19話 大きいのが好きですか? 小さいのが好きですか?⑥(おまけ)
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屋上でのあの大惨事の後、タクローとショージを見送った月菜は、放課後に至るまである【極秘作戦】を練り上げていた。
これは、タクローが帰宅するまでの約30分間。お兄ちゃんの性癖に、妹として(物理的に)寄り添おうとした少女の、涙ぐましい奮闘記である。
【16:00 京田家・母のクローゼット】
「お姉さん……お姉さん系、うなじ、シャンプー、汗、生命の神秘……」
帰宅するなり、月菜は呪文のようにキーワードを呟きながら、母のクローゼットを荒らしていた。
当然ながら、現役女子中等部生である月菜の持ち合わせには、兄を黙らせるような大人びた服など一着も存在しないのだ。
脳内を占拠しているのは、屋上で聞いた兄の衝撃的な独白。
「星菜ちゃんにドキッとするなんて……お兄ちゃん変態、ド変態! でも……でも、お姉さん系がタイプだなんて……私だって、やればできるんだから!」
彼女の目的は一つ。
お姉さんな自分を見せつけ、タクローの標榜する『匂い』と『うなじ』のコンボで、ドキッとさせてやることだ。
「う、重い……。母さんの服、なんでこんなにマダムっぽいの?」
ようやく引っ張り出したのは、とろみのあるベージュのブラウス。月菜が着ると肩幅が合わずにずり落ち、意図せずしてはだけそうな危ういシルエットが完成した。
「よし、次は胸ね。……お姉さんといえば、やっぱりボリュームでしょ」
洗面所に駆け込んだが、あいにくパッドの持ち合わせなんてない。
ティッシュを詰める? いや、それでは重みが足りない。もっとこう、大人の女性らしい、ずっしりとした存在感が……。
「……これだ!」
キッチンへ走り、冷凍庫を勢いよく開ける。
そこにあったのは、ケーキを買った時についてくる大量の保冷剤。
「これなら形も崩れないし、ずっしりしてる! 何より、ブラウスの上からでも『冷たい=ミステリアスな大人の女』っぽさが演出できるはず!」
(※注:パニック中のため、月菜の判断力は著しく低下しています)
【16:15 浴室〜ドレッサー】
次は香りだ。
お兄ちゃんの好みが「シャンプーの良い匂い」なら、死ぬほど頭を洗えばいい。
月菜は浴室に直行し、普段の三倍近い時間をかけて念入りに髪を洗い上げた。さらに、原液を一滴、こっそり耳の後ろに塗り込む。
リビングは瞬く間に、美容室のバックヤードのような濃密な香りに支配された。
「そして、仕上げの汗!」
霧吹きを手に取り、鏡を見ながら慎重に、うなじの生え際へとシュシュッと水を吹き付ける。後れ毛の一本一本をあざとい角度で肌に貼り付け、仕上げに伊達メガネをクイッと上げれば準備完了だ。
「ふふ、ふふふふ……! これでお兄ちゃんも、私を『妹』じゃなく一人の『女(お姉さん)』として見るしかなくなるはず!」
【16:25 リビング】
ソファーに腰掛け、脚を組み、優雅に文庫本(中身は漫画)を開く。
……が、現実は甘くなかった。
「(……冷たい。胸元が、死ぬほど冷たい……っ!)」
大量の保冷剤が容赦なく体温を奪い、月菜の心臓付近は氷点下に達しようとしていた。しかし、お姉さんはこの程度の寒さで震えたりしない。月菜は歯の根が合わないのを必死に堪え、玄関の開く音を待った。
ーーーそして、ついに。
『ただいま……』
お兄ちゃんの、世界が終わったかのような疲れ切った声が聞こえた。
「(来た……! 覚悟してね、お兄ちゃん!!)」
月菜は必死に震えを止め、最大限の余裕あるお姉さんスマイルを作って振り返ったのである。
これが、後に京田家の歴史に深く刻まれることとなる【保冷剤ポロリ事件】の全貌である。




