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妹は魔法少女になりましたか?  作者: 吉本優
7月

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21話 湯煙、白装束女と時々こけし⑨






「コ、ココココロスッッッ!!!」


 華子の放つ怨嗟の叫びが、深夜の温泉街に物理的な衝撃波として吹き荒れた。

 無数に枝分かれした黒髪の触手が、大蛇のごときうねりを見せながら一斉に襲いかかる。その狙いは、二人の魔法少女――ではなく、彼女たちに挟まれてぐったりとしているタクロー、そして足元でガタガタと震える戦犯のこけしだ。


「……っ、来るよ、月菜ちゃん!」


「わかってる! お兄ちゃんには指一本触れさせないんだから!」


 二人は同時に、自分たちの内側へ抱え込むようにしてタクローを引き寄せた。

 右から月菜が、左から星菜が。二人の少女の肉体が、気絶した少年の堅固な盾となる。

 先ほどまでの不協和音が嘘のように、二人は見事な連携プレーを見せていた。

 月菜の放つ白銀の柔らかな光がタクローを包む障壁となり、星菜の放つ重厚な琥珀色の魔力がその外周を強固にコーティングしていく。


「《ルナ・シールド》!」


「《テラ・ウォール》!」


 ガガガガッ! と激しい火花を散らす衝撃音。華子の髪の触手が、二重の防御壁に叩きつけられ、虚しく弾かれる。


「うぅ……っ、重い……!」


「月菜ちゃん、耐えて! ――こけし! あんた、ただ見てるだけなの!?」


 星菜の鋭い叱咤に、石畳の上で転がっていた木屑こけしがビクリと跳ねた。


『わ、わかっている……。華子、すまなかった。僕が愚かだった! 君との純真な愛よりも、一時の好奇心に負けて女湯を覗いた僕を、どうか許してくれなんて言わない。……でも、これだけは信じてほしい。君と過ごしたあの時間は、僕の人生で一番輝いていたんだ!』


 こけしの必死の、そして最高に情けない懺悔。けれど、それは滑稽なほどに真実な愛の言葉だった。その響きに当てられたのか、華子の攻撃が一瞬だけ、目に見えて鈍る。


「今だよ、月菜ちゃん! 攻撃じゃない、浄化の魔術……確かエヴァさんから何か教わってなかった!?」


「え、えーと……確か、こんな感じの……っ!」


 月菜は記憶の奥底、師匠から授かった高位魔術を必死に手繰り寄せる。


「浄化の光よ――《ムーン・アルテミス》!!」


 放たれた純白の光の奔流が、華子のどす黒い怨念を優しく包み、洗い流していく。

 荒れ狂っていた黒髪は光に触れるたびに艶やかな乙女の髪へと戻り、汚れに染まった白装束は清らかな姿へ。そこに現れたのは、もはや怨霊ではない。ただ一人、愛に迷った少女の姿だった。


『……あ……あたたかい……』


 華子の瞳からこぼれ落ちたのは、透明な涙。

 彼女は、必死に自分を止めてくれた二人の少女と、その間で幸せそうに眠る少年、そして泣きじゃくるこけしを交互に見つめ、ふっと穏やかに微笑んだ。


『……バカね。そんなに女の裸が見たいなら、私がいくらでも見せてあげたのに』


『ごめん……』


『言い訳ならあの世でたっぷり聞くわ。……ごめんなさい、貴女たちには随分迷惑をかけてしまったわね』


 華子の姿が、朝霧に溶けるように少しずつ透き通っていく。

 彼女は最後に、タクローの手を握る月菜と星菜に悪戯っぽい視線を注いだ。


『……女の子同士、仲良くね。その男の子、結構……いえ、相当な鈍感みたいなんだから』


「……それは昔から重々承知してます」


「まぁ、タクロー先輩は筋金入りのにぶちんだよね」


 二人の返答に満足したのか、華子は黄金の粒子となって夜空へと消えていった。


「……終わった、んだよね?」


 月菜がふぅ、と深い溜息をつくと、魔装が解けて二人は元の浴衣姿に戻った。

 静寂の戻った温泉街。遠くで夜明けを告げる鳥の声が響く。


「みたいだね。……あ、でもまだこけしが残ってる」


『はは、僕ももうすぐ成仏するから。改めて礼を言うよ。呪いも、もうすぐ解けるはずだよ』


 星菜が自分の左手を見つめる。

 そこにはもう、タクローの手と自分を繋ぎ止めていた、あの嫌な粘着感はなかった。


「……離れた」


「本当だ。お兄ちゃんの手、自由だよ」


 月菜も右手を動かして確認する。呪いは完全に霧散した。もう、無理に一緒にいる必要はない。

 だが、二人はすぐにはその手を離そうとはしなかった。


『……二人は、その彼のことが好きなのかな?』


 消え入りそうなこけしが、最後のお節介を焼く。


「はい! 初めて会った時から――」


「ちょ、星菜ちゃん!? 一目惚れするような劇的シーン、あったっけ!?」


「月菜ちゃんは知らないだけで、色々あるのっ。……ところでさ、こけし」


 星菜の瞳が、急に冷徹な温度に変わった。


「……あんた、昼間の温泉にもいたよね? ――つまり、覗いた?」


『…………あれは、君たちのポテンシャルが気になってだね』


「「………………」」


 二人の、絶対零度の視線。


『え、ええいっ! もう夜が明けちゃうよ! ほらほら、部屋に戻らないとご両親にバレちゃうよ!?  さあ行った行った!』


 慌てて消滅を開始するこけしを横目に、星菜は吐き捨てた。


「何か解せないなぁ。ま、あの世で華子さんにたっぷり絞られてきて」


「むぅ、お兄ちゃん以外の人に見られたなんて最悪……。ねぇ、星菜ちゃん。お兄ちゃん、まだ起きないね」


「そりゃあ、あたしの会心の一撃だったし。……でも、このままここで放置するわけにもいかないよね」


 二人は顔を見合わせ、苦笑した。


 呪いが解けたはずなのに、彼女たちは自然と、タクローの左右の肩を担ぐようにして立ち上がった。


「……お兄ちゃん、意外と重いよ」


「しょうがないでしょ。これくらいはサービス、サービス♪」


 朝日が石畳を照らし始める中、二人の少女に支えられた少年は、幸せそうな顔でまだ夢の中にいた。


 呪いが解けたあとの方が、心なしか三人の距離は、以前よりもずっと縮まっているように見えた。


「(……次は、呪い抜きで手を繋ぎたいな)」


 月菜の小さな呟きは、朝風に溶けたのか、あるいは隣のライバルの耳に届いたのか。

 京田家の騒がしい夏休み、その二日目の朝が、静かに始まろうとしていた。






 石畳を照らし始めた朝日の向こう側で、三人の足音が遠ざかっていく。

 静寂を取り戻した温泉街の片隅。形を失いかけた光の粒子の中で、こけしは独り、満足げに呟いた。


『――ふぅ。行った、かな? さて、この依代(体)も少し名残り惜しいけれど……そろそろ僕も、華子のところへ行くとしようか』


『……やぁ。お疲れ様、覗き魔の亡霊さん』


 場違いなほどに澄んだ、けれど感情の欠落した少年の声が響いた。

 日の出の逆光を背負って現れたのは、一人の少年。その場にそぐわない薄い笑みを浮かべ、彼はそこに立っていた。


『き、君は……いったい、どこから……!?』


 こけしは、本能的な恐怖に震えた。目の前の少年から溢れ出す圧倒的な何かが、消えかけの霊体を押し潰そうとしていた。


『驚くほど欲望に溢れているね、君は。愛する恋人がいるというのに、他の女の人の裸を覗こうだなんて。その執着、実に醜くて……美しいよ』


 少年は、慈しむように、そして蔑むように、三日月のような笑みを深める。


『そ、それは――いや、僕はもう改心したんだ! 来世では、華子を一途に愛すると決めたんだ……!』


『いいんだよ、改心なんてしなくて。だって、底なしの欲望こそが人間なんだから』


 次の瞬間。少年の靴底が、無慈悲にこけしを踏み抜いた。

 メキリ、と乾いた木材が砕ける音。それは霊的な核が破壊される絶望の音だった。


『……あ……が……き……君は、何者なんだ……?』


『僕? そうだなぁ……』


 少年は、砕けたこけしを冷たく見下ろしたまま、歌うように告げた。


『【ニブラの王子様】――とでも名乗っておこうか。……さぁ、お喋りは終わりだ。君のその汚い欲望と、やり場のない負の感情を糧にして……立派なニブラに、生まれ変わらせてあげるよ』


 少年の影が、ドロリと黒く、深く、温泉街の夜明けを塗り潰していく。



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