20話 夏といえば温泉でしょ!④
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「ぐはははっ! 着いたぞ、我が妻、子どもたちよ!!」
夏休み初日。俺たちはついに【恋ヶ崎温泉】へと降り立った。
足元には情緒あふれる石畳の坂道。視界の先には白く立ち上る湯けむり。どこか懐かしい木造建築が軒を連ねる温泉街は、まさに【日本の休日】といった風情だ。
「あー、いてて。一時間以上も座りっぱなしはさすがにキツいな……」
車から降りて大きく背伸びをすると、固まっていた腰がぽきりと鳴った。
「タクロー、貴様はまだまだ修行が足りん! もっと野生のしなやかさを身につけろ!!」
「旅行初日からサバイバル基準を持ち出すなよ」
父さんは腕を組んで豪快に笑う。楽しそうなのは分かるが、無駄に目つきだけは鋭い。
「はぁ、私も少しは鍛えた方がいいのかなぁ……」
月菜が自分の二の腕をぷにっとつまんで、少し不安そうに眉を下げる。
「月菜は鍛えなくて良し! そのままでいてくれ!!」
「なんで!?」
「そのままで、パパの完璧なる天使だからだ!!」
「親バカの熱量がうざい……」
母さんがくすくすと笑う。
「はいはい、立ち話してないで行きましょう。チェックインの時間が過ぎちゃうわよ」
母さんに促され、俺たちは石畳を歩き出した。
カラン、と下駄の音が響く。鼻をくすぐる硫黄の匂い。射的屋の景品、店先で蒸される温泉まんじゅうの湯気、軒先に揺れる提灯――。
「わぁ……すごい、お兄ちゃん見て! あの三色団子、めちゃくちゃ美味しそう!」
「さっき昼飯食ったばっかだろ。お前、さっきから食いもんしか見てないな」
「旅行は別腹なのっ。それに、お兄ちゃんと半分こならカロリーも半分でしょ?」
「……便利な理論だな」
そんなやり取りをしているうちに、今日から三泊四日でお世話になる旅館が見えてきた。
重厚な木造三階建ての門構え。看板には【月影楼】の文字が、歴史を物語るように刻まれている。
「ほぉ……風情があるな。キャンプのテントとはまた違う趣だ」
「うわぁ……おっきい……!」
月菜が俺の袖をきゅっと引き、期待に目を輝かせる。
案内されたのは最上階の角部屋だった。
仲居さんが襖を開けた瞬間、思わず息を呑む。
「わぁぁぁぁ!! すごい、絶景!!」
月菜が窓辺へ駆け寄る。
眼下には清流。夕日に照らされた山々が、燃えるような朱色に染まっている。
「いい。実にいい……。流石は私のボーナスを注ぎ込んだだけはあるな」
「生々しいこと言うなよ、家長」
「ふん、タクロー。この贅沢を噛みしめ、父への敬意を深めるがいい!」
荷物を下ろし、俺も窓際に立つ。
一学期のバタバタが嘘のように、今は静かな時間が流れていた。
――まあ、こういうのも悪くないよな。
寧ろ、良い!
「ねぇねぇ、お兄ちゃん!」
振り返った月菜の顔には『遊びたい』が全力で書いてある。
「まず何する!? 温泉!? お散歩!? それとも、さっきの団子屋さんリベンジ!?」
「落ち着け。逃げないから」
「だって、楽しみなんだもん!」
満面の笑みを向けられると、こっちまで少し浮き足立ってしまう。
「よし! まずは温泉だ! 長旅の疲れを流すぞ!!」
「だから何の号令なんだよ……」
「賛成ー! 浴衣、可愛いのあるかなぁ」
母さんも嬉しそうに微笑む。
「家族揃っての旅行なんて久しぶりだもの。いっぱい楽しみましょうね、タクロー」
「ああ」
「よし! 下の階に浴衣を選びに行くぞ。月菜、パパが最高のコーディネートをしてやろう!」
「え、選べるの!? やったぁ!」
飛び跳ねる月菜を横目に、俺は少し距離を取る。
「俺はいいよ。普段着の方が楽だし」
あのヒラヒラした布は、どうも落ち着かない。
「えー、お兄ちゃん着ないの……? せっかくお揃いっぽくできると思ったのに……」
月菜が、捨てられた子犬みたいな目で見上げてくる。
「ぬっ!! タクロー、着ろ。これは京田家の鉄の掟だ!!」
「なんだよ鉄の掟って! 分かった、分かったから! そんな目で見るな!」
父さんの圧と月菜の視線に負け、俺は渋々エレベーターへ向かった。




