が揺らぎ、足が鉛のように動かなくなる。
ヴァイスが横で呻き声を上げていた。
「な、なんだこれ……!? 体が……!」
声を発することすら難しい。息を吸えば、臭いが脳を焼く。意識が薄れていく。
気がつくと、目の前にいたはずのジーム爺が、俺達の真後ろに立っていた。
「……っ!?」
意味がわからない。脳が追いつかない。
「おい、タイシ! 今……今、なんだ……!? 目の前にいたはずの……!」
俺は答えられなかった。本当に何が起きたのか分からない。ただ、確かに俺もヴァイスも何か囚われ、抗えずにいた。
ジーム爺は、そんな俺たちを見て穏やかに言った。
「……この魔法を理解し、扱えるようになった時――お主は一つ先のステージに辿りつけるじゃろう」
言葉は優しい。だがぞっとするほど重みがあった。俺とヴァイスは顔を見合わせ、何も言えなかった。そして、世界がふっと軽くなる。悪臭も消えている。
ジーム爺は再び屋台の奥に腰掛け、まるで何事もなかったように焼き芋を転がしていた。
「……い、今のは……」
「……っ、俺たち……何をされた……?」
恐怖と困惑で声が震える。だが爺さんは答えなかった。ただ、静かに微笑んでいた。
やがて提灯の灯りがふっと消える。瞬きした刹那、屋台も、ジーム爺も――すべて消えていた。残されたのは、夜風に漂うほのかな芋の香りと、屁の匂いだけ。
「……た、タイシ。あれは絶対ただの芋売りじゃねぇ」
「ああ。けど……今の、なんだったんだ……?」
答えは出ない。ただ、あの悪臭と恐怖だけが、体の奥に焼きついていた。俺たちは沈黙のまま歩き出す。焼き芋で満ちた腹の奥に、奇妙なざわめきを抱えながら。




