10話 魔法少女になった日⑬
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――カチ、カチ、と時計の秒針が静かな朝の空気を刻む。
「おーい、月菜。大丈夫か?」
ぼんやりとした世界から引き戻されたように、月菜はまばたきをした。気がつけば箸を持ったまま、朝食のお皿をただ見つめて固まっていたらしい。
目の前ではタクローが、いつもの飄々とした表情ではなく、どこか心配そうな目つきで月菜を覗き込んでいた。
「う、うん。大丈夫だよ!」
慌てて背筋を伸ばし、頬を軽く叩く。無事をアピールするように元気よく返事をするが――胸の奥には、つい数秒前まで鮮明に浮かんでいたあの日の記憶の残滓がまだ温かく灯っていた。
そう。あれは――
去年のクリスマスを控えた日のこと。
タクローの肩に深い爪痕が刻まれ、床に倒れたあの瞬間。涙で視界が滲む中、胸元の魔具が光りだし、気がつけば自分は魔術師見習い――魔法少女の姿になっていた。
あの時のことは、今でも夢だったのではないかと思う瞬間がある。
でも。
(……私は、確かにあの日お兄ちゃんを……守れたんだ)
その証拠に、タクローは今こうして無事に朝食を食べている。
気づけば、彼はすでに皿の味噌汁を平らげており、箸を置いて大きく伸びをした。
「それより、月菜。早く食べないと学校に遅刻するぞ?」
「あっ……うん、そうだね!」
「なら、早く起きればいいだろ?」
ちょっと呆れたような、でもどこかあたたかい声。
「お布団の魔力は強いんだよ!」
月菜がむくれながら言うと、タクローは「はいはい」と笑いながら台所へ歩いていった。その背中を見つめながら、月菜はふっと小さく息を吐く。
(……この背中が……いなくなるかもしれなかったんだ)
胸が少しだけ痛む。でも痛みは、決意を固めるための優しい針のようなものだった。
食事を終え、学校へ向かう準備をしながらも、月菜の心はそわそわしていた。
今日の夜はエヴァと陽菜と訓練する予定となっているのだ。
「……はぁ。今日も夜は走り回るんだよね……」
ぼやきながらも、足取りは軽い。
去年のあれ以来、月菜は陰ながらエヴァの指導を受け、基礎魔術の練習を少しずつ続けていた。
最初は何もかも怖かった。
でも――
(お兄ちゃんと、今の生活を守るためなら……わたし、がんばれるよ)
覚悟を決めたあの日から、月菜の世界はほんの少しだけ広くなった。
魔術という未知の世界。
夜の街を駆ける緊張感。
ニブラたちの影。
そして――同じ道を歩く陽菜の存在。
全部、月菜にとっては新しくて、こわくて、でも……心の奥でほんのりワクワクするものでもあった。
玄関で靴を履いていると、タクローが後ろから声をかける。
「月菜。帰り遅くなるなよ? 今日は寒いから」
「うん、大丈夫!」
「ほんとか? 最近お前、夜ちょっと帰りが遅い気がするんだけどな」
「えっ!? そ、そうかな!? 気のせいだよ!」
焦ってごまかすと、タクローは「まぁいいけど……」と笑いながら頭をぽん、と軽く叩いた。
その手の温かさに、胸の奥がギュッと締め付けられた。
(……お兄ちゃんには絶対言えないけど……)
魔術師見習いになったことも
怪物と戦っていることも
去年のクリスマスにタクローが死にかけたことすらも――
全部秘密。
でも、それでいい。
(お兄ちゃんには……普通に笑っててほしいから)
外の冷たい空気に触れながら、月菜は息を吐いて空を見上げた。
冬の空は澄んでいて、どこか去年のクリスマスの夜と同じ色をしていた。
(あの日のこと……絶対忘れない。でも、立ち止まらない)
風が月菜の髪を揺らす。
「よしっ。今日も……がんばろっ!」
そう小さく呟いて、月菜は元気よく歩き出した。
タクローと過ごす守りたい日常のために。
そして、去年のクリスマスに誓ったあの決意を胸に――
魔術師見習いとして、月菜は今日も夜を駆けるのだった。
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「そうか……お前は、その道を選んでしまうのか」
冷たい風が吹き抜けるクリスマスイブの夜。
エヴァと陽菜のマンションを離れた場所から、誰かの影が三人の様子を静かに見守っていた。
「……なら、監視を強める必要がありそうだな」
そう低く呟くと、影は風に溶けるように、ゆっくりとその場を去っていった。




