20話 夏といえば温泉でしょ!⑤
一階ロビー脇にある【浴衣処】には、色とりどりの布地がずらりと並んでいた。
女性用は華やかな花柄、男性用は落ち着いた紺や鼠色。温泉街の華やいだ空気が、そのまま布になったような空間だ。
「わぁ……! お兄ちゃん、これなんてどう? 涼しそうな水色で、お兄ちゃんに似合いそう!」
月菜が真っ先に手に取ったのは、爽やかな水色の浴衣だった。
……確かに、これなら俺でも抵抗なく着られそうだ。
「お、いいんじゃねぇか。ありがと」
「えへへ、私もお揃いっぽい色にするね!」
月菜が嬉しそうに自分の浴衣を探し始めた、その時。
「待てぃ!!」
背後から野太い声が飛ぶ。
「タクロー! 軟弱だぞ! そんな淡い色では迫力が足りん!」
「浴衣に迫力求めるなよ」
父さんは棚の奥から一着を引っ張り出してきた。
「見ろ、これこそが至高! 深緑だ! 落ち着き、重厚感、そして威厳! まさにお前にふさわしい!」
「ただ地味なだけだろ、それ」
「何を言う! この帯の太さを見ろ。しっかりしている!」
「帯に機能性いらないから」
さらに父さんは月菜の浴衣にも口を出し始める。
「月菜! 君にはこの落ち着いた茶色を――」
「絶対イヤ! お父さん、センスなさすぎ!」
「ぐはぁっ!」
娘の一刀両断に、父さんが本気で膝をつく。
それを見かねて、母さんがくすくすと笑いながら割って入った。
「はいはい、義和さんは少し落ち着いて。ここは温泉よ? タクロー、その緑はちょっと重たいから、こっちの深い紺色にしましょうか。落ち着いていて素敵よ」
「……それでいいよ」
結局、俺は母さんの選んだ濃紺の浴衣に決まり、月菜は白地に赤い金魚が泳ぐ可愛らしい浴衣を手にした。
父さんは最後まで「迷彩柄はないのか……」と未練がましく呟いていたが、なぜか自分用には真っ赤な浴衣を選んでいる。
「……目立ちたいのか隠れたいのか、どっちなんだよ」
「目立つことで威圧するのだ!」
「何を威圧するんだよ」
浴衣を抱えてエレベーターへ向かう。
月菜はくるくると回りながら言った。
「早く着たいなぁ。お兄ちゃん、ちゃんと帯結べる?」
「うーん、あんま覚えてないなぁ。無理だったら母さんに頼む」
「えー、自分で頑張ろうよー」
そんな他愛ないやり取りが、なんだか妙に楽しい。
「よし! 着替えたら即、露天風呂へ突撃だぁぁ!!」
「だから号令いらないって」
父さんの無駄に響く宣言とともに、俺たちは客室階へと上がっていった。
―――――
浴衣を抱えて部屋に戻ると、畳の匂いがふわりと広がった。
「よし! 各自、速やかに着替え開始だ!」
「なんでいちいち号令かけるんだよ……」
父さんはすでに帯をぶんぶん振り回している。危ない。
「お兄ちゃん、帯ってどうやって結ぶの?」
月菜が不安そうに浴衣を広げている。
「え、知らないのか?」
「だってちゃんと着るの初めてだもん」
……まぁ、そうそう浴衣を着る機会ってないもんな。
「まあ、なんとかなるだろ」
「お兄ちゃん、それ逆じゃない?」
「え?」
月菜が指さす。
前合わせが逆だった。
「死装束みたいになってるよ」
「縁起でもないこと言うな!」
「タクロー! 右前だ! 右前!」
「分かってるよ!」
慌てて直す。なんだこの緊張感。
一方、父さんは――
「むぅ……帯が短い……!」
「いや長いだろそれ」
父さんの腹回りに三周くらいしている。
「義和さん、それは巻きすぎよ」
母さんが冷静に修正を入れる。
「こうやって、後ろで結んで……ほら」
「おお……! さすが我が妻!」
「だてに十数年京田家で妻をやっていますからね」
母さん、強い。
月菜も着替え終わり、襖の向こうから声がした。
「お兄ちゃん、入っていい?」
「おう」
襖が開く。
白地に赤い金魚の浴衣。
さっきより少しだけ大人っぽくみえるな。
「……どう?」
くるり、と一回転。
裾がふわりと揺れる。
「似合ってるよ」
「ほんと!? えへへ……」
満足そうに笑う月菜。
その隣で、父さんがなぜか腕を組んで頷いている。
「うむ。可愛い」
「何その審査員みたいな顔」
「タクローはどうだ」
「まあ、普通じゃね?」
濃紺の浴衣は思ったより落ち着いていた。変に派手じゃないし、動きやすい。
「お兄ちゃん、ちゃんと結べてる?」
月菜が近づいてきて、俺の帯をちょいちょいと触る。
「ちょ、触るな」
「ちょっと緩いかも。動いたらほどけちゃうよ?」
「え、マジ?」
月菜が後ろに回り、帯をぎゅっと締め直す。
「ほら、これで大丈夫」
「……ありがと」
なんか妙に近い。
「よし! 全員戦闘準備――いや、入浴準備完了だ!」
「最後まで言い直せよ」
母さんが手を叩く。
「それじゃあ、露天風呂に行きましょうか」
「やったぁ!」
月菜が先に飛び出しそうになる。
「走るな! 廊下は静かに!」
お前が一番うるさいよ。




