18話 負の転換②
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「よし、ぼちぼち行こーぜー」
月菜たちの発表前になった。
「って、お前たちも来るんかい」
「当たり前だろ。月菜ちゃんは、俺たちにとっても妹みたいなもんなんだから」
「ショージに同意はしたくないけど……まあ、確かにそうね」
よかったな、月菜。
兄ちゃんや姉ちゃんが三人もいるみたいだぞ。
一人、ちょっと怪しいのが混ざってるけど。
『この時間帯は、みんな紫苑祭を回ってますから。ゆっくり妹さんの演劇を見てきてください』
委員長はそう言って、背中を軽く押してきた。
「しかし、この小雨は……人が体育館に集まりそうね」
窓の外を見ると、小降りとはいえ確かに雨が降っている。
まあ、梅雨の時期なんだから仕方がない。
「梅雨だしな。外を回るより、屋内で座って見られる演劇の方が都合いいだろ」
「だよねー。むしろ満席になるんじゃない?」
ショージが呑気に言うと、隣で腕を組んでいたミアが鼻を鳴らした。
「人が多いのはいいけど……月菜が緊張しなきゃいいわね」
「……それは無理じゃないか?」
そう返すと、二人揃って俺を見る。
「何だよ」
「兄なのに、妹を信じてないの?」
「信じてるけど、緊張はするだろ」
言い返すと、なぜか全員が納得したように頷いた。
「それもそうか」
「それに、本番に強いタイプでもなさそうだし」
「おい」
好き勝手言われつつも、悪意がないのは分かる。
なんだかんだで、みんな月菜のことを気にしているのだ。
体育館へ向かう廊下は、いつもより人通りが多かった。
傘を畳みながら歩く生徒、プログラムを広げて相談している親子、クラスTシャツのまま走っていく実行委員。
文化祭特有の、少し浮ついた空気が廊下いっぱいに広がっている。
「ほらほら、急ぐぞ。もうすぐ始まっちまうよ」
ショージに背中を押され、俺たちは体育館へ入った。
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体育館の中は、すでにかなりの人で埋まっていた。
ステージ上では、軽音楽部によるバンド演奏が行われている。
「うわ……人多っ」
「雨のおかげね」
ミアが周囲を見回しながら、ぽつりと呟く。
「月菜のクラス、何番目だっけ?」
「次だな」
俺がプログラムを指さすと、ショージが親指を立てた。
「ベストタイミングじゃん。客入りもいいし」
「……それ、本人にとってはプレッシャーじゃないか?」
俺のツッコミに、ショージは一瞬黙り込み、視線を逸らした。
「……まあ、そうとも言う」
やや後方の席に腰を下ろすと、ちょうど演奏が終わったところだった。
拍手が体育館に反響し、次の準備のために幕が閉じられる。
その向こう側に、今まさに出番を待つ月菜たちがいる。
そう思っただけで、自然と背筋が伸びた。
大丈夫か、月菜。
心配がないと言えば、嘘になる。
だが、それと同時に――
ちゃんとやるんだろうな。
根拠はない。
それでも、そんな確信が胸の奥にあった。
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一方、その頃。
舞台袖では、月菜が何度も深呼吸を繰り返していた。
(緊張する緊張する緊張する……!)
頭の中で、同じ言葉がぐるぐると回る。
「月菜、大丈夫?」
隣に立つクラスメイトが、小声で声をかけてくる。
「だ、大丈夫……たぶん」
「たぶんって何よ」
苦笑されるが、それで少しだけ肩の力が抜けた。
衣装の袖をぎゅっと握りしめ、月菜は舞台の床を見つめる。
(ニブラと戦う時より、緊張してるかも……)
敵と向き合う時は、怖さより必死さが勝っていた。
考える余裕なんて、なかった。
でも今は違う。
人に見られている。
人に評価される。
失敗したら、それが全部、はっきりと分かってしまう。
「――でも」
月菜は、小さく呟いた。
(お兄ちゃん、来てくれてるよね)
そう思うだけで、不思議と胸の奥が落ち着いていく。
「次、私たちの番だよ」
「うん!」
返事は、さっきより少しだけ、はっきりしていた。
幕の向こうから、観客のざわめきが伝わってきた。
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【文化祭前夜、消えた舞台】
照明が落ち、体育館が闇に包まれる。
ざわめきが静まり、やがて一筋のスポットライトが舞台中央を照らした。
『――紫苑高校、文化祭前夜』
低く落ち着いたナレーションが響く。
『明日に控えた本番を前に、舞台は完成しているはずだった』
照明が広がり、舞台上には“前夜の体育館”を模したセット。
背景には未完成の看板、小道具が無造作に置かれている。
そこに現れたのが、月菜だった。
腕章をつけた実行委員役。
少し緊張した面持ちで、台本を抱えている。
「……おかしいな。確かにここにあったはずなのに」
月菜の視線が、舞台中央を見渡す。
「大道具、全部消えてる……?」
ざわ、と客席が小さく反応する。
続けて、クラスメイトたちが舞台に入ってくる。
「え、なにこれ? 舞台セットが……ない?」
「誰か移動させたんじゃないの?」
「いや、鍵はちゃんとかけてたはずだろ」
ざわつく役者たちの中で、月菜は一歩前に出た。
「落ち着いて。まずは確認しよう」
声ははっきりしている。
少し前までの不安げな様子はない。
「文化祭前夜に、舞台が丸ごと消えるなんて……」
照明が一瞬揺らぎ、舞台奥が暗転する。
『――その時』
低音の効果音。
舞台奥から、不穏な影が伸びる演出。
黒い布と照明を使った、シンプルだが効果的な表現。
「……今、誰かいた?」
クラスメイト役が振り返る。
「気のせいじゃない?」
月菜は、じっと暗がりを見つめていた。
「……いいえ。気のせいじゃない」
客席の空気が、ぴんと張り詰める。
「この舞台……消えたんじゃない」
月菜は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「――持っていかれたのです」
ざわっ、と観客席。
「誰に?」
「分からない。でも……」
月菜は、胸元に手を当てる。
「この学校で、文化祭を壊そうとしている“何か”がいる」
照明が赤く染まり、緊張感が高まる。
『文化祭を守るため、彼女たちは動き出す』
音楽が切り替わり、テンポが上がる。
月菜は仲間たちと顔を見合わせ、はっきりと宣言した。
「探そう。消えた舞台を」
「明日の本番までに?」
「うん」
月菜は、まっすぐ前を見る。
「――この文化祭は、私たちの舞台だから」
その一言に、客席の空気が完全に物語へ引き込まれた。




