21話 湯煙、白装束女と時々こけし
『ココココッッッ!!!』
鼓膜を直接針で刺すような、不快な笑い声。
ガァンッ!!
暴力的な音とともに、姿見が内側から爆ぜた。
飛び散る鋭利な破片は、床に落ちるよりも速く不吉な黒い靄へと溶け、廊下の空気を一瞬で凍りつかせる。
その闇の中から、関節があり得ない方向に折れ曲がった白装束の女が、ずるりと這い出してきた。
「ひぇっ……! ほ、本気でホラーじゃん! お兄ちゃぁぁあん!!」
月菜の瞳に涙が溜まる。
これまでシリアスな展開の為、必死に耐えてきた月菜だったが、生理的な恐怖を煽るジャパニーズ・ホラーの演出に、ついに我慢の限界が来たらしい。
「きゃははっ、月菜ちゃんは怖がりなんだねー。……っていうか、月菜ちゃんは後ろで私の応援でもしててね! このお行儀の悪いお客様は、あたしがお引取り願うから」
『コココココココッッッロロロロロロロッッッ!!』
「何言ってるのかさっぱりわかんない。――とりあえず、黙って地獄に帰りなよ。《テラ・インパクト》ッ!」
星菜が大きく踏み込む。
一閃。重力そのものを叩きつけるような一撃が、白装束の女の眉間に直撃した。
『ギャアアアアッッッ!!』
絶叫。衝撃波が廊下を走り、化け物はなすすべもなく後方へと弾き飛ばされた。
本来なら実体のないはずの霊体を、物理的な質量で粉砕する。それが星菜の規格外の力だった。
「…………あれ? なんか、手応えが変」
ハンマーを構え直した星菜が、怪訝そうに眉をひそめる。
「この化け物はニブラじゃないかもね」
「ど、どういうこと?」
「うーん……幽霊?」
星菜は、床に這いつくばる白装束の女を冷ややかに見下ろした。
「えーっ!! なら、怖いよ!!!!」
「んと……多分ニブラの方が怖いと思うけど……」
月菜のあまりの取り乱しように星菜は思わず苦笑いを浮かべた。
「ま、幽霊だろうが、ニブラだろうが、魔のモノなら容赦なく潰すだけ」
『ココ……ロロ……』
白装束女は地べたを張って鏡に逃げようとしていた。
「こら、待てーー」
その時。
遠く、娯楽室の方からーーー
「おい、月菜ー? どこ行ったんだー?」
タクローののんびりした声が聞こえてきた。
「あっ、お兄ちゃんの声……!」
「……チッ。月菜ちゃん、一旦魔装を解くよ。今タクロー先輩に見られたら、説明がめんどくさいことになっちゃう!」
「ええっ!? あ、うんっ!」
慌ててを魔装を解き、何事もなかったかのように平静を装う二人。
そして、白装束女は鏡の中へと姿を消した。
「むー、タイミング悪すぎ。もう少しで倒せたのにぃ」
星菜はブーブーと不満を口にした。
「でも、あの幽霊さん。何か様子がおかしかったような……」
「あんな不気味な姿なら誰でもおかしいと思うよ。じゃ、あたしは部屋に戻るから。タクロー先輩によろしく♪」
星菜はひらひらと手を振って、夜の廊下の闇に溶けるように去っていった。
嵐のような強襲と、それ以上に嵐のような撤退。後に残されたのは、腰が抜けてその場にへたり込む月菜と、静まり返った中庭である。
「……あー、怖かった……」
思わず月菜はその場に座り込むのであった。
―――――
「おーい、月菜。こんなところで何してんだ?」
急にいなくなったと思って、月菜と星菜ちゃんを探していたら、何故か月菜は中庭の地面に座り込んでいた。
「ひゃいっ!? ……あ、あはは。お、お兄ちゃん……。いや、ちょっとね? 恋ヶ崎の夜風が……その、デリシャス? だったから……」
「なんだそりゃ。お前、顔が真っ青だぞ」
てか、デリシャス(美味)の夜風ってなんだ?
「ん? 何でこんなとこに鏡なんてあるんだ? ちょうどいい、さっきの卓球で髪がボサボサになったんだよな」
「わ、わあああ! 近づいちゃダメ!! 食べられるよ! 鏡に吸い込まれて、関節がありえない方向に曲がっちゃうよ!!」
「落ち着け。どんな怪談だよそれは。……というか、星菜ちゃんはどこいったんだ?」
「えっ!? あー、星菜ちゃんなら自分の部屋に戻って行ったよ」
「そっか。星菜ちゃんがここに来てるって事は冥夜もここに来てるのか?」
「冥夜さん? うーん、星菜ちゃんは誰と来たか言ってなかったから分かんない。お母さんとお父さんと来てるとか」
「あー、うん、多分冥夜と来てるんだろうな」
「うん? お兄ちゃん何か隠してる事ある?」
じとっ……と月菜は怪しむ表情をした。
「……色々あるって事だよ。月菜だって色々言いたくない事だってあるだろ?」
自分が魔法少女やってますとかな。
「うっ、それはそうだけどさぁ……」
「とりあえず、このゆっくりできそうな温泉旅行で冥夜に会って、嫌味言われたくないわな」
「(……こっちは絶賛色々起きてるよ、お兄ちゃん!!)」
「……どうかしたか?」
「ううん、何でもないよ!」
「暗くなってきたし、俺たちも部屋に戻るぞ。明日は明日で色々観光に行くんだろ?」
「う、うん……。あ、待ってお兄ちゃん! 手、繋いで……。繋がないと、私、どっかに消えちゃう気がするから!」
「はいはい。迷子属性までついちゃったのかよ、お前は」
中等部に上がったけど、月菜もまだまだ子どもなんだな。
差し出された月菜の小さな手をしっかりと握りしめた。
―――――
二人が連れ立って、明るいロビーの方へと歩き出す。
月菜は、お兄ちゃんの温かい手の感触にようやく安堵のため息をついた。
(……幽霊、もういないよね?)
恐る恐る、一度だけ背後の鏡を振り返る。
そこには、仲良く歩く自分たちの後ろ姿が映っていた。
「ほっ、異常なし」
「何がだ?」
言葉を遮るようにタクローのポケットの中で、バイブレーションが鳴り響く。
【ユウゲン:おいタクロー。さっきの続きなんだが……どうやら恋ヶ崎は色々怪奇現象が多々あるらしい。せっかくだから調査してくれ】
タクローはスマホの画面を一瞥し、眉をひそめた。
「……ったく、あいつ。旅行中くらい空気読めよな」
「お兄ちゃん、どうかしたの?」
「いや。……ただの、迷惑メールだ」
タクローはそう言ってスマホを仕舞ったが、その目は笑っていなかった。




