9話 オカ研と日文研④
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月菜が風呂から上がったのは、それから十数分後だった。
「ふぅ……あったまった〜」
湯気をまとったまま脱衣所に出た月菜は、ふかふかのタオルで髪を押さえながら鏡を覗き込む。
頬はほんのり赤い。
さっきのハプニングを思い出したのか、耳まで赤くなっていた。
「……見られちゃったなぁ……」
小声で呟き、胸元をそっと押さえる。
もちろんタクローは慌てて視線を逸らした。
けど、それでも胸の奥がほんのりチクンとする。
(……お兄ちゃん、あんなに驚くんだ……)
ちょっとしょんぼり。
ちょっと嬉しい。
そして、むずがゆい。
「はぁ……もっと落ち着いて行動しないと……」
下着に手を伸ばして――
「………………」
(……これ、お気に入りのだ)
さっきとは違うピンク色で清楚なデザイン。
月菜なりに、大人っぽさを目指したお気に入り。
「買ってみたものの……ちょっと恥ずかしい……」
もじもじしながら身につけていると――
ガチャッ。
「月菜ー? 洗濯物入れるから――」
「きゃああああああああああああああ!!!」
絶叫が脱衣所に響く。
「うおおお!? なんでまた鍵かけてねぇんだよ!!」
「か、かけたはずなのにいい!!」
「開いたんだよ!! 劣化してんだよこの家の建てつけが!!」
「ちょ、ちょっと待って!! 今つけてる途中なの!!」
「つけてるなら先に言え!!」
「言えるわけないよぉ!!」
「それは確かにィ!!」
タクローは慌てて跳び退き、そのまま廊下で転がった。
月菜はタオルを胸に押しつけながら扉を閉じる。
バタンッ。
……カチャ(鍵の音)。
「……今のは俺が悪い……よな……?」
「悪いよぉぉ……!!」
扉越しに返ってくる泣き声。
タクローは頭を抱える。
「いやだから鍵しっかり確認しろって言ってんだろ……俺今日で二回目だぞ……」
「うぅ……ぐすっ……恥ずかしい……もうお嫁にいけない……」
「泣くな! 悪かったから!」
「悪いと思うなら覗かないでよぉ!!」
「覗いてねぇよ!!」
廊下で紛糾する兄妹。
すると――
「何か月菜の悲鳴が聞こえたけど……」
ーーー母、降臨。
タクローの表情が一気に青ざめる。
―――――
「腹を切って月菜に詫びなさい。介錯はしてあげるわ」
俺はリビングに正座させられていた。
床は畳じゃないんだから、正座は普通に痛い。
てか、それを親が言うな。
「ちょっと待ってお母さん! お兄ちゃんは不可抗力なの、不可抗力!」
「そう、でもね月菜……世の中はそんなに甘くはないのよ」
なんで俺の死因は“妹の着替えを見てしまった”になりかけてるんだ。
そういう役はショージがやるんじゃないのか。
「とりあえず、俺の弁明を聞いてはくれませんか?」
正座したまま両手をそろえて深々と頭を下げる。
母は腕を組み、じと〜っと睨んできた。
「言いなさい。ただし――妹が無防備だったからとか言ったら生きて帰れないと思いなさい」
「言わねぇよ!!」
なんで本気で警戒されてるんだ俺。
「ほんとに今回は不可抗力なんだよ母さん。一回目は風呂のときで、月菜が鍵閉めてると思ったら閉まってなかっただけで」
「でも開けたのよね?」
「開けた瞬間に視界を爆速で反らした!」
「技術点は認めるわ」
「表現点も欲しいところです……」
母は月菜へ向き直る。
「月菜、事実なの?」
「……う、うん。さすがお兄ちゃんって速度で目そらしてた……」
「ほらァ!!」
勝ち誇りたいが、母の視線が刺さって自粛した。
「じゃあ二回目は?」
「二回目は……ほんとに洗濯物入れようとしただけなんだよ!! そしたら鍵が閉まってるはずなのに――」
「開いた?」
「開いたんだよ! この家が悪いんだよ!!」
「家のせいにするのは最低ラインの男の言い訳よ」
「言わせてくれよ!? 今回はマジなんだから!!」
母は今度は月菜へ視線を戻す。
「月菜、どうなの?」
「……鍵、閉めたつもりだったんだけど……ほんとに勝手に開いた……」
「ほらァ!!(本日二回目)」
しかし母はまだ納得しない。
「でもタクロー。結果的に、妹の下着姿を二回連続で見ることになったのよね?」
「……まあ……はい」
「なら――兄としてもっと慎重になることね」
「……努力するよ……」
「今後は脱衣所に近づくとき必ず――」
母は指を一本立てた。
「『月菜、大丈夫か〜?』と声かけすること」
「…………はい」
「返事があるまで絶対に開けないこと」
「……はい」
「返事が小さかったらもう一回確認すること。返事が聞こえづらかったら、ドア越しにもう一度確認すること』」
「すんごい安全確認ルール……爆弾処理班かよ……」
月菜が、ぽつりと口を開く。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
「わたしも……今日は油断してたの。ほんとに怒ってるとかじゃないよ?」
「そうなのか?」
「うん。びっくりして叫んじゃっただけで……嫌じゃないし……」
それならいいんだけど……
いや、よくないな。
「なら良かったけど……」
「ただ……」
月菜がぽふっと赤くなる。
「……二回も見られるのは……恥ずかしすぎる、よ?」
「俺もだよ!?!?」
「……ふふっ」
母がなぜかニヤニヤ。
「な、なんだよ」
「いやぁ……青春ねぇ」
「どこがだよ!!?」
「月菜、けっこう乙女な顔してたわよ?」
「お、お母さん!! 言わないで!!」
「ほらァァ!!(三回目)」
母は満足げに頷いて言う。
「反省した?」
「しました……」
「よろしい。じゃあ許すわ」
ようやく裁きは下った。
(……今日一日で精神HPめちゃくちゃ削れた……)




