20話 夏といえば温泉でしょ!②
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「今夜、お父さんが帰ってくるわよ」
その一言は、平和な夕食の時間を文字通り切り裂く爆弾発言だった。
久しぶりに家族三人が揃った食卓。
メインディッシュの生姜焼きを口に運ぼうとしていた俺の箸が、空中でピタリと静止する。
京田家の主――
京田義和。
海外を飛び回る商社マンであり、そのレア度は絶滅危惧種か、あるいは某・捕獲困難なポケットの中のモンスター級。
年に数回、ふらりと帰ってきては嵐のように去っていく男だ。
「ホント!? やったぁ!」
月菜が椅子から飛び上がらんばかりの勢いで喜ぶ。
以前『お姉さん系』を気取って保冷剤を胸に詰め込んでいた迷走少女だったとは思えない反応だが――やっぱり、こっちの方が月菜らしい。
「まぁ、まだまだ仕事が忙しいから、一週間くらいしか家にいないらしいけどね。ったく、あの人ももう少し家庭を顧みてくれればいいのに……」
そうぼやく母さんの頬は、隠しきれない期待でほんのり桃色に染まっている。
……あてられる。
お二人さんは、結婚して結構経つのに新婚か何かかと思うレベルでラヴラヴなのだ。
「というわけで、夏休み初日からどこか旅行に行きたいと思ってるんだけど。二人はどこに行きたい?」
「私はね! おっきなプールがあるところ! それと、美味しいパフェが食べられるリゾートホテル!」
月菜が目を輝かせて即答する。
「タクローは? ほら、あんまり無関心だとお母さん泣いちゃうわよ?」
「……俺は、ゆっくりできるならどこでも。ただ、遠出しすぎると移動だけで疲れそうだし……」
「あら、そんなこと言うと思って――」
母さんは満を持して、テーブルに数枚の観光パンフレットを広げた。
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候補①【白浜シーサイド・リゾート】
「豪華ホテルにプライベートビーチ! ショッピングモールも併設されてるから、色々楽しめるわよ」
「うわぁ、ショッピング楽しそう!」
俺としては特に欲しいものもないが、女性陣的にはポイントが高そうだ。
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候補②【神楽山のキャンプ村】
「お父さんがね、『たまには野性味あふれる生活をしよう』って。星がとっても綺麗らしいのよ」
ちなみに父の趣味はサバイバルである。
「え、えっと……星は気になるけど、虫がちょっと……」
月菜の反応は微妙だった。
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候補③【恋ヶ崎温泉】
「歴史ある温泉街で、最近はパワースポットとしても有名なんですって。 月菜、浴衣とか似合いそうよ?」
「へぇ……何のパワースポット?」
「恋愛成就よ」
「私、ここがいいっ!」
月菜がテーブルを叩かんばかりの勢いで身を乗り出した。
さっきまでの迷いはどこへやら。彼女の指は、一直線に【恋ヶ崎温泉】を指している。
「あらぁ? 月菜は恋愛成就したい相手がいるのかしら?」
母さんがニヤニヤしながら覗き込む。
「え、えっと……それは……その……」
視線が泳ぎ、なぜか俺の方をチラチラと見てくる。
おい、やめろ。そんな意味深ムーブをされたら、母さんのデストロイがやって来る。
「お兄ちゃんが最近、変な女の人にたぶらかされてないか心配だし! 家族の縁を深めるのも立派な縁結びでしょ!?」
「苦しすぎる言い訳だな……」
苦笑しつつ生姜焼きを咀嚼するが、脳裏には別の懸念が浮かんでいた。
――恋ヶ崎温泉。
確か放課後、ユウゲンが「依頼が来た」と言って広げていた資料に、この地名があった気がする。
【鏡女】だの【こけし】だの。
いかにもオカ研が食いつきそうな、胡散臭い都市伝説。
……まあ、ただの噂だろ。
それより家族旅行中にユウゲンやショージから電話が来ないことを祈るべきか。
「でも、お父さんが許してくれるかしら?」
母さんが少し困ったように首を傾げた。
京田義和。
趣味はサバイバル、信条は『自然の中にこそ真理がある』。
娘を溺愛するあまり、『恋愛成就』なんて単語を聞いた日には、温泉街を物理的に封鎖しかねない男だ。
「お父さん、『キャンプ以外は認めん!』とか言い出さないかな……」
月菜が不安を口にした、その瞬間。
「ただいまぁぁぁ! 我が愛しき家族たちよ!!」
玄関のドアが壊れるんじゃないかという勢いで開き、野太い声が家中に響き渡った。
――噂をすれば、レアキャラ(父)降臨である。
「義和さん! おかえりなさい!」
「ああ、君! 会いたかったぞ!
一秒ごとに君の笑顔を思い出し、砂漠で砂を噛んで耐えていた!」
再会即、母さんを抱きしめる父。
何ともお熱いお二人さんだね。
「お父さん! おかえり!」
「おおお月菜! 俺の天使! 俺の宝石! 少し見ない間にさらに可愛くなって……! 悪い虫はついていないか!? 変な男が寄ってきたら、パパがマチェットでジャングルの栄養にしてやるからな!」
「物騒すぎるから!」
「タクロー、害虫どもはちゃんと駆除しているか?」
「してねぇし、集ってもねぇよ」
殺気のこもった視線を向けるな。
「あのね、お父さん! 夏休みの旅行先なんだけど……恋ヶ崎温泉がいいなって!」
「なに……温泉だと……?」
父の表情が一瞬で曇る。
「パパは神楽山で熊と格闘しながら、火を囲む夜を夢見ていたのだが……」
だが、月菜はひるまなかった。
娘特権・あざとい上目遣いをフル活用する。
「パパと一緒に、浴衣で温泉街を歩きたいなぁ……ダメ?」
「…………ッ!!」
必殺魔法が、直撃した。
「よし、恋ヶ崎だ!! 今すぐ旅館を……いや、温泉街ごと買い占めてやろう!!」
「そこまでしなくていいから……」
俺のツッコミも虚しく、
京田家の夏休みは、こうして温泉地へと舵を切ったのだった。




