22話 シスコン×2+ブラコン+ブラコン(?)⑦
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「タク、ちょっといいかい?」
温泉旅行最終日の夜。
心地よい疲労感とともに布団に潜り込もうとしていた俺は、不意にかけられた声に足を止めた。
呼び出しの主は、冥夜。
昼間、あれほど俺に殺意を飛ばしていた男の目は、今はどこか落ち着き払っている。
「なんだよ。カツアゲしても、もう俺は一銭も持ってないぞ。柴三郎たちは全員、射的屋の店主に拉致されたんだ」
「君のすっからかんの財布には興味ないよ。ちょっと外で話したいことがあってね」
部屋の隅では、昼間に遊び回った疲れだろう。
月菜も星菜ちゃんも、泥のように熟睡している。
ついでに言えば、俺の両親は「地酒の調査」という名の飲み歩きに出かけていて不在だ。
「……ここで話せないことなのか?」
「うん。まぁね」
その曖昧な返答に、背筋にわずかな緊張が走る。
星菜ちゃん関係の話か?
それとも、ついに俺を物理的に埋める場所を選定し終えたという報告か?
俺たちは静かに部屋を抜け出し、旅館の裏手にある月見台へと向かった。
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「――もう真夏なんだけど、意外にここは涼しいんだね」
手すりに寄りかかり、夜の温泉街を見下ろしながら冥夜が呟いた。
下界の熱気を山が遮っているのか。
あるいは、この旅館の歴史がそうさせるのか。
肌を撫でる風は、驚くほど澄んでいて心地いい。
「で? わざわざ俺を呼び出して言うことがそれか?」
「いや。雑談で間を持たせただけだよ」
「間を持たせるな」
俺も仕方なく、隣に腰を下ろした。
しばらく沈黙が続き――冥夜が静かに口を開く。
「星菜があんなに……その、騒がしく笑うのも。久しぶりに見た気がするよ」
冥夜は夜の温泉街を眺めながら言った。
いつもなら【殺】の一文字で俺を威圧してくる番長様だが、今の冥夜から漂うのは――
妹を案じる、ただ一人の兄の気配だった。
「タク」
「ん?」
「君に一つ聞きたい」
冥夜は真っ直ぐこちらを見る。
「星菜は――この旅行、楽しそうだったかい?」
「は?」
思わず間抜けな声が出た。
「いや、普通に楽しんでただろ。射的ではしゃいでたし、食べ歩きでも騒いでたし」
「そうか」
冥夜は小さく頷いた。
それだけ言うと、再び夜空を見上げる。
「……何だよそれ」
「何が?」
「わざわざ呼び出して聞くことがそれか?」
「それだよ」
冥夜はあっさり言った。
「最近、あいつは家でもあまり笑わなくてね」
「……」
「僕との会話も避けているようなんだ。だから今回、少し気になっていた」
夜風が吹く。
神社の木々が、さらさらと揺れた。
「タク。君は、星菜のことをどう思っている?」
唐突な直球だった。
俺の心臓が、ドクンと嫌な跳ね方をする。
「どう、って……おてんばな後輩だよ。たまにちょっと可愛いと思うこともあるけど――」
左腕の感触が、不意に蘇る。
あの柔らかさと、温かさ。
呪いなんかじゃない。
彼女自身の意思で、しがみついてきたあの瞬間。
「……基本的には、俺の平穏を壊しにくる台風みたいな存在だな」
「……ふん。君らしい、論理性の欠片もない回答だね」
冥夜はわずかに口元を歪めた。
「星菜は強い。だが、その強さは脆さと紙一重だ」
夜風に乗って、冥夜の声が低く響く。
「一応、学園ではアイドル的な立ち位置で皆から慕われている。だが、それはあくまで作り上げた顔なんだよ」
「……」
「本当の星菜は、我儘でお転婆な……可愛い妹なんだ」
一拍。
「でも、君と月菜ちゃん。この二人の前では素の星菜でいられるみたいなんだ」
冥夜の視線が、俺の左腕に落ちる。
「この唐変木のどこがいいのやら……」
「おい。地味に俺に失礼だぞ」
冥夜は小さく息を吐いた。
「……あんな顔、しばらく僕に見せたことがない」
「…………」
「君の前で見せる、あの無防備で――欲張りな顔をね」
俺は何も言えず、温泉街の灯りを見つめた。
「タク」
冥夜が一歩、近づく。
「君に、星菜を救う覚悟なんてないだろう?」
「……」
「ないなら、それでいい」
冥夜は静かに言った。
「僕が君を消せば済む話だからね」
「物騒すぎるだろ」
「だが――」
冥夜の眼鏡が、月明かりを反射する。
「もし君が、あの子の我儘に付き合い続けるつもりなら」
一拍。
「その財布の軽さに見合わないだけの苦労を、一生背負い込むことになる」
それは脅迫のようでいて――
どこか、俺に答えを委ねるような問いだった。
「……それでも構わないのかい?」
夜の風が静かに吹き抜ける。
俺はしばらく黙ったまま、温泉街の灯りを見下ろしていた。
「そんなの知らん」
俺は肩をすくめる。
「俺はそういう目で星菜ちゃんを見てないんだよ。お前こそ少しは星菜ちゃんと仲良くしろよ」
「はは」
冥夜は苦笑した。
「僕なりに仲良くしようとは努力しているんだけどね」
少しだけ、寂しそうに。
「まぁ、こういう話ができるのはタクぐらいだからね。またいつか二人で話そう」
「お前が俺に殺意を向けなければな」
「善処するよ」
冥夜は軽く手を挙げ、そのまま宿へ戻っていった。
「……ったく、相変わらず勝手な野郎だな」
俺はしばらく、その場に残った。
静かな温泉街の夜景を、ただぼんやりと眺めながら。
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『ノノノノ……ノゾク……』
夜の温泉街の路地裏。
湿った空気の中で、不快な声が這うように響いた。
「ふぅ……やれやれ」
小さくため息をつく。
「まったく……破廉恥な怪異だね」
目の前では、歪な形をしているニブラが蠢いていた。
『オオオンナ……オンナ……オンナァァァッッ!!』
濁った声を上げながら、ニブラが飛びかかる。
「残念だけど、お前を放置する気はないよ」
――次の瞬間。
音すら置き去りにする一閃が走る。
気づいたときには、ニブラの身体は綺麗に二つに分かれていた。
『オ……ンナ……』
断末魔のような声を残し、怪異は崩れ落ちる。
やがて霧のように溶け、完全に消滅した。
武器をしまう仕草をしてから、呟く。
「えっと……お前たちのこと、ニブラって呼んでいたっけ?」
誰に向けたわけでもない独り言。
「僕は魔術師たちみたいに甘くはないよ」
夜の路地裏には、もう何も残っていない。
ーーー冥夜は静かに空を見上げた。
雲一つない夜空に、綺麗な満月が浮かんでいる。
「……星菜」
ふっと、わずかに表情が緩む。
「あんまり無茶するんじゃないよ」
それは、ここにいない妹へ向けた言葉だった。
満月の光が、静かに街を照らしていた。




