8話 スキャンダルですよ!⑧
――――――
「ただいまー」
玄関の戸を開けた瞬間、鼻をつくような焦げた匂いが漂ってきた。
まるで焼き野原の香りだ。
「……おい、まさか」
嫌な予感しかしない。
スリッパを履いてリビングへ向かうと、案の定台所の奥で、黒煙が立ちのぼっていた。
「お、お兄ちゃん!? おかえりっ!!」
慌てて顔を出したのは、妹の月菜だった。
エプロン姿で、両手にはフライパン。そして、その中には黒光りする“何か”。
「……それ、何作ってた?」
「え、えっと……卵焼き?」
「質問形で答えるな」
俺はため息をつきつつ、月菜の手からフライパンを受け取った。
中身は、もはや炭。いや、炭より黒い。
もはや“料理の成れの果て”と呼んだ方が正しい。
「お前、いつもは料理しないだろ? どうしたんだよ、いきなり」
母さんが休みの時は基本的に俺が夕飯を作る。
それがいつものルーティンなのだが――今日はどうやら、例外らしい。
「えっとね……最近、日本文化研究同好会に入部したの。だからその、和食の練習をしてみようかなーって……」
「へぇ、あの廃同好会、まだあったんだな」
田中さんが昼に言ってたっけ。月菜と陽那ちゃんが新しく入部したって。
でも、いきなり実験台にされる兄の身にもなってほしい。
「お兄ちゃんに食べてほしかったんだけど……ちょっと焦げちゃったかも」
「“ちょっと”のレベルじゃないけどな」
俺はため息混じりにフライパンをシンクへ置いた。
ジュッと音を立てて、水蒸気が立ちのぼる。
月菜はわたわたと手を振りながら、困ったように笑っていた。
「次はもっと上手く作るから! ねっ!」
「いや、今日は俺が作る。これ以上キッチンが戦場になるのはごめんだ」
「で、でも兄さん、疲れてるでしょ……?」
「疲れてても、焦げ臭いのは無理だ」
「うぅ……」
月菜は肩を落とし、しゅんとした表情になった。
その顔を見ると、少しだけ罪悪感を覚える。
……ま、こんな顔されたら断れないんだよな。
「しょうがねぇな。手伝うなら火だけは俺の指示に従えよ?」
「はいっ!」
月菜は嬉しそうに笑った。
その顔を見たら、まぁ、疲れも半分くらいは吹っ飛んだ。
冷蔵庫を開けると、昨日の残り物と卵、冷やご飯があった。
ちゃちゃっとチャーハンとスープを作ることにした。
調味料を合わせる音、フライパンの軽い金属音、香ばしい匂い――
それだけで、家の空気がやっと正常に戻っていく。
「ほら、できたぞ。焦げてない卵入りチャーハンだ」
「わぁっ……! お兄ちゃん、やっぱりすごい!」
「お前のハードボイルドな卵焼きよりはマシだな」
「むぅー、今に見てろー」
月菜は頬をふくらませながらも、素直に「いただきます」と手を合わせた。
スプーンを口に運んで、すぐにほっとしたように笑う。
「やっぱり兄さんの料理、落ち着くね」
「お前の料理が落ち着かなさすぎるだけだよ」
「ひどい!」
冗談を言い合いながらの夕食。
その横顔を見ていると、ふと脳裏に昼のことが浮かんだ。
――学園新聞に載っていた、あの魔法少女の写真。
ボヤけてはっきりは見えなかったけど、アレは田中さんだと思う。
となると、いずれは月菜も……。
「お兄ちゃん?」
「ん、なんでもない。食え食え、冷めるぞ」
「うんっ」
月菜は笑顔で頷き、またスプーンを口に運んだ。
その笑顔は、どこまでも普通で、穏やかであった。
俺は少しだけ目を細めて、その平穏を噛みしめるようにチャーハンを口に運ぶ。
とりあえずは大丈夫であろうな。
ーーーーでも、世界はそんなに都合よくできてはいない。
そう思いながら、俺はテレビのニュースにちらりと目をやった。
そこには「昨夜、市内で謎の光を目撃」というテロップが流れていた。
「……ほんと、平和が一番なんだけどな」
俺のぼやきに、月菜は首をかしげたまま、にこっと笑った。




