10話 魔法少女になった日③
家の前に着くころには、月菜の手はすっかり冷えきっていた。
吐く息は白く、たい焼きの袋だけがほんのり温かい。
「さむいよぉ……はやく入ろ」
「お、おう……鍵、鍵……あっ、手かじかんで開けづれぇ!」
「だめじゃんお兄ちゃん……ほら、貸して」
月菜はタクローの手から鍵をひったくり、カチャリと軽い音を立てて玄関を開けた。
「ただいまー」
「ただいま戻りましたー……うお、あったかっ」
暖かい空気がふわりと二人の頬を包み、冷えきっていた身体がじんわりと解けていく。
「……はぁー……家って天国だなぁ」
「そんな大げさな」
月菜はくすっと笑いながら靴を脱ぐ。
その拍子に、ポケットの中でペンダントが小さく音を立てた。
(……これ、やっぱり変だよね)
胸に不安がよぎる。
「月菜、手洗ってこいよ。早く食べないと夕飯が入らなくなるぞ」
「お兄ちゃんもでしょ」
「俺は犬に襲われて腹ペコだから大丈夫だ!」
「その話はもういいから!」
タクローの言葉をばっさり切り捨て、月菜は苦笑する兄の後ろを歩いた。
二人で洗面所へ向かいながら、月菜は思い切って口を開いた。
「ねぇ……さっき話した変な人のことなんだけど」
「んー?」
「ほんとに“アンブラ”って知らない? お兄ちゃん聞いたことある?」
「ーーないな。スパイ用語?」
「そんな気軽なテンションで使う言葉じゃなかったよ……」
タクローは手を拭きながら肩をすくめた。
「外国人観光客多かったから、誰かと間違われた?」
「……あ、それは……あるかも」
金髪女性の鋭い視線を思い出しつつも、月菜は少し納得したような顔になる。
けれど、胸の奥にはまだ重たい疑問が残っていた。
そんな様子に気づいたのか、タクローはぽん、と軽く頭を叩いた。
「気にしすぎだって。そんな心配なら今度母さんに相談しような」
「……うん、そうする」
「よし。まずたい焼き温めるか。俺、チョコのやつ食うからな」
「それはわたしの!」
「ほら出た、食に貪欲な妹!」
「うるさい!」
兄妹のやり取りに、さっきの不気味な出来事が少しだけ遠ざかった。
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夕食を終え、月菜は湯気の立つ浴室でようやく息をついた。
「はぁ〜……あったか……。今日はほんと色々あったなぁ……」
肩まで湯に浸かりながら、例のペンダントを眺める。
月の模様が静かに浮かび上がる。
(……これ、何なんだろ)
そう思った瞬間――
ガララッ!!
「失礼します」
「きゃあああああああああああああ!!?!?!」
浴室の窓が突然開き、金髪の女性が滑り込んできた。
バスタオルも巻いていない月菜は、反射的に湯船の中で身体を縮める。
「なっ、なっ、ちょっ……!! なんで入ってくるのっ!? ていうか誰っ!? 変態ぃぃ!!」
しかし金髪女性はそんな叫びを完全に無視し、ずいっと距離を詰めてきた。
「あなたに伝えなければならないことがあります。この紙に書かれた場所に、今夜――」
「紙っ!? このタイミングで!? ていうか誰なのあなたぁぁぁ!?」
月菜が湯の中でバシャバシャしながら叫ぶ中、
金髪女性はお構いなしに紙を差し出す。
「あなたは選ばれたです。だから――」
「だからって何に選ばれたの!? まず自己紹介! あと窓閉めて! 寒いし恥ずかしいから!!」
月菜の悲痛な訴えに、金髪の女性は一度だけ姿勢を正した。
「……申し遅れました。私は――」
――コン……。
「月菜? 悲鳴聞こえたけど大丈夫か?」
タクローの声。
(うそでしょ……!? なんで今!!)
「や、やだっ! 入ってこないで!! ただの独り言!! 全然大丈夫!! 何も問題ない!!」
「いや、絶対なんかあっただろ!?」
「なんもないってばぁぁぁ!!」
月菜が涙目で叫んだ、まさにその一秒後――
金髪の女性は、音も気配もなくスッと姿を消していた。
「…………は?」
しばらく月菜は湯気の中で固まった。
「ほんとに平気か? 変な声してたけど……」
「へ、平気! 平気だから! 絶ッッ対に入ってこないで!!」
「わ、分かったよ……」
タクローの足音が遠ざかる。
月菜は胸の鼓動を必死に抑えながら、濡れた指で紙を開いた。
――“今夜22:00、近所の公園へ来てください”――
「えっ……どういうこと……?」
浴室に、月菜の小さな不安の声が響いた。




