第16話 文化祭準備中⑥
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文化祭準備期間も後半に入り、校内はどこも慌ただしかった。
廊下には模造紙や段ボール、脚立や工具箱が無造作に置かれ、通るたびに誰かが「すみませーん」と声を上げている。衣装袋を抱えた生徒、装飾用の紙花を運ぶグループ、看板を描きながら口論するクラスメイトたち。
笑い声とため息が入り混じり、学校全体がひとつの大きな準備室みたいだった。
「……人、多いね」
月菜が周囲を見回しながら、ぽつりと呟く。
「この時間は、どのクラスも佳境」
陽菜は淡々と答え、腕に抱えた資料の束を抱え直した。脚本の修正案や進行表だろう。几帳面に揃えられた紙の端が、彼女の性格をそのまま表している。
月菜は少し緊張した様子で、陽菜はいつも通り落ち着いている。けれど、どこか空気が張り詰めているようにも感じられた。
――その時だ。
「わぁ、ここ演劇準備室なんだ」
軽い、けれどやけに耳に残る声。
思わず足を止めると、向かい側の廊下から一団が現れた。
フリル付きの試作メイド服を手にした女子生徒たち。白と黒を基調にした衣装はまだ仮のものらしく、袖や裾には安全ピンが残っている。
胸元の名札には、《1年C組》。
その先頭に立っていたのが――佐々木星菜だった。
「あ……」
月菜の声が、わずかに強張る。
「へぇ……大道具、照明、脚本……」
星菜は準備室の中を遠慮なく覗き込み、並べられた台本や照明図に視線を走らせる。
そして、ふっと口元を緩めた。
「なるほど。月菜ちゃんたちのクラスは、演劇をするんだね」
言葉自体は柔らかい。
けれど、その声音には、どこか測るような響きがあった。
「……何か用?」
陽菜が、静かに問いかける。
視線は真っ直ぐ星菜を捉えているが、感情の揺れは読み取れない。
「別に?」
星菜は肩をすくめた。
「ただ通りかかっただけ。うちはメイド喫茶だから、衣装を取りに行ってたんだ」
「……メイド喫茶?」
月菜が思わず聞き返す。
「そ。可愛いは正義、だよね?」
星菜は振り返り、後ろのクラスメイトたちに声をかける。
『ねー?』
『うんうん!』
『絶対人来るよねー!』
楽しげな声が廊下に弾む。
その明るさが、準備室の中の張り詰めた空気と、はっきりと対照的だった。
「演劇ってさ」
星菜は、再び月菜へと視線を戻す。
「正直、好み分かれるよね」
月菜の肩が、ほんのわずかに揺れた。
「暗い話とかだと、途中で抜けられちゃうし」
「……」
「文化祭って、楽しんだもん勝ちじゃない?」
にこやかな笑顔。
けれど、その言葉は刃物みたいに、確実に刺さっていた。
「……私たちは」
月菜が、ゆっくりと口を開く。
「ちゃんと、見てもらえるものを作ってる」
声は震えていない。
だが、力が入っているのが分かる。
「ふーん」
星菜は小さく首を傾げた。
「分かる人には分かるってやつかな?」
「……っ」
「それ、客入り的には厳しくない?」
空気が、きしりと音を立てた気がした。
「――佐々木星菜」
陽菜が、低い声で名前を呼ぶ。
温度が、一段下がる。
「文化祭は、そんなのじゃない」
淡々とした口調。
けれど、言葉の一つ一つが、はっきりと芯を持っている。
「それぞれが、やりたいことをやるだけ」
「へぇ……」
星菜は陽菜を見つめ、少しだけ目を細めた。
「それが脚本家さんの意見ってわけ?」
「……そう」
「強気だね」
一瞬、沈黙。
その間に、俺は思う。
――これ、完全に火花散ってる。
「ま、いいや」
星菜はあっさりと言った。
「本番、楽しみにしてるね♪」
くるりと踵を返す。
「どっちがお客さんを楽しませられるか、ね」
そう言い残し、星菜とその取り巻きたちは廊下の人混みに消えていった。
残された準備室には、重たい沈黙だけが落ちる。
「……」
月菜は俯いたまま、唇を噛みしめている。
「月菜」
俺が声をかけると、はっと顔を上げた。
「だ、大丈夫」
無理に作った笑顔。
「……負けないから」
その言葉は、自分に言い聞かせているみたいだった。
陽菜は、静かに言う。
「比べる必要はない」
「……うん」
月菜は小さく頷いた。
それでも――
胸の奥に、確かに残ったものがあった。
佐々木星菜のクラスには、負けたくない。
ただそれだけの感情が、静かに、確かに燃え始めていた。




